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がつがつと足音大きく闊歩する男が一人。その隣で、ごつごつと鈍い音を響かせて横を歩く大男一人。シルバーの髪がざらざらと歩くたびに揺れており、その表情はどこか鋭い。けれども、片腕に抱えているペットを入れる籠がどうにもそれをそうと見させていない。大男の方はその腕に白い紙、黒い文字が書かれたそれを手にしている。
二人の男は一室で足を止めて、そしてスクアーロは目の前の扉に靴を持ち上げて、押し当て力任せに蹴り開けた。
「う゛お゛お゛おお゛ぉ゛おい!!今帰ったぜぇ!!!」
その腹の底から響くような声に、部屋の中が大きく震える。耳栓を要求したくなるような大声だが、部屋の中にいた人物たちはもう慣れた様子で、然程大きな反応を返さない。
そしてスクアーロはXANXUSの姿を認めて、にやぁと口元を大きくゆがめる。
「ボスさんよぉ、初めての留守番はどうだったぁ?無事に
できたのかと最後まで言い終わる前に、スクアーロの頭にはグラスが凄まじい速さで飛んできて直撃した。ばっしゃんとその髪の毛にウイスキーがこぼれて落ちる。何しやがる!とスクアーロの怒声が続いて響いたが、その頭に今度はボトルが飛んできてスクアーロを沈めた。
「るせぇ」
「ボス!報告書をお持ちしました!」
倒れたスクアーロを踏みつけるようにしてレヴィは手にしていたその書類をXANXUSに差し出す。XANXUSはそれを無言で受け取ると、上から下まで目に通し、そして机の上へ滑らせた。
「よくやった、レヴィ」
「…っ、ボス!!!あ、有り難き幸せー!!!」
感極まった様子で涙をこらえているレヴィの後ろで、スクアーロはボトルを片手に立ち上がると、青筋を浮かべて口元を引き攣らせた。何しろレヴィが渡した報告書の内容はきちんと自分の物も含まれているのである。別に褒めて欲しいというわけではないのだが、こうまで無視をされると腹立たしい。
スクアーロの視線を感じ取ったのか、XANXUSはその赤い瞳をゆるりと動かして、そちらを見やる。見る、というよりも睨みつける。
いわれのない暴力を一身に受けながら、スクアーロはぎりと歯がみをしてボトルを机の上に戻した。そんなスクアーロと感激に身を震わせるレヴィの背中に声がかかる。
「お帰りなさい、スクアーロ。レヴィさんも」
怪我はありませんかと小さな子供を抱えたその姿に、スクアーロはおおと返事をする。レヴィもうむと返事をして、そしてちらりとスクアーロを見やった。意味ありげな視線のやりとりに東眞は怪訝そうに眉を顰める。
セオは東眞の腕の中で、スクアーロたちに向かって一生懸命に手を伸ばした。
「アーロ!レヴィ!Bentornato!(おかえり)」
「Salve, Jr(ただいま、Jr)元気にしてたかぁ。今日はてめぇに土産があるんだぜぇ」
「お土産ですか」
レヴィと選んだんだぁ、とスクアーロはくいと後ろに立つレヴィを親指でさして、床に置いていた籠を持ち上げた。そしてセオの目の前に持ってくると、かぱりとふたを開ける。すると、そこからわふっと声をあげて、ふさふさの黒い子犬が顔を出した。セオは突然現れた生物にびっくりして、目をこれ以上ないほどに大きくする。
にやにやとスクアーロは笑って、その子犬を籠から出すとセオに向かって突き出した。
「どう
だぁ、と言いかけたその後頭部に二つ目のグラスが直撃した。今度は酒が入っていないため、頭からウイスキーの香りをさせることもない。しかしながら衝撃は確かにあるので、スクアーロはぎりぎりと歯ぎしりしながら、それでも子犬を手から離さないままで後ろを振り返る。
「この…っ!!クソボス!てめぇ一体何回俺の頭にグラスぶつけりゃ気が済むんだぁ!俺の頭は的じゃねぇぞぉ!」
