16:どうか - 7/7

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 うるせぇ。
 うるせぇうるせえうるせぇうるせぇうるせぇうるせえ。
 何故分からない何故伝わらない何故。
 そんな目をするなそんな口をきくなそんな態度でいるな。俺を理解しろ俺を分かれ俺を認めろ俺の全てを受け入れろ。こんなにも想っているのにこんなにも大切にしているのにこんなにも愛しているのに。
 何故伝わらない。理解しない。分からない。
 分からない。
 溺れるほどの赤の中で、ただ息を吐く。(おそらくは)液体の中で、吐きだした気体は泡となって上に行く。俺を置いて。馬鹿みたいにもがいてみることもかなわない。四肢を拘束する水圧が、自由を束縛した。
 信じているんだろう、裏切らないのだろう。それはすなわち俺の全てを受け入れるのと同義だろうが。なのに、何故。混ぜ込んで最早何色かも分からない瞳が俺を見ている。見ていて、それはぷっつりと切れた。白い手が頬に触れる。否、触れてなどいない。紙一重のところで止まって、見ている。
 何かを、待っている。
 待っていても俺は行かない。行けない。行くだけの理由もなければ根拠もない。俺が動く必要がどこにある。
 何て言えばいい。何を言ってほしい。言うだけでいいならば言ってやる。言ってやるから俺を分かれ。受け入れろ。拒絶をするな抗うな。だが、赤色に混ざった不可解な色は応える。そんなものは必要ではないと。服も金も靴も指輪も優しさも何もかも、欲しくないと言う。
 ならば何が欲しいというのだ。理解できない。そんなのは何も欲しくないのと一緒だ。
 くそ、くそくそくそくそくそくそくそ!だったら言えよ、何が欲しいのかその口に出して言えよ!何故答えない。訴えない、怒らない、責めない。そんな目を――――――――――――――――するんじゃねぇよ。そんな目を、なんて言葉、俺の方からてめぇに言ってやりてぇ。わけがわからねぇ。
 以前に言ったのはてめぇだ。口にださねぇと伝わるもんも伝わらねぇと。だから口に出して言ってやっただろうが。今度はてめぇの番じゃねぇのか。黙ってて口塞いでて比喩して誤魔化して、そんなもんが俺に伝わると勘違いしてんじゃねぇ!分かるか!
分かるわけが、ねぇだろうが。
 やったことがねぇんだ、理解しようとしたことがねぇんだ。だから分かるわけがねぇのに、方法も何も何もかもああ、そうさ!俺は知らねぇんだよ!このカスが!あのカス野郎も分かれとかなんとか、だったらやり方を教えろよ。銃の撃ち方みてぇに順番とか順序があるんだろうが。アイコンタクト?ふざけんな。俺にそんな馬鹿みたいな芸当ができるとでも思ってんのか。できるわけがねぇだろうが。くそ。
 てめぇはいつも俺を理解してきた。俺が欲しい言葉を態度を、全て、だ。そんなてめぇが今更俺が分からないわけがねぇだろうが。だったら口にしろ。もう拒むな。塞ぎこむな落ち込むな。
 笑え。
 泣くんじゃねぇ、そんな顔もそんな目もやめろ。笑え。前みたいに笑えよ。俺の傍にいるだけでいいって顔してろ。それだけで幸せだって笑え。手をのばして触れて、時々恥じらって、胸に凭れかかってこい。菓子でも作って持ってこい。紅茶をいれて差し出せ。ベッドに座って日本の話でもしろ。聞いてやる。
 だから、も

 

 はっと視界が一転した。XANXUSは目を開けた状態で、息をつく。背もたれに背中が沈んでおり、転寝をしていたことに気付いた。やけに体が重く、体の節々が痛い。こんな所で寝ていたせいだろうか。
 時計を見ればもうかれこれ五時間近く寝ていたことになる。時計の針は九時をご丁寧にさしている。吐き出した息がやけに熱く感じた。なのに少しだけ鳥肌が立つような寒さを感じる。ブラウス一枚で寒かったせいだろうと思う。
「――――――――――飯」
