30:la Morte - 5/8

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 さてもやれやれ、とシルヴィオは喉もとに突き付けられた鈍い色を放つ貴金属に口元を吊り上げた。あともう少し、その武器が力を加えて動かされば、自分は顎から脳天に掛けてすっぱりと斬られることだろう。
 本日は翁の面ではなく、般若の面をつけていた。面の奥から、くぐもった声がシルヴィオへと向けられる。
「どういうつもりですか。私に誤情報を流すとは」
「おいおい、誰がいつ間違った情報を流したよ。あの家は、今でも嬢ちゃんの家だ。お前が俺に支払った金額で教えられるのはあの家ってことだよ。何しろお前は嬢ちゃんの居場所は聞かなかったじゃねーか」
 怒るのは筋違いってもんだぜ、とシルヴィオは煙をくゆらせて、かぷと煙を吐きだした。それに機嫌を悪くしたのか、藤堂は刃を一線して煙草の火のついている部分を切り落とす。ああ、とシルヴィオは残念そうな声を上げた。
 しかし面の奥の酷く冷めた二つの瞳にそれ以上からかうのをやめる。これ以上すれば、一寸の躊躇いすらなく頭と胴体は分かれるを告げることになる。この男の困ったところはただ一つ、それである。道徳観念と言うものが今一つ欠けている。正確に言えば悪と言う概念が、だが。人を殺してはいけない、という根本的なところから分かっていない。マフィアや例えば極道、つまるところその道に身を置くものならば、大抵心得ていることを、理解していない。
 ただそれは一般的な方向ではない。
 なぜ殺してはいけないのか分からずとも、人は基本的に人を殺さない。何故かと言えば、社会がそうさせるからである。人を殺してはいけないことが分からなくとも、法を犯すことが悪いのだと分かれば、自己保身が働いて人は殺さない(時たま殺す奴も現れるが、それは衝動に駆られた場合が多い)
 だがこの藤堂雅と言う男は、邪魔だと理解すれば殺す。自分を欺けば殺す。自分の害になれば殺す。殺す。
 多分なぜ殺したのかと問われれば、人を殺すのに何らかの理由が必要かと問い返してくることだろう。彼の前では人の命はすべて平等である。平等に、どうでもいい存在である。あってもなくても、どうでもいい。そう言う意味で、この男は人を殺し続けてきた。うってつけの職業なのだろう。彼の奇妙な道徳観念を知られない点において。
 そんな男が、東眞という少女(だった時分)の家族とはよく付き合っていた、と聞いている。
 彼の彼なりの法律に触れなかった結果、偶然にもその家族は彼と上手に付き合うことができたのだろうとシルヴィオは見当をつけている。何か一つ彼にとってつまらないことがありでもしたら、それはまさしく、血の海、になり果てていたことに違いない。
 そう言う意味では、彼に殺された人間はひどく気の毒である。死神、という名の前には是非とも「気まぐれ」とつけるべきだろう。
「俺に情報を口にさせたいなら、それなりの報酬を払ってもらわねーと。それくらいは、お前も分かってるだろうが」
「…あなたの命を取らない、ということでは?」
「どこぞの御曹司と同じことを言ってくれるなよ。そういった類のセリフは耳にタコだぜ」
 もう何千回聞いたことか、とシルヴィオは肩をすくめる。その軽口に藤堂はようやっと武器をおさめた。どうやら機嫌が直ったらしい。
 ただひとつ間違った道徳概念以外はまったく普通の男である。その腕も含めて、それ以外はという意味だが。むしろそれ以外はよくできた男と言って間違いはない。愛情にも深いし、親切でもある。料理もできるし、学もある。この男のそういった崩壊した概念はなにしろ生まれつきのものではない。それはただ己の胸にしまっておく。
「で、途中で坊主放り出してこっち来って連絡が入ったんだが?」
「放り出してはいません。彼は現在進行形です。私が言ったことをきちんと守っているならば、ですが」
「それで俺のところに来た意味は?何も不平不満を言いに来たわけじゃねーんだろ?」
 シルヴィオは斬られてしまった煙草を灰皿へと投げて、新しい一本を口にくわえた。しかし、それはあっという間にまた鋭い物体ですぱんと切り捨てられる。
「おい」
「私は煙草は嫌いです。健康によくない。あなたが勝手に肺癌になるのは勝手ですが、私まで巻き込まないで頂きたい。主流煙よりも副流煙の方がずっと体にとって毒なんですよ」
「やれやれ…俺の楽しみを奪うとは…なら、とっとと出てってくれ。俺は煙草が吸いたい。お前は煙草を吸いたくない」
