30:la Morte - 8/8

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 やれ、と敷地内を出た藤堂はようやく足を止めた。
 その目の前に銀色の髪がたなびくようにして降り立つ。藤堂はそれに一言、困りましたと苦笑する。スクアーロは藤堂に鼻先に向けて、その鋭い切先を光らせる。
「俺と勝負しろぉ、死神の藤堂」
「申し訳ないのですが、その頼みは聞けません。私は殺すもしくは殺される場面に直面した場合逃げる約束をしました。私は約束を破ることだけはしたくありませんので、その頼み事は聞けません」
 そう言って藤堂はその笑顔の上に、どこから取り出したのか、今度は翁の面をつけて表情を隠す。
 しかし、スクアーロはそんな藤堂の反応などさほど問題ではないようで、強く、地面を蹴って一足で藤堂との距離を詰める。振られた刃を藤堂は自分の武器を抜くことなく、詰められた分の距離だけ後ろに飛んで避ける。避けられた攻撃にスクアーロは一つ舌打ちをして、逃げんじゃねぇと叫ぶが、藤堂は首を軽く横に振る。戦う気が一切見られない。それにスクアーロは眉間に強く皺を寄せる。
「てめぇ、何で戦わねぇ」
「約束をしたからです。それに私は戦いなどというものに一切の興味がありません。尤も、普段であれば、私を殺しに来る人は返討にしますが。ですが、残念ながら今日はそれができません。戦いたければ、是非とも別の日にいらしてください。兎も角今回の用事が終わって、それを相手に報告するまではできません」
「報告したら、また戦えんのかぁ?」
「律義にお待ちになっても、私は戻ってきませんよ。くだらないことに付き合うのは御免です。仕事でもないのにいちいち動くなんて…そんな面倒くさい」
 溜息交じりにスクアーロの言葉に藤堂は肩を落とした。
「―――――――約束だといったなぁ」
「ええ、言いました」
「なら。今ここで俺がてめぇを八つ裂きにしても、反撃しねぇのか?」
 ざらりとスクアーロの髪が風に流されて、銀色のカーテンを広げる。その問いかけに、藤堂は一拍置いた後に、ええ、と答えた。
「約束は、守られなくてはならないものです。他の人がどうなのかは知りませんが、私はした約束を違える真似はしません。東眞ちゃんも、彼女が幸せだと思いましたから、もうどこへやることもしませんし、私は彼女を諦めることにしました。それを、私の中で約束しました。そしてあなたと戦うことも、私は他の人間と戦わずに逃げることを約束しましたから、あなたと刃を交えることはしません」
 大変申し訳ないのですが、と藤堂は翁の面の下で笑ってそう告げた。
 それにスクアーロは剥き出しにしていた殺気をようやく落ち着かせる。藤堂は一言、有難う御座います、と返した。それから思い出したように、ああと笑う。
「ですが、私は個人的にもあなたと戦いたいとは思っていませんよ」
「なんだとぉ!!」
 がなったスクアーロに藤堂は面をつけたままで、当然です、と笑う。
「私は戦うために生きているわけではありませんし、戦って死ぬことが本望とは思いません。ただ私は生きて、いるだけです。目的も目標もなく、ただ自分に死が訪れるまで、生き続けているだけにすぎません。私の人生は、あなたのようにメリハリのあるものではないのです。死ぬために生きているわけでもなく、生きるために生きているのでもない。緩慢に過ぎていく日々を、緩慢に過ごし、そして緩慢に生きて、緩慢に死ぬ。それが私の人生です」
 そんな私に刃を決闘を挑んでどうしますか、と藤堂はスクアーロにまるで教えるように説いた。藤堂の言葉にスクアーロはひどく冷めた目をする。つまらない、ごみくずを見た時のような目。
「強ぇ奴は、大抵生き様に何らかのはりがあるがなぁ」
「では、私はその大抵に含まれなかったということです。さぁ、これでもういいですか?」
 帰っても、と続けた藤堂にスクアーロは今度は鋭い眼差しを藤堂へと向ける。その視線の強さに藤堂は本日何回目になるか分からない溜息をついた。
「いいや、てめぇは俺たちを荒らした。だとすれば、てめぇを大人しく帰すわけにはいかねぇなぁ」