「うるせぇ、ドカス。んな犬っころ連れてきやがって…誰が世話すると思ってやがんだ。あぁ?てめぇか?」
睨みつける視線の強さにスクアーロは一瞬飲まれかけたが、どうにか踏みとどまって、けっと一つ吐きだして反論する。
「俺じゃなくて、Jrが世話するんだろぉ。犬は子供の情操教育にいいからなぁ。生物を大切にするっていう観念を育てたら、少なくともてめぇみてぇにばかすか俺に暴りょ、がっ!」
「ドカスが…てめぇ、余程三途の川がみてぇらしいな…」
鳩尾に見事にボディーブローを決められて、スクアーロは体を半分に折って、せき込む。流石にこれ以上犬を持っているのは無理かと判断したのか、レヴィがさっとスクアーロの手から子犬を預かる。
スクアーロとXANXUSの(かなり一方的な)攻防をよそに東眞はレヴィに話しかけた。
「それで、わざわざ」
「Cagnolino!(子犬)」
セオのはしゃぎようにレヴィの手の中の子犬はわふっと声をあげてなく。東眞はセオを一度絨毯に下ろして、そして、レヴィから子犬を預かるとセオのそばにそっと置いた。
XANXUSの言葉を気にしているのか、ちらちらとそちらを眺めるレヴィに東眞は苦笑して、大丈夫ですよと告げた。
「世話ならセオが自分でできるようになるまでは私がしますから。それで名前とかは…」
「名前はまだ決めておらん。犬種はアイリッシュ・ウルフハウンドだ」
うむ、と頷いたレヴィに東眞はそうですか、と返して絨毯の上の一人と一匹を見下ろす。どうやら仲良くなれた様子で、犬はセオの顔を舐め上げ、セオはそれに嬉しそうにきゃらきゃらと笑っている。
大して一人と一人のところは凄まじいことになっていた。最終的には見事にXANXUSの足がスクアーロの顔面に決まって、銀色の髪は美しい流線を描きつつ地面倒れた。どう、と音を立てて倒れたスクアーロの前には、鬼のような形相をしたXANXUSがゆらりと立っている。見下ろす瞳はどこまでも、人を虚仮にした目である。
「――――――犬?そんなに飼いたきゃてめぇに首輪でもつけて、門のところにでも繋げてやる。敵が来たらその自慢の大声で無駄吠えしてろ、このドカスが!」
「ぅ、ごっ!」
最後に腹を蹴りあげて、XANXUSは元座っていたソファに腰を再度下ろした。なんともスクアーロが気の毒で仕方がない光景なのだが、いい加減見なれた光景に周囲は止めに入ることすらしない。
子犬とじゃれあう子供の姿、と大人同士で半分本気でじゃれあって(喧嘩をして)いる様子は、同様に微笑ましいのかもしれない。
ソファに腰を下ろしたXANXUSはセオと戯れている子犬をぎろりと見てから、レヴィ、とその名前を呼ぼうとした。が、しかしその喉から声が出る前に、東眞の声がそれに割って入る。
「いいじゃないですか、犬」
「誰が世話するんだ。大体その餓鬼に世話なんて芸当ができるわけねぇだろうが。自分の世話もまともにできてねぇ」
ふざけるんじゃねぇ、と付け加えてグラスのウイスキーを一口で飲み干したXANXUSに東眞は私がします、と先程レヴィに言った言葉を繰り返した。その言葉にXANXUSはさらに不機嫌そうに眉間に深い皺を寄せた。
「寝言は寝て言え」
「構わないでしょう。さっきスクアーロも言ってましたけど、動物と一緒に過ごすのは子供にとっていいんです。責任感もつきますし…それに、番犬にもちょうどいいと思いますよ。私一人の時は、心強いです」
そんな馬鹿な話があるか、とXANXUSは舌打ちをする。
ここを一体どこか知らぬわけでもなし、ヴァリアー、生粋の暗殺部隊に特攻をかけてくる馬鹿など居はしない。それに屋敷に残っているのが一人だとしても、周囲には常にセキュリティシステムが働いているので、心配はいらない。もしもそのセキュリティをかいくぐれるのだとすれば、番犬など全く歯牙にもかけない連中ということだ。
