04:大空の行方 - 2/6

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 畳は泥で汚れ、襖は銃痕で蜂の巣になっている。抜き身の刃を鳴らして、修矢は一気に前に駆け出る。相手が銃の引き金を引き、それが僅かに肩を掠めたが一切の躊躇をすることなく銃を持つ人間を斬り払う。赤い血が頬に触れた。肩でしていた呼吸をゆっくりと静かにさせていく。周囲に視線を向けるが、畳に転がっている人間は死んでいるか、もしくは生きているが動けないかのどちらかしかいない。
「坊ちゃん」
「何だ」
 血を振り払い刀を鞘に納めて修矢は返事をする。ただ警戒心は決して緩めない。
「そろそろ行かれては。此処から先は自分たちでもできます」
「…そうか。なら、任せた」
 修矢はそう言って哲の胸にあるものを押しつける。哲は少し目を丸くしてこれは、と尋ねる。修矢はベルトの鞘をもう一度しっかりと直してそれに答えた。
「地下のカードキーだ。おそらく親父はそこで隠れてるだろうよ。…なんたって、そこは地下の貸金庫だからな。金の守りは万全ってわけだ」
 吐き捨てるようにそう言って、修矢は少し自重気味に笑う。
「親父は殺すな。俺が直々に手を下す―――――だがその前に」
「分かっております」
「俺が助ける――――大切な、俺の唯一人の家族」
 ざっと足を踏み出したその背中に哲は言葉をかける。
「坊ちゃん」
 場に不釣り合いな静かな声に修矢は足をふと止める。哲という名前の修矢の側近はひどく穏やかな顔をしてその言葉を続けた。 「貴方を心から心配しているのは、決してお嬢様だけではありませんでしたよ」
 かちりと銃弾を入れ替えながら哲は優しく微笑む。
「どうか、無事にお帰り下さい」
 一拍、短い時間が置かれたが修矢は振り返らず、その代りにひらりと手を振った。そしてそのまま一気に駆けだし、駐車場に置かれているバイクに跨りエンジンをかける。ヘルメットを被っている時間などない。きん、と側の鉄柱で銃弾が跳ねた。一つ舌打ちをして修矢は体重を前にかけて、一気にアクセルを踏みこんだ。冷たい風が頬の上を撫で、短い髪がばたばたと喧しく揺れる。角を体重を寄せて曲がれば、きと僅かに鞘が地面にすれた。
 十五分ほどバイクを走らせて、修矢はふとその耳に風に紛れてはいりこんだ銃声に緊迫感を高める。

何だ。

 長く白い塀の隣にバイクを急停車させ、そして座席に足をかけて塀を乗り越える。そこで修矢は目を疑った。
「…これは、何だ――――…」
 目の前に転がるのは死体死体死体の山。どれもこれも既に息はしていない。心の臓が動いている気配すら見受けられない。
 父親がここから帰ってから、そう長くはない。一時間もたっていないはずだ。この関東を取り締まる組を襲撃する馬鹿な組の情報など入っていない。大体ここの守りは鉄壁とまでいわれるほどなのだ。それを、こんなにも容易く呆気なく崩したのは。

「う゛お゛ぉぉおおい!!!」

 思考を切裂いた喧しい声。修矢はその声をもう既に幾度も聞いている。迫った気配から逃げるようにして地面を蹴り、腰の刀を抜く。
「―――――お前か…っどこまで、俺の邪魔をすれば気が済む」
 ぎりっと歯を鳴らし、修矢はすうと刀を構える。スクアーロはひょんと腕に取り付けた刃を振るいそれから血を払った。
「また会ったなぁ!!てめぇとは縁があるみてぇだなぁ!!」
「嬉しくもない縁だ。俺は今あんたに構ってる暇なんてこれっぽっちもないんだ」
「てめぇはここで俺と戦う!他に選択肢はねぇぞぉ!」
 スクアーロは修矢が動くその前に地面を蹴り、その刃を振り翳す。修矢は舌打ちを一つしてそれをかわし、スクアーロの背後に飛ぶ。そしてそのまま屋敷内に入ろうとした。が、すぐ耳の横で感じた空気を切り裂く音に右に飛んだ。地面が抉れる。スクアーロは右に飛んだ修矢を追うように刃を横になぐ。
「見つけた獲物はのがさねぇ。てめぇは俺と戦う――――――…」
 風が強く吹いて銀色が揺れた。

「剣をとれぇ、桧修矢」

 鈍く、闇の中で光ったその色に修矢は刃を構えた。
 どうやらこの目の前の男を倒さない限り、先には進めないようだ。
「――――不本意極まりないが、あんたを倒して俺は先に進む。姉貴を助ける」
「やってみろぉ!」
 二つの刃が重なった。

 

 足の間に割いる体。締められる首。詰る気道。体は痛みで一杯だ。抓られた。殴られた。ベッドの隣の灰皿で消された煙草。あれは熱かった。
「―――――はぁ、く…っ」
 呼吸がままならず、足の指先がシーツをひっかき皺を作る。影が、大きな影が笑っている。笑って、笑って、唇を肌に落とす。噛みつく。食い千切られる。
「…っぁう!」
 痛みで身を捩る。が、それすらも楽しんでいるような笑い声が耳に響く。フローリングの床に喰われた肉が落とされる。は、は、と短い呼吸はすでに自分のものか相手のものか分からない。
「気持ちいいか」
 気持ちがいいわけなどない。痛いだけだ。苦しいだけだ。
「気もちいいか」
 だがこれをいつか気持ちいいと感じることができるようになれば、自分は幸せになれるのだろうか。人はいつだって幸せを作り出せる。感じればいい。それを幸せと思えばいい。思えばいいのだ。幸せだと。
「きもちいいか」
 幸せだと。しあわせ。

 赤い瞳。

「――――――――A、N、uS…さ…」
「?」
 小さな夢を見たのは間違いだったと今更ながらに後悔した。あんな夢見なければよかった。断って用事だけ済ませて帰ってしまえばよかった。何故、何故――――なぜどうして、彼のことばかりこうも思いだしてしまうのか。
 不器用で無愛想で不機嫌で素気なくて横暴で我儘で。けれども、ささやかな幸せを与えてくれた。きっとそのせいだ。あの夢さえみなければ触れなければ、両親が殺されたなどという真実くらいで揺るぐこともなかったろうに。
 ぐ、っと喉を締め付ける力が増した。酸素が足りず脳が混乱を始める。
「…か、は…」
「気持ち――――――――」
 言葉はそこで途切れた。
 破壊音が部屋に響く。完全に破壊された扉が壁に激突した。警備音が喧しく耳をつんざく。
 煙が姿を隠してしまっている。ごつりと警備音に混じって鈍い音が静かに響いて来る。
「だ、誰だ」
 煙で隠れたその先にはざらざらと何かが揺れていた。首に巻きつけられた鎖が緩んで、遠のきかけた意識が急上昇する。酷い視界の中で、東眞は見た。色を見た。赤い色を。見知った――――その色を。
 初老の男の顔を大きな手が煙から伸びてわしづかむ。そして、次の瞬間、男の頭は消し飛んだ。悲鳴の一つも上がらなかった。体はこと切れて、くたりとこちらに凭れかかってきた。しかし、体は横に蹴り飛ばされ、フローリングの床に転がった。
 赤い瞳は、こちらを見た。そして言った。

「てめぇの大空は――――――俺だ」