「誰も殺していませんよ。それに気絶させただけですので、大した怪我もしていませんし。私に怒りを向けるよりも、その程度の部下を叱責する方へと力を注いでください。私も教え子ができてしまったので、そちらの…」
 ああ、とそこで藤堂はぽんと手を打った。
「では、私はでなく、彼に戦いを挑むといいでしょう。今とは言いません。勿論今の彼は少しも使い物になりませんし…。そうですね、では彼と戦って下さい。私の全てを教えますから、それで構わないでしょう?」
「彼?」
「ええ、東眞ちゃんの血の繋がっていない弟です」
 桧修矢、とそう言えばいいものをわざわざ遠まわしに告げた藤堂にスクアーロは眉をひそめる。
 お願いしますと口調や言葉だけは柔らかい(何しろ顔は見えないのだから)調子で藤堂は武器を背負ったまま、一切の殺気を見せずにそう言う。否、とスクアーロは思いなおす。この男にはそもそも殺気などないのではないかと。だからこそ、侵入してきてもその存在を体が感知しなかった。
 緩慢に生き、緩慢に死んでいく男。死神の藤堂。
「それに、あなたに私は殺せません。何しろ私は逃げますから。私はあなたに負けるなんて、これ一つ思っていません。劣っているとも、勝っているとも思いません。ですから、逃げます。あなたは向かう獲物を喰い殺すのは得意でも、逃げる獲物を追うのは苦手でしょう?」
 藤堂の言葉にスクアーロは腕に込める力を増やす。確かに挑んでくる相手を斬りはらうのは楽だが、意思のない相手を追うのは全く得意ではない。気分が乗らない、というのが一番の理由かもしれない。この暗殺稼業、特に戦闘に特化されたVARIAに舞い込む依頼に置いて、標的は逃げる者は少ない。むしろ武器を持ち、誰かを雇い牙をむくのが大半である。だからこそ、自分たちに依頼される任務があるわけだが。
 かつて戦いたいと切望した男は自分を前にして、あっさりと逃げると言う。戦う意思など、そこには一欠けらもない。そんな人間と刃を合わせたとしても、それは少しも面白くない。
「だが、はたしてあの餓鬼が俺と戦う気になんのかぁ」
「簡単です。東眞ちゃんを殺すと少し脅せばいいだけの話です。彼は随分と彼女に執着しているようですから。ああ、でも本当に殺したりしたら――――――――それは、困りますね」
 彼女に刃を向ければ殺されるのは自分であることを、スクアーロは知っている。それを知ってか知らずか、否、男はきっと知ってこの発言をしているのだろう。そう、言葉が言っている。
「では私を見逃して下さい。彼女が幸せならば、私は何も言うことはないんです」
「幸せ、ねぇ」
 子供一人見て、幸せだと断言した男がスクアーロには全く理解できなかった。子供など居ようがいまいがそれは人の幸不幸には関係ない。だが、この男には、違うようだが。それを詮索しようとは思わないし、興味もない。
「はい、幸せです。夫婦がいて、そこに子供がいれば―――――――それ以上の幸せはないでしょう」
「?」
「それでは失礼します。東眞ちゃんによろしくお伝えください」
 そう言うが否や、藤堂は背の武器を抜きとると、それ自身を納めていた鞘の方を手に取った。何をと表情をかすかに動かしたスクアーロの足元に向かって、藤堂はその長い物体を投げつけた。足元、であって足ではない。
 どこに向かって投げているとスクアーロは叫ぼうとしたが、その前に、藤堂の足が安定していた無機物から離れる。それを追おうとスクアーロは足に力を込めた。しかし、ふ、と体が落ちる感触に舌打ちをする。投げられた武器は、自分の足場を大きく崩していた。これでは相手を追うために十分なダッシュが叶わない。
「てめぇ…っ!!!」
 一度地面に落ちたスクアーロが見上げたその場には、すでに翁の面は存在しなかった。

 

 こぽ、と湯気を立ててほろ苦い匂いが漂う。白いカップに黒い液体が注がれた。そして東眞はそれを取って、ソファに背をうずめたXANXUSに差し出す。セオは少し離れた絨毯の上に座って積木で遊んでいた。
 差し出されたコーヒーを受け取り、XANXUSは一口つける。
