殺戮者 - 1/2

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 コレ映ってんのか、と目の前に置かれた機械の前で数度画面が揺れた。髭を蓄えた男がそこには映っている。にたにたと勝ち誇った、まるで勝者のような笑みを浮かべていた。セオはそれを机の上に置かれた機械の向こうで眺めていた。その顔には、感情を伴った表情は、ない。その隣では、ジーモ、ドンを始めとした守護者が同様にその画面を眺めている。それぞれの顔には表情があった。
 ごつごつ、と画面が数度叩かれ、そして男はようやく、ごきげんようと何とも癪に障る言い方を選択した挨拶を口上にした。
『取引をしようじゃねェか』
 機械を通した音声は、本物のそれとは多少異なっている。やや割れたような音は、部屋の壁に当たりながら、それぞれの耳まで届く。画面向こうの男は煙草を一本取り出し口に咥えると、煙を優勢を見せつけるようにして吹きつけた。一瞬、画面に白い煙が当たり映像の鮮明さを阻害する。
 相手の出方を伺い黙りこんでいる画面向こうに、煙草を咥えた男は目を細め楽しげな色を滲ませた。一本、の、うち半分程を吸い終わり、煙草を灰皿に押し付けて消す。そして、男はようやく本題をきりだした。
『ボンゴレを裏切って俺たちにつかないか?独立暗殺部隊VARIA』
 少しばかり薄暗い画面の向こう側の部屋では、ヤニの付いた男の歯が三日月を描き出し、セオ達の反応を待たずに次の言葉を続けた。両手を軽く振る。
『待て待て、話はまだ終わってねェよ。これは、お前らにとっても悪い話じゃねェはずだ。そうだろう?絶対的な力を持つテメェ等がどうして、ボンゴレの下で大人しく収まってるのか。その気になりゃ、ボンゴレを奪うことだって可能なはずだぜ。大体、今のボンゴレは腑抜けてる。今時和平だ交渉だ、俺達の時代はそうじゃなかったはずだ。血で血を拭い、死で死を購う。それこそが、俺達コーザ・ノストラであったはずだ。九代目ボンゴレが台頭してからというもの…特に十代目だが、目に余る。俺達はいつから平和の使者になった?仲良しこよしの集団に俺達はいつから成り下がった?そうだろう。VARIAを率いるお前なら、今の治世がどれだけ生ぬるいか、下らないものか、分かるはずだ』
 一気にそこまで言い終え、男は画面の向こう、セオ達に向かって手を差し伸べた。そして、結論を口にした。静かで穏やかな、しかし、血と喧騒を好むそれを口端に浮かべながら。
『血と死を忘れたボンゴレがこれ以上のさばるのは、耐えられねェ。お前達だって、もう飽き飽きしているだろう?ボンゴレはもう時代遅れの遺物なのさ。そんなものと一緒にお前らを葬り去るのは頂けねェ。俺達と手を組め。そして、今一度
「下らない」
 男の言葉を遮り、セオは馬鹿馬鹿しいとばかりに断言した。銀朱の瞳には侮蔑の色が浮かび、男を蔑視した。片肘を着き、呆れ果てた表情をようやくその顔に浮かべて、椅子に凭れかかる。
 セオは画面の向こうへと言葉をやった。
「下らない。俺達は、VARIAだ。俺達はただ、ただボンゴレのためだけに在る組織だ。ボンゴレが最強たらんとするための組織。それ以外の組織に振る尾は無い。向ける牙もない。爪も。俺達の全ては、ただボンゴレのために。少なくとも、てめぇのようなカスと手を組むつもりはない。ボンゴレに仇為すつもりなら容赦はしない。そこで、首を洗って待ってお
 け、とセオは言おうとしたが、男はその前に、再度待った、と言葉を紡いで、最後まで言い切られようとした言葉を止めた。男の体がずれ、その背後までが画面に映る。場の空気が痛い程に張り詰めた。物音ひとつ立てることすら許されない程の緊張が空気を縛りつける。
 男のずれた後ろに在るのは、一つの椅子。椅子に縄で縛りつけられ、座らされているのは一人の女であった。茶色の髪をした、女であった。
