なんて面倒臭いんだろう、とセオはその会話を右から左に聞き流しながら椅子に座っていた。きっちりと固められた黒の服装はいっそ億劫にすら思える。黒、と言うよりも漆黒のスーツは漂わせた表情をより陰鬱に見せていた。珍しく上まで締められたネクタイは獰猛な獣を押さえ付ける首輪のようであった。
しかし、それを緩める動作をセオは行わなかった。
椅子に座り、隣のまだ若い、十も年の差があれば十分に、というよりもいい加減に自分も三十路なのでもう若い部類に入れるのは、世の若人に失礼に当たることだろう、その若い青年の話を耳に流す。青年の顔は非常に朗らかであった。ただ、隙はほぼ無く、笑顔で話している割に、その目は笑っていない。いっそそのギャップに苦しめられる気も、セオはした。
舌八丁口八丁、まさに青年を表すのに丁度良い表現だとセオは思っている。勿論、その口や舌を使う場に赴くための度胸も力量もあるが。
対面に座る男は三十路である己よりももっと年嵩であった。立派な口髭を蓄えており、白と黒が混じったどちらかと言えば白髪、否、灰髪と表現する方が正しいであろう、多少下っ腹が目立ってきている男、初老、と呼ぶにはまだ若い男である。尤も、その初老と言う定義を大厄である数え年、42とするのであれば、既に男を初老と呼ぶのは間違ってはいない。目を通した書類が正しいのであれば、男の年は46。十分に初老の範囲であろう。とは言えども、高齢者社会に差し掛かっているこの社会においては、60辺りからを初老と表現する傾向も出てきている。
頭で目の前で行われている会話とは全く別口の事を考えつつ、セオは会話が終わったことに気付いた。隣にいた青年、そう、名は沢田明良、ボンゴレ十一代目、自身の主となる男、正しくは、自身が仕えるボンゴレファミリーという存在のトップに立つ男である、が、大層困った顔をしていることに気付いた。軽く溜息を吐き、駄目ですかともう一度問う。
「これはあなたにとっても俺にとっても、決して悪い話ではないと思いますが」
「ふざけるな若造。貴様程度にこの社会のいろはが分かってなるものか。その生っ白い尻をまくってとっとと出て行くことだな」
預けた銃は少し離れた机の上に三挺置かれている。そして自身の指輪と匣兵器、それともう一つボンゴレ匣兵器。その周りには眼前の男の部下が二名付いていた。
話し合い、と言う名目で訪れた以上武器を置くのは致し方ないのだが、実際に銃を体から離すと言う行為は非常に体の一部を欠損した感覚を思わせる。落ち着かない。そわり、と背筋を何か冷たいものが走った。
「…また来ます。俺は諦めませんから、次は是非とも色好い返事が聞きたいものです。次は、是非」
本日におけるこれ以上の話し合いは無駄だと判断したのか、明良は溜息を吐いた。それはセオの耳に届く。しかし、それと同時に耳は別の音を拾った。指先にトリガーが掛けられる音。服の中での行為なのだろうか、それは微かにくぐもっており、僅かな、僅かな男ではあったが、セオの耳は確かにその音を拾い、鼓膜を震わせた。
これが答えか、とセオは口角を吊り上げる。そして眼前の男は笑って、否、嗤って立ち上がった。180はあるだろうか。170よりも少し高いだけの明良はより小さく思える。尤も、彼は今座っているのでその身長差はさらに大きく見えるわけだが。
立ち上がった男は口元を厭らしく笑わせた。下卑た笑みである。白けた目をセオはその男に向けた。
「これはどういうつもりですか」
青年の柔らかな声が鼓膜を刺激する。言葉と状況が非常に合っていた。出る扉の前には男の部下が二名、銃を構えた状態で立っている。そして男自身も銃を握り、その銃口を今まで話をしていた青年に向けていた。
しかし青年は怯える様子は一切見せずに、酷く困ったような笑顔を男に向けた。
「俺は荒事は嫌いなんですが…それと、できるだけ流血になるような事態は避けたい」
「抜かせ。動くなよ、蜂の巣にして殺してやる」
