17:本当のところは - 1/7

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 裸足で冷たい廊下を走って走って、東眞は扉を肩を揺らして押し開けた。視界が広がった先には、数日会えなかった友がいる。そして彼らの瞳も同様に東眞を捉えた。東眞、と声が沸く。
 ルッスーリアは本当によかったわぁと東眞に駆けより、スクアーロはその肩をバンバンと叩く。
「…良かったなぁ」
 柔らかなスクアーロの言葉だが、東眞はまずそれに答える以前にしなければならないことがあった。そして東眞が言うべき、言わなくてはいけない言葉は決まっていた。
 肩で数回呼吸をして、乱れた呼吸をどうにか押える。
「XANXUSさんが…っ、倒れました…っ」
 その言葉に辺りが騒然とする。レヴィはいち早く目を向いて駆けだし、スクアーロはその後を追った。ただルッスーリアは今にも倒れそうな東眞の体を支えて、大丈夫、と問う。東眞はそれに小さく笑って頷いた。その細い肩にルッスーリアは自分のコートをかけて前を止める。体はひどく冷え切っていた。
「医者を、呼んでいただけますか。熱が高いんです」
「分かったわ、すぐに手配する。でも東眞、あなたの格好も酷いわ。靴下と靴を履いて。それから温かい服に着替えて、はちみつ入りのホットミルクでも飲んでちょうだい」
 そんなさりげない優しさに東眞はぎゅ、と胸が締め付けられるような温かさを覚えながら小さく頷いた。そしてルッスーリアはひょいと東眞の体を持ち上げる。
「さ、私たちも行きましょうか」
「え、」
 目を丸くした東眞にルッスーリアは小指を立てて朗らかに笑う。抱えられているので、見下ろす視線になりながら東眞はぱちぱちと数回瞬きをした。まさかここで一緒に連れて行ってもらえるとは思っていなかった。ルッスーリアはそれにさらに微笑む。
「こんな体で一生懸命走って知らせに来てくれたんだもの。心配なんでしょ?」
 ボスが、と続けられて東眞は首を縦に振った。なら一緒に行きましょ、とルッスーリアはにこっと笑顔になって、先に行ってしまった仲間の後を追いかけた。

 

