04:大空の行方 - 6/6

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 東眞はふっと修矢の方に視線を向けた。しかしその視線はすっと逸らされる。
「修矢?」
「坊ちゃん…っ」
 修矢はその呼びかけにはっと顔を跳ねあげた。扉に凭れかかって、未だふらつく頭を押えている哲がそこに立っている。その姿を見て修矢は小さく息を吐いて、今度はしっかりと東眞を見た。
「姉貴」
「?」
 今まで一度も見たことのない、謝罪と慙愧とそして次期組長としての顔に東眞は動きを止める。修矢はゆっくりと口を開けて言葉を紡ぎ出す。
「これからすることには、口を一切出さないでほしい。それから先に謝っとく、ごめん」
「え」
 ざんと修矢は座り込み恐怖を湛えたままの表情の男の前に立ち、見下ろす。そして抜き身の刃をその喉に添えた。男の体ががちりと震える。
「お前…ま、まさか…っ実の父親を殺すつもりなのか…っ」
 うろたえる声に修矢は特に反応することなく冷たく言った。
「親父、アンタは手を出しちゃいけないことに手を出した。素人に薬ばらまいて、その上薬漬けになった奴等を―――――――――売ったな」
 息子の糾弾に父は大きく目を見開く。修矢は静かに続けた。
「他の組ならばともかく、ここ桧ではヤクに手をつけるのはご法度だった。俺たちの組は小さいがそれでも縄張りを守るっていうのが方針だったろうが。薬は確かにすぐに金は手に入るし、稼ぐには便利な代物だろうよ。けどな、そんな人道に悖るやり方で稼いだ汚い金は桧には必要ない」
「汚い金…?」
 は、と男は嘲るようにして吐き捨てる。
「極道という時点で汚れものだろう…何が仁だ何が義だ。既に汚れているならば、何をしても一緒だろう。私の教えからお前は一体何を学んできた!あの潔癖症の父のようなことを言うな!」
 その答えに修矢は静かに刀を引いた。

「俺は―――――己の矜持まで売った覚えはない」

 そして修矢の刀は男の胸に吸い込まれる様にして消えた。どぱっと血が飛び散り修矢の体を赤色に染める。東眞の頬にその返り血が散った。
 男の体は数度ひくりひくりと動き、何かを言おうとして口に血の泡を溜めて絶命した。修矢は胸に突き立ったままの刀から手を離した。静かな静かな沈黙の後に修矢はゆっくりと東眞の方に振り返る。
「黙ってて…ごめん、姉貴。これが、俺の選択だ」
 親父は、とその後に続け、東眞はその言葉にしっかりと耳を傾ける。
「桧で一番やっちゃいけないことに手を出した。掟を破った者は肉親であろうと誰であろうと制裁を加える…それが桧の掟だ」
 くっと修矢は小さく自嘲する。
「まさか、模範であるはずの親父がそれに手を出すとは…思ってもなかったけど。皮肉なも
 その声は東眞の腕の中に消える。抱きしめられていた、背中に感じる腕のぬくもりに修矢はう、と小さく声を上げる。そして、いつかの懐かしい思い出の中の、初めての出会った時のように。泣いた。柔らかい胸に顔をうずめて縋るように細い体に抱きついた。優しく撫でてくれる背中の腕は、まるで本当の母のようだった。
 ひとしきり泣いた後、ぐすりと鼻を啜って修矢はぼそりと尋ねる。
「姉貴は…俺のこと、軽蔑してないのか」
「どうして」
 一寸間を置いて、修矢はゆっくりと口にする。
「親父が姉貴の両親殺したこと…ずっと黙ってた。嫌われるのが怖くて、ずっと言わなかった」
「軽蔑なんて、するわけないよ。嫌ったりもしない。だって修矢は」
 東眞はぎゅ、と回していた腕に力を込める。心地よい声音が修矢の耳に届いた。

「私の大切な弟だから」

 姉貴、と顔を上げかけた修矢の目の前に大きな手のひらが被さった。そして力で無理矢理東眞から引きはがされる。東眞は背中に感じる人の感触に振り返る。
「どけ、シスコンが」
 的確に、かつ十分な侮蔑も込めた発言に修矢の額に青筋が浮かぶ。XANXUSに腕一本で担がれて東眞はあの、と慌てる。
「動くな、落すぞ」
 地面から肩までの高さを考えて東眞はぱっと動きを止める。この高さから床に激突すればそれは痛い以上にそのまま動けなくなりそうだ。修矢は歩きだしたXANXUSを止めようとしたが、ちらりと背後の死体に視線を向ける。
「哲、後始末をする奴等はついてるのか」
「ああ、はい」
 既に手配は、と言いかけたところに静かに音もなく、修矢が叩き割ったガラスから数人が入りこむ。そして刀が突き立ったままの躯にシーツをかけてゆっくりと持ち上げてそのままそれを外に持ち出した。修矢は消えていくその姿を眺めながら、瞼を閉じる。
「じゃぁな――――…親父」
 呟いた声はそこにいた側近しか聞きとることができなかった。

 

 ルッスーリアがブレーキを踏んで正門でその車を止める。そして門から歩いて来る圧倒的なまでの存在を持っている男に手を振った。
「あら、ボス!お姫様奪還成功かしら!」
「うるせぇよ」
「あ、あのXANXUSさん」
「ルッスーリア」
 慌てる東眞をよそにXANXUSは開かれた後部座席に東眞を座らせ、足首を掴み持ち上げて名前を呼ぶ。ルッスーリアはあら酷い、と慌てた様子で運転席から降りて東眞の足を手に取って見る。ガラスの破片で切り傷だらけな上に、血や泥でぐちゃぐちゃである。
「これでよく痛くなかったわねぇ」
「…い、痛いです」
 そう言えば、と思いだしたように痛みを実感して東眞は小さく呻いた。XANXUSは開かれた運転席にどっかりと腰を下ろす。ルッスーリアは顔をあげて、何かを言いかける。が、その言葉は他の声で潰れた。
「おい、アンタら!」
「う゛お゛おぉおい!!餌が向こうから寄って来てくれたぜぇ!!」
 後部座席に座っていたスクアーロが東眞の肩に手をかけて身を乗り出す。しかしすぐその頭はXANXUSの手によって後ろの席に叩きつけられた。東眞はすぐ背後でした破壊音に振り返ることもできず苦笑いを浮かべる。ルッスーリアの方はいつものことといった様子で驚きもしなかったが。
 修矢は車の一歩手前で止まる。そして東眞を見て、それから運転席に腰を下ろしているXANXUSに目を向けた。
「使える部屋がいくつかある。今夜は泊って行かないか。姉貴を助けてくれた…その、礼も言いたい。それに、俺はまだ姉貴をあんたがたにやった記憶はない。姉貴は俺の姉貴だからな。あと」
 ちら、と修矢は東眞の後ろで座席の枕に頭を突っ込んでいたスクアーロを見て口を開く。
「そいつ、もう少し静かにさせてくれないか」
「肉」
「は?」
 XANXUSはゆっくりと腰を上げる。修矢と並べば、その背の高さは一目瞭然だ。
「煎餅布団出しやがったらかっ消す」
 XANXUSはそのまま振り返ることなく一度でた玄関に足を踏み入れた。靴をはいたままで。修矢は呆れた調子で東眞に尋ねる。
「…なぁ、あいつ煎餅布団なんて言葉知ってるくせに何で靴脱がないんだ?」
「イ、イタリアの人だからだと思うけど」
 そう、東眞はフォローにならないフォローをした。