04:大空の行方 - 4/6

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 これが家族っていうものだと思ったのは、あの一言からだった。
 それまではずっとずっと、誰も俺を見てくれなくて、俺でなくて、次期組長という形しか見てなかった。俺は修矢なんかじゃなくて、坊ちゃんで、次期組長で、御子息で。俺なんて誰も必要としなかった。必要だったのは、俺じゃなくて次期組長だ。
 あの日もそうやって俺をそういう形でしか見ない人間が紹介されるのかと思っていた。俺の影が、死んだのもその前日だった。いや、俺が殺したも同然だったのかもしれない。俺の身代わりに死んだのだから。
 哲が俺よりもちょっと身長の高い子供を隣に連れて来た。
『坊ちゃん、ご紹介いたします。組長が引き取られた方です』
 肩辺りで切りそろえてある漆黒の髪。俺によく似た顔立ち。これで髪さえ短く切って、身長まで同じだったら鏡を見ているかのような気分になるだろう。これだけ似ていれば、目の前の子供が何のためにここに来たのかすぐに分かった。
 子供はこちらを見て、にっこりと微笑んだ。俺に、微笑んだ。
『はじめまして』
『はじめまし、て』
 そんな挨拶をされたのはどうにも初めてで、少し言葉に詰まる。哲は用事がありますので後はお二人で、と一つ言ってその場を後にした。俺はまるで不思議な空間にいるようにその場に立ちつくしていた。
『私は東眞という名前。貴方の名前は?』
『修矢、桧修矢』
『私の方が年上かな。だったら私が修矢君のお姉ちゃんだね』
『お姉ちゃん?アンタが』
『年上に向かってアンタは駄目だよ。お姉ちゃんか東眞がいいな』
『東眞お姉ちゃん…』
 しゃがんで視線を合わせてくれる子供に俺は目を瞬いた。
 一体誰が自分と視線を合わせて話してくれたことがあったろうか。誰が「自分」と会話をしてくれたことがあっただろうか。無かった。
 思わず、目の前の子供に抱きついた。子供はあっさりと尻餅をついてしまう。抱きついた体はやわらかくてあたたかい。
一拍置いて背中にそっと腕が回されて、抱きしめ返してくれた。そして思わず泣いてしまった。泣くな泣くなと言われて育って、初めて泣いてしまった。この人の前だけでは泣いてもいいような気がした。
 ひとしきり泣いた後、恥ずかしさを覚えながらゆっくり体を離す。子供は俺の目尻をそっと指先で拭って、それからまた微笑んでくれた。
『―――――修矢、でいい。君は、いらない』
 袖の端をきゅっと握って言ってみれば、俺の姉は目を細めて。それから名前を呼んでくれた。やさしくて心をほっとさせるようなそんな声で。
『よろしくね、修矢』
 この姉だけは絶対に手放したくないと、そう強く強く、幼心に誓った。

 

