ず、と林檎の写真が貼られた四角い、長方形の、直方体の、中に内容物が液体が入っているものがぺほんとへこんだ。その頭頂部には細く白い筒状の、一般的にストローと呼ばれるものが突き刺されている。そしてセオは、それに口をつけていた。その手元には薄い紙にくるまれたパニーノが持たれている。大きな手よりもさらに大きなそれには、トマトと生ハムと、モッツァレラと、ルッコラと、まぁそんな物が挟んであった。
セオは大口を開けてそれをがぶりと口の中に入れ、もぐりと咀嚼する。顎を上下に動かして、口に入ったものを細かく噛み砕く。そしてその左隣には大きな、それはもう大層大きな青年が一人、のっそりとした様子で椅子に座っている。ちなみにその手元には手の大きさから考えて随分と小さい、けれども普通の人が持ったらそれなりに大きなおにぎりを持っていた。
「またそれ?ジーモ、最近ハマってるね」
さらにその隣に座っていた、その場にいた三人の中では最も背丈の低い青年が口元に笑みを浮かべた。くっきりとした眉毛は少し下にさがって、垂れがちの目は細くなる。
ああうん、とその問いかけに大柄の青年は、ジーモは頷いた。
「握り飯、だった…かな?」
「おにぎり、だよ。ジーモ」
ぺろりと舌で唇についていたパンのかけらを舐めとって、セオは笑う。そして二つ目の林檎ジュースのパックに手をつけた。その様子にでもさ、とジーモに質問した青年、ドンは呆れた様子で言葉を口端からつるると溢す。
「君もいい加減に林檎中毒者じゃないの?」
「何で」
パニーノを食べ終えて、隣に置いてある小さめの袋に手をつけたセオは怪訝そうにそう尋ねた。勿論その片手には飲み始めたばかりのパックが持たれている。そして、袋を開けると中に入っていた赤く丸い果物、林檎を取り出す。さも当然のようにそんな動作をしているセオに、ドンはそれだよ、と口元を軽く引きつらせる。
ジーモは数えるのは面倒なくらいにあった最後のおむすびを口の中に放り込んだ。それはあっさりと二口でその大きな口に消える。しっかりとした顎がそれを咀嚼する。
「健康にいい。ジャンクフード食べるよりかは随分といいと思うけどな」
「そんな一般常識を君に求めちゃいないって。それで?君はその林檎を二つ平らげた後は?」
「マンマが作ってくれたアップルパイ」
「随分と赤みが多いPranzo(昼食)だこと。ジーモだってそう思うだろ?」
「ん、んん」
「…聞いてなかったよね、今」
「…ん」
ず、と手前に置いてあったコーヒーをぐいと飲み干してジーモは少し黙ってから頷いた。
赤いのはそのままの林檎だけだ、とセオは一度林檎をハンカチで拭いてから、それにそのまま歯を立てた。
「美味しいから、いい」
「林檎食べててどうしてそんなに馬鹿でかくなったのかっていうのが、俺の目下最大の疑問かな」
「ジーモは?」
「論外」
「ひどい…。俺は」
「ああ、うん。聞いてないよ、ジーモ」
「ひどい…」
あんまりな言葉にセオも林檎を一つ噛み下してから、頬を引き攣らせる。この男の性格の悪さはどこまでもつきものである。万年首席だろうがなんだろうが、性格が悪いものは、悪い。尤も悪いと言うよりかは、さらりとひどいことを言うだけだが。
そういえば、とドンは思い出したようにその言葉を口にして、がらりと話を変えた。
「セオ。君、昨日の女の子どうなったの?今日はほっぺた赤くないみたいだけど」
「あーうん、殴られなかった。でも寝てない」
「ねっ!!…ぶ、」
「うわ、汚な!」
げほ、とコーヒーを噴きだしたジーモにセオとドンはぱっと俊敏な動きで手元にあったファイル、これは勿論ジーモのものだが、を盾にした。数回せき込んで、ジーモはどこか赤い耳でごほんと一つ大きな咳をすると体を落ち着かせた。
林檎を一噛みして、咀嚼しつつセオは俺も、と当然のように言葉を口にする。