きち、と銃はセオの方にも向けられていた。馬鹿馬鹿しいとセオは軽く溜息を吐く。その溜息は隣にいた青年の耳にも伝わった。セオ、と多少咎めるような響きが空気に乗る。しかし、セオの我慢のリミッターは既に振り切れていた。
「馬鹿馬鹿しい。死ぬのは、お前たちだ」
「セオ、まだ」
「この状況下において、俺がすべきことは一つだ。ドンボンゴレに銃を向けるってことがどういうことか、分かるか?糞爺」
吊り上がった口角を男は見、一瞬背筋に怯えを走らせるが、セオの武器、匣兵器から指輪、それから銃に至るまで全て、男の手の内にある。そして恐れるべき死ぬ気の炎はその手首に、炎抑制装置を付けさせたために使用はできない。
「強がりは止せ。それともあれか?死を目前にして頭でもおかしくなったか?」
「おかしくなった?」
はは、とセオは椅子に座った状態で笑う。トリガーに指を掛けられ、銃口が明良ではなく自分の方に向いたと言うのに、セオは笑っていた。嘲るように、嗤う。く、と軽く首を傾げ、その銀朱を黒髪の中から覗かせた。
鈍く、光る。
「嗤わせるな、あまり」
その言葉が終わったその一瞬で、窓ガラスが打ち砕かれた。強化防弾ガラスであったと言うのに、それはいとも簡単に、砕けた。そして窓際に立っていた男の部下の一人の頭が吹っ飛んだ。
外からの狙撃か、と男は冷や汗をかいたが、狙撃可能範囲に銃器を持ち込まないよう徹底的な身体検査を行っており、またその準備は万端だったはずである。それはドンボンゴレを守ると言う名目でなされ、その協力もボンゴレファミリー自体からも仰いでいる。徹底された、はずであった。不正が無かったか、お互いがお互いのチェックビデオを確認までしている。
頭が吹っ飛んだ、というよりも頭部には明らかに銃弾よりも大きな礫で貫かれた体が血の雨を降らしながら、傾き倒れる。それと同時にセオは身につけていた上着を脱いで明良の頭に被せると、その頭を下に無理矢理倒しこんだ。
「頭を下げていろ、明良」
「セ、」
「限界だ」
「、そう」
座っていた椅子の背に手をかけ、セオは体を宙に飛ばしながら自身の武器を置いてある場所に手を伸ばす。その前には男の部下が二名。当然武器を取ろうとしたセオに二つの銃口が向けられる。だが、セオはそれを一切気にする様子はなく手を伸ばし、体を動かした。引き金が引かれるかと思われたその一瞬、二つの頭を一つの礫弾が一遍に貫いた。横からそれはあっという間に二人分の頭蓋を破壊し、抉る。
絶命し、横に倒れて行く体を押しのけ、セオは銃を手に取った。その間は非常に短い。その場にいた男の部下の銃が一斉に武器を持ったセオの背に向けられた。しかし、それらの頭は端から銃弾ではなく、窓ガラスの方向から飛んで来る礫弾に潰された。ご、ご、ご、ご、と壁に石の破片がめり込んでいき、それと同じ数だけ死体が増える。
顔を白くした男の目の前に、銀朱の光が飛び込んだ。
「ひ、」
胸倉をつかみ取り、銃口を男の口に突っ込んだ。薄汚い口上はもう聞き飽きた。銃口から逃げるかの如く、そして力もそこに加わって、男の体は多数の部下の血が染み込み、流れ出ている絨毯に落ちる。後頭部を打ちつけたようだが、幸いにも気絶することはなかった。
セオは男の肋骨、心臓の上に膝を乗せその巨漢の分だけはある体重を掛ける。男は息が苦しいのか、顔をさらに青くした。
そして、何を言うでもなく、引き金を引く。一つの銃声と共に、一つの命が散った。
顎から上がはじけ飛んだ男の死体からセオは体を持ち上げる。そしてポケットに入れていた通信機を取り出して、それを当てた。
「アノーニモ、御苦労」
『お疲れ、ボス。これで終わり?もう無い?俺はまだまだ頑張れる』
「ああ、これで終わりだ、アノーニモ」
『ボス。帰ったらパーティーをしよう。お疲れパーティーだ。パーティーは素晴らしい、心が躍る。体も踊る』
「…そうだな、帰ったらそうしよう。ところでお前、ダンスなんて踊れたのか?」
