30:la Morte - 6/8

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 般若の面から、つるりとした女の面、小面へと藤堂はその面を付け替えた。
 一見すれば笑いを誘う姿ではあるのだが、しかしながら、どうにもその気配と面が一致していないので恐らくその笑いはすぐさま引き攣ることとなるだろう。
 藤堂は指先に小石を持つと、赤外センサーが付いているほうへと向かってひょいと投げた。石は、呆気なくレーザーで焼き尽くされた。はるか後方にある館、もとより本部にたどり着くまでの道は木々で覆われている。車が通るための道路が一本あるが、そこを通れば蜂の巣必死。
 さてそれではどうするか、と藤堂は笑っていた。面の下で緩やかに作られている笑みには然程悩みがないようである。
 今度は小枝を持って、先程よりもずっと高い位置に放り投げた。これも、焼き切れる。二度も続けての行動だから、そろそろだれか偵察の人間が来るころである。もしくは監視カメラがその目をぎょろぎょろと光らせているか。
 五分十分待っても誰が訪れる気配もなく、監視カメラが回っているだけだということになった。大きな門には当然見張りがおり、その人間が確認作業を行っていた。探せば裏門もあるだろうが、探すのが面倒である。
 さて、と藤堂は考えた。そして登っていた屋根から、スタンと地面に足をつけると、平然とした面持ちで(尤もそれは面で見えないが)そちらに向かって歩く。すると当然止まれ、と声がかかった。だが、藤堂は一切気にする様子はない。
「こんにちは」
 と、そうさも当然のように門番に声をかけた。すると、門番は怪訝そうに顔をしかめたが、藤堂がつけている面にさらに眉を顰める。しかしながらそこで普通にこんにちはなどと返すはずもなく、返ってきたのは誰だ、という言葉だけだった。
 藤堂はやれやれと溜息をついて、肩を落とす。
「挨拶は、きちんとしなくては」
 そうでしょう?とにこやかに面の下で微笑むと、即座に背の武器を抜きとり、相手が反応する一瞬前にそのまま胴で薙ぎ払った。刃を立てているわけではないので、血が溢れることはない。骨も折れないように加減している。揺らいだ体、さらに米神に柄を叩きこんだ。ぐらりとその隊服を纏った体が揺れて、そのまま意識を失うようにして壁に背をつけ崩れ落ちる。藤堂はひどく冷めた目で、それを見下ろしていた。
 だが、僅かな時も立たずに、藤堂はすぐさまその大きな通りを走りだす。先程までいた場所の地面が抉れた。タイルがめくれ、無残な姿になる。
 ちらりと後ろ目で確認をすれば、先程倒れた人物は指先で救援のボタンを押していた。暗殺部隊の名前は、そう伊達ではないようだと藤堂は再認識する。
 このまままっすぐ走っては間違いなく狙い撃ちなので、中の木々へと飛び込むようにして姿を隠す。相手の姿は視認できないが、相手からこちらの姿は見えている。しかし、藤堂にはそんなことはさしたる問題ではない。
 見えなくても、分かる。大方の場所は気配で察知できるものなのだ。特にそれが、何かを強く狙うときは。
 じゃり、と足を一度踏みしめて、進行方向と真逆の方向へと飛ぶ。左斜め上の木々に二人。隊員たちはざっと雷を放つ武器を構えるが、藤堂の感情のない小面が目に入る方が僅かに速い。
 殺さなければ、いい。殺しさえしなければいい。大事にならなければいい。つまり、動けなくなる程度の怪我を負わせればいい。
 そして藤堂は武器を振るった。

 

 びっ、とスクアーロは緊急通信の合図に手に持ちかけていたホットココアを机にもどす。
 雷撃隊が見張りをしているとはいえ、本日はXANXUSと自分以外の幹部(と部下多数)は出かけてしまっている。警備がある程度手薄になっているとはいえ、それでもイタリア最強を誇る暗殺部隊、そうやすやすと崩されたりはしない。そのような意味で、緊急通信が入ることなど滅多にない。
「何だぁ」
『やーぁ、スクアーロ』
 間の抜けたパソコンおたくの声にスクアーロはいささかうんざりしながら、通信機を切ろうとポケットに戻しかける。しかし、その後に続いた言葉にふとその動きを止めた。
『敵襲だ、スクアーロ。なんと見事に正面突破。現在交戦中…何だけど、さ…』
 これが奇妙で、と続けられたジャンの一言にスクアーロは何がだぁ、と質問した。ジャンはスクアーロの返答にそれがね、とキーを打つ音を奏でながら返す。
『全体を一望できる監視カメラを現在試運転で取りつけてるんだけど、ほら、奥さんが逃げ出したあの日から』
 ああそれは随分と懐かしい、とスクアーロは思い出す。
 見事な陽動作戦に引っ掛かって、中身を空にされた後に逃げ出されたあの日の出来事だ。驚くべきことに、どのカメラにも東眞の姿は映っておらず、後に聞けばカメラが写さない時間を走っていたと答えられた。
