Corvo del malaugurio - 1/2

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 鐘の音が三回。それが幾度も幾度も鳴り響く。良く晴れ上がった、全く憎々しい程に青い空にそれは溶け込むようにして響いた。教会から棺が運び出され、それに続くようにして人が参列する。黒、と言うわけではなく、その服装は非常にカジュアルであり、各々が家からそのまま出てきたような格好をしていた。母の葬儀の時は、スーツの人間が多かったのだが、実際それは彼女に関わる人間が「こちら側」の人間であることが大きく幅を利かせていたためであったろう。セオはそう思う。
 参列者は多く、それは彼女の人柄の良さを彷彿とさせた。棺に蓋が掛けられる前、様々な花の中に眠るように横たわっている女の顔は大層綺麗なものであった。穏やかで、若い。痣や傷はなく、まるでそのままにしておけば、ただ眠っているだけにすら感じられ、そのうちむっくりと起きるのではないかとすら思われる程であった。死者が起き上がるのは最後の審判の日、ではあるものの。
 彼女の父であるバルトロメイの泣声が空気をしんみりと重くさせる。それにつられ、周囲の者もしくしくと涙を落した。彼女は優しく明るく、街の人々に良く良く好かれていた。花屋の女主人。バルトロメイの自慢の一人娘。蓋が閉められ、棺に土が掛けられて行く中、Condoglianze、と悼む言葉が鼻をすすりあげ、涙で一杯の父親に掛けられていく。父親の腕には小さな、一つか二つ程の言葉もままならない孫が抱きかかえられていた。土が完全の棺を覆い隠した。
 セオはその光景を屋根の上、墓からは死角になる位置で見下ろしていた。黒いスーツを着込んだその姿はまるで死を運ぶ魔の使い、烏の様である。強ち間違いでもないか、とセオは小さく口端を動かした。そう、間違いなどではない。彼女に死をもたらしたのは他ならぬ自分である。
 大きな屋根に腰かけて、葬儀を眺めている男の名が呼ばれる。大きな男と小さな男。大きすぎる男と普通の男と言った方が正しい。金色の短髪と灰色の程々に切り揃えられた男たちは、黒髪の男の隣に立った。相変わらず、さも当然のように彼らは屋根の上に体勢一つ崩さずして立っている。
 灰色の髪の男が問うた。
「君、行かなくていいの」
「俺にその資格はない」
 静かに返され、遠くの葬儀を眺めている友人にドンは軽く眉間に皺を寄せた。
「別に君が殺したわけじゃなくて、実際に手を下したのはあいつでしょう。殺したようなものであって、殺したのは君じゃ」
「俺だ。俺が、殺した。俺が、オルガを殺した」
「他にどうしろって言うのさ。あの状況で。ジーモみたいな馬鹿だって選択は一緒だよ。大体オルガの警備を怠ったボンゴレ側のミスじゃない。今回大きな仕事が一つあって、俺の匣兵器の監視…あー警備?警護?どっちでもいいや、それをオルガから外したから、君はオルガの警護をボンゴレに頼んだ。真に謝るべきはボンゴレ十代目であって」
 ドンの正論にセオは首を横に振ることすらせず、ただ淡々とその言葉を否定した。
「そんなものは言い訳だ。どんな状況下であれ、オルガを殺す決断をしたのは俺だ。彼女の爪を剥ぎ取られても、濃硫酸をぶちまけられても、銃口を頭に突きつけられても。俺はオルガを選択しなかった。だから、オルガは俺が殺した」
 君は、とドンは苛立ち半分に言いかけ、それを隣に立っていたジーモが止めた。悲しげに眉を落とし、静かにそっと首を振るう。そして、腫れ上がってセオの左頬を見て、瞼をそっと落とした。恐らくそれは、彼女の父親に殴られてものであることは、ドンにもジーモにも即座に理解できた。
 ジーモは遠くのバルトロメイが抱えている幼子へと視線を送り、セオに問うた。
「アンはどうするの、セオ」
「俺には預けられん、二度と顔を見せるなだと。無理もない。母親を殺した男に大事な孫娘を預けたくはないだろう」
「全部言ったんだ」
「はぁ?ばっかじゃない!」
「ドン」
 制止を掛けたジーモをドンは睨みつけ、吐き捨てるように続けた。