 それで理由は十分だとばかりにシルヴィオは出口を指差した。だが、藤堂はそこに立ったまま動かない。シルヴィオの指は煙草の箱を握ったまま、止まっている。
 般若の面はまだそこにある。
「東眞ちゃんはどこに?」
「そういえば、その用件でわざわざ来たんだっけか…。坊主にも言われなかったか?嬢ちゃんは幸せだって、な」
「私は自分の目で見たもの以外は一切信じないことは、あなたも知っているでしょう」
 ああそう言えばそうだな、とその言葉にシルヴィオはひどく億劫そうに返した。
「私にとてもよくしてくれた一家です。できれば、殺した張本人を殺したかったのですが、少し遅かったようですしね」
「ああ。で、お前は東眞ちゃんを引き取ろうと?」
「そうです。彼女には血生臭い世界は似合いません」
「血生臭いってのはちゃんと分かってるんだな」
 呆れた調子のシルヴィオに藤堂は勿論です、と返した。それは押し付けにすぎないことも分かってるのだろうか、とシルヴィオはふと思ったが、どうせ分かっていないのだろうと話を進める。
「で?もし嬢ちゃんを連れてかれたとして、それからどうするんだ?まさかお前が養うわけでもないだろう」
「ちゃんと家を用意して、ああ勿論家具やキッチンも生活に必要最低限の物はそろえます。金ならばありますから。それから、そこに住んでもらって…後は彼女自身の人生ですよ。くだらぬものに関わらぬように、時折邪魔をするかもしれませんが」
「…全く、観賞用の動物じゃねーんだぞ」
 ぼそり、とそう呟いたシルヴィオの声は幸か不幸か藤堂に届くことはなかった。そして藤堂にもう一度確認する。
「嬢ちゃんが幸せだとお前がそう判断したら、それでよしだな。周りの人間の命を奪う様な事はしないか?」
「約束しましょう。ただ、私も相手によって、自分の命が危険だと判断すれば殺します」
「だったら教えられない。その場合はお前は退却しろ」
「私に死ねと」
 極論を、とシルヴィオは溜息をついてから軽く手を振るって、それから顎を掌の上につけた。
 薄暗い部屋で男と二人。何も面白いことなどない。
「だから逃げろよ。全く、お前ほど話の伝わらねー男も珍しいぜ。で、金額はこれくらい」
「ぼったくりです」
「誰がぼったくりだ。失礼なこと言うんじゃねぇ。それくらいの価値がこの情報にはあるんだよ。ったく、少しまけてやったら調子づきやがって…黄金虫になりたきゃ隠居して能面でも集めてろ」
「本当に口が悪い。榊哲の口の悪さはあなた仕込みですか」
「あいつにゃちゃーんと正しい口のきき方みっちり仕込んだぜ」
 ああ面倒くさいと思いながら、シルヴィオは口を動かす。それから暫く、一寸置いて藤堂は分かりました、と頷いた。
「ではその金は支払いましょう。それからその場の人間を殺さないことを約束します。気絶させる程度は、まぁ。それから自分と対等、もしくは上の人間…いるかどうかは定かではありませんが、それが出てきて私に攻撃を仕掛けた場合は退却しましょう」
「よし。いいだろう」
 そしてシルヴィオは緩やかに情報を唇に乗せた。早々に目の前の物騒な般若面の哀れな男を帰したくてたまらなくなりながら。

 

 花壇を眺めながら、ほうと息をついた。花の芽吹きの未だないさびしい花壇は、きっともうすぐ綺麗な色とりどりの花を咲かせるのだろう。子供は基礎体温が高いせいか、マフラー一つせずに楽しげに庭を歩きまわってる。しかし時々ころりとこけて、ぐずりと鼻をすする。こけても泣きわめくことの少なくなったことは、成長したのだろうかと、東眞はゆっくりと微笑んだ。そして、その可愛い名前を呼ぶ。
「セオ」
「マンマ!」
 呼べば、これ以上ないほど素敵な笑顔で振り返り、セオは小さな足を隠した靴でほとほとと地面の上を歩く。東眞は椅子から立って、しゃがむと膝をつき、セオに手を伸ばす。すると小さな両手が嬉しそうに伸ばされて、そこに触れる。
「マーンマ!」
 そう言って、セオは東眞の腕の中に飛び込み、胸の間の心臓に耳を乗せる。するとその背中に声がかかった。空気を切り裂くようなその大声にセオは、同じように嬉しげな顔をした。
「アーロ!」
「おお、Jrもいたのかぁ」
「どうされたんですか、スクアーロ」
 東眞はセオを抱きかかえて、そちらの方を向く。スクアーロはセオをその東眞の腕から重いだろうと預かって、自身の腕に抱え直す。
「Bello!(綺麗)」
 そう言ってセオはスクアーロの長い髪を引っ張る。それにスクアーロはGrazie、と小さく笑う。そして話を元に戻す。
「いや、ボスと一緒だと思ってたんだがなぁ。違ったかぁ」