「別に誰かれ構わず寝てるわけじゃないって。SEXしてって言われたら寝てるだけ」
「いつか女の子に背中から刺されても文句言えないね。それ」
君ってやつは、と半眼で溜息をついたドンにセオはひらひらと手を振って親指で口端を拭う。食べた林檎の軸を手元のビニール袋に放り込んだ。そして二つ目の林檎を手に取って、ハンカチでまた拭う。
「言える言える。だって、ちゃんと言ってるし、俺」
「何を」
「だから、寝ても特別でも何でもないし特別にもしないし、それだけだって」
「冷たい男。女心を分かってない男って本当に、セオみたいな男のことを言うんだろうね」
「失礼な。避妊もちゃんとしてるし、前戯だっておろそかにしてない。あーでも事後は速攻で帰る。マンマもラヴィーナも心配するし」
「そういう問題じゃないって分かって言ってる?それともただの馬鹿?」
最低、とドンは笑顔でセオを貶すと炭酸水を口にした。セオはドンの言うことは今一理解できないようで、やれと肩をすくめた。
「どうでもいいだろ、そんなの。あっちだってそういう意味で抱かれたいって思ってるわけじゃないんだ。だからちゃんと納得してからしかやらないし、納得しない場合は俺の頬に赤い紅葉が押されるだけ」
「で、昨日は運よく?」
「泣かれただけ。抱かれたいってのもなかったから、それで、ハイおしまい」
「やっぱ最低。慰めもしなかったんだろ?」
「謝罪はした。振った男が慰めてどうするんだよ」
泣かせた張本人が、とそっけなく言ったセオにドンはだから分かってないんだよ、とやれやれとごとんと瓶を机に戻した。何で君が女の子に告白されるか理由が分からないとドンは溜息をついて、椅子にのっしりと体重を乗せた。
「そういえばさ、セオ、初めてっていつ?」
「初めて?いつだったかな…Sucuola Media(中学校)だったかな…13、4…くらい」
「どうせその時も抱いて!って言った女の子抱いたんだろ」
「多分。俺から迫ったことないし。で、ドンは?」
「俺?俺はこっち入ってからだから…16…だったかな…うん、それくらい。あ、でもセオとは違ってちゃんとお付き合いしてた女の子だから」
「その後付け、どう考えてもいらないよな」
あっはは、とセオはどこか頬を引きつらせながらドンの嫌味を引き受ける。そして二人の視線はジーモへと向けられる。だが、すぐにからりと笑って、まさかなーと言い合う。
「流石にジーモはまだ童貞だよな」
「だろ、ジーモ?だって、女の子前にするだけで真赤になって話せなくなるものね。恋人は野菜って今ここで発言しても、俺たちはちっとも驚かないよ。ねぇセオ」
「うんうん」
「あるよ、俺。経験」
「うんう――――――――――――――――え?」
流そうとした二人はそこで聞き捨てならない、というよりも聞いてはならない一言を聞いたような気がして時間を止める。セオに至ってはうっかり林檎を握りつぶしてしまい、したほたと果汁がズボンにたれていた。
ドンはホント?とコーヒーの入ったカップを口につけているジーモに恐る恐る尋ねる。うん、とドンは一つ頷いた。そして教室は嘘だろ!という二人分の大声で一度震える。当然のこと、その大声に反応できるような度胸のある人間はいなかったが、視線だけがそちらに一瞬集中した。
二人の驚きようにジーモはまぁ、と少し頬を赤らめながら、一回だけとぼやいた。何でどうして、と二人はそんなジーモに関する疑問で頭がいっぱいである。どう考えたところで彼は美男とは言えそうにもないし(大きいけれど。ああ勿論何がとは言わない)頭がいいとは言わない。気がきくかといえばきかない、の部類に入ってしまう様な男である。それが、なぜ、どうして。疑問は尽きない。
驚愕した二人の目線に耐えかねたようにジーモはコーヒーのカップを両手で持って膝の上に乗せた。今さらだったが、おにぎりにコーヒーというミスマッチな光景を誰も突っ込むことはしなかった。