 きっと音を立ててタイヤにブレーキをかける。届く硝煙の強い臭いにXANXUSは眉間に軽く皺を寄せる。東眞も流石にそれに気付いているのか、息を呑んだ。裏手に止めたバイクから東眞は飛び降りる。きつい香りは嫌でも知っている。
「お
 い、とXANXUSが止める前に東眞は駆けだして中に飛び込んで行った。XANXUSはその後を走ることはせずにゆっくりと追った。目などきかずとも、東眞にとってそれは大した問題ではない。何処に何があるかなどすでに頭の中に入っている。ただ、飛び散ったガラスや転がっている動いていない体だけは東眞が知っている家のものではなかった。
「修矢!」
 今更ながらに思い出したが、裸足だった。ガラスの破片が足の平を傷つける。しかし東眞は名前を呼ぶ。
「修矢、修矢!」
「お嬢様」
「哲さん…」
 聞き知った声に東眞ははっと足を止めて、周囲を見渡す。ぶれている視界の中で東眞は黒いスーツ姿の人型を発見し、そちらに駆ける。哲は東眞の周囲を見渡して、その姿ないことに気付く。緊迫した声で尋ねる。
「坊ちゃんは」
「修矢は、ここにいないのですか」
 スーツにすがって東眞は尋ねる。その時、哲は胸に添えられた感触にぎょっとする。
「お嬢様、何故そのようなものを」
 手に持たれている固く冷たい人を殺す道具。東眞はぐっと表情を固くした。哲はそれを見て顔を顰めたが、次に東眞の足を見て目を見開く。
「裸足ではないですか」
「今はそれどころじゃありません」
「いいえ。お嬢様の体にお怪我があれば坊ちゃんは悲しまれます。それと坊ちゃんはお嬢様を助けに行かれたはずですが…どうやってここま
 そこまで言って哲は東眞の前に出てざっと銃を構える。その銃口はXANXUSの眉間にしっかりと向けられていた。震えもなく、ただぴたりと。東眞は慌てて哲のスーツを引く。
「この人が私を助けてくれました。それと――――相手の組は壊滅しています」
「壊滅?あの組を?誰が――――…いや」
 哲はXANXUSに視点を合わせて、納得する。
 一度見せつけられたあの人とは思えないほどの暴力的なまでの力。あの力をもってすれば、いくらあの組とてひとたまりもないだろう。
 XANXUSはふと耳のあたりに手を添えて、ちっと舌打ちする。そしてその耳からイヤホンを外して、東眞達の方に向ける。がなるような声がそのイヤホンから(イヤホンとは信じられないほどの)大音声が響く。
『う゛お゛おぉぉい!聞いてんのかぁ!!あの餓鬼がそっちに向かったぞぉ!大体てめぇど』
 これ以上は聞くに堪えないといったようにXANXUSはイヤホンをその指で潰した。東眞はそれを聞いてほっと胸をなでおろし、ゆっくりと哲に尋ねた。
「お父様はどこに」
「…あ、いえ、地下の貸金庫にいたのを見つけて捕えております」
「他の組からの襲撃ではないのですか?」
「違います。坊ちゃんがこの組を潰すと―――あることが、判明しまして」
「今はどこに」
「奥の一室です。その前に怪我の手当てを…お嬢様?」
 東眞は哲の言葉を最後まで聞かず、走り出した。床には血の足跡がついている。哲は慌ててその後を追おうとしたが、後頭部に強い衝撃を受けてたたらを踏む。ぐらりと近づいていく床に意識を飛ばしながら、隣の黒い靴だけが目に焼き付いた。
 怪我の手当てをしている一室を通り過ぎて東眞は走る。修矢の手下である面々がそこにそろっていた。そして部屋の前で止まる。その扉を見張るようにして立つ男が一人。
「中に入れて下さい」
「お嬢様?ああ、修矢様が助けられたのですね…よかった。修矢様はご無事ですか?」
「はい、修矢は無事です。中に、いれてもらえますか」
「いや…で
 すが、という言葉はすぐに消えた。壁に男の頭が叩きつけられて、男はずるずると壁を伝って床に落ちた。東眞は驚いて振り返る。そこにはXANXUSが立っていた。慌てて倒れた男の生死を確認したが、男はただ昏倒させられただけのようだった。東眞はほっと胸をなでおろして立ち上がりXANXUSと向き合う。
「――――…ここで、待っていてくれますか」
 入ってくれるな、と東眞は遠まわしに言った。XANXUSは返事の代わりにくるりと背中をそこの壁につけて腕を組んだ。すみませんと東眞は言って扉を押し開け、そして閉めた。

 

「あっら、遅かったじゃない。それどうしたの?」
 ルッスーリアに言われてスクアーロはもう片方の手に持った剣に視線を落とした。ベルフェゴールはそれを見て察したのか、ししと馬鹿にするように笑う。
「だっせー負けたんだ」
「うるせぇ!負けてねぇ!!あの野郎…また逃げやがって…っ」
「まともに向かってこない相手はスクアーロ苦手なのよねぇ」
 ルッスーリアは笑いながらスクアーロの剣を再度巻き付けてやる。けっとスクアーロは吐き捨てて、まともにやってたら勝ってたとぼやく。
「負け惜しみっていうんだぜ、そーいうの」
「負け惜しみじゃねぇ!!」
「はいはい、喧嘩しないの。これからどうしましょうか」
 二人の喧嘩を押えてルッスーリアは小指を立てて考える。ベルフェゴールは頭の後ろで手を組んであーあと言う。
「ここの奴等全員殺したしすることもねーし」
「そういやボスはどこ行ったんだぁ。バイクで東眞と一緒なの見かけたぞぉ」
「愛の逃避行よ」
「…寝言は寝てから言えぇ」
いやん、と体をくねらせたルッスーリアにスクアーロはげんなりとした様子で頬を引き攣らせる。
「イヤホンも壊しちまったらしいぜぇ」
「そう言えば、スクアーロ、あなた一時応答不能だったけどどうしたの?」
「落してたんだぁ。探してたらあの餓鬼見つけてよぉ」
 がりと頭をかいてスクアーロは弁解する。尤も、謝罪の意思は一切汲み取れないが。ルッスーリアはその様子にそぉと一言で返して、ぱっと何か思いついたように笑顔を浮かべた。
「じゃぁ、私たちも東眞の所に行きましょうか!」
「あ、それサンセ。王子行きたい」
 手で遊ばせてたナイフをしまってベルフェゴールはにししと笑って手を上げる。ルッスーリアは隣の車庫に入っていた車の扉を開ける。しかしスクアーロはふと疑問に思った。
「お゛お゛ぉい、鍵なんて何で持ってんだぁ?」
「スクアーロがお馬鹿やってる間にちゃぁんと見つけてたのよ」
「な!だ、誰が馬鹿やってるだぁ!俺はだなぁ…!!」
「あーもぉ、こいつ置いて行っちゃお―ぜぇ」
「あなた達はもう引き上げていいわよぉ」
 エンジンをかけてルッスーリアは窓から部下たちにひらりと手を振る。そして、ベルフェゴールが乗ったのを確認すると、スクアーロが半分しか乗っていないにも関わらずアクセルを踏んだ。
「!ちょ、てめぇ…っ!!」
「ほらほら早く扉閉めてちょーだい」
「後でおろすぞぉ!!」
 スクアーロは素早い身のこなしで車内に入り込み、扉を閉めた。