31:二人でお留守番 - 4/4

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 頭が痛い、とXANXUSは呻きながら柔らかなソファに全身を埋める。足の長さの分が少しばかり足りないのだが、それでも背中を預けるだけの長さはこのソファにある。
 携帯電話を取りあげたら、大泣きされた。マンマ、と携帯電話を母親と勘違いしているに違いない(そんな馬鹿なことがあるか)実は殴りすぎたせいで脳機能に障害でも起きたのではないか、とそんな心配がXANXUSの頭に首をもたげたが、軽く手を振ってその懸念を振り払う。スクアーロよりかは格段に加減をして殴っている(つもりである)
 子供の体温は高いのか、結局気に食わないシャツは放り投げられたまま、セオは絨毯の柔らかなそこにうずまっていた。トイレはどうやらおまるの場所を認識してはいる様子で、そこで足していた。やればできる、と本来ならば褒めてやって然るべきだが、XANXUSにとっては出来て当然なので少しも褒めたりするところがない。
「むっ!」
「…」
「むー!」
 今度は何だ、といい加減に育児疲れを呈しながら、XANXUSは目だけを動かして必死に声があげられている方を確認する。そしてその光景を眺めてぎょっとした。
 セオが低い自分の椅子を引っ張って、その上に乗り、本棚の、その上の置き時計に興味を示していた。しかし、伸ばした手の先には到底時計には届かず、崩れた姿勢の指先に引っ掛かったのは大きなファイルである。ずるり、とそれが体重に任して引きずり出されれば、セオは本能的にもう片方の手をもう一つのファイルにひっかける。当然そうなると、そちらのファイルも落ちてくる。運悪く連鎖反応を起こして、他のファイルまで棚から引きずり出されていた。
 セオの体はファイルと一緒に後ろへと倒れていく。
「お…っい!」
 てめぇ、と声が上がる前にXANXUSの体はまるで獣のようにしなやかに動いてセオの柔らかな二の腕をつかみ取ると、無理矢理手元に引き寄せた。そして、セオが先程いた場所にはどさどさと大量のファイルが落ちてきた。流石にこれに埋もれれば何かと大変である。
 助けてやった、という認識の下XANXUSはセオをちらりと見下ろせば、しかし張本人は、気にかかっていたものを取ろうとしたのを邪魔されて不機嫌極まりない表情である。どこかムスくれた顔がありありと見てとれる。いら、とXANXUSはその米神に青筋を立てた。
「いい加減にしろ!この、
 糞餓鬼、と怒鳴りかけて、XANXUSは見上げてくる瞳が一杯の涙に浮かんでいるのに気づいた。な、とぱくりと口を動かした。すると、セオは間髪いれずに高い声をあげて泣きわめいた。何がしたいのかさっぱり理解できない。
「おい、泣くんじゃねぇ」
 このうんざりするほど、耳にタコ、ではなく口にタコができそうなほどに繰り返したこの台詞を繰り返しXANXUSは腕の中の子供に言う。室内は酷い惨状で(片付けていたファイルは書類を撒き散らして落ちるわ、砕いた林檎は絨毯を濡らす、服は脱ぎ捨てられている)XANXUSはこのどうしようもなく手に負えない怪物に溜息をついた。
 やれ、と思いつつセオを抱えたまま立ち上がり、先程セオが取ろうとしていたであろう置時計を手にとって、セオに押し付ける。
「これが欲しかったんだろうが。泣きやめ」
「ぅ、あ――――――――――――!!!」
 がつん、とセオはXANXUSが押し付けた時計をそのまま投げ返す。顎に直撃した時計は絨毯の上に跳ね返った。顎の痛みを覚えながら、XANXUSはぎろりとセオを睨みつける。その目が怖いのかどうなのか、セオはさらに声を上げる。
「ひぅっく、あ゛ーぅ、あっ、ふぁ―――ん、あ――――!」
「うるせぇ。泣きやめ」
「あー、ぁーっ、」
 何をしたら泣きやむのか、とXANXUSはぎりぎりと痛むこめかみを押さえながら、兎も角このうるさい怪物を泣きやますための手段を模索する。セオをソファの上に置いて、目の前にクマのぬいぐるみを置いてみたり、音楽をらしくもなくかけてみたり、気に入り(だと書いてあった)本を提示したり。
