Il scudo - 2/2

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 がっちゃんと額に鈍痛が響く。その衝撃に脳味噌がいったんかき回された。頭からだらだらと髪の毛を濡らしながらアルコールが落ちてくる。
 目の前の机に座っている赤は怒りに満ちた目でこちらを睨みつけていた。父親たる彼も十分に恐ろしいが、ボスたる彼はさらに恐ろしい。ああ悲しいくらいに予想通りだとセオは心の中でそっと溜息をついた。勿論ここで口に出して溜息なぞ吐けば次は銃弾が飛んで来るだろう。俺が一体何をした!と言える状況ではないので、父親の、現在はボスのやることを大人しくその身に受けるしかない。
「テメェ、人の話を聞いてやがったのか…このカスが!」
「…聞いてました…」
「カスのくせして自分の力を過信してんじゃねぇ!」
「ごめんなさい」
 落ちてくるアルコールの滴と、それから体に付着していく臭いにセオはそっと涙した。それに隣に立っていたスクアーロが見かねたように助け船を出す。
「う゛お゛おぉ゛い、そんなに叱ってやるなぁ。任務自体はきちんとこなしてんだろぉ?現状保持ってのはほぼできたらって話だったじゃねぇか。大体今回の標的が、」
「るせぇ、ドカスが!」
 がいん、と今度は酒の入ったボトルが宙を吹っ飛んで、それはスクアーロの頭部へと見事に直撃した。何故よけないのか、と聞きたいところだが、体は既に受け入れ準備だったに違いない。それでもたたらを踏むだけで済んでいるスクアーロにはもう尊敬の念しか浮かばない。
 セオはXANXUSに視線を戻して、相変わらず怒り心頭といった様子にぐ、と顎を引いた。
 スクアーロの言うように、実際任務自体はこなしているのだからそう怒らなくてもいいではないかと思う節もある。そんなセオの思考を遮るように、まるで読んでいるかのようにXANXUSはてめぇはと続ける。
「任務遂行することに関して認識が甘い」
「そんなことない。俺は、」
「なら何故、爆弾処理班に連絡を取らなかった」
「それはジーモと一緒で遠距離通信が」
「使えなくなると分かっていながら、てめぇは地下のパソコンジャンキーにその旨の報告をしてなかったわけだな?あぁ?」
 まっとうな言葉にセオはさらに言葉を詰まらせた。
 それは、ともう一度繰り返そうとしたが、XANXUSの言葉はどこまでも正統で反論する隙がない。確かに自分はその行動を怠っていた。ジーモとならば、任務を完遂できると「自負」していた。自分と彼の戦闘力は群を抜いているし、任務を失敗するなど考えたことなど一度としてない。それは「自信」だ。
 黙ってしまったセオの銀朱を見ながら、XANXUSは赤の中にその色を器用に映し込む。まだ不服そうな色が残っているのが見て取れた。
「過信するんじゃねぇ。常に最悪の事態を考えて行動しろ。万全を尽くせ。何のための打ちあわせだと思ってやがる。貴重な時間を割いてわざわざ、戦闘に特化した連中が打ち合わせをするのは何のためだ。任務を確実に、完璧にこなすためだろうが。てめぇのくだらねぇ自尊心で規律を乱してんじゃねぇよ」
「…俺、は」
「まだ言い足りねぇのか?気付いてねぇなら言ってやる。テメェは弱ぇえんだよ。力が云々の問題じゃねぇ。任務が力だけで遂行できんなら、核兵器でも標的に投下して終わりだ。違うか。それをしないのは、それだけの理由があるからだ。状況保持がいくら可能ならば、の話でもそれができねぇなら依頼書の端にも書きやしねぇ。期待しているから、『VARIA』にはそれだけのことが求められてんだ。それができるから、依頼が来てる。任務の裏に何があるかを考えるのは俺たちの仕事じゃねぇ。求められたことを完璧にこなすのが俺たちの仕事だ」
 椅子に座る王者は息を一度吸ってから言葉を吐いた。

「それが、VARIAだ」

 カス、と最後につけたして始末書を書けと一つ命令してから出ていくように告げた。重苦しいとげを穿たれて、セオはSi、と短く返事をしてから踵を返した。一つ部屋から気配が去って、スクアーロは落ちた瓶を拾い上げ、XANXUSの机の上に戻しながら、しかしだなぁとぼやく。
「言い過ぎじゃねえのかぁ。Jr.もその辺のことは分かってんだろぉ」
「分かってねぇから言ってんだ。どいつもこいつもあのクソ餓鬼に甘くしやがって」
 ちっと舌打ちをして吐き捨てた父親たる彼の姿にスクアーロはらしくねぇなあと笑った。そしてスクアーロの頭には今度は紙を押さえるための置石が飛んだ。

 