 持って行っていなかった、とそんなことを思い出す。誰にも自分の許可がなければ東眞がいる部屋への立ち入りはできない。一日二日食べなくとも平気ではあるが、XANXUSは立ち上がった。しかし立ち上がった瞬間眩暈がして、足がたたらを踏む。
「?」
 机の上に手を置いてその眩暈が通り過ぎるのを待つ。こんな変なところで寝たせいか、と区切って頭を軽く振る。そして台所に向かおうとした。が、扉を開けると丁度ルッスーリアが目の前にいた。
「あ、あらボス!丁度良かったわぁ。その、ね。今東眞の晩御飯を…」
 作ったのだけれど、どうしようかと思っていたの、とルッスーリアはXANXUSの目を見る。しかし、ルッスーリアの言葉はうまくXANXUSの思考に入ってこない。ちょうど麻薬でも打たれた直後のような状態でXANXUSは適当に頷いた。そして、ルッスーリアが持っていた料理をその手から奪う。
「―――――――――いい」
「…ボス?」
 妙に覇気のない声音にルッスーリアは心配の色を示す。しかしXANXUSはそれすらももう聞こえてはおらず、ごつんと足音を鳴らした。
 冷えた廊下を歩きながら、その風は気持ちよく感じられ、けれども悪寒を誘う。
 何をしているんだろうかとそんな馬鹿げた思考を持ちながら、部屋の扉に手をかける。取っ手を回して開ける、がそこでカギを開けていないのを思い出した。鍵のしまった扉は当然開かない。
「…っち」
 XANXUSは一つ舌打ちをして、扉を足で蹴りつけた。予想以上に頑丈につくられている扉は、その蹴りでは壊れなかった。ごつりと額を冷たい扉に押し付けて、片手でポケットのカギを探し出し、鍵穴に突っ込む。回す。音がする。扉を開けた。視界の先には、女がいた。一人で、座っていた。
 少しだけ視界がぼやけていて、否、脳の神経回路が正常に目の前の情景を信号化しきれていない。だが、笑っているように見えた。今までのように。
 拒みも抗いもせず、ただ微笑んだ、その頃のように。
 ごつ、とXANXUSは室内に足を踏み入れる。固い床を踏みしめているはずの足はまるでスポンジでも踏んでいるかのようにふらついた。XANXUSは片腕をついて体を固定する。しかし、その手から料理が呆気なく落ちる。激しい音をたてて、それらは床に散らばった。それに、ベッドに腰かけていた東眞は慌ててXANXUSに近寄った。
「XANXUSさん、どうしましたか」
 ふらつく相手に対して意地を張っていても仕方がない。東眞はそう問いかけた。しかしXANXUSはその手を振り払った。
「――――――――るせぇ、なんでもねぇよ」
「何でもないという状態ではないでしょう」
 XANXUSがふらつくなど、そんなのは見たことがない。よくよく見れば、顔色は信じられないほどに血の気が引いていて、眉は苦しげに寄せられている。東眞は一言断ってからその額に手を添えた。想像通り、熱い。
「こんな状態で何をしに来られたんですか」
「うるせぇ…っ」
「兎も角休んでください。ベッドはそこにありますし、今は、
「うるせぇ!」
 怒鳴ったXANXUSに東眞は息をのむ。しかしそれが悪かったのか、XANXUSの体は大きくかしいだ。慌ててそれを支える。だが、重い。ぐったりと力の抜けた体を支え切れるほど東眞の体力も回復はしていない。棒立ちになってどうにかその支点をぎりぎり足で支えているが、これでは一歩も動けない。動いた瞬間に共倒れだ。
 XANXUSさん、と東眞はもう一度呼びかけた。
「…るせぇ…っ」
 先程からそれしか言ってない。だがどうにか意識はあるようなので、どうにかして東眞はXANXUSと歩調を合わせてベッドまで辿り着く。XNAXUSの手がベッドにつかれたその瞬間で、大きな体が柔らかな布団に沈んだ。
 東眞は重たい足からブーツを脱がせて、どうにか布団の上に運ぶ。一方、XANXUSは悪寒からか、体を僅かにくの字に曲げて、肩を小さく揺らしている。先程触れた額はひどく熱く、微熱などとは言っていられない熱さだった。