 しかしながら、セオは泣くばかりで、ちっとも機嫌など直りはしない。
 あのカス鮫ならば泣きやむくせに、とXANXUSは苛つく気持ちをある程度抑えながら、しかしそれももう限界で、強く壁を叩きつけた。その発された大きな音にセオはその目を丸く大きくして、きょとんと初めて泣くのを止めた。
「―――――――――…ってめぇは、どうしてほしいんだ!」
 歪んだ赤い瞳をセオは見上げていた。父親の、初めてといっていいほど困り切っているその目を見て、あ、と声を発した。
「Scusa(ごめんなさい)」
 ひくり、としゃくりあげて、セオはXANXUSのネクタイを小さな手で引っ張って、謝罪を繰り返す。最後にはもう言葉とも取れない状態で、その言葉を繰り返していた。
 XANXUSは泣きながら謝り始めた、結局泣くなというのに泣いて謝る自分の子供を見て頭を押さえた。
「泣くんじゃねぇ」
 ぼす、とその大きな手を泣く子供の頭の上に殴るのではなくて撫でるように置いて、XANXUSはぼそりと、Scusa、と呟いた。

 

 東眞とルッスーリアは片手ずつに袋を持って、今日のことを話題にしながら、大きな扉の前で足を止める。声紋、指紋、それから顔の認証をされてようやく扉が開く。
「ボス、お留守番できてるかしらねぇ?」
「できてると思い、」
 ますよ、と続けようとした時にバックの中の携帯電話が音を立てる。東眞は一言すみませんと断ってから荷物を下に置いてそれを手に取る。が、誰とも声がしない。誰かと不思議に思って携帯電話の画面を見る。それはXANXUS、と記載されている。
 丁度帰ってきた頃なのだが、と思いつつ、電話に向かってXANXUSさん、と東眞は語りかけるが返事はない。
 怪訝そうな顔をした東眞に隣にいたルッスーリアはどうしたの、と声をかける。
「いえ、XANXUSさんから電話がかかってきたんですけど…それが、何も返事がなくて」
「ボス?でももう敷地内だし…そうね、部屋に先に行きましょう。ボスも何だかんだ言って心配性なのよ」
 似たもの夫婦だわ、とルッスーリアはくすくすと笑いつつ、東眞が一度下した荷物を手に取って先へと歩き出す。東眞はそれに慌てて、すみませんと言いながら、携帯電話を切らないまま耳に押し当てて、その後を追いかける。
 しかしながら、全く反応のない携帯電話にも疑問を持つ。XANXUSならば、何かしら反応がある(多少遅いものの)
 門をくぐり、邸内に入って暫くも歩けば家へと入る玄関へとたどり着く。ルッスーリアは認証番号、同じように声紋指紋確認をして扉を開けた。
「さ、東眞…って、どうしたの?まだ電話…さっきから一言も会話してないけど」
「いえ、それが…」
 反応がなくて、と眉尻を下げた東眞にルッスーリアはふぅんと首を傾げた。兎にも角にもそれならば、張本人がいる場所に行った方が問題解決には早いというものである。
 どうしたのかしらね、とルッスーリアは東眞から携帯電話を借りて、自身の耳に押し当てる。
 こう見えても暗殺部隊。耳は当然良い部類に入る。静かに耳を澄ませてみれば、小さな声が聞こえたことに気付く。
「あら」
「どうかしましたか」
「…Jrじゃなぁい?」
「セオ?」
「Jrー!マンマとルッスーリアお姉さんが帰ってきたわよぉ」
 目を丸くした東眞の隣で、ルッスーリアはそう、微笑んで電話にできるだけ大きめの声で語りかける。そうすると、がたがたと電話が揺れるような、ぶつかるような音がして、そしてぱっと嬉しそうな声が電話越しに届いた。
『マンマーぁ!ルーッス!』
 電話越しでも十分に聞こえた声にルッスーリアはほらね、と笑って東眞に携帯電話を返す。東眞はルッスーリアから携帯を受け取ると、恐る恐るといった調子で携帯を耳に当てる。願わくば、今度は怒声が聞こえないように、と。そうした不安をよそに、マンマ!と嬉しそうな声が電話の向こうではねた。
「帰りましたよ、セオ」
『マーンマ!どーぉこ?』
