03:幻想 - 4/7

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 ある程度走り、息が上がってきたころ東眞は立ち止まった。そして腰のポシェットの中から毛糸の帽子を取り出して、長い髪をその中に隠して被る。
 人間の認識判断能力というものは視覚におおいに頼っていることは東眞が一番よく知っている。髪の長さを一つ変えるだけで男女の差すらも意外に分からなくなる。服装が同じなのは仕方がないが、特徴として知らせるならば黒い長髪、というのが大体だ。それならばその特徴を隠してしまえば、注意してみなければ判明する確率は非常に低い。
 数分ゆっくりと道を歩いて荒だっていた呼吸を静かに抑えていく。
 人目につくところで逃げるように走っていれば、それは怪しいほかない。見つけられるという可能性も怖いが、それでもこれ以上走るわけにはいかない。街中まで来たのだから、ここから彼らがもし東眞をまだ探しているのだとすればこの雑踏から探さねばならない。そうすれば他の人に混じってしまった方がばれづらいというものだ。
 東眞はポケットの中から貰っていた地図を広げて現在位置を再確認して、たどたどしい英語でチェックをいれた場所を聞く。 流石に何を言っているのかはよく分からないが、指をさしてくれるので深く頭を下げてそこに向かう。
 最後の最後まで迷惑をかけてしまったと思いつつも、結局謝ることもできない。
 そして人込みから外れて、東眞はゆっくりと足を進めていく。閑散としていくその先に東眞はようやく目的地を見つけた。少し古びた鉄製の錆びた門を押し開けてその中に入る。足を踏み入れて立ち並ぶ名前を確認していって、そしてある一つの物の前で足を止めた。
「―――――ああ」
 漏らした声からは力が抜けていた。日が落ち始めて少しだけ伸び始めた影が、東眞の前にぽつんとある墓石にかかった。

 

「こーいうときマーモンがいないと不便だよなぁ」
 王子疲れる、とベルフェゴールは盛大に溜息をついて屋根をつたってじぃと街を行く人々を見下ろす。ルッスーリアもそうねぇと頬に手を添えて同意した。眺めども眺めども黒髪で長髪の人間などちらほら見かけて、判別がつきにくい。下りて通り過ぎても別人ばかり。
「闇雲に探しても駄目みたいねぇ…足取りさえつかめればいいんだけれど…」
 無理かしらと報告を受けながら、またがっかりと手を払って行かせる。溜息をつけども探し人は出てこない。
 ベルフェゴールは屋根の上にしゃがみこんで息を吐く。
「げー帰りてぇ」
「意外とあっさりしてるのねぇ。あんなになついていたのに」
 意外と言われてベルフェゴールはひらりとナイフを取り出して揺らしながらそれに応える。
「だって東眞始めっから帰るって言ってたじゃん。殺せないんだったら追いかけてもつまんねーだけだし」
 ボスの命令だから追ってるけど、と付け加えて面倒くさそうにまたすっくと立ち上がり大きく背伸びをする。屋根から路地裏に降り、そして大通りに出て人の顔を眺めながら道を歩く。
「それにさ」
「それに?あら」
 耳に入った音にルッスーリアは首を少し傾けてイヤホンに耳を澄ませる。そしてぱっと表情を明るくした。
「あらん、鮫ちゃんじゃない。なぁに、見つかったの?」
『何だぁ、そっちも見つけてねぇのかぁ』
「見つけるも何も手掛りもないのに無理言わないでよぉ」
 ぷんと頬を膨らませながらルッスーリアは口先を尖らせた。
『手掛りかぁ…手掛り…あーくっそ、マーモンがいねぇと面倒くせぇなぁ』
「なぁにベルと一緒のこと言ってるのよう。そんな都合のいいことあるわけないでしょー。大体東眞はイタリアに旅行に来たんでしょ?それをボスが見止めて傍に置いていただけで…」
 その言葉にスクアーロはぴたりと声を止めた。
『旅行…予定…』
「何かあるの?」
『いや、何でもねぇ』
 ぷつんとそのまま通信は途絶えた。ルッスーリアとベルフェゴールは互いに顔を見合せて小さく肩を竦めた。通信を切ったスクアーロは顎に手を添えてふと考え込む。

 秘密です。

 秘密にされた何かをするために、東眞はここイタリアに来た。だとすればそれは何か。
 スクアーロはイヤホンに怒鳴る。
「う゛お゛お゛ぉい、ボス」
 返事はない。笑ってしまう程この通信用イヤホンの意味が全くない。スクアーロは一つ舌打ちして通信を諦めた。一度連絡して返事がなければ間違いなく返信は見込めない。大体こちらからの送信を受け取るとすら思えない。(それでもしてしまう自分は一体何なのか)
 教会の屋根を踏んづけてスクアーロは止まる。途中でばらばらと音を聞いた。見上げればヘリが一つ。考えを邪魔されてむっとするが、ここで落したところで何があるわけでもない。息を吐いてもう一度考えを纏める。
 マーモンが集めた資料には一度だけ目を通した。確かに自分が調べたものよりかは随分と細かいことが記載してあった。
「――――――墓地、母親、イタリア…――――――そうか」
 はっとスクアーロは顔をあげた。そしてイヤホンに怒鳴るようにして連絡を取る。
「お゛ぉい!墓場だ!墓地を探せ!」
『墓地?』
「このあたりに墓地は三か所だ。俺は東、ルッスーリアは南、ベルは西へ行け」
『空港とかじゃないの?取敢えず押さえといたけど』
「いや、墓地が先だぁ。アイツは」
 だんとスクアーロは屋根を蹴り、銀色の髪を躍らせた。

「墓参りに来たんだ」

もしもこれがかの超直感だったら笑ってしまう、とスクアーロは通信を切った。

 

 XANXUSはガラスの割られた部屋に戻ってきていた。そして机の上に置かれていたサンドイッチを掴み取り食べる。咀嚼し、嚥下した。
「…」
 もう一つ取り、食べる。全てを胃に入れてしまい、ふと手を見ればマヨネーズが付いていたのでそれを舐めとる。皿の隣にはすっかり温くなってしまっていた牛乳が置かれていた。
「ぬりぃ」
 ごとんと床にグラスを落として中身を零す。そしてグラスは靴で踏み割った。
 揺らぐ感情、穏やかな声、温もりのある手。それらは全て非日常的なものだ。だがそれを手にして傍に置きたいと思い、かつ不快感を抱かなかった。それどころか。
 く、と口角がつり上がり笑みが浮かび、笑いがこみ上げる。
 割れたガラス、窓が砕けて風が良く通るその部屋で笑い声が響いた。XANXUSはベッドの上に放り投げられてある黒いコートを掴み取った。

「皆殺しだ」

靴が、ガラスを立てて踏み割った。