 体の下にしっかりと敷かれてしまった上掛けをどうにかこうにかで引きずりだして、東眞はそれをXANXUSの上に掛ける。げほ、と一つ咳こんでXANXUSは目を一度閉じた。このままではいけない、と東眞は判断して、開けられている扉に向かう。が、それは叶わなかった。骨が軋む程の強さで手首が握られている。どうやって歩いて来たのか、ぎりぎりで意識を保っている人間とは思えない程の力でXANXUSの手は東眞の手首を噛んでいた。
 起こされた上半身からシーツがずり落ちる。息を荒く一つ吐き出した後に、XANXUSは口を開いた。二つの赤い瞳が爛々と光り叫んでいた。
「どこにも、行くんじゃねぇ…っ、この部屋から一歩も出んな…、」
「何を言ってるんですか。そんな体で、誰かに知らせないと…」
「行くんじゃねぇ!!!」
 怒鳴りつけられた。握る力が一層強まり、痛みが走る。乱れた呼吸をもう一度戻して、XANXUSは東眞を睨みつける。
「逃がさねぇと言ったはずだ、てめぇは俺のもんだ、ここから―――――出ることは許さねぇ」
「でも、
「うるせぇよ!」
 叫ばれた一言に、東眞は動きを止めた。東眞はそのまま上半身を起こしているXANXUSにゆっくりと近づく。その両肩を掴み、無理やりベッドに突き飛ばした。体力を消耗し、平衡感覚が狂っている体はあっけなく沈んだ。そして、
「いい加減にしなさい!!!」
 怒鳴った。
 初めて聞いた怒鳴り声にXANXUSの思考回路は一瞬ショートを起こす。東眞は黙ったXANXUSに畳みかけるようにして言葉を繋げた。
「自分の体の調子を分かっての発言ですか!大切にしなさい!あなたは、自分が倒れると心配する人間がいることに気付くべきです!スクアーロが、ルッスーリアが、レヴィもベルもマーモンも!そんな状態の貴方を見れば、心配するでしょうが!!」
「…っ、て
 反論しようとしたが、東眞の剣幕はそれを超えた。
「私は今とても怒っています。分かりますか、伝わりますか、どうして怒っているのか、理解できますか。いいですか、XANXUSさん。私は―――――――――――――――――、
 わたしは、
 東眞は、俯いた。途切れた言葉にXANXUSはとうとう何と言っていいのか分からなくなった。それは東眞も一緒だった。一拍置いて、ようやく言葉を繋げた。
「…怒ってないんです。責めても、いません。心配、してるんです」
 今の貴方を、と呟いた。その言葉は驚くほどすんなりと、砂漠に落ちた一滴の水のようにXANXUSの胸に染み込んだ。
「心配――――――――、してんのか」
「…そう、です」
 俺をとXANXUSが尋ねて、東眞はそうです、と答えた。何故とXANXUSが尋ねて、東眞は聞きたいですか、と答えた。それにXANXUSはああと言った。東眞は一言、言った。好きだからです、と。
 肩から手を離せば、XANXUSの手は離れた。ベッドの端に腰かけて、東眞はXANXUSの目を見下ろした。まだ動かない。
「てめぇは、俺を拒んだ」
「嫌だったからです」
「何故」
「分かってもらえなかったからです」
「何を」
「私を、です」
「てめぇを?俺を分からなかったんじゃねぇのか」
 その言葉に東眞は息をついてから首を横に振った。そして静かに答える。
「分かって――――――――――いました。あの行動に出た理由も、全部」
 なら何故、とXANXUSは問うた。東眞はそれに答えようとはしなかった。ただ、赤い瞳を見た。唇を強く噛んで。その答えは先程答えた。後はXANXUSがそれを理解するかどうかなのだ。そして、XANXUSはその眼を見た後、赤い瞳を瞼の下に隠した。それから一言、
「そうか」
 そう、告げた。
「ちゃんと言え、分からねぇ」
 言わせなかったのは本人なのに、XANXUSはそう言った。それから、もういいと言わんばかりにシーツに顔をうずめてしまう。そして東眞は開け放たれている扉から外に出た。