 そこで設置されたのが、全体を一望できる監視カメラである。ただし、全体とはいっても木々が阻んで見えないので、サーモグラフィーになっている。これは人体の、だけではなく他の生物(例えば動物)までもが視野に入ってしまうため、あまり活用できないのが事実である。
『気絶させているだけなんだよ。殺していない。ああ、また一人。これはレヴィが怒るかな』
「…で、ボスには知らせたのかぁ」
『ボスに?知らせたけど、通信機は壊されたよ。見事にね。でもまぁいつものことだし、どうにかして来てくれるかい?スクアーロ。どうにも僕はこの愛するイザベラとニコラから離れるわけにはいかなくて…』
「…うるせぇぞぉ。どうせてめぇなんざ使えやしねぇ。敵の位置は」
 酷く悲しげなその声にスクアーロはいらいらしながら、そして同時に敵が来たと胸躍らせながら、自分の部屋へと走り、武器を装着する。耳に取りつけた通信機からは、敵の正確な位置が教えられる。にやぁ、とスクアーロは自身の部屋の窓を開け放って、そこから飛び降りた。
 地面に足をつけて、そこからさらに跳躍し、樹の枝の上に体重を乗せる。そして木々の隙間を縫いながら、指示された地点へと向かっていく。そうこうしている間にも、ジャンからは一人一人と隊員が倒れていく(何故か死んでいない)情報が入ってきている。
「薬でも使ってんのかぁ…?」
『そういう反応はないよ。流石にサーモじゃどんな武器を持ってるかまでは区別がつかないね。あーちょっと待って、今監視カメラに映った。武器は…剣…?いや、刀…?どっちかな…どっちかだ』
 その武器の響きにスクアーロはにまりと口角を吊り上げた。これほど嬉しいことはない。
「う゛お゛お゛お゛おぉ゛い゛!!剣士かぁ!!!いいじゃねぇかぁ…っ!!」
 ぞくぞくと足の指先から脳の天辺まで歓喜で震えが走る。
 しかしスクアーロは木々の間をすり抜けながら、何かを忘れているような気がして仕方がなかった。何か、忘れているような。だがそんな、つまり忘れてしまうようなことは些細なことであるだろうし、ならば目の前の敵を排除する方が格段に優先順位が上である。
 刃が悦びで震えあがる。この暗殺部隊を急襲し、かつ部下を殺さず一撃のもとに沈めていっている。それだけで相手の腕を知るには十分である。かなり強い。強い剣士と戦える、これ以上嬉しいことなど他にない。
 全身に走り廻る毛細血管でさえもが、その戦いの調べに心を躍らせている。一歩進めば、それだけ戦いに近づく。戦闘狂、などである記憶はないが、戦いは面白い。強い奴と戦うのが素晴らしく好きなのだ。骨を守る筋肉が躍動し、義手を支える腕が急げと疼きだしている。
『…?あれ、止まった。一人いや、二人の前に止まってるけど…こんな動きは、いや、まだ倒してない』
「あ゛ぁ?何がだぁ」
 少しの驚愕を滲ませた機械越しの声にスクアーロは不思議そうに尋ねる。もはやどうでもいいのかもしれにが、尋ねている。暫く返事がなく、監視カメラの映像を拡大してからの確認が届けられた。至って平凡な声で。
『スクアーロ』
「だから何だぁ。もう着くぞぉ」
『そっちには――――――――――――いや、やっぱりボスを起こした方がよかったかな』
「…?」
 何が、と言いかけて、ふとスクアーロは今まで自分が走ってきた道のりを振り返りかけたが、それよりも先にスクアーロの目線は不思議な男をとらえた。一本の木の上で、何かに目を落としていた。そのまま動いてはいない。その場に立ちすくんでいる。
 そしてその男の横顔はどうにも奇妙だった。白い、人の顔ではない、無機質な面がついている。どうやら外見的にはアジア系のものらしい。
 しかしそんなことはスクアーロにとってどうでもよかった。
 目の前に獲物がいて、その獲物は強い。もはや条件はそれだけで十分だった。体全身に張り巡らされた神経は相手を殺すためだけに特化されていく。どう動いても食らいつき、切り刻む。踏みしめた木の枝が大きく揺れた。それに、自然な動作で小面、白い面がこちらを向いた。
「遅ぇぞぉお!!」
 噛みきるための刃はすっと相手が後ろにのけぞる、否、そのまま枝から落ちることによってかわされた。面の、目の部分から覗いた目は、とてもひどくこの上なく、冷え切っていた。
 その落ちていく体を追いかけて刃を振りかざす。相手の足が地面につき、スクアーロはその上に剣を振り下ろす。自重に加えて、重力、速さも加わり破壊力が増す。しかし、刃が当たったその一瞬でスクアーロの剣は地面を噛んだ。流された。だが、スクアーロも地面を噛み砕きながら、そのまま相手に刃をつきだす。しかし相手は一向に攻撃してくる様子を見せない。
「う゛お゛お゛ぉい゛!!逃げてばっかじゃ――――つまんね
