03:幻想 - 6/7

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「坊ちゃん、お怪我は…」
 手伸ばした哲に修矢はどうにか笑みを作った。
「大丈夫だ、それよりあっちの方の進み具合はどうだ」
「あの件でしたら、後一週間程頂ければ万事滞りなく進むと思います。尤も、お嬢様の助けがあればもっと早く終わるはずなのですが」
「…姉貴が手伝ったら本末転倒だ」
 苦い顔をした修矢に哲はサングラスの奥で目を細める。それを感じ取り、修矢は痛みのない方の肩を少しだけ竦めた。攻撃を受けたのが利き腕でなかったのは不幸中の幸いである。
 どこぞの御曹司かと思っていたが、想像をはるかに超えた強さだった。ショッピングモールの時でさえも手加減をしていたに違いない。計り知れない、強さ。まともにぶつかれば間違いなく殺されるのはこちらである。とはいえども、女奪還のためイタリアから日本まで来ることはないだろうと修矢は胸をなでおろす。ああいう類の人間にとって女は玩具と似たようなものだからだ。
 だというのに、あの時姉貴が見せたあの表情。振り返った時に、名前を呼んだ時に見せたそれ。おそらくその感情は姉貴ですら気付いていないものだろう。どうせ騙されているに違いない。
 ちらりと横で気を失ったままの東眞に視線をやる。クロロホルムはまだきいているようで、ただ胸のあたりが呼吸をするたびに上下していた。
「坊ちゃん…」
「何だ」
哲の言葉に修矢は東眞から目を離すことなく答えた。
「何故そこまでお嬢様を守られるのですか?彼女はただ影としてここ本家に引き取られただけの存在。坊ちゃんがそれほどまでに心を割かれる理由が自分には分かりかねます」
「姉貴は」
 修矢はどっと座席に体を預け、東眞の肩によりかかった。頬から感じるその存在に表情を緩める。
「俺に、俺をくれたんだ」
「は…ぁ?」
 言葉の意味が分からずに首をかしげた哲に修矢は続ける。
「俺はこの桧組の嫡男として生まれ、そしてずっと跡取りとして生きてきた。誰も―――親父もお袋でさえも俺は修矢じゃなくて、跡取りという形でしかなかったんだよ。家族ですらなかった」
 でも、と小さく呟くようにして囁いた。
「姉貴だけは違った。姉貴だけは俺を家族だって言ってくれて、叱ってくれたり撫でてくれたり、一緒に泣いたり笑ったりしてくれた。他の誰が姉貴は俺の影だって言ったとしても、姉貴は俺にとって唯一人の家族なんだ」
「…坊ちゃん」
「だから、こんな怪我大したことない。姉貴は絶対に俺が助けてみせる」
 唇を噛みしめ、修矢は力のはいっていない東眞の手を取った。

「俺が――――――助けるんだ」

 必ず、とその手を握り締めた。

 

