Il scudo - 1/2

1

 これでも自分は大きいほうだと自負している己の隣に立つ、さらに体格の良い青年。
 セオはジーモの方へと目を向けることもなく、静かにその顎と唇、それから肺他、声を発するための器官を動かして声を紡ぎ出した。その声がジーモの耳へと届いても、ジーモ自身もセオへと目線を向けることはなく、ただ敵の気配だけを静かに探っている。
 場所は薄暗い廃ビル。ブーツ靴底を形成しているゴムは歩くと音をそれで吸いこんで、ほぼ無音にする。ただ、ジーモが背に負っている大型の武器を固定するためのベルトが、歩くたびに少しばかり、気にならない程度に音を立てた。
「当初の予定の通りだ」
「ん」
 短い言葉の中に、作戦の細かい確認はない。ただ此処に来るまでに嫌というほどに交わした作戦の内容だけはしっかりと頭に、脳髄に叩き込まれている。普段からそうするように、そうなるように仕向けられている体は、ただそれに従うだけである。
 いくぞ、と短い命令を発した後、セオはざんとその足で強く地面を蹴る。低く地面に食いつくかと思われるような姿勢は一瞬だけ守りを固めた敵の視線から外れていた。その一瞬で、縮められた距離は随分と大きい。銃口が走り抜ける弾丸のような体へと向けられる。だが、セオは止まらない。
「飛べ、セオ!」
 背後から現れた、その速度はそれなりに在るものの、弾丸にははるか遠く及ばない巨体。突然発せられた声に銃弾を放つために引き金に掛けられた指は僅かに躊躇いを持ち、セオはさらに距離を進めて、その後、低い姿勢とは一転して高い跳躍をした。腿上辺りまで閉められているコートが空中で空気をはらむと、その分だけ、落下する前にすと広がった。
 背後の一人と、弾丸のように飛び込んできた一人。どちらを狙うかでさらに数名の銃を持った男たちは躊躇をする。脳による神経伝達はまだ追いつかない。
 そしてジーモは鉄鋼に覆われた手袋をがんと地面に着けた。腕の溝に雷が走り、それは床のコンクリートを伝って凄まじい電気を相手へと飛ばす。手に持っている銃は勿論、人体の体の三分の二を構成している水は確実にその電撃をその身に受けた。ぎゃ!と短い悲鳴が上がった後、セオは下方に向かって明るい炎を飛ばす。一面が焼け焦げた。そして体はすんなりと地面に落ちる。
 絶縁性のゴムでできた靴底と専用の隊服は電気を二人の体に通すことはなかった。
 誰も立たなくなった二人の間、セオの前にある黒い扉。そしてジーモは後方から響いてくる幾つもの足音を耳にしていた。

 

 セオは何も言わないまま、目の前の扉を蹴破って内部に突入する。内と外を繋ぐための、ただ一つの扉。しかしジーモは共に中に入ることはしないまま、背中に負う、巨体にも負けぬほどの大刀をばつんと取り外して、くるりと宙で回転させる。持ち手のリングをはめる部位へと指が収まり、内側に向けて嵌められている嵐のリング四つはそこにはまった。
 ばたばたと近づく敵(と判断できる男たち)に掛ける情けなど一片も持ち合わせていない暗殺者は指輪にゆっくりと炎を灯した。どん、と地面に落ちた大刀の先がゆるゆると不思議な振動を発生させている。持ち上げたそれもやけに重そうに、ずっ、と酷く低い音を立てた。持ち上げた、先程大刀が落ちた部位はへこみ、亀裂が入っている。
 そしてジーモは大きな足で、大きな体を前方へと駆けだすために地面を強く強く蹴った。フードが揺れる。
 敵との距離はそう、ない。ふるった大刀が相手の体へと食い込む。が、それは刃が体を食いちぎる前に、はじけ飛んだ。腕なり足なり胴体なり――――――――――頭部、なり。大きな刀はその分攻撃面積が広く、そして大きなジーモが振るう刀の位置は高い。両腕を頑張って伸ばして頭をカバーしたところで、そんなところに入る力は腹部でしっかり構えた力の半分にも及ばないだろう。尤も、ジーモが振るう武器の場合はそんな力など笑い飛ばすかのように、振動によって相手を吹き飛ばす。どぱっと、灰色のコンクリートに血液が飛び散る。
 銃を構えた人間はそれを放つが、運悪く大刀のほうに当たって銃弾は無残にはじき返された。ばつんとコンクリートに突き刺さる。振るわれる大刀の大きさと、その速度から、彼の大きな的になりやすい体でも、銃弾はそのせいで当たらない。
背後から次々とくる応援は、そのことを悟る。ああ殺されてしまう、と。
 出口は一つ。入口も一つ。出口と入口は同じ。内部へと続く道はかの男が塞いでしまっていた。
 そして銃を持った男たちは引け、と短い、恐怖におののいた声で叫び出す。だが、無論、そこに立つ男がそれを許すはずもなかった。ばちんと弾けた電気が横壁を伝い、一つしかない出口を上から破壊する。瓦礫が、生きる希望をふさいでしまった。数名、まだ生き残っていた男たちはそして振り返る。大刀が、大きな、身を食いちぎるための大刀が迫ってきているのを。
 大男がはためかせる黒い服の向こう側に散らばっている、首のない死体。
 ああ、と男たちの中の一人が気付く。首切りジーモ、と。だが、残念なことにそれに気付いた時には男の首は、無様にはじけた。