東眞もソファに座って、牛乳を混ぜたコーヒーの入ったカップを机の上に置く。
「殺すな、とは言わねぇんだな」
 ぼつ、とコーヒーを机に戻したXANXUSに東眞は一度視線を上げて、はい、とはっきり答えた。それは自分の領分でないことを東眞はもう知っている。
「殺してほしくはありません、勿論。藤堂のおじさんは私にとって、とてもよい人でした。小さい時によく家に来て、食事を一緒にして、沢山遊んでもらいましたから」
「殺すなと頼む気はねぇのか」
「ありません」
 持ち上げたカップ、半分ほどを飲んでから東眞はそう答える。
 からりと積木が崩れる音がして、絨毯に木から生成されたブロックがばらける。
 東眞は両手でカップを包むようにして持ち、それを膝の上に乗せた。
「おじさんが死んだと聞いて葬儀に参列した時は、泣きました。人は死ぬものだと、それを実感させられました。それでもあの人はとても優しくて、温かかった。それだけは確かですし、忘れることもありません。生きていて、嬉しいんです。わざわざ、私の幸せを確かめに来てくれるほどに心配してくださったことも、嬉しいです。ただ。ただそれが、どういう結果を招くのか、それはきちんと御存じだと思います。おじさんの話を聞く限りでは」
 ですから、と東眞は腕の力で作られたカップの中の波紋に視線を落とす。
「助けてくれとは、いいません」
 その答えにXANXUSは一度置いたカップ、コーヒーを全部ぐいと飲み干した。ならいいと短く答える。そしてよたよたと近寄ってきたセオをじろりと見下ろした。
「バッビーノ!マーンマ!」
「―――――――――La Morte」
 死神か、とXANXUSはソファにどうにかして登ろうとするセオの背中を服をひっつかんで持ち上げると、その上に乗せてやる。初めは嬉しそうにハイハイをしていたが、しかし、座る部位からずるりと滑って、そのままごとんと下にまた落ちる。それでも泣くことはなく、う、とまたソファの上に登ろうと頑張っている。今度は助けない。
「そんな名前を持っているとは知りませんでした。私も」
「言う奴は少ねぇ」
「スクアーロから死神の話は聞いてましたけど、まさか同一人物は…本当に予想外です」
 誰も想像なんてするまい、とXANXUSは飲みほしたカップに注がれていくコーヒーを眺めながら思う。
 自己紹介の時に殺人者ですという馬鹿は存在しない。し、それに今後の付き合いも考えて、一般人にそんなことを言う奴もいない。とはいえども、彼女の周りにこうもそろうとは全くある意味素晴らしい(?)体質かもしれないなと括った。
 東眞は冷えた体を温めるために、ショールを肩に羽織る。
 死神の藤堂の話はXANXUSも小耳にはさんだことがあった。人を虫けらのように殺していくという。ただし気まぐれなところもあり、逃げる者は追わないらしい。自分たちとは全く違う方向の殺し屋だと、その話を聞いたときに感じた。家光は用心棒だと細かく訂正したが。
 シルヴィオといい、ハウプトマン兄弟といい、それから自分たちといい、そういう人間に好かれやすいのだろうかと、疑う。好かれるという表現はどうにも正しくないような気もするが(特にハウプトマン兄弟が)
「もし今度会うことができるならば、その時は一緒に昔話でもしたいです」
 スクアーロには殺せと命令は出していない(追いかけてはいたが)命令以外で自分たちは人を殺すことはしない。勿論、それは自分の命を奪いに来る人間を返討にすることを除いてだが。
 あの頭に血が上りやすいカス鮫が決闘を申し込んで、そして相手がそれを受ければ、どちらかが死ぬ結果にはなるだろう。
 ふとその時、小さなグラスに活けられたスノードロップを目にする。小さな子供が、自分の子供が摘んできたもの。その子供はまた積木に興味を戻したようで、何かを作りながら遊んでいる。そんなすぐ崩れる様なものの何が楽しいのか、XANXUSにはさっぱり分からない。
 東眞はコーヒーを入れていたポットが空になったのに気づいて、淹れてきますね、とその場をたった。父と子、二人きりの空間で、その小さな丸い背中に赤い視線が注がれる。