 当てが外れた、とスクアーロは困ったように肩を落とす。片手に持たれている白い紙に東眞は成程、と納得する。広間も探したんだがなぁ、と唸っているスクアーロに東眞はああ、と手を打った。
「私の部屋は」
「…そっちがあったかぁ。入れ違いかもしれねぇなぁ」
 昨日徹夜だったとスクアーロは付け加える。それに東眞は苦笑して、なら寝ているかもしれませんねと、スクアーロの手からセオを預かる。流石にセオを連れていけば、XANXUSにセオが喜んで顔を叩くなりなんなりして起こすだろうが、そんなことをすれば、スクアーロの首の骨が折れかねない。
 疲れているのであれば、無理に起こす必要もない。スクアーロは後からにするか、と溜息をついた。急いでいないので、それもまたありだ。
 東眞がまたセオを地面に下ろしたのを見て、スクアーロはぱちりと目を瞬いた。
「しっかしよく歩くようになったなぁ…」
「子供の成長には目を見張るものがありますよ。勿論目に見えるものだけではなくて」
「そいつは、あの餓鬼のことも言ってんのかぁ?」
 餓鬼、が修矢を示すことなど即座に分かったので、東眞ははい、と頷いて椅子に腰かける。その東眞の行動にスクアーロはふと近々シャルカーンが戻ってくることに気付いた。
「男の子の成長は、本当に早いですね…あっという間です」
「…まぁ、そうだなぁ。Jrには父親の暴力的なところは見習ってほしかねぇがな」
 神経がもたねぇ、とスクアーロはがっくりと肩を落として深い溜息をつく。息子までがあんな性格になどなったりしたら、とんでもないことになる。特に自分が。
 そんなスクアーロに東眞は笑って、大丈夫ですよと返す。
「そんな心配されなくても、性格は遺伝したりしませんから。それに、セオはスクアーロが好きみたいですからね」
「いや、どうなるかわかんねぇぞぉ…」
「杞憂ですよ。少なくとも、グラス投げたりは…反抗期にでもなればどうか分かりませんけど、しないでしょう」
「う゛お゛お゛お゛おい!!その反抗期になればってにはどういうことだぁ!」
 ぎょっとして怒鳴ったスクアーロに東眞は思春期の子供は難しいですからね、とにこにことしながら括ってしまった。
 しかしスクアーロもまぁ、と少し落ち着く。少なくとも、この子供が乱暴に育つ可能性は0ではないにせよ、10でもないのである。自分や東眞、他が気をつけてさえいれば、ああまで理不尽に暴力的な男になることもないだろう。
 けほ、とせき込んだ東眞にスクアーロは大丈夫かぁ、と声をかける。
「シャルカーンの野郎が帰ってくるまで平気そうかぁ」
「大丈夫です。少し冷えただけですよ、そう心配しなくても」
 その言葉に、スクアーロはそうかと返す。
 東眞の体はまだよくなってはいない。
 シャルカーン曰く、一生ではないのだが、それが元の、つまり産まれる前のある程度の状態に戻るにはかなり長い年月を必要とするのだということ。それがいつになるのかは分からない。しかし完全な状態に戻るのは不可能だと説明は受けている。あくまでもある程度であり、極度な運動をすれば体が危ないのだとか。
 それを理解して子供を産む選択をしたのであれば、全く女という生き物はよくわからない。だが同時に、尊敬もする。
 一月に一度、シャルカーンが帰ってきて治療を施している。治療を受ける日の前後は寝たきり、といっても過言ではない。顔色も悪いし、うっかり死んでしまうのではないかと疑ってしまう。だが、暫くもすればいつものように元気な顔をしているのだから、ふとその事実を忘れてしまう。
 黙り込んだスクアーロに東眞はああ、と笑う。そして、庭を歩くセオを眺めて、構わないんですよと呟く。
「私、とても―――――、とても、幸せなんです」
 そうでしょう、と笑った東眞にスクアーロは一度目を瞬いたが、その瞳をゆっくりと細めて、そうかぁと返した。そしてひょと吹いた、思っていたよりも冷たい風に東眞に中に入るように告げる。
「いえ、もう少し。セオが満足するまでは」
「俺が見といてもいいぜぇ?」
「これくらいはさせてくださいよ、スクアーロ。私だってセオの母親なんですから」
 治療の前後はセオに会えなくなるのだから、と東眞はゆるやかに微笑んだ。
成程とスクアーロは頷いて、ならと銀色の髪を翻した。
「ホットココアでも持ってきてやるから、そこで大人しくしてろよぉ」
「有難う御座います。XANXUSさんも早く起きられるといいですね」
「まぁ、な」
 確かにだ、とスクアーロは当初の目的を忘れかけていたことを思い出して、苦笑する。東眞の目線はまた庭で遊ぶセオへと向いた。