Corvo del malaugurio - 2/2

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 男と向かい合って座る。向かい側の男の隣には銀色の髪をした男がいつものように立っていた。
 セオは静かに椅子に腰かけていた。向かい側には、自分よりも年嵩の男が座っている。もっとも、日本人故か、その面は未だ多少幼い感じが抜け切っておらず、年齢を誤魔化しても分からない程ではあった。ただ、その顔は今日に限り表現しづらい苦悶の色を浮かべている。何が言いたいのか、何を伝えたいのか、セオは如実に掴み取れた。
 沢田綱吉、ドンボンゴレ。十代目、Decimo。呼び方は様々であるが、彼は自分の仕えるべきボンゴレファミリーという組織のトップである。
 潰れてしまいそうなほどに重たい沈黙を先に破ったのは綱吉の方であった。セオ、と柔らかな声に苦しみを滲ませ、その言葉を口に乗せる。だが、セオはそれを制止した。
「謝らないで下さい」
 そう、日本語で告げた。視線はただまっすぐにドンボンゴレに向ける。隣に立っていた十代目ボンゴレ守護者の一人、獄寺隼人の眉間に軽く皺が寄せられる。聞きしに勝る番犬っぷりである。
 セオは同じ言葉を繰り返した。
「謝らないで下さい」
「しかし、君の奥さんをこんな目に遭わせ、その上命を」
「命を奪ったのは、私です。貴方では、ありません。ドンボンゴレ」
「違う!君じゃない!君は、いや、君がそうせざるを得ない選択下に置いたのは」
 いいえ、とセオは胸を押さえている綱吉の言葉を首を横に振って否定した。何度も何度も繰り返した言葉を、同じように口にする。
「妻を殺したのは、私です。貴方では、ない。謝らないで下さい」
「君がそう思うのも仕方ない。だが、君が自分を責める必要は…娘さんも俺からバルトロメイ氏に話をつけて」
「No, Don Vongola. Non fiatare.(黙って下さい)それ以上言われると、貴方を殺さなくてはならなくなる。いえ、殺したくなる」
「てめぇ…ッ!十代目に何て口の利き方を…!」
「獄寺君!」
 綱吉は大きめに声を出して、匣兵器に手を掛けかけた獄寺を制止した。そして、セオの言葉の続きを待つ。赤い、XANXUSよりも浅い色をした瞳は、迷うことなく、綱吉に向けられていた。痛い程の、瞳である。
 大人しくなった獄寺にセオは一瞥をくれながら、綱吉への会話を戻した。
「貴方は、そこに座ることを決断した。ならば、貴方はそこに座るに相応しい人間でなくてはならない。部下に安く下げる頭を持つ人間であってはいけない。今回の件は、私の失態です。ボンゴレの警備を完全に信用した私に落ち度があった。貴方が、オルガを殺したのではない。私が、オルガを殺したのです。私の決断で。私の命令で。私の言葉で。目の前ので拷問を受け痛みを訴える妻を見殺しにしたのは、貴方ではない。他ならぬ私です」
 そこまで言い切り、セオは一つ息を吐き出し、出されていた水のグラスを取ると喉の渇きを癒した。ほんの一瞬、その飲み方に獄寺は眉間に皺を寄せたが、セオが職業柄、と断ったので、目を伏せその怒りを押し殺す。
 相も変わらず苦しげな優しい十代目にセオは続けた。
「それから、私は自分を責めてはいません。あの時のあの判断は、最も正しい。妻もそれは知っていたはずです。私が彼女とボンゴレを天秤にかけた時どちらを取るかなど。ですから、ドンボンゴレ。貴方が妻の死を負い目に感じられる必要は全くありません。むしろ、感じないで頂きたい。私はすべきことをし、妻は命を落とした。それだけの、ことです」
「…それだけ、かい。俺は、君から愛しい人を奪ったのに」
「いいえ。私は誰にも彼女を奪われてはいない。私は自分で彼女を殺した。自分の手で彼女から彼女の命を奪った。十代目、貴方が思っているような人間では、私はありません。お気づかいなく。用向きはこれだけでしょうか?でしたら、仕事がありますので、失礼いたします」
 ああ、と綱吉は声の調子が変わらぬ男に頷いた。そして静かに、謝罪ではなく、イタリア語で告げた。
「Vogliate accettare le mie sincere condoglianze(心よりお悔やみ申し上げます)」
「…Grazie, Don Vongola(有難う御座います、ドンボンゴレ)」
 革靴の音が響き、扉は男の背中を視界の向こうへと消し去った。
 綱吉は両手にその顔を埋め、苦悶の表情を隠す。十代目、と上から掛けられた獄寺の心配そうな声に、大丈夫と返事をする。
「大丈夫。俺は、大丈夫なんだ。俺は…そう、俺は」
 奪ってしまった。
 謝罪の言葉一つ許さぬ男の背に、綱吉は掛ける言葉を他に持たなかった。謝って許されたいと思ったのは、他ならぬ自分だろうとその事実に打ちのめされる。それを許さない。それが、もしかしてと綱吉は思う。
 それは彼なりの、自分への責めなのか。それとも本気でそう思っているだけなのか。綱吉には分からない。その世界だけで生きてきた男の心の機微を理解するには、綱吉の心はあまりにも優しすぎた。ただ座り続けろと、そう言った。この椅子に座る重責に耐えきれるか。
「獄寺君」
「はい、十代目」
「人が死ぬのは、悲しいね」
「…はい、十代目」
「とても、悲しい、ことだ」
「はい」
 十代目。獄寺はそう告げ、項垂れたままの綱吉にただ言葉を掛けることはせず、その場に立っていた。静かに静かに。何も言わず語らず、側にいた。