La perdita - 3/3

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 兎が跳ねまわる。ぴょんぴょんと、跳ねまわり、赤子の周りを包み込んでいた。口元を覆い隠すベルトをしている男は、アノーニモは大変楽しそうに、眠っているアンネッタの頬を指先で突きまわした。気持ちが良いのかどうなのか、それとも中毒性でもあると言うのか。そこかしこに兎を大量発生させながら、アノーニモはアンネッタの頬にまた指先をめり込ませる。
 ふえと泣き声が上がると、やめないかととうとうウドルフォが注意した。
「折角寝ていたのに」
「気持ちいい」
 とても。そうアノーニモは片手を上げて、もう一度つつく。やれやれとその様子を見ていたウドルフォは溜息と共に注意を止めた。この兎の群れを大量発生させる同僚には何を言っても無意味だと言うことを理解した。そして、書類を側の机で片付けているセオに視線をやる。
 執務室にベビーベッドが一つ。暗殺集団のボスの部屋の片隅、天井からはからからと回る玩具がぶら下げられていた。その下には可愛らしい赤子が寝ている。言葉にはし辛い程に不釣り合いであった。
 そこに大きな体がドアをせましとばかりに入ってくる。そして、あーと明るい声を上げた。
「アンだ。ドン、アンだよー」
「見ればわかるよ。どうでもいい人間の顔を三秒と経たず忘れる君と一緒にしないでくれる。馬鹿でも分かるって言ってるの」
「うんうん。ほら、アン!たかいたかーい」
「2m15cm…いや、腕の長さも加えればもっとあるんだろうけど、その高層ビルから落とすような馬鹿な真似はやめてね」
「そんなことしないよ、俺は。なーアン」
 きゃらきゃらと笑いながら、先程まで泣き顔だった子供はジーモのかられた頭に頬を寄せながら笑う。けっとドンはそんな一見微笑ましい光景を見て、吐き捨てた。
「子供嫌いなんだよね」
「小さいから?」
「…君、膝から下切り落として上げようか?」
 ひくり、とジーモの心ない一言に頬を引き攣らせてドンは何とも表現しづらい笑みを浮かべる。ジーモの肩に乗せられた子供に、アノーニモが手を伸ばしながら、その背中を無意味に叩く。子供が面白いのかそれとも珍しいのか、良く分からない。
「ジーモジーモ。貸すといい」
 諸手が上がっている状態で、アノーニモはジーモの大きな背中を叩いた。それにジーモはもう少しと笑いつつ、くるくると回った。ロングコートが風を孕んで、大きく広がる。ウドルフォはやれやれと言った様子で、そんな光景に目を細めて笑顔を浮かべる。
 その辺にしておけ、とセオは座ったまま、書類を机に落とした。それを見たドンは、それ見たことかとばかりに肩をすくめる。
「アン」
「バーァッボ!」
「お父さんが一番みたいだなーやっぱり」
 ジーモは肩からアンネッタを下ろして、セオに渡す。セオは片手でアンを受け取り、膝の上に乗せてドンが差し出した厚い書類を受け取った。軽く目を通して行き、うんと頷く。そしてジーモが提出した相変わらず薄い、と言うよりも一枚しかない報告書に眉をハの字に落とした。ジーモ、と窘めるように声を落とせば、困ったような笑顔が向けられる。
 膝の上から小さな紅葉が二つ、顔をぺたぺたと触る。それを掌で遊ばせながら、セオはジーモが渡してきた書類を左から右へと目を通し、サインをした。相変わらず短いのだが、もうこれに関しては諦めるしかない。損害もないので、目を瞑るべきところではあるだろう。ジーモの書類上のフォローは大抵ドンがしてくれるので問題もない。
「あ」
 じわりとズボンが湿ったのを感じ、セオは溜息をついた。やられた。あーん、と泣き声が響く。
「いつからだっけ?」
「今週頭から。もう、おしめも外す時期かと思って…まだ早かったかな…ルッスーリアに今度聞いとこう」
「君もとっとと着替えてきた方が良いんじゃない。小便くさいズボンで会議に出られたらたまらないね」
「…まぁ、そうだな」
 取敢えず、パンツを変えてから、とワンワンと泣くアンを抱え直してセオは頷いた。