「今、そっちに向かってますから、もう着きます。お留守番、頑張りましたね」
『セオ、がんばった!あ、』
 そして、ガタンと音がするとまた電話の声が途切れた。しかし電話は切られないない様子からすると、落としただけだろうかと検討をつける。少なくともこの後にXANXUSの声が響かないのだから、怒鳴ったりされていないのは間違いないだろう。
 東眞は少しだけ歩調を早めて部屋へと急ぐ。ルッスーリアはその後ろで、そんなに急がなくても、と笑う。
 そして東眞は問題の部屋へとたどり着いた。扉は、一向に変化がない。出かけた時のままである。しかしながら、東眞は取っ手に手を乗せた状態でぴたりと止まった。何か、開けるのが怖い。
「東眞、どうしたの?ほら、開けちゃいなさいよ。愛しい旦那様と可愛い子供が待ってるわよー」
「…まぁ、それはそうなんですが…いえ、そうですね」
 杞憂か、と思いつつ東眞は扉を押し開けた。ただいま帰りました、と言いかけて、その言葉は、た、で止まる。そして背後にいたルッスーリアもその惨状には言葉を失った様子で立ち尽くす。
 電池が抜けて針が止まっている置時計、バラバラに四散している書類、落ちたファイル。脱ぎ棄てられた洋服、砕かれた林檎、散らばる玩具、etc.etc.
 これは、と頬を引き攣らせた東眞とルッスーリアにあー、と嬉しそうな声が届いた。
 そこでようやく東眞はそちらの方、ソファが置かれているほうへと視線を向けた。そして、思わず二人して小さく微笑む。そこにいたのはぐったりと眉間に皺を寄せてソファの上で寝ているXANXUSと、その腹の上できゃらきゃらと笑うセオである。ソファの下には、先程まで使っていたであろう携帯電話がゴロンと落ちていた。
「マーンマ!ルーッス!Ciao!」
「Ciao, Jr。さびしかったかしら?」
「セオ、がんばった!」
 XANXUSは疲れ切っているのかどうなのか、腹の上でセオが動いても眉間に皿に皺を寄せるだけで起きる様子は一向に見られない。これ以上皺を寄せさせるのはあれかと思い、東眞は腕を伸ばしてセオをそこから抱き上げる。セオは東眞の腕の中におさまると、安心したように、マンマ!と笑ってきゅぅと首にしがみついた。
 しかし、とルッスーリアは部屋の惨状を眺めながら、小さく溜息をついた。
「これはひどいわねぇ…何があったのかは…何と言うか…想像に難くないけれど…」
「それにどうしてセオ…上が裸なんでしょうね…服は脱ぎ捨てられてますし…」
 そう言って東眞は落ちていた服を拾い上げると、セオを一度下して、着ましょうねと声をかけて、セオが大人しく腕を上げたのを確認してからすぽんと着させる。セオは裸でなくなったのが嬉しいのかどうなのか、笑顔を一層ほころばせて東眞にぎゅぅと抱きついた。
 そして東眞はちらりとすっかり疲れた様子で眠っているXANXUSを上から見下ろした。見下ろす、ということはあまりないので、多少新鮮である。そこにルッスーリアが戻ってきて、一枚の毛布をXANXUSの上に掛ける。
「有難う御座います」
「いーのよ。で、この部屋はどうする?」
「私が片付けますよ。セオをお願いしてもいいですか?」
「任せて頂戴。さ、いらっしゃい、Jr。マンマの邪魔しちゃだめよ」
「…やーぁ。マンマ、セオと一緒」
 ぎゅぅと首に強く抱きついてセオは東眞から離れようとしない。
それにルッスーリアは苦笑を一つして、これじゃ駄目ね、と笑う。
「なら、部屋の片づけは後にして、取り敢えずお茶でもしましょうか」
「そうね。そうしましょ」
 東眞の首にしがみついたセオは、二人の会話から何か美味しそうなものを感じ取ったのか、それとも固いパン一つでやり過ごしていたのに限界が来たのか、東眞の髪を引っ張って訴えた。きゅぅる、と小さな音が、その腹から響くのを聞いて、東眞は思わず笑いをこぼす。
「マーンマ、Mela!」
「はいはい、セオは本当に林檎が好きですね。XANXUSさんに、ホットケーキやいてもらったんですか?」
「バッビーノ、めー」
「?」