 男はかつんと靴を鳴らして、椅子に座っている女に近づく。目隠しをされている女はその音に敏感に反応して、小さく体を震わせる。酷く殴られたのか、顔にはいくつか痣ができていた。男の指がそうっと優しく女の頬に触れ、その痣がへこむ程に強く指先を押し付ける。痛みで女の顔が歪む。しかし、唇を噛んで痛みの声は押し殺す。
 画面の向こうで、男の声が響く。
『俺達に協力しろよ』
 ぎりぎりに張り詰められた空気の中に座るセオ達を画面の向こう側から男は眺めつつ、女の髪を掴み、乱暴に引っ張る。椅子が倒れ、女はそれに引きずられて同様に倒れる。革靴が女の顔を踏みつけた。普段はまとめられている髪は床に散らばり、痛々しい様相を示している。
 返事がなされないのを見て、男はゆっくりと倒れた椅子の手すりに結び付けている女の手を取った。そして古ぼけたコンクリートの床に落ちていた小さめのペンチを手にとってくるりと一つ回す。
『悪い話でもないだろう?』
 ふ、と男はペンチの先に溜まっていた埃を吹き払い、その先で、女の指先、爪をがちんと食んだ。
『ビジネスさ、坊や』
 爪が剥ぎ取られる。悲鳴が上がる。流石にこの痛みには堪え切れなかったようで、痛みをそのまま音声に変換したような絶叫が上がった。べりぶつ、べりっと五つの爪が綺麗に剥がれ、床に落ちた。左手に爪はもう残っていない。
 男はペンチをコンクリートに放り投げた。うう、と呻き声と鼻水をすする音、涙は女の頬を濡らしていた。がん、と男は強く椅子を蹴り、女を黙らせる。なぁ、と男はまたセオに問いかける。
『可愛い奥さん、これ以上痛い目見せたくないだろう?』
 オルガ。
 セオはその光景を瞬き一つしないまま、静かに、表情を全く動かさずに傍観する。そんなセオを横目で笑いつつ、男は椅子に縛り付けられているオルガの頭を再度踏みつけた。う、と声が零れる。痛みで呼吸が絶え絶えに零れ落ちる。
 ようやく、セオは言葉を発し、その緊迫していた空気の糸を震わせた。だが、それはどう考えても男が望んだ言葉ではなかった。Noでもなければ、Yesでもない。
 冷酷に、冷徹に。無慈悲で酷薄な言葉であった。
「その女に、人質の価値は無い」
 ふつ、と男は一端動きを止め、オルガの頭を踏みつけていた足を床に戻すと、その茶色の髪をまた引っ張って持ち上げさせた。歯が食いしばられ、見て分かる程に苦しげであった。そして、男は笑う。嘲った。
『ひでぇ旦那だな。テメェのこと、いらねぇんだとよ』
 男はまぁ、と言葉を続け、一度オルガの髪を放し、コンクリートに落とした。側頭部が、床を打つ。
『ただの強がりかもしれねぇけどなぁ。方便か?人質としての価値がないからそれ以上痛めつけるなとでも言ったところか…いつまで、その無愛想な面してるつもりか知らねェが、とっとと色よい返事をくれねぇと、殺すぞ?』
「言ったはずだ。その女に人質の価値は無い」
『これでもか?』
 そう言って、男はポケットから液体の入ったガラス瓶を取り出した。ラベルの文字は多少不明瞭で読めない。だが、男がそれを椅子に括りつけられた女の肌に垂らした時、それが何であるのか、その場にいた者は全員理解した。
 濃硫酸。
『可愛い可愛い妻の顔を、台無しにされても、てめぇは同じことを言っていられるか?もう一度チャンスをくれてやる。俺達の仲間になれ』
 蓋の開けられた瓶が、ゆっくりと椅子に固定されて身動きの取れない女の頭部にまで持ってこられる。傾けられている瓶の縁は表面張力でぎりぎり垂れていない液体が今にも落ちそうになっていた。
 男は試すように、一滴、女の頬に落とした。瞬時に皮膚が焼け爛れる。縛られている体が暴れたが、男は腹を強く蹴りつけてそれを止めた。画面越しにの光景は嘘でも幻でもない。セオはそれを知っていた。画面の向こうに映しだされ、拷問を受けているのは紛れもなく、自身の妻であり、最愛の人である。
 セオは男の問いに応えた。
「やりたければやれ。俺達は、ただボンゴレのために」
 ある。