「インフルエンザですな」
 時季外れの、と付け加えられた判断が下され、東眞はホットミルクを手にしたまま、ほっと胸をなでおろした。医療器具をしまいながら、医者は処方箋を出して、そして安静にしているように告げてその部屋を後にした。
 スクアーロはソファにずっしりと凭れかかって、心配さすなぁ!と大声で怒鳴った。
「てっきり、知恵熱かと思ったぜぇ?この男が一生懸命モノ考えるなんざ滅多にねぇからなぁ!」
「…るせぇ…っ」
 普段よりも弱い声が空気を震わせて(それでも眼光だけは鋭く)スクアーロの顔面に冷えぴたが貼りついた。べたりと冷たい音がしてスクアーロはうお、とよろける。でもさ、とベルフェゴールが笑った。
「東眞が血相変えて飛び込んできたから、何事かと思ったっての」
「すみません」
 慌てて、と東眞は苦笑をこぼす。それにレヴィも全くだ!と腕を組んで鼻を鳴らした。
「何者かに狙われたのかと思ったぞ」
「ごめんなさい」
「んもう!レヴィったら東眞を責めないのよっ!東眞だってつらい体で頑張ってくれたんだから!」
 ルッスーリアに叱られてレヴィはむ、と口をへの字に曲げた。そこにマーモンが、でも、と口を挟む。
「まさかボスが熱を出すなんてね」
「全くだぁ。天変地異の前触れじゃねえかぁ?こいつが風邪ひいて寝込むなんてなぁ…いい子に寝てろよぉ、ボスさんよぉ」
 多分に揶揄を含んだスクアーロに当然XANXUSは青筋を立て、普段のように何かを投げつけようとしたらしいが、残念なことにこの場には投げるようなものがもうない。憤怒の炎でも投げてやろうかとしたが、体が不調で集中できずそれも不発に終わる。
 スクアーロはそれに小さくガッツポーズをとる。にやにやと笑って、そんなXANXUSを今までの仕返しとばかりに、言葉を投げる。
「いい子にしてりゃ、誰かが子守唄でも歌ってくれるかも知れねぇぜえ?」
「…この…っげほ、カス野郎が…っ!!てめぇ後で覚えとけ…!!」
 消し炭にしてやる、と布団に入ったままXANXUSはスクアーロをねめつける。尤も、大した効果は期待できないが。
 そこにルッスーリアがぱんぱんと手を数回叩く。
「はいはい!もうお見舞いの時間は終わりよー!ボスも静かに休んで早くよくなってもらわなくちゃ、ね」
 それにスクアーロたちは仕方ないとばかりに扉の向こうに消える。レヴィは唯一人XANXUSの傍に残ろうとしたが、ルッスーリアがそれをどうにか押し出した。そして椅子に座っている東眞にも声をかける。
「さ、東眞も休まなくちゃね。ボスの看病は私がするから心配し
 ないで、と言おうとしたが、XANXUSの咳でそれは消える。ごほ、と一つ咳の音がしてから、XANXUSはかすれた声で命令した。
「―――――てめぇは、そこにいろ」
「でもボス、東眞も疲れてるし…この状態でボスの傍にいたら染っちゃうわ」
「るせぇ。ソファがあんだろうが…ルッスーリア、毛布と温けぇもん持ってきて、そいつに渡せ」
 それと着替え、と言われてルッスーリアは一度不安げに東眞を見た。しかし東眞は大丈夫です、と付け加えて微笑んだ。ルッスーリアは渋々ソファをベッドのすぐ近くに動かして、そこに座るように東眞に言った。
「隊服は毛布を持ってくるまで貸しとくわ。それと足が冷えちゃうから、ソファにえーと…セイザ?しててね」
「足を崩して座っておきます」
「ホットミルクはちゃんと飲むのよ?おかわりいるならすぐに言って」
 ルッスーリアの優しさにほだされながら、東眞は相好を崩す。そしてルッスーリアはXANXUSに言われたものと、看病道具一式を取りに部屋から出た。
 二人きりになった静かな部屋で、ただ時計の針の音だけがかちこちとなる。
「辛く、ないですか」
「…ふん」
 鼻を鳴らしたXANXUSに、東眞はベッドの方に少し身を乗り出してその額に触れる。冷えぴたが貼られていた(今はスクアーロに投げつけたためにもうないが)そこは、ひんやりと局部的な冷たさを持っていた。けれどもその冷たさはすぐに熱いものに変わっていく。
 ごほ、と一つ咳の音がして、それから小さな声が呟かれる。赤い瞳は細められている。
「―――――――冷てぇ」
「…ルッスーリアが戻って来るまで、こうしています」
 その言葉にXANXUSは目を閉じた。また静かな空気が流れる。ルッスーリアが戻ってくるまで、その静寂が続くのかと思われたが、それはなかった。XANXUSは目を閉じたまま、東眞に尋ねる。
「何、考えてんだ」
 今、と言われて、東眞は一度目を丸くする。そして小さく微笑んだ。その言葉はXANXUSなりの譲歩の仕方なのかもしれない。どうしていいか分からないから、こんな方法でしかコミュニケーションがとれない。
 無理をしなくてもいいのに、と東眞は思いながらその質問に答えた。
「早くXANXUSさんが良くなってくれればいいなって、思ってます」
「どうせすぐに治る」
「分かりませんよ。安静にしていないと」
 ふん、と鼻をもう一度鳴らしてXANXUSは、目をうっすらと開ける。そして水を求めた。東眞はベッドのわきに置かれているグラスを手にとって、それに水を流してからXANXUSが飲みやすいように、体を起こすのを手伝おうとした。が、XANXUSはそれを断った。
「てめぇが飲め」
「私がですか?」
「飲め」
「…」
 良く分からないまま、東眞はそれを口に含む。含んだ水を嚥下しようとしたが、次の瞬間胸倉が強くひっつかまれてベッドに引き寄せられる。そして、唇が突拍子もなく合わせられた。慌てて水を飲み込もうとしたが、その前に舌が唇をこじ開けて、口内にある水をかき出すようにして飲む。XANXUSの喉がこくりと上下に動いた。
 ぱ、と手が離される。東眞は目を白黒させながら、口を押えた。
「水」
「…自分で飲んでください」
「飲め」
「…」
「飲め」
 こうなってはどうしようもないので、東眞はもう一度水を口に含んだ。そして、親鳥が雛に餌を与えるように口を添える。水を口から口へと移動させる。だが、それだけでは終わらなかった。後頭部に手が回されて、そのまま喰らわれる。鼻から息が零れて、いい加減に息苦しさを覚えた頃にようやく解放された。
「―――――――っ、びょ、病人は大人しくしていてください…っ!」
「…ふん」
 そっぽを向いたXANXUSに東眞はもう言葉もない。耳まで赤くして、そして溜息をついた。
 そして、ふ、とその名前を口にする。XANXUSの赤い瞳がゆるりと動いて東眞を視界にとらえた。東眞はその赤を見つめ返して、言葉を紡ごうとしたが、XANXUSの唇が動いて声を発する方が先だった。
「一回――――――――――は、許してやる」
 それが何を意味するのか、東眞は止まった頭を動かして考える。真っ直ぐに向かってくる赤い色に、東眞は少し動きを止めたが、ああ、と小さく声をこぼした。
 そして、
「つら、かったんです…っ」
 怖かったんです、と言葉をこぼした。
 俯いて、表情の見えない東眞にXANXUSはシーツの下から手をのばして、その頬に――――触れた。指先に触れた冷たい液体を親指で拭い、そしてXANXUSはそのまま東眞を引き寄せた。心音を耳にして、東眞はゆっくりとその眼を閉じた。