 了解、とルッスーリアは耳のイヤホンからの言葉に返事をした。ベルフェゴールはココアの入っていた紙コップをゴミ箱に放り投げて、退屈そうにルッスーリアを見上げた。
「で、捕まえたわけぇ?」
「スクアーロったら逃がしたみたい」
「しし、使えねーヤツ」
 笑いながらベルフェゴールはルッスーリアが渡したキャラメルを口に入れた。墓地には二人とも部下を向かわせたが、その両方とも見つかったという方向はなかった。
 そして今に至る。
 ルッスーリアは頬に手を添えて、それでねと付け加えた。
「日本に行くんですって」
「また?」
「そうよ、また」
「何しに?」
「さぁ、それはボスに聞いて頂戴。私には見当も…まぁ、東眞を連れ戻しに行くんじゃないかしら?」
 少し考えてルッスーリアはそう答えた。ベルフェゴールはポケットに手を突っ込んで歩きだす。
「それって変だぜ。だって東眞は日本から来てそれで日本に帰ったのに、それを連れ戻しに?」
 拉致の間違いじゃね?と笑いながらベルフェゴールはそう言う。ルッスーリアはそうかもしれないわね、と返事をした。
「ボス何考えてんのかさっぱり分かんねー。ま、初めっから分かってね―けど」
 特に最近はと付け加えてベルフェゴールは口の中のキャラメルを転がしつつ、人ごみの中を歩きながら本拠地まで戻る。
「ボスにも春がきたのねぇ」
「キモい」
「ひっどぉーい」
 体をくねらせながらルッスーリアは抗議したが、ベルフェゴールは興味なさそうに歩き続ける。口の中のキャラメルが溶けてなくなり、口寂しくなってガムをポケットから出して噛み始める。口内のガムは顎を動かすたびに耳に届く音でぐちゃくちゃと鳴った。
「ま、東眞がこっちくるんだったらそれでもオレはいーけどね。好きだし」
「早くもライバル宣言?やるわねぇ」
「ちげーって。東眞いるとボス機嫌いーし、おいしいもん食べれる」
「そうねぇ、私も東眞とショッピング行きたいわぁ」
 可愛い服選んであげるのよ!と意気込んでいるルッスーリアを横目にベルフェゴールはぷうと風船を膨らませた。

 面白いんだけどさぁ

「他所他所しいのはムカつく」
「でも私たち他人だったわけだし、仕方ないんじゃないの」
「そーいう意味じゃなくて…いーや、どうせオカマに分かる話じゃねーし」
「ひどいわ!差別よ!!」
 ぷんぷんと怒りだしたルッスーリアを無視してベルフェゴールは人込みを過ぎて、森の中へと足を進めていく。ぱちんと風船が割れた。割れた風船を舌で集めてまた噛み始める。
「そういやレヴィはどうすんの」
「行くのは今いるメンバーだけって言ってたけど?ボスでしょ、スクアーロ、ベルにアタシ…だけじゃないかしら」
 後部下も少数、と指を折りながら数えてルッスーリアはそう答えた。マーモンもレヴィもいまだ任務から帰ってきてはいない。
 ふぅんと適当に相槌を打ってベルフェゴールは木々の間をひょいひょいと飛んでふと立ち止まる。一本先の木に降り立ったルッスーリアはどうしたのとそれに振り返った。ベルフェゴールは考えたことをふと口にする。
「ボスはさ」
 一拍の間が置かれて、ゆっくりと言葉になった。
「東眞のことどーするんだろ」
「どうするって、恋人じゃない?ゆくゆくは愛妻に!とか」
「でも東眞にその気0じゃん」
 そう言ったベルフェゴールに今度はルッスーリアが吹き出した。笑われてベルフェゴールはむっと顔を顰める。くすくすと笑ってごめんなさぁい、と謝った後にルッスーリアは口元を押える。
「そんなことないわよぉ。まだベルちゃんには早いかしら?」
「は?オカマにそんなこと言われる筋合いねーし」
「その気はあると思うわよ、東眞にも。そうじゃなかったら、ボスを起こしに行くのを了承したり、ショッピングなんて行くわけないでしょ?」
「怖かっただけかも。殺されるなら人間なんだってするし」
 冷めた声でそう言えば、ルッスーリアはベルフェゴールがいる木まで飛び、その頭をクシャリと撫でた。当然ベルフェゴールはその手を不愉快そうに払いのける。
「怖がってる人間がわざわざボスの逆鱗に触れそうなこと言うわけないじゃない」
「…」
 そう言われてみればそうである。
考えれば桧東眞という人間ははじめから不可解な発言が多い。怖いもの知らずと言うべきか。
 ルッスーリアは人差し指を立てて口元に持ってくる。

「恋する乙女に理屈は通じないわよ、おちびちゃん」

ガラじゃねーと言って、ベルフェゴールはナイフを投げつけた。