 

 各部屋に配備されていた監視カメラを銃で破壊しながら、セオは先へと進む。
 先程の場所が一番守りが多かったのは、初めに調査していた時から分かっていた。いる人数は少ししかいない。入った扉から、目的の部屋に入るまでの距離もそう、ない。二つの扉を看破すれば、それでこともなし、である。最後の扉を守る男が匣兵器へと指輪を触れさせるその一瞬前に、撃ち殺す。指輪にともった炎は、生命力と共に消えた。
 そこでようやく足を止め、セオは倒れた男に触れる。ボディチェックをするように触れて、ポケットからライターが出、そして鍵を見つけた。セオはそれを無言で取ると、扉の鍵穴に突っ込む。かちんと回せば、扉は思ったよりもあっさりと開いた。
「…壊す手間が、省けた…かな」
 壊してもいいけれど、壊さずに済むのであればそうしたい。何しろ今回、回された任務はこの建物の現状保持も含まれている。そうやすやすと壊すわけにもいかない。
 扉の陰に一度身を隠して、扉だけをばんと強く足で内部に向けて蹴り開ける。反応はなく、そして人の気配も感じられない。セオはそれを確認してから中へと足を踏み入れた。
 中の部屋には大量の透明の、奇妙な色をした液体が入っていた、管がずらりと奥まで並んでいた。無機質な機械音だけが、その運転を維持するために規則的な音を奏でている。初め二つほどの管は空で何も入っていない。だが、奥から見れば、そこに何が入っていたのかは一目瞭然である。ああ、とセオは嫌悪でわずかに顔をしかめた。
 中に入っていたのは、臓器。勿論それは動物の、ではなく、人間の。胃、肝臓、膵臓、肺、はたまた心臓までがそこに存在していた。臓器販売は金になると言うが、成程と納得する。
 セオはそれをポケットに入れてあった小型カメラで一枚二枚と写真を撮っていく。数枚部屋の全貌まで取り終えて、そのカメラをポケットに戻した。
 後はジーモと合流して此処から出るだけ、とセオはくるりと踵を返した。だが、その耳が、嫌な音を拾う。ちくちくと、何かしら、嫌な音。まさかと思って、セオは部屋の中を歩きまわり、そして見つける。
「マジかよ…」
 入口の側の空の管。その内部には時限装置付き爆弾がご丁寧に置かれていた。
 方法としては二つあった。
 解体可能な人間を呼んで爆弾を解体させる。もしくは管を破壊して外に持ち出し、人気のない場所で爆破。だが、そのどちらもできそうにない、時限爆弾である。何しろ残り時間は一分半。嫌がらせか、とセオは口元を歪める。
 こつこつと耳の通信機を叩いて、ジーモ、と少し離れたところで足止めをしているはずの男に連絡を取る。通信機を通した、男の声がするりとセオの耳に入った。
『ん』
「爆弾がある。爆発まで一分半。こっちで解体させるしかない」
『セオ、爆弾解除できたっけ?』
「経験はないな…この間ラヴィーナが爆弾に関連する本を読んでたのを斜め読みした程度。時限爆弾なら、時限装置外せば大丈夫だと思うから…まぁ、問題ないかな。多分」
 がん、とセオは管を一つ破壊して、中に置いてあった爆弾をそっと両手で取り出す。慎重に床に置いて、見たこともないようなちんけな爆弾を見下ろした。本当ならばこのまま破壊したいところだが、任務上そうも行かない。
 面倒なことになったとうんざりしつつ、セオは通信機に話しかけながら手を動かす。小型時計をはずしさえ、すればいい。このような単純な爆発物は、基本短針と長針が重なった時に電気が伝わって爆破する、という仕組みになっている(と本に書いてあったような記憶がある)
『平気なのか?ドンに連絡』
「ジーモと一緒の時点で、それ無理な相談だろ…。通信機遠距離回復まで少し時間がかかる」
 雷を地面などに通されると、それだけで電波が狂っている。お陰で、近場の人間ならば連絡はとれるが、本部にまでは電波が現在は届かない。
『…セオ』
「心配するな。このタイプは時計を外したら止まるから」
 大丈夫、とセオはかちかちと手袋を外して、素手で慎重に時計の針をカバーしているそのガラスを壊そうとする。指先にほんの少しだけ憤怒の炎を灯して(どうしてナイフを持ってこなかったのかが悔やまれる)ガラスをゆっくりと焼き切る。流石にこの位置で爆発されたら、自分も木端微塵だろうとセオは冷静にそんなことを考えた。
 丸いガラスをはずして、そしてどうにか長針をへし折った。これで爆破の心配はない、と思ってジーモに連絡をと思った。
だが、セオはその時自分の判断が過ちだったことに気付く。
「―――――――――――液体爆弾」
 時計はフェイク。内部には鉄製の板が箱を二分しており、それは次第に溶け始めている。つまり、この二種類の液体が混ざった途端に爆発、ということだ。これは、手に負えない。
 投げ捨てる、放置する。二つの選択肢が脳裏によぎった。しかし、投げ捨てるには窓がなく、放置すると任務遂行が不可能である。鉄製の板は見る限りもう随分と薄い。先程のタイマー一分半。もう随分と経っている。恐らくあれから一分は間違いなく経過している。残すところ十秒前後。どちらにしろ逃げ切るだけの時間はなさそうである。
 くそ、と吐き捨てて、セオはすっくと立ち上がった。こうなったら、炎の壁で自分の身を守るしかない。現状保持はおまけのようなものであったから、写真さえとっていれば取敢えずの任務は果たしている。取敢えず、だが。
 じりじりと鉄製の板が溶けている。左の液体と右の液体が混ざる。まざ、