 そうかよ、と男はセオの答えに瓶を逆さにした。濃硫酸が、落ちて行く。重力に従い、一度は球体に。そして、それは皮膚の上で弾けて飛んだ。悲鳴など、生ぬるい程の絶叫がつんざく。
 部屋の中に響き渡った。機械を通した分無機質感が増しているその絶叫は、セオ達が座っている部屋にも反響した。悲鳴。悲鳴。悲鳴。悲鳴。絶叫。悲鳴。ああ、と母音のみで構成されるその響きは、痛みと苦しみと、恐怖とあらゆるものがないまぜになって響いていた。あ、あ、と声は断続的に響き、その痛みを表現する。がたがたと椅子が震え、涙すらも渇いた状態で女は呻き泣き、喘いだ。
 ひでぇ顔だな、と、とうとうぴくりとも動かなくなったオルガの顔面を靴で軽く蹴りつけ、男は再度画面に笑いかけた。
『まだ生きてるぜ?』
 蹴った分だけ、ぴくりとまだ動きはあった。確かに、まだ生きている。セオはそれを見ていた。男は懐から拳銃を取り出し、やや顔を引き攣らせた状態で、またセオに問うた。今度こそ、と思いながら、問うた。冷や汗が、男の背を滑り落ちる。
 オルガの頭に向けて、拳銃はまっすぐに向けられている。
『殺されたく、ないだろう?なぁ、こいつはアンタの妻だろう?てめぇの愛する女じゃねェのかよ』
 睫毛一つ動かさない男に男の言葉は次第に支離滅裂になっていく。
『お前、おかしいぞ…ッ!おい、本気で殺すぞ!俺の誘いに乗れば、てめぇはボンゴレを潰して、新しい、てめぇの組織を立ち上がることができるんじゃねェか!そんな生ぬるい理想論のファミリーの何が良い…!本当に、殺されてぇのか!!!』
 はっはと肩で呼吸をし、言葉を最後まで吐き出した男をセオは冷淡な瞳で見つつ、その指を伸ばした。
「言ったはずだ。その女に人質としての価値など、一切、ない。俺達は、『ボンゴレ』独立暗殺部隊VARIAだ」
 答えは、それで十分であった。
 掌に集約された炎が一気に弾け、男を映していた機械を消し飛ばす。炭一粒残さず、それは消え去った。セオはゆっくりと立ち上がる。集められていたメンバーは立ち上がった男の背を眺める。妻を取られ、否、もう既に殺されているだろう、それでもなお、ボンゴレと言う組織に従僕する男の背を眺めた。
 セオ、とドンは声を掛ける。
「どうするの」
「ジャン」
 部屋に一つ響いた声に、側に置かれていたスピーカーから声が零れた。地下室のパソコン狂いは今もなお健在で、今日もパソコンも愛でている。だが、本来の役職も忘れていはいない様子で、からりとした声で、セオの質問に答えた。
『はいはーいはいはい。逆探知完了してるよ。ボンゴレ本部からそう遠くもない。30km先だね。Jr.、バイクの整備はエドモンドが終わらせてあるという連絡も受け取ってる。データはそっちにインプットしたから、いつでも出れる』
「ああ」
 がつん、とブーツが音を響かせる。誰も何も言わない。セオは静かに命令を下した。
「ドン。誰一人として、あの場から逃がすな。完全に覆え」
「…了解。ジャン、正確な場所の位置を」
『了解』
 その声と共に、ドンの前にすっと映像が映し出され、赤い点と、その建物が現れる。それを確認すると、ドンは肩に這っていた蜘蛛を指先で撫でつつ、頭の中を流れて行く映像と照らし合わせながら、遠距離に居る蜘蛛を増殖させて動かし、その建物のあらゆる通路に蜘蛛の硬化された糸を張り巡らせ、脱出を不可能にさせた。
 到着するまでは多少不格好ではあるが、到着すれば、ラジュが幻術で周囲と同化させるので問題もない。到着後は、さらにそれを覆うように蜘蛛の糸を張り巡らせる必要がありそうだが。
 ドンのできた、という言葉を聞き終え、セオは壁にもたれかかっていたラジュに今度は声を掛ける。
「ラジュは幻術でそれをフォローしろ。ドン、ラジュの両名は俺に同行しろ。以上」
「ん」
 セオは先にその姿を扉の向こうに消し、それに続いてラジュとドンが扉を開けて姿をその部屋から無くした。
