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ふと喉の渇きを覚えて目を覚ます。柔らかい布団の上、体の上には暖かい毛布が一枚かけられていた。気付けばベッドの端に座っていた重みがない。
のっそりと体を起こして窓の方を見たが、閉められたカーテンからはまだ光は差してきていなかった。時計に目をやれば、まだ針は午前三時を指している。
もうひと眠りする気が起こらず、まず喉の渇きを癒そうと小さな冷蔵庫を開ける。が、その中には酒ばかりで水が一つもない。誰かを起こすのも面倒で、ドアを押し開けた。影がまだ出ている月影に大きく伸びる。伸びた影は壁に当たって直角に曲がり壁を這うようにして上に登っている。
かつかつと歩いてふと扉が開いたままの共用広間に目が行った。人の気配を感じる。まるで誘い込まれる様にしてその扉を引き開けて中に足を踏み入れた。見た限りでは誰もいない。気の所為かと踵を返そうとしたがふと誰かの寝息を耳にしてさらに奥へと入る。見ればソファから毛布がだらと垂れている。
「…。」
そこには東眞が毛布を一枚と隊服、形からしてスクアーロのものを上にかけて寝ていた。それがどうにも気に喰わなくて、その隊服を剥いで放り投げる。そうすれば寒いのかソファの上で器用に体を丸めた。
手をのばしてその頬に触れる。滑らかな肌の上をするりと指が通る。細い黒髪がその白い肌の上に乗っていた。人のぬくもりを指先に感じつつ、暫くそうやって立っていた。
自分とは違う柔らかな頬、細く長い黒髪、狭い肩幅。違う所をあげていけばきりがない。
ソファの背の側に凭れかかっていたが、ゆっくりと足音を立てず、ソファの前面に移動する。
身を丸めたその姿はまるで何かから身を守るかのような小動物のようだ。けれどもこの女が小動物のように常に捕食される側なのかと聞かれれば、答えに詰まる。
そういう弱い存在ではない。あの瞳。まっすぐな瞳。射抜かれた。柔らかく穏やかにしているその表面の下にはっきりと核を成しているまっすぐで真摯な心。それは弱くなどなくむしろ強い。どのような暴威とて耐え抜くほどの。
膝をついて絨毯の上に腰を下ろす。背中をソファの足の部分に凭れかけさせた。そうすれば女の顔がすぐ傍にくる。何も知らないような顔で眠りこんでいる。上半身を少し持ち上げて、顔を近づける。起きる気配は一向にない。無理矢理唇でも奪って起こしてやろうかという気持ちが頭をもたげるが、すぐにやめる。その代りに手の甲を頬の上に乗せた。やはり柔らかい。自分の頬に触れれば、それは固く目立つ傷跡に触れてしまう。
手を離し尻を床に落して、どしりと背中を凭れかけさせた。ふと気付けば目の前の机の上には水の入ったグラスが置かれている。喉が渇いていたことを思い出して手に取り飲み干す。生温い水が喉を通って食道に、そして胃に落ちた。くてんと首の力を抜けば、ソファの本来腰を落とす部分に頭が乗っかる。
天井は高く、白い。放りだした手足にはもう力が入らない。
徐々に浸透してく睡魔に抗うことはせず、XANXUSは瞳を閉じた。
「へ、くしっ。」
寒さで東眞は目を覚ます。ごしごしと目をこすって上半身を起こせばもう窓から日の光が入り込んできていた。
毛布とコートではやはり寒いのだろうかと思って体の上に乗っているものを見たが、毛布しかない。慌ててスクアーロに借りたコートを探そうと、ソファから降りようとしてソファの前に座り込んでいる人物に動きを止める。
その尻には探していたコートが敷かれてしまっている。さらに言えば、ブラウス一枚という何とも寒そうな格好だ。寒いのか小さく身震いしていた。東眞は自分がかけていた毛布をXANXUSの上に乗せる。そうすれば寒さはおさまったのか震えはなくなった。
こうやって見ていると、あの強引さが嘘のようである。まるで一人の子供のような。そんな感覚に襲われる。表面上の強さのは実はあまりにも脆いそんな何かを守るためのものではないかと思えてくる。すやすやと眠っているその眉間にはもうしっかりとついてしまっているのか皺が一二本刻まれていた。それに東眞は思わず苦笑を零す。
普段からのあのきつい視線も時折揺らぐ。その僅かな瞬間に見えるその眼が好きだ。思えばあの月の下で向けられたあの視線に、眼鏡のない歪んだ視界であるというのに、それでも捉えたあの目が好きなのかもしれない。無防備な優しさが。
スクアーロ辺りに言えば笑い飛ばされるかもしれないと東眞は思う。ところでと東眞はちらと我に帰る。
「…何でこんな所で寝ているんだろう…。」
確か彼は昨晩は話の途中でベッドの上で寝てしまったはずだった。そしてその上に毛布をかけて自分はこの広間に。それがどう考えても寝心地の最悪なこの場所に座り込んで寝ている。おかしい。
上に毛布はかけたものの、こんな所で長時間寝ていれば間違いなく体を痛めるか風邪をひく。起こした方がいいだろうかと思ったが、寝ている所を起こすのは悪いという気持ちにもなる。どうしようかとソファの上に座ったままおろおろと考えていると、途端扉が音を立てて開かれた。びくりと体を振るわせる。
「う゛お゛ぉぉおい!朝だぞぉ!」
その大音量は東眞の耳だけでなく、XANXUSの鼓膜をも同様に震わせた。閉じられていた赤い瞳が半眼になって開かれる。そしてゆっくりと頭を押さえながらXANXUSはゆらぁりと立ち上がって、入ってきたスクアーロをぎんと睨みつけた。
「…五月蠅ぇんだよ…このどカスが…。」
XANXUSは机の上に置かれていた水の入っていたグラスをひょんとスクアーロに向かって投げつけた。毎回の如くそれは綺麗にクーリンヒットをはたして、床に落ちて割れる。
「何しやがる!」
「黙れ、カス。」
ばち、と嫌な火花が散る。が、すぐにスクアーロは疑問を口にする。
「そういやぁ、何でボスがここにいんだぁ?」
「…喉が乾いた。」
「台所はあっちだぞぉ。」
ヴァリアーで一二を争う(というよりも第一位)空気の読めない男は首をかしげながら扉の向こうを指差した。XANXUSは踏みつけていたコートを鷲掴み、それをスクアーロの顔面に拳ごとぶつけて張り倒すとがんがんと足を鳴らしてその部屋を出て行ってしまった。倒れたスクアーロに東眞は大丈夫ですか、と声をかけたが残念なことに返事はなかった。