「おい」
 声をかけてみたものの、返事はない。
「ちび」
 がたがたと積木を遊ぶ音だけが代わりの返事のように、セオはXANXUSの声を無視した。無視した、というよりもむしろ自分が呼ばれていることに気付いていないと言う方が正しい(当然である)
 それにXANXUSは不機嫌そうにむっと顔を顰める。
「おい、聞こえてんのか」
 積木が崩れた。と、喧しい声とともに扉が開かれる。不愉快な声が一体誰のものか、XANXUSにはよくわかっていた。
「すまねぇ、ボス」
 逃がした、とスクアーロはそう言いながら、部屋に入ってくる。XANXUSも捕まえることも殺すことも期待していなかったので返事はしない。そしてふと部屋の奥に座って積木で遊んでいる子供に気付いて、何してんだぁ、とすたすたと自然な動作でそちらまで足を運ぶ。誰かが近づいたのに気づいたセオはふうと顔をあげて、スクアーロをその目におさめる。
「アーロ!」
「よぉ、Jr。何してんだぁ?」
 優しくわかるように語りかけたスクアーロにセオはぱっと表情を明るくして、積木を一つとって、軽く振る。そして、それを絨毯に着けると、前後にするようにして揺れ動かす。
「ぶーぶー」
「おお、車かぁ。こっちは何だぁ?」
 そう言って、スクアーロは少し積まれた方の積木を指差す。それにセオはぱっと笑って、casa(家)と手を叩いた。しかしながら、それはちっとも家に見えない。
 XANXUSは遠目に見て、は、と鼻で笑うと、
「積木じゃねぇか」
「…casa…」
「…う゛お゛ぉ゛おい、ボス。餓鬼相手にむきになるんじゃねぇぞぉ。おう、Jrこりゃすげえ豪邸だぜぇ」
 豪邸、という言葉が分かっているのかいないのか、それでもスクアーロが褒めたことに気付いてセオは悲しそうな顔を笑顔に変えた。そして、家(とセオが称したもの)とスクアーロを交互に指差して、それから自身を小さな指でさす。
「アーロ!」
「なんだあ?一緒に住ませてくれんのかぁ?掃除が大変そうだぜ」
 スクアーロはセオの隣に腰を落として、そして一緒に積木で遊んでやる。その光景をXANXUSは眉間に一つも二つも皺をよせながら、眺めていた。
 丁度東眞が戻ってきて、コーヒーを新しく入れたポットを手にしていた。そしてスクアーロとセオを見て笑いながら、席に着く。スクアーロも東眞が戻ってきたことに気付いて、逡巡した後に、逃がしたことを口にした。しかし東眞の反応はスクアーロが想像していたものよりも、ずっとあっさりしていたものだった。
「そうですか」
「…それだけ、かぁ?」
「それだけ、ですよ。スクアーロ。ところでコーヒー要りますか?丁度今持ってきたところで」
「ああ、頂くぜぇ」
 一つ増えたカップにコーヒーを注いでスクアーロは東眞からコーヒーをもらう。
 冷たい風を浴びた体には随分と温かい飲み物だった。それを飲みながら、スクアーロはもう一度セオのもとへと戻る。セオは嬉しそうにアーロ!と銀色の髪の戦士の名前を呼んだ。スクアーロはその頭をくしゃくしゃとなでまわす。
「セオはスクアーロが大好きですね」
 その一言に、XANXUSは容赦なく机の上に置かれていたスノードロップが活けられているグラスをスクアーロの頭へと投げつけた。

 

「ただいま帰りました、修矢」
「姉貴は幸せだっただろう」
 玄関先で、修矢は帰ってきた藤堂へと視線を向けた。それに藤堂はゆるりと笑って、笑顔のままできちんと訂正を加える。
「敬語はどうしましたか」
「幸せだったでしょう」
「ええ、とても」
 連れて帰れませんでした、と藤堂は微笑みながら修矢の先を歩く。その後ろについて行きながら、修矢は何かにぶつかることもなければこけることもなく、しっかりと居間の椅子についた。
 その行動に藤堂は目を細めて手を伸ばすと、修矢の光を奪っていた目隠しを取る。
「よくできました」
 久々に見た自分の師匠になる男の顔を見て、修矢はほんの少しだけ口元を吊り上げて、笑った。それに藤堂は優しい笑顔を浮かべて、そして、しっかりとついてきて下さいね、と微笑んだ。