結論として、番犬は不要である。愛玩用の犬も欲しくはない。
XANXUSが考えていることを表情から読み取ったのか、東眞は苦笑して、そんなこともないですよ、と返す。
「大体、てめぇも他の奴の世話してるような余裕――――――、」
そこまで言いかけて、ぷつとXANXUSは言葉を切ってしまった。決まりが悪そうに、グラスに酒を注いで、ゆらゆらと中身を揺らしながらそれを眺めている。
体のことを心配してくれているのだろうと、東眞は見当をつけたが、それが理由ならば、それはいらぬ心配である。シャルカーンの治療のおかげで、日常生活は十分におくれているのだし、できないときは他の誰かに頼めばいい。例えばルッスーリア。彼女ならば、快く一日の世話を引き受けてくれるであろうし、おそらくそれはスクアーロもレヴィも一緒である。
「心配いりませんよ。それに、体をある程度動かすことは必要だとチャノ先生にも言われています」
だから飼ってもいいでしょうと笑顔で頼んだ東眞からXANXUSは目をそらして、吐き捨てるように勝手にしろと言い捨てた。そしてちらりと子供と戯れる犬へと目線を落とす。初対面だと言うのに、よくよく懐いている。
XANXUSがそんなことを考えていると、横からようやく痛みが引いたのか、半身を起したスクアーロがは、と笑う。
「なんだぁ。Jrのやつボスよりもそいつの方に懐いてんじゃねぇのかぁ?」
そう言って、からからと笑ったスクアーロの頭には本日三度目となるグラスが命中した。そして続けざまに黒いブーツが顔面、鼻を蹴り飛ばして、スクアーロは再度絨毯に後頭部を打ちつけた。打ち付けた先が柔らかいのは幸か不幸か。
また始まった二人のじゃれあいをよそに東眞はしゃがみこんで、セオとその子犬の戯れを眺める。
「セオ」
「Cagnolino!」
「名前、何にしましょうか。カンニョリーノの名前」
「なまえ?Nome?」
「はい、名前を」
母親の言葉を理解しているのかしていないのか、セオは一拍二拍、三拍待ってから、首を傾げた。んん、とセオが唸っていると、後ろから低いいらだった男の声が響く。
「Sirio」
「スィーリオ?」
言葉の意味が分からずに小首を傾げた東眞に隣にいたレヴィが補足を付け加える。
「日本語で言うならば、シリウスだ」
「シリウス、大犬座のことですか」
「Sirio!」
「うっせぇ!無駄吠えさせやがったら、てめぇもろとも庭に放り出すぞ!」
犬の名前を嬉しそうに呼ぶセオに向かってXANXUSは声を荒げたものの、そんなことはセオの知ったことではない。つけられた名前を何とも嬉しそうな表情で繰り返して、犬の首にしっかりと抱きつく。
XANXUSはその光景から目をふいとそらして、ソファから立ち上がると、ブーツをがつごつと鳴らしながら、その部屋を後にした。
扉が激しい音を立てて閉じられ、スクアーロは三度グラスの直撃を受けた頭をさすりつつ、まぁ、と声を発する。
「いい名前じゃねぇかぁ」
「スィーリオですか?」
おお、とスクアーロは立ち上がって、体についた毛をはたき落としながら、東眞たちの方へと歩み寄る。そして一人と一匹を見下ろし、口元に小さな笑みを浮かべる。
「シリウスの語源はギリシャ語でなぁ、焼き焦がすもの、光り輝くものってぇ意味なんだぜぇ」
「…スクアーロ、意外と博識なんですね…」
「う゛お゛おぉ゛い、てめぇ俺を誰だと…全くいい性格になったじゃねぇかぁ…」
意外はいらねぇ、とスクアーロは苦笑してじゃれあう犬の方をひょいとつまみ上げた。そして、ああ雄か、とぼやく。セオはアーロ!とスィーリオを持ち上げてしまったスクアーロを非難するように名前を呼んだ。
「しっかりと可愛がれよぉ」
スクアーロが犬を返して、東眞はセオの背中をポンと軽く叩く。
「セオ、スクアーロとレヴィさんにお礼は?」