「気持ち良かった」
「「誰もそんなこと聞いてない!!」」
「…違うのか…?」
あれ、とジーモはおかしいなと短い髪をかき混ぜる。セオとドンは一呼吸置いてから、ジーモにようやくまともな質問をする。
「ちょっとその馴初めとか聞きたい。というか、どうやって落としたのか知りたい。何、あれ?ひょっとして、あなたは野菜みたいに美しい…とか言って口説いたの?」
「もしくは野菜のように大切にする!とか?」
「…二人とも、いい加減に俺に酷い事言ってるのに気づいてくれないかなー…」
あんまりだろう、とジーモは呆れて肩を落とした。しかしそんなジーモにセオとドンは、いやジーモだから、とそこでさらりと流す。いつものことなので半分以上あきらめつつ、ジーモは思い出すかのように記憶をさらう。
「17…だったかな…」
「うっそ、去年!?な、何?それ…俺聞いてない!」
「俺も聞いてないよ、ジーモ!」
慌てふためく二人を他所にジーモは苦笑をこぼしてから、話を続ける。
時計はまだ昼休みの時間を指している。
「言ってないから」
「…まぁ、言う義務はないけどな」
うん、とセオは少し落ち着きを取り戻して潰してしまって果汁まみれになった手を拭くと、タッパーを開いてアップルパイを取り出した。三つ入っていたのだが、ドンがそれをひょいと一つ取り上げて口の中に放り込む。あ!とセオは悲痛な声を上げた。そんなセオを無視してドンはタッパーをジーモの方に差し出して、どうぞと笑う。ジーモはGrazieと礼を言ってから受け取った。空になったタッパーに気を落としつつ、セオは死んだ魚のような眼でジーモを見た。
食べ物の恨みは恐ろしいとは言うが、この際は諦めるべきであろう。
「こう…振られたのかどうなのか…泣いてたから慰めたらそんな乗りに…」
「お前も大概ひどいよ」
「セオに言われちゃおしまいだよね。というか、慰められたの?ジーモ」
尤もな質問にそうだと二人はジーモの答えを待つ。それにジーモはああ、と頷いてアップルパイを一口で腹に入れた。
「美味しい」
「マンマの料理がおいしいのは俺が一番知ってるから、続き」
とっとと話せとばかりにセオは笑顔でジーモを脅す。そんなセオにジーモは分かった分かった、と苦笑してから話を続ける。
「上着を渡して、持ってた野菜を」
「野菜を?」
「あげた」
どうしてそこでそんな乗りになるのかというのが、二人の最大の疑問であるが、きっとその質問は神様あたりにでも聞かなければわからないのだろう。生憎信仰心は非常に薄い二人なので、その話をどちらかが持ち出すと言うことはなかった。
「そしたら、抱きつかれて」
「押し倒された」
「…ああ、まぁ、やっぱり?」
そんなことだろうとは思ってた、とセオは頷く。展開的には十分に予想がついていたことである。そもそもこのジーモが女の子を相手にまともに行動できるはずがないのである。よくこの体格の男を押し倒したなと普通ならば言うべきであろうが、そこはジーモ。
女の子(もとい女性)を前にすると上手く動けない。どうせ足が絡まったとかで自分から素っ転んだことは明白だろう。
「勃ったの、それで」
「いや…まぁ、それは、擦られたら、生理的反応で。うん」
「…すっげー女…」
「積極的な、って言うにはあまりあるかな…。美味しく頂かれたわけだ、ジーモ」
「頂かれた」
初めてが騎乗位ってのもなかなかない経験だよね、とドンはセオに同意を求める。それにセオもまぁそうだよな、と頷いた。
そして二人は素敵に無敵に笑顔を浮かべて、片手ずつ、ジーモの肩にそっと手を乗せた。慰められているのか、馬鹿にされているのか、どちらか判断のつきづらい状況でジーモはきょとんとする。そんなジーモにセオとドンはにこっと微笑んだ。
「いい経験したな」
「滅多にない素敵な思い出だよ、それ」
呪われてしまえ、とジーモはそんな二人の笑顔を見ながら、そうひっそりと思った。