「セオ!!」

 響いた声にセオは銀朱の瞳を動かした。
 大きな体が横から突進するようにこちらの体を押しつぶした。ひらひらと、ロングの隊服がスローモーションに揺れている。その少し向こうで、か、と閃光が溢れる。炎の壁をと思ったが、自分が出せる範囲は1m。発生させれば、確実に巨体であるジーモの足を吹き飛ばす。この馬鹿、と悪態を継ごうとした次の瞬間には目を潰すばかりの光と爆風が弾けた。それは長くも続かず、爆破の衝撃で大きく揺れたビルも、ずんと落ち着きを取り戻す。圧し掛かられた重さは間違いなく100は超えているのだろうが、どうにかこうにかで上半身を起こす。
「ジーモ!おい、この馬鹿!」
「…生きてる…うん、大丈夫…」
「大丈夫なわけがあるか!爆発直撃してるんだぞ!」
 げほ、と一つ咳込んでジーモは笑っていた。周囲には爆破の衝撃で割れたガラスと、散らばった液体と臓器。ガラスからは幸い防護用の隊服が守ってくれていた。何でこいつは無事なんだとセオは思いつつ、その背中に追われている大きな大刀にああと納得した。ジーモの背中を覆うようにある大刀がその体を守ったのかと。勿論それでも全て防ぎ切れるはずもなく、ジーモは見事負傷したわけだが。
「無事で、よかった」
「…おい。ジー、
 モと呼ぼうとして、自分を押しつぶした体が重みが一気に増え、セオはうぐ、と呻く。
 本来の体重に加えて、大刀の重み。これはかなり重い。セオはかなりうんざりした。これ以上ないほどにがっくりした。深く深く溜息をつきながら、気絶したせいでより重くなたその体をどうにか背負う。
「…誰が、担いで帰ると思ってんだ…馬鹿…」
 ああ重いとセオはジーモの体を背負いながら切実にそう思う。そしてこれがラヴィーナだったらどんなに楽なことだろうかと本気でがっかりした。
 二人が出て行った部屋の惨状は、入った時の光景とはまったく一致せず、セオは父親の雷が落ちることを考えてもう一度溜息をついた。