「うるさいな。馬鹿だから馬鹿って言ってるんだよ。君はあの子の父親じゃない。それにオルガを見殺しにせざるを得なかったのは、君がそう言う立場の人間だからだ。あのねぇ、君が自分がいくら殺した殺した言っても、実際に手を下したのは他の人物だし、君は…まぁ、こういう言い方はあんまり良くないけど、仇討だってしたんだよ?そんな事は、俺が証言できる。君が彼女の父親との関係をこじらせる必要がどこにあるの。そんなの全部君の都合じゃない。それで君は、あの子から父親を奪うつもり?」
「父親はいなくても、祖父がいる。説明なら色々…してくれるだろ。第一」
 そう、第一。
 セオはようやく人間らしい表情を浮かべ、それを歪めた。汚れ一つ無い手には、いつも硝煙と血の臭いがする。しかし、こちら側で生きているのだから、それはそう、そう言うものなのである。
 初めてオルガを見た日。一目惚れした日。花屋に通い詰めた日々。目の前で人を殺して怯えられた日。初めて好きだと言った日。断られた日。諦めなかった日。自分と一緒になるには、それ相応の覚悟が必要となることを告げた日。それでも一緒に居て欲しいと言った日。それでも、全部受け止めて、手を握ってくれた日。楽しかった日。妊娠が発覚した日。バッビーノが真面目な顔してマタニティウェアなどなどベビー用品は入用かと尋ねた日。産まれた子供にアンネッタと名付けた日。
 それは、全て思い出である。けれども、元を辿れば、もしオルガが自分に出会うことなく、ただ一人の花屋の店主としてやっていたのであれば、彼女は死ぬことがなかった。自分が関わらなければ、夭折することもなかった。結果的に彼女の命を奪ったのは、自分に他ならない。
「それでも、俺はオルガに会えて良かった。死んでしまったオルガは、どうか分からないけれど。あんな死に方をしたんだ。俺を恨んでも憎んでも、文句は言わない。それならそれで、構わない」
「どこまで消極的思考なのさ…」
 ああもう、とドンは頭をガリガリ掻きまわしながら、セオの頭を蹴りつけた。後頭部から衝突した回し蹴りに、セオは頭を僅かに前方に倒し、痛いと呻き、さする。鬱陶しいなァと言わんばかりの態度でドンはセオに言葉を投げつける。
「恨むはずないでしょ。それもこれも、彼女が選んだ結果なんだ。こんな死に方をするかもしれないってことは、彼女にとっても想定内の範囲だったはずだよ。そんな覚悟もなかったら、君の妻なんてそんな手間のかかる場所に納まったりしない。君のことだ。どうせ、それも全部聞いてたんでしょ」
「ああ。オルガは、分かったと言った。それでも一緒に居てくれると、言ってくれた」
「ならそれでいいじゃない」
「ああ」
 そうだな、とセオは葬儀が終わって人が散り始めている墓を立ち上がって見下ろした。唯一人、否、二人、彼女の父親と自分の子を抱えた男だけはその場から離れようとしなかった。泣いている。嗚咽は風に乗って耳に届いた。
 葬儀等々の手筈を全て済ませた後、彼に会いに行った。そして全てを話した。無論殴られた。娘を返せと怒鳴られた。謝った。すみません、と。謝ったところでオルガは帰って来ないことを自分も彼も知っていた。お前にさえオルガが会わなければと、男はそう嘆いた。全く、しかし全くその通りである。落ちる涙が指先を伝い、床に湖を作った。悲嘆にくれた父親に、アンはと切りだしたらもう一発殴られた。お前みたいな人殺しにこれ以上奪われてたまるものかと言われ、反論はしなかった。彼からオルガを奪ったのは間違うことなく己である。二度とその面を見せるなと、アンにも会いに来るなと家から叩きだされた上、扉を激しく閉められた。窓からアンが寝ていたベビーベッドが覗く、ちらと一目その顔を見ておこうかと思ったが、カーテンが引かれ、それは叶わなかった。
 仕方の無いことだ。全て。その全ては自分が引き起こしたものなのだから、甘んじて受け入れるしかない。
 ふとそこでジーモはセオに声を掛けた。
「オルガの死に顔、綺麗だったな」
「ん、ああ。遺体を持ち帰った後、フランカに頼んだんだ。流石に、あの姿のまま棺に入れるのはな」
「…なんとか拒否とか、起こらないんだ」
 単語が出てこず、うごうごと誤魔化したジーモに、ドンが馬鹿と一つ悪態を告いでから説明を加える。
「拒絶反応。大体、オルガの場合は移植したわけじゃない。彼女の細胞を活性化させて元に戻したんだ」
「死んでいても細胞って活性化できるんだ」