「アーロ、レヴィ、Grazie!」
東眞の言葉にセオはぱっと満面の笑顔を浮かべて、犬にしっかりと抱きつく。それにレヴィはセオ様…!とぐすりとすすりあげた。そしてスクアーロは思い出したように東眞に告げる。
「後でボスの機嫌も直しといてくれぇ」
「機嫌、悪くなかったですよ」
スクアーロ、と笑った東眞の言葉にスクアーロはそうだったか、と先程の上司の顔を思い浮かべながら軽く唸って考える。それに、照れてるだけですよと笑顔で言った東眞にスクアーロはそうだったのか、と驚かざるを得なかった。
ぱちゃりと水がはねる。洗剤の泡が排水溝に向かって流れていく。修矢は最後の皿から泡を水で流し落として、それを食器立てに掛けた。後は自然乾燥である。
本日は試験で午前中しか授業がなく、午後は空きということで、昼食は家で取り、その後片付けをしていた。そんな修矢の背中に、声がかかる。
「修矢」
「…藤堂さん」
なんですか、と修矢は濡れた手をタオルで拭きながら振り返る。いい加減に生活に溶け込んできた彼だが、どうにも神出鬼没である。
修行をつける、と言っていたが、今のところこれといったことはしていない。朝の走りこみの量が増えたり、柔軟をさらにしっかりするようになったりと、剣より体づくりを重心に置かれている。一体いつになったらまともなことができるのかと、修矢は内心うんざりしていた。
そんな修矢に藤堂は目を細めて、笑顔で告げた。
「今日は少し違う修行をしましょう」
「え」
「今からそこに行きますから、できるだけ動きやすい服装で来なさい。ジャージでも構いませんよ。私は先に玄関先で待っていますので、できるだけ早く」
「わ、分かりました!」
そう言って身を翻しかけた修矢にああ少し待ってください、と藤堂が声をかけて止めた。修矢は一体何だろうかとそう思って振り返る。
「武器必要ありません。動きやすい服装、それだけです」
「…はぁ」
その言葉に少しばかり残念そうに眉尻を下げた修矢だったが、それでもいつもとは違うと言う言葉に少し心を躍らせた。自分の部屋へと駆け込み、ジャージと手を伸ばしかけたが、ジーンズでも十分に動きやすいので、上だけブラウスを止めてシャツに着替えた。そして一直線に玄関へと走る。その途中で哲を見かけたので、思い出したように呼びとめる。
一文字の傷を深く刻んだ強面の顔についている口が坊ちゃん、と動く。
「どちらへ」
「知らない。取り敢えず、藤堂さんと出かけてくる」
「…分かりました。自分はご一緒した方が…」
「いや、いい。二人いたら十分だろ。留守は任せたぞ」
修矢の言葉に哲は一瞬だけ不服そうな顔をしたが、すぐに分かりました、と返して頷く。だが出ていこうとした修矢に慌てて鞄を押し付ける。怪訝そうにしながらそれを修矢は受け取り、何だ、と尋ねる。
「いえ、万が一の時のために。こう、色々と…」
色々ねぇ、と思いながら修矢は渡された鞄を開けて、そして絶句した。地図、方位磁石、携帯食料、ロープ、自動充電器等々。
修矢の瞳はゆるりと持ちあがって、これで大丈夫ですと自信満々に頷く哲を睨みつけた。そして、その顔にこれでもかというほど思いっきり、渡された鞄をぶつけた。
「樹海に行くわけでもなし、こんなものいるか!」
「しかし坊ちゃん…」
「あーもー、行ってくる!お前、絶対に追いかけてくるなよ!」
「ぼ、坊ちゃん!」
追いすがる哲を振り切って修矢は後ろ手に玄関をぴしゃりとしめた。全く自分の側近はどこかおかしいところで大いにずれている。ズレすぎている。
深い溜息をついた修矢の前に一つ長い影が伸びていた。面をつけていない顔を外で見るのはなんとも不思議な気分である。
「では、行きましょうか」
何故だか、そのとても嬉しそうな表情に、修矢は少しばかり嫌な予感がした。無論それを口に出すほど、修矢も馬鹿ではなかったのだが。