 いい加減に髪に酒が染み込んでいるとセオは溜息をつきながら、こつんと廊下を歩いた。
 父親の言うことが正しいのは、理解できた。嫌というほどに分かってしまった。確かに自分は甘かった。ぬるかった。ジーモの武器の特性、それによって起こる弊害も理解できていたのだから、それを報告書に記載しておくべきだったのだ。それを任務が成功していたから怠っていた。爆弾解除もできると、自分を過大評価していた。できると、思っていたのだ。
 あの時もしも、もしもなどというのは所詮仮定の話でしかないのだが、もし爆弾を発見した時点で即座に外に持ち出していれば。もしくは炎の壁を自分の前ではなく、爆弾を覆うようにドームにして発生させていたら。あの爆発は防げた。爆弾=解除させる、爆破させるの二つにしか思考が及んでいなかった。これでは弱いと罵られても仕方がない。
 くそ、とセオは壁に拳を強く打ちつけた。壁がその振動をすすってうんとなった。その背中に声がかかる。
「Jr」
「シャルカーン」
 ドウモと何年経っても年齢の変化を一切感じさせない、変わったところと言えば頭部の刺青だけだろう、シャルカーンは相変わらずのだぼりとした服に身を包み立っていた。シャルカーンはいつも笑っているようなその顔で、目が覚めまシタヨ、とその笑顔でセオに告げる。
「ジーモ?怪我は?」
「案内シマショウ。偶然通りかかったノデ伝言を頼まれマシテネ」
 サ、とシャルカーンはセオに背中を向けて歩きだした。
 小さい頃は大きな背中だったが、もう背も追い越してしまって、その背中は随分と小さく見える。だが実際に大きくなったのは体だけだったのかもしれないとセオはそう思う。強く釘を刺されて、それが身にしみた。
 ジーモがいなくなるかもしれないことに怯えているわけではない。そうでは、ないのだ。自分たちの隊服は死装束も同様であり、これを身につけている以上死は常に隣にある。弱ければ死ぬし、強ければ生きている。ただそれだけのことである。きっと自分には親友が翌日冷たくなっていても何の感慨も起こらないだろう。
 冷めた性格だと罵られるかもしれないが、もうそれが形成されてしまった自分であってそれはどうにもならない。完成した建物を立て直すには、一度全て破壊するしかないのである。それはもうできない。自分が一度死んでしまえばそれも可能だろうが。
かつかつと音を鳴らしながらシャルカーンの背中を歩く。すると、笑っているのかどうなのか、よくわからない声が耳に障る。シャルカーンは歩いたままセオに話しかけていた。振り返ることはしていない。
「随分とボスに絞られたみたいデスネ」
「…まぁ…」
「オ酒の臭い、ヒドイデスヨ」
 いつの間にか肩に乗っていたシャルカーンの匣兵器にセオはぎょっとする。黒い猫の気配は一切なかった。影を伝うように出現する匣兵器だからなのかどうなのか(もっとも殺傷能力は低いが)金に光る眼は少し不気味である。
 言われて、セオは父親に酒をぶちまけられたことを口上にした。それにシャルカーンはソウデスカと笑う。
「Jrはジーモがどうして自分を庇ったのか、分かってマスカ」
「え?」
「マァ、聞けば分かるコトデスケドネ」
 するすると黒猫の尻尾が頬を擽っている。セオはシャルカーンの言葉の意味が分からずに首をかしげる。
 酒のにおいを落としたいのはあったが、自分のミスのせいで怪我をさせてしまった人間の様子を見に行く方が先である。
 ジーモがどうして庇ったのかといわれれば、「あの」ジーモの事だから、きっと友達だからという理由に相違ない。それ以外の答えがどうしてあるのかとセオは小首を傾げるしかない。ソウデスネ、とシャルカーンは袖を前で軽く揺らして、扉の前でゆるりと振り返った。笑顔だが、どこかやさしげな色が見える笑みである。もしくは、教育者の笑みであった。
「怪我はそんなにヒドくなかったデスカラ、一日も休めば大丈夫デスヨ。サ、ネコサン」
 ちょいとシャルカーンがその黒猫を呼べば、肩に乗っていた猫はひょいと跳躍してシャルカーンの肩におさまった。
 そしてセオはシャルカーンが開けた扉の先、医務室へと足を踏み入れた。中は流石医務室とばかりに白い。目がいたくなるほどの白さにセオは少しばかり顔を顰めた。そこにセオ、とドンの声が響く。垂れ目の彼はひらりと大きな巨体がベッドを一つ占領しているそこで手を振っていた。
「容体は?」
「容体って程、怪我してないってさ。シャルカーン隊長も心配ないって言ってた。あの人って本当に分からないよね。全く表情が読めない。後、手品一つ見せてってくれてた」
「…今時子供でも喜ばない…」
「ジーモは喜んでたけどね」
うん、とドンはジーモの頭には見事に似合わない花を飾ってある状態を指差した。その顔はにこにこと笑っている。
「セオ。怪我は?」
