04:大空の行方 - 5/6

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 縛られた男はじっと東眞を見つめていた。口元には僅かばかりの笑みが張り付いている。静かな部屋に、かすれた声が響いた。
「私を笑いに来たのか」
「いいえ」
「私を殺しに来たのか」
「はい」
 断言した東眞に男はぐっと眉間に皺を寄せた。そして、東眞が幾度となく見てきた、凝った瞳を向けた。東眞は銃口を男の方にしっかりと固定した。
「あの男に売り払ったのがそんなに憎いか」
 東眞はいいえ、と静かに言った。震えた手を押さえつけ、荒げそうになる声をこらえた。
「憎くなんてありません。私は、お父様に育てていただいた。そのご恩に報いるためでしたら、恨みなどしません」
 それに、と呟き東眞は養父を見た。
「お父様は――――、私に家族を与えて下さいました。私は、」
 私はと繰り返して東眞は目の奥が熱くなるのをはっきりと感じ取った。目尻が熱くなり、頬を涙が伝う。
「私は、それだけでよかったんです…っ。お父様が私を駒としてしか見ていなくても、ただの影であったとしても!家族を失った私に――――っ、あなたは、新しい家族を下さった!それだけで、あの組に嫁ぐことなど…っなんということも、なかった…っ」
 激情を吐きだして、東眞は涙をぬぐい、銃のスライドを一杯に引いて手を離した。かちんと音がして、撃鉄が上がる。これで引き金さえ引けば、弾は発射される。東眞は引き金に手をかけた。男は東眞の言葉を待つ。東眞はゆっくりと、一言一言を噛締めるかのように問うた。

「私の両親を殺したのですか」

 一寸の間があって、男はああと肯定した。あまりにも平然とした様子に、東眞は歯を食いしばる。男はさらに続ける。
「お前は本当に息子に似ていた。だからよこせと言ったのだが、お前の両親は断った」
「だから殺したのですか」
「そうだ。加えて言えば、お前の祖父母も殺した」
「…そう、でしょうね」
 震える指先がかちかちと引き金を鳴らす。ぶれている視界で東眞は必死に標準を合わせる。
 お父様、と東眞は静かに静かに、感情を落として言葉を発する。
「私に本格的にこの世界の掟をたたき込んでくださったのは、貴方です。そして」
 両手で東眞は銃を支えた。
「義無き身内殺しは死をもって償う。そうも教えて下さいましたね」
「教えたな。反吐が出そうな掟だった、私の父はそれを私に毎日毎日嫌というほどに繰り返した。この道を生きる者としてだとかなんとか言っていたが、私からすればそんなものはクズだ。そんな綺麗事をこの時代で叫んで愚かしいにもほどがある。そんな仁や義など時代遅れということを父は何時まで経っても理解しなかった」
 嫌悪に顔を歪めて男は答えた。
「貴方は私欲のために私の両親を祖父母を殺しました」
「本家に逆らうということがどういうことなのか、いい見せしめになった。その点では有り難かったぞ」
「…末端分家の組員であるから殺したというのですか。話し合いなど不要だと」
「話し合いはした。だがどうにも渡しそうにない雰囲気だったのでな。お前が学校に行っている間に、眠らせて車に乗せて――――――――崖に落とした」
「ならば、」
 足を肩幅まで開き東眞は引き金にしっかりと手を添えた。

「死をもって償って頂きます」

 引き金を引けば終わりだ、と鉄の冷たい部分に触れる。ほんの軽く、少しだけ引けば目の前の男の命は散る。たったそれだけの行動が、ひどく重い。重たい、引き金が―――――ひどく、重たく感じた。

 

 バイクにブレーキをかける間も惜しく、そのまま飛び降りて裏口に向かう。アクセルを踏んだままだったバイクは地面に滑ってそのまま壁に激突した。胸ポケットの携帯を取り出して電話をかける。
「哲!」
 一寸の間の後、電話が取られ酷く頼りない声ではい、と返事が返ってきた。
『顔に傷のある男に…やられました』
「…あいつか…っ。姉貴は今どこにいる」
『今、自分も向かっています…ぐ…ぅ』
 痛みで呻いたその声にはっと修矢は気付いて声を荒げた。
「お前はそこで大人しくしていろ!姉貴はどこだ。俺が向かう」
『組長を…捕えている奥の一室、です。申し訳ありません…他の連中も、今は、まともに動ける状態ではありません…』
 前倒しになった計画のしわ寄せがここに出ている。ちっと修矢は舌打ちをして電話を切る。走る。姉がここに戻ってきた理由を考える。考えて考えて――――結論は一つしかない。僅かな恐れで胸をぎゅっとつかむ。  父親を捕えている部屋の窓の一歩手前でふと足を止めた。
 軽蔑されるのが、怖い。姉に突き離されるのが恐ろしい。憎しみをこめた瞳で見られるのが嫌だ。姉の両親を殺した男の息子で、それを知っていながらずっと黙っていたということに。手放したくなかった。嫌われたくなかった。ずっと自分の姉でいて欲しかった。ずっと姉の弟でありたかった。だからその事実を知っても黙っていた。
 胸が痛み、呼吸が僅かに引き攣る。
 今飛び込んで、姉が自分を一体どんな目で見るのかが恐ろしくて仕方がない。たまらなく怖い。恐怖で頭がどうにかなってしまいそうだ。
 その時一発の銃声がその部屋から響いた。続いて二発三発。四発五発と続いて、それから収まる。銃弾が全て切れたのだろうか。
「あね―――――――姉貴!!」
 ガラスを刀で叩き割って部屋に突入する。そこで目に飛び込んだのは、顔を恐怖で引き攣らせている父と引き金を引き続けている姉だった。撃ち方を知っていても銃などまともに扱ったことのない姉だ。いくら至近距離であったとしても眼鏡をかけていない状態で当てることなど、考えてみれば難しい。きと向こう側の扉が開いた。男が、立っている。あらゆるものを平伏させるような赤い瞳がこちらを睨みつけている。
 ぐと息をのんでそれに向かった。
「また、アンタか」
 XANXUSは修矢の言葉を無視して肩で呼吸をする東眞の手から銃をとった。
「まだ、撃つか」
 そう尋ねたXANXUSに東眞は静かに首を横に振った。そして細く震えた声で答える。
「…いえ、もう、いいです。結局私の腕ではこの人を殺せなかった」
 東眞は唇をかみしめてぎっと男を睨みつける。
「でもいつか、私はきっとお父様――――――貴方を、殺します」

がらん、とXANXUSが放り投げた銃が音を立てて床に落ちた。