 えぜぇ、と言いかけて、スクアーロはふっと動きを止めた。
 誰かに見られている事実に気付く。誰か、というのが自分が警戒すべき対象に入っていなかったために、認識を怠っていた。そこでようやくスクアーロはなにを忘れていたのか、ということに気付く。
 自分の部屋の窓から飛び出して、あの道を右に、左に、それからもう一回左に行って、そうやって行けば、たどり着くところ。それは、ああとスクアーロは思い出す。先程まで自分が持っていた物は何か、そう、ホットココア。それは誰のために用意したのだったか。
 冷たい風を感じる女のために用意したのではなかったか。では彼女は今どこに、そこに、そう、ここに。
 ぷつ、とスクアーロは僅かに動きを止めた。相手がその場を何故か逃げ出そうと地面を踏みかける。しかし、それはあまりにもあっさりと別の行動に転じざるを得なくなる。上から降ってきた、光の玉によって。地面が大きくえぐり取られ、そして上から黒い服を纏った男が降りてくる。
 ここでようやく男は口を開いて声を出した。
「困りました…逃げたいのですが」
「―――――くだらねぇこと抜かしてんじゃねぇ…人の安眠妨げやがって…」
 怒る理由はそれなのか、とスクアーロは一人冷静な突っ込みを入れた。白い面の男はやれ、と先程のXANXUSの一撃はしっかりとかわした様子で、服をはたく。
「テメェもだ、このカスが」
 ぎん、と鋭い赤に睨みつけられてスクアーロはう、と言葉を詰まらせる。忘れていたということは、うっかりだが、責められても仕方がない。
 だが、肝心の張本人は誰よりも驚いた顔でそこに立っていた。逃げようとする意志も、攻撃しようとする意志も見えない。
消えろ、とXANXUSが銃を持ち上げて、今度こそ男を殺そうとした。しかし、それは一つの声によって止められる。
「―――――――――藤堂の、おじさん?」
 その言葉に能面の男は顔をゆっくりとずらして、東眞の方へと向ける。そして、その名前を呼んだ。
「覚えてくれていたんですか、東眞ちゃん」
 しかし藤堂、という名前にスクアーロの方が早く反応した。そしてふっとこちらも随分と昔の記憶を掘り起こし始める。いつかそう、東眞に話した覚えのある、あの名前。
「まさか、てめぇ…死神の―――――――――藤堂」
「その名前は、好きではありません」
「いや、待てぇ!藤堂は、
 死んだはずだぁ、とスクアーロは呻く。東眞の方もひどく驚いた顔をしたままである。
「…私、おじさんの葬儀に参加…しました…けど…」
「今更墓の下からでてきたのか?くだらねぇ」
 そう、XANXUSは下ろしかけた銃口をもう一度藤堂へと向けた。それに藤堂は少し待って下さい、と両手を上げる。武器は下に放り投げた。その行動にぴくりとXANXUSの眉が跳ね上がる。
「この社会で、死んでいた人間が生きていた――――などということは、そう不思議でもないでしょう?貴方にまで黙っていて本当にすみません、東眞ちゃん。御両親が亡くなったと聞いて、迎えに来ました。鬼籍には入っていますが、あなたを養うだけの財力はありますし、あなたに血生臭いところは似合いま
 せん、と最後まで言わせずに、XANXUSは藤堂の面の紐と打ち抜いた。面が揺れて、地面に落ちる。
「ふざけたことぬかしてんじゃねぇ」
「ま、待って下さい!あの、質問したいことが、沢山ありすぎて…私を連れて帰りたい理由は分かりました。でも、どうしておじさんは死んだ真似なんか…されたんですか?しかも葬儀までされて」
 尤もな質問です、と藤堂は瞳を優しく細めてそれに回答する。
「世界中で剣士を腕試しに殺しまわっているという少年の話を人伝に聞きましてね。時雨…なんですかね、よく覚えていないないのですが、その流派も潰しにくるそうで。自分で言うのも恥ずかしいのですが、まぁ、私も死神の藤堂という名前で日本ではよく知られた人間だったので、これは面倒だと思ったわけです。
 それで自分の葬儀をあげてしまえば、くだらない決闘に付き合う必要もなくなるな、と。そう言うわけです」
「…おい、どカス…」
 てめぇのことじゃねぇのか、とXANXUSの目がそう語りながらスクアーロに向けられる。そして藤堂はさらに続ける。
「暫く世界中を旅してまわっていたのですが、ああ、勿論密輸関連です。何しろパスポートは持っていませんからね。ようやく日本に帰ってきたら…あなたの御両親が亡くなった―――もとい、殺されたと聞いて。東眞ちゃんの両親には本当によくしてもらいました。私にとっての家族といっても、過言ではありませんでしたよ。ですから、そのお二人が残された宝を、こんな世界に置いておきたくはないのです。御両親も東眞ちゃんが幸せであることを願っているでしょう。日本に、帰りませんか」
 そう言って、藤堂は東眞に手を差し伸べた。そして東眞は。