 三人分の密度が減った室内で、尤も、一番体格の大きなジーモが居ると然程減ったようにも見られないのだが、その中で、アノーニモがこつこつと指先で机を叩きリズムを取りながら、先程セオが起こした炎で残された机の焦げ跡をマジマジと見る。
 机を叩いていないほうの手がすいと持ち上げられ、発言を求める。
「ボス、怒ってる」
 ぼそと呟かれた声に、その隣に座っていたウドルフォはそうだな、と小さく返した。人を殺すことを生業としているが、ああいった光景はあまり見ていて気持ちの良いものではない。女子供とくれば尚更である。甚振るように殺すのは、本意ではない。
 濃硫酸がたらされた時のあの悲鳴。絶叫。阿鼻叫喚。死んではいないだろうが、セオが到着するまで生きているかどうかは甚だ不明である。否、あそこまで男が取り乱していれば、死んでいる、殺されていると仮定しても問題はないだろう。女を、妻を人質に取ったところで無意味だと分かったのだから、逃亡の邪魔は消すに限る。
 冷静にそこまで考えて、ウドルフォは軽くかぶりを振った。それに能天気な声がかかる。
「Jr.も酷だよなァ。はっは」
「…不謹慎だぞ、メフィスト・ガブリエル」
 窘められた男は、軽く肩をすくめて、顔に刻まれた十字の傷を歪ませて笑う。そうじゃねェか、と男は椅子の背もたれに体重を預け、その足を机の上に放り投げた。どん、と机は投げ出された足の重さを受けて揺れる。
 メフィストは首を傾け、ウドルフォを見上げてその笑みを深めた。
「美人もああなると台無しだな。まぁ?そこまで美人ってわけでもなかったが」
「メフィスト・ガブリエル!」
「怒ンなよ。血圧が上がるぜ」
 ウドルフォの怒りなぞどこ吹く風で、ひらひらと手を振り、メフィストは腹の上で組んだ指先をくるくると遊ばせる。
「女なんぞ探せばいくらでもいンだろうが。そうカッカすんなって」
「お前と言う奴は…ッ!」
 いきり立ったウドルフォに倫理観の押し付けは止せ、と手を持ち上げて静止した。
「所詮俺達は人殺し。奪う者はいつでも奪われる覚悟を。糞のような一般論は溝に捨てろよ、ウドルフォ」
「…そう言う問題ではない。人の死を、少なくとも親しい人の妻の死を笑うのが不謹慎だと言っているのだ」
 額に青筋を浮かべた男にオカタイ男はヤだね、とメフィストは肩を竦め、溜息をついた。そして、相も変わらず兎を大量発生させて群れさせている男へと視線をやる。その膝の上は、白や黒の兎が二三羽陣取っていた。場の会話にそぐわぬ光景がそこにある。
 メフィストは床に居る一匹の両耳を掴んで持ち上げた。びょんびょんとその足が跳ね、こちらを蹴ろうとしているが空を蹴るだけであまり意味はない。にたにたと笑い、いぃ、と挑発するようにメフィストは兎を見、そして飽きたようで放り投げた。それは一際大きな男の腕の中に納まる。ああ、とメフィストはそこに突っ立っていた男に声を掛けた。
「てめぇもそう思うだろ?ジィ
 モ、と名前を呼び掛け、メフィストはそれを止めた。ああこいつも怒っている。
「殺されるのは、俺も仕方の無いことだと思うけれど。でも、それを笑うのは、嫌かな」
 ジーモは大きな体を動かして、腕に投げ込まれた兎を座っているアノーニモに返す。それをアノーニモはGrazieと礼を言ってから動かした。その背を、友人の妻の死を笑った男に向けたまま、ジーモは責めるように名を呼ぶ。
「メフィスト」
「…あーあー俺が悪者かよ。悪かったよ、ヘイヘイ。悪ぅございましたーぁ」
「反省の色が全く見られんな」
「うっせぇよ、童貞野郎」
「生憎女性経験はある」
「殲滅」
 いつの間にか手が持ち上げられ、発言をしているアノーニモへと視線が集中した。膝の上の兎を撫でながら、アノーニモは頭の上にも一匹兎を乗せて片手を上げたままで発言を続ける。
「撃滅撲滅壊滅。皆殺し。誰も、生きて残らない」
 正しい言葉だ。
 ジーモは扉を出たセオの背を思い出す。確かに、誰も、誰一人として。
 生きては帰れないことだろう。跡形も残さず。骨も灰も、何一つ、
 残さず。