 第一声がそれか、とセオは口をへの字に曲げる。酒の匂いが凄いけど、とドンは鼻をつまんで、さも嫌そうに顔をしかめた。それにセオは仕方ないだろ、と吐き捨てながらどんと空いている椅子に一つ腰掛ける。
「お前…、あーうん、」
 シャルカーンの言葉がセオの脳裏に引っ掛かる。庇った理由、そんなことは。
 黙ったセオにジーモは、セオと声をかけた。
「俺は馬鹿だけどさ」
「そんなのこの場にいる人間は誰でも知ってるって」
「うん、そうだけどな。うん、でもセオ。俺は馬鹿だから分かることもあるんだ。セオもドンも、二人とも頭がいいから物凄く単純なことを忘れてそうだから。それから、単純だから、そうとしか思ってないこともあるだろうから」
 ここで言っておこうかって、とジーモはにこやかな表情でそう告げた。
 セオは一度ドンと視線を合わせて、それからベッドに座っているジーモへと視線を向けた。了承の意。すぅと息が吸われて、三人のうちで一番柔らかい声が空気を支配する。
「俺たちは、VARIAはボンゴレの爪と牙で、それから盾だ。どんな時だって、ボンゴレのために尽くし、ボンゴレのために在る。もし死んでも、『それが』俺たちの仕事で、俺たちのやるべきことだ」
 そんな馬鹿でも知っていることをジーモはセオたちに言った。自分たちのすること、すべきことなど脊髄に刻まれるほどに理解している。
「セオは、特にそうだよな。小さいころから此処にいて、ボンゴレの武器だった。それは、俺でも見てたらわかる。先頭切って敵陣に突っ込んで、容赦なく力を振るってるところ見てたら、分かる。任務の時のセオは、学校の時のセオとは違うし、そこらへんの割り切りもできてるけど、セオの根本はボンゴレの武器だ」
「ああ、そうだ。俺は、ボンゴレの槍で、ボンゴレのために在る。最強のボンゴレこそが、俺の居る証だ」
 だから?とセオはそんな今更な事を言われて反応に困る。ジーモはやはり笑顔のまま、話を続けた。
「俺もドンも、その一部だ。でもセオ」
 俺たちは、とジーモは柔らかな碧眼の奥に、恐ろしいほどに冷たい色を沈めた。
「セオのための武器でもある。盾であり、鉾でもある。俺たちは単独じゃない。セオがボンゴレの武器である以上、俺たちの上の存在である以上、俺たちはセオを守る武器でも盾でもある。だからセオが自分と同列に俺たちを見ることはないし、見る必要もない。俺は、盾になれる。ならセオは、盾に使うべきだ」
 ジーモはそれに勿論と続けた。
「学校にいるときは友達だけど。友達は、一緒だから。うん」
 そこでしっかり括ったジーモは疲れた、ともすりとその巨体を再度ベッドに沈めた。ぎっしと音がなる。一人全部言いきって落ち着いたジーモにセオは待て、と待ったをかける。
「今回お前が突っ込んできたのはそれが理由なのか!?」
「ん、うん。だって、ほら、セオが液体爆弾って言った時に凄く焦ってたから。ああこれはまずいなーって思ったんだ。案の定みれば、爆弾から距離とって焦ってる顔してたし」
「俺は、自分の身くらい自分で守れるよ」
「だからさ。そうやって自分を過信してると、そのうち、一番必要な時に俺たちが使われないだろ?セオはいつもそうだからなー。強い強いって言ってるけど、力の使いどころがまだ分かってない感じがする。ほら、野菜を育てるときにも適材適所ってのがあるし。人材配置は上手いのに、どうしてそういういうことろできてないんだろうな」
「…な、なんだ…俺、ジーモに馬鹿にされてんのか…?」
「されてるんじゃない?実際」
 嘘だろ、と青ざめたセオにドンは冷静に突っ込む。セオは両手で顔を覆って、はふと息をつく。両肘が腿に乗せられる。
「セオ、気分悪いの?」
「…違う」
 ああと脱力して、セオは深い溜息をついた。そんなセオにジーモは相変わらずの笑顔でつづけた。
「セオのためなら、死んでもいいよ。まぁ、そう簡単には死なないけど。なードン」
 話しを振られて、ドンはページをまくっていた手を止めた。そしてちらりと横目に顔を上げたセオを見やる。そして、小さく笑った。
「まぁ、それが俺たちの役目の一つだし。尤も、セオが自分から死にそうなところに突っ込む馬鹿したら、助けられないけど」
「―――――――、善処します」
 よ、とセオはそんな二人に笑った。
 遥か昔の記憶がよぎる。父親の言葉が脳裏をかすめる。自分を変えた人間とのかかわりを、父親に一言で薙ぎ払われた記憶が、晒されそうになる。

『今度は、てめぇのためなら命を捨てられる友人を選ぶんだな』

そして俺は。

「友達としてなら、ジーモとドンのために命を捨ててもいい。VARIAとしてなら、お前たちの命をもらうよ」
 貰われるような状況にしないでくれるのが一番だけどね、とドンはそんなセオの言葉に鋭い言葉を投げた。そしてジーモはああそうだなーとそれに笑った。セオは、目を細め、声を立てて笑った。