『多分踊れる。踊ったことはないけれど、多分踊れる。俺はダンスが得意だ』
多分って言わなかったか、とささやかなことには突っ込まずに、セオは分かったとその件を了承して通信機を切った。そして通信機をポケットに戻すと、黒い上着を頭に掛けられて頭を低くしている明良の上から、それを取った。鮮やかな茶色が姿を現す。
「終わったぞ、明良」
「…これはまた、悲惨な」
「そうか?」
そうなのか、とセオは見慣れてしまった光景にそんな感想を持った。つい先月まで一般人であった彼からすれば、この光景は異質なのだなと考えつつ、立ち上がらせるための手を伸ばし、その小さな体が起き上がるのを手伝った。
「前から思ってたんだけど、別に君だけがこういうことしなくてもいいと思うよ。ぶっちゃけると、俺も戦えるんだから俺だって」
「お前は、そこに居ろ。その椅子に座っていろ」
明良の言葉にセオは即座にそう返す。それに明良は顔に不満げな色を乗せて、セオを言い負かすために口を開いた。だがセオその言葉を続けられる前に、自身の言葉を先に述べて明良の言葉を潰す。
「十代目の意志を継いだんだろう?なら、お前は汚れるな。血の臭いを漂わせるな。お前の椅子は俺が守る。人殺しの平和論なんてものに誰が耳を傾ける。俺たちはそのための『独立』暗殺部隊だ。お前は白い椅子に座れ。何物にも染まらぬ、お前だけの色を保ち続ける清い色で在り続けろ」
セオは預けられていたボンゴレ匣兵器を明良に差し出した。そして自身の匣兵器をポケットに戻す。明良はセオが差し出した匣兵器をじぃと見つめ、そして見下ろしてくる銀朱を見上げた。
ただし、と続けられる。
「お前は最強で在れ。俺が仕えるだけの男で在れ。最強のボンゴレファミリーで在り続けろ。そうでなければ、俺がお前を殺す」
「…前から思ってたんだけど、そう言う意味ではセオはどうして、俺を殺してドンボンゴレに成らなかったの?力量だけの問題で言えば、十分に素質はあると思うんだけど」
「俺は無理だ」
明良の言葉をセオは即座に否定した。預けていた服に手を通し、きっちりと締めていたネクタイを指先でぐいぐいと緩めると第一ボタンを外す。首を軽く折り曲げて肩を揺らし、服を整えた。
そして話を続ける。
「俺は、その椅子には座れない。素質が無い」
「えーと、そのそれは血筋でって意味?」
「いや、そう言う意味じゃない。単に、俺はその椅子に座れないだけだ」
「それともボンゴレの方向性の違い?でもそれこそボスになればやりたい放題だと思うんだけれど」
違う、とセオは首を横に振って明良の言葉を否定した。
「そもそも俺は、その椅子に興味が無い。そしてそれだけの器を俺は持たない。俺は、そこに立つだけの人間じゃない」
「VARIAのボスやってるじゃない、セオ。もっと自分に自信持ってもいいと思うよ」
そうでしょう、と明良は軽くセオの腕を叩いた。だが、セオは首を横にさらに振った。銀朱が軽く細められる。
「俺は、戦うだけの生物だ。何かを守ったりだとか、言葉にするのは難しいな…こういうのはドンやお前の得意分野だと思うんだが…んん。兎も角、俺は向いていないんだ。そいう意味でのボンゴレファミリーは『最強』ではない。だから、俺はお前を待っていた。俺を使え、明良。ボンゴレが、最強たるために」
血の臭いの中に死臭が混ざり始める。
明良は軽く溜息を吐いた。そして分かってるよ、と頷いた。
「君がそう言う人間だってことは。いくら俺の口が立っても、君のその意志だけは覆せない。なら俺についてくると良い、セオ。君が望む最強を俺が与えてあげる。俺のやり方で、ね」
穏やかに微笑んだ青年にセオは口元に軽く笑みを作った。そして血まみれの絨毯に膝を付き、首を垂れる。
「Il giuro a Lei, mio capo(貴方に忠誠を、我が主)」
大型の黒い毛皮を持つ獣を明良は見下ろす。そして、一言、許す、とそう、述べた。