 セオの言うことは今一理解できずに、東眞は疑問符を浮かべたが、些細なことなので軽くかわしてルッスーリアと一緒にキッチンへと向かう。そして、二人は先程部屋に入った時と同じような衝撃を受けて、その場に立ち尽くした。ある意味、それは先程の部屋よりも悲惨である。
 何があったのかは一目瞭然だが、あまり深く考えたくはない。冷蔵庫が閉じられているのは唯一の救いといったところだろうか。
 吐きだされた野菜ジュースに、転がったままのリンゴジュースが入れてあったカップ。それからその野菜ジュースに濡れた洋服と、外に出された食材。棚の上に置いてあったパン籠。
 東眞は少し目を細め、三日ぐらい先を眺めながら、ふぅと溜息をついた。
「…今日は、とても大変だったようですね…」
 ああと項垂れた東眞にルッスーリアは苦笑して、気にしないのよ、と東眞の肩を優しく、慰めるように叩いた。
 しかし東眞はすぐに気を持ち直して、その場をさっと適当に片付けると、セオを椅子に座らせて、ホットケーキを一枚焼くと、それをセオに差し出した。セオは頬を高揚させて、嬉しそうに出されたフォークで一口サイズにカットされてある焼きたてのホットケーキを口に入れた。口元が嬉しそうに笑い、セオはBuono(美味しい)と机をたたく。そして、隣に出されたりんごジュースをちゅぅと吸った。
 そして、東眞は自分とルッスーリアにミルクティーを入れて、それを片づけた机の上に乗せる。
「何と言いますか、まさかこんなになっているとは…これは多分セオの服が置いてあるところも覚悟しておかないといけませんね」
「まぁ、でもボスも頑張ったみたいじゃない」
 そのルッスーリアの言葉に、東眞はくたくたになっていたXANXUSの姿を思い起こしながら、そうですね、と笑う。
 慣れないなりに頑張ってくれていたであろうことは、東眞にでも十分わかった。とはいっても、できないならばできないと言ってくれた方が随分と助かったのだが。しかし、微笑ましいと片付けてしまう。
 温かいミルクティーを喉に通しつつ、買ってきたクッキーをざらりと皿にだして、二人でそれをつまむ。
「本当に」
「おい」
「あら、ボス。起きたの?」
 完全に疲れ切った表情で、キッチンの入り口のところにXANXUSが立っていた。そして初めの一言をのぞいては、無言のままがつがつと床を蹴るように歩いて、東眞の隣の椅子に腰をどっかりと下ろす。  それから、入れられていた東眞のカップを掴むとそれを、ぐいと飲んだ。その手が皿のクッキーを一二枚取り口へと放り込むと、ざくばくとそれはすぐに消えた。
 ただいま帰りました、と東眞は一拍遅れた只今を告げる。それにXANXUSは赤い目を動かして、ああ、と短く返す。東眞はもう一つカップを用意して、同じようにミルクティーを入れて再度席に着く。
「今日はルッスーリアと色んなところを見て回れました。有難う御座います」
「ふん」
「それから、セオの面倒も見てくださって有難う御座います。随分と、大変だったみたいですが…」
 世話、という言葉にぴくりとXANXUSの米神に青筋が立つ。地雷だっただろうかと東眞は一瞬だけ顔の筋肉を動かしたが、そう怒ってもいない様子だった。
 ぱくりとXANXUSはもう一つクッキーをつまんで口に放った。
「餓鬼の」
「はい」
 ざく、とクッキーが砕ける音がする。そしてXANXUSは手にしていたカップからミルクティーを飲んだ。ごとんと激しい音がして、机が僅かに揺れる。セオはそれに驚いたのか、一瞬目を丸くしたが、ホットケーキを食べることにすぐまた集中する。
 XANXUSの目がその嬉しそうな表情に向けられて、そして眉間に深い皺が寄った。
「―――――――――世話は、当分しねぇ」
 うんざりだ、と呻いたその顔に、東眞とルッスーリアは二人で顔を見合わせて、くすりと笑った。
 理屈の一切通じない子供の世話というのは、大変なものである。
「でも、可愛かったでしょう?」
 東眞が笑顔で言った言葉に、XANXUSは一度だけ赤い目を動かして東眞の笑顔を見ると、ふん、と小さく鼻を鳴らした。