 へぇ、と驚いたジーモの足をドンはこれでもかと言うくらいに強く踏みつける。尤も、暖簾に腕押し状態で、あまり効果はないようだった。
「人の細胞は、心停止しても直ぐに死んだりはしないものなの。徐々に死んでいく。髪とか爪とかだったら、死んでも伸び続ける例は結構ある。流石に移植は不可能だけど、細胞自体を活性化させるのは可能。フランカの匣兵器なら、その程度のコトはできるよ。尤も、一度死んだ人間の脳細胞や心臓を再生させたところで生き返りはしないけどね」
「ふーん…?」
 良く分かっていないような返事をして、そう、とジーモは括った。恐らく全く分かっていないのだろうとドンは確信したが、これ以上何を言っても無駄であるので、それ以上の説明を止める。二度の説明ほど馬鹿馬鹿しいものはない。
 セオ、とドンはただ墓の前で泣き崩れている男を眺めている男の名を呼んだ。何だと普段と変わらぬ返事がなされる。彼は、母親が死んだ時もそうだった。おそらく、悲しいや辛いの感情は在るのだろうけれども、それが表に出されることもなければ、涙となって落ちることもない。ボンゴレ本部に報告のために出向いた時、あの下らない陰口を叩いた連中は全く殺してやろうかと思った。
 愛した妻をも見殺しにした冷血漢。
 残虐非道な男。
 誰がそうさせたんだと、叫びそうになったのをジーモに止められた。ただ、一歩前を歩くセオは、そんな陰口を間違いなく耳にしていると言うのに同様一つせず、表情一つ動かさず、感情すら揺らさずに、否定することもせず、全てを終えた。いつものように。何も変わらず。愛する人を失う前と一切何一つ、そう、何一つとして変わることの無い業務を終えた。
 そんな感情が表に出ていたドンの背をジーモはこつんと指先でつつく。分かってるよ、と苛立ちが含まれた声が小さく落とされる。この場で、一番辛いのは、妻の命を奪い、子を失った男だ。彼は、愛しい我が子に会いに行くことは決してしないだろう。彼女の父親が会いに来るなと言ったから。そしてそれを受け入れるべきことだと認めているから。
 なんて、馬鹿なんだ。
 ドンは溜息を腹の内で一つ吐いた。
「いつまでこうしているつもり。あの人は多分日が暮れても暫くは居ると思うよ。君が、風邪を引く」
「…そうだな。また、来よう。今度は、コスモスの花を持って」
 彼女が一番好きだった花を沢山抱えて。
 セオはゆっくりと立ち上がる。墓の前ではやはり、稚児を抱えた男が泣き崩れていた。泣いて泣いて。あの涙を落させているのは自分なのだとセオは思う。
 ふっとその思考を遮るように、ジーモの柔らかな声がかかった。
「俺も、オルガはセオと一緒に居られて、幸せだったと思う。きっと、最期の最期まで。例えどんな死に方を迎えても。彼女は、セオを愛していたと思う。だってセオ。オルガは君に、最期まで助けを求めなかった」
 それが答えなのだとジーモは告げた。そのジーモの言葉に隣に居たドンは付け加えた。
「君が、彼女を大切に思っていないから見殺しにしたなんて思うわけないでしょ。死んだ人間の気持ちなんて今更確かめようがないけど、でも、君はそれを信じてあげないと。そうしないと、オルガの方が浮かばれない」
 友人の言葉を聞きながら、セオはもう一度墓を見る。棺の上には既に土が固められ、墓標にその名が刻まれていた。
 母が死んだ時に交わした言葉を思い出す。自分が死んだ時に彼女は泣くと言った。そして自分は彼女が死んだ時に泣かないと言った。今自分は生きている。立っている。歩いている。息をしている。そして、彼女の死を見下ろしている。
「俺が死んでも、君は泣かない。君の泣き顔を見なくても済む」
 どうか。
 どうか、どうか。
「笑っていてくれ」
 俺が死んでも、君はいつまでも笑顔を絶やさないで。
 何とも自分勝手だな、とセオは思い小さく笑う。そして、墓に背を向けた。二人はもう先に次の屋根に跳んでいる。後二つ三つ飛べば、裏路地があるのでそこに降りるつもりだろう。跳躍するための力を足に込めて、そこでふと止まる。風が、頬を撫でた。アンの泣き声が、した。後ろ髪が引かれる。しかし、もう戻れない。失ったのだから、もう手にできない。
 ああ。
 セオは振り返ろうとした己の頭で首を横に振り、そして屋根を蹴って跳んだ。可愛い我が子の泣き声は、風に吹かれてあっという間に浚われた。泣き声はもう、届かない。