東堂雅と幸福 - 2/3

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 ゆらりと風に揺さぶられ、赤い紐がくるくると揺れる。屋上から、飛び降りるようにして五階の窓の取っ手に手を引っ掛けた。かつんかつんと巡回の足音を聞き終えて、きり、とガラスに穴をあける。空いた穴に手を突っ込んで、そして鍵をあけると外から開ける。あまりにも動作は静かで、中に眠る男は気付かない。
 そして般若の面をつけた男はするりと部屋に入り込んだ。そして男の口にべっとりとガムテープをつける。流石に男も気づいて、はっと目をあける。そして、目の前にあった般若の面にぎょっと体を震わせた。
 般若の面の奥から声が響いた。
「五年――――――――――――とても、長かったです」
 ふぐ、と喚く男の両手を足で踏み付けて押さえ、般若の面の男は声を振りかける。とても長かった、と繰り返されたくぐもった声。
「まだこんな柔らかなベッドで眠れていたのですね。あなたには不釣り合いです、とても」
 そして男は背に負った鋭い刃を月の光に這わせる。そして踏み付けている男の肩に突き立てた。ガムテープの奥底から悲鳴が上がる。白いシーツが赤い鮮血に染まっていく。
「安心してください。そう、簡単に殺しはしません。そこは出血も少なく、失血死するにはまだまだ時間がかかります」
 般若の奥底から響く声は、柔らかい。しかし声とは裏腹に、男は押さえつけた男の肘当たりに無理矢理細い針のようなものをぐっさりと突き刺した。男の背中がまるでえびのように跳ねる。しかし般若の男は気にしない。反対側も標本でも作るかのように突き刺した。
「痛いですか?しかし、もっと痛かったに違いありません。腹から引きずり出された我が子の気持ち。腹を切り裂かれて、愛しい子を引きずり出された妻。包丁を持ったあなたに追い回されるその恐怖。分かりますか?分かっていただけますよね。
 私は今からあなたを殺そうと思っています。手始めに、動けないようにこうしてみました。この針は麻酔の役目も果たして、あなたの体の自由は次第に利かなくなるでしょう。まだ巡回が来るまではかなりの時間があります。ナースコールはあなたの手には届きませんね。とても、いい、です」
 素晴らしいですよ、と般若は笑った。
「まずは私の説明を聞いてもらいましょう。これからあなたを殺そうと思います」
 もう一度、般若の男は、藤堂雅は繰り返した。
「一番初めは取り敢えず怯えてもらうために声を奪い、肩を刺しました。次に動きを奪うために針を刺しました。その次は痛がってもらおうと思います。この武器の刃、でゆっくり貴方の指を落としていこうかと思います。それから足の指を。それが済んだら目を刺そうかと思います。気絶をしたらことなので、気絶をしない程度に頑張ります。だからあなたも頑張ってください」
 そして藤堂は言った通りのことをした。ゆっくりゆっくり、時間をかけて指を切り落とす。そして足の指も。寝ている男の鼻の穴から鼻水が出た。目からは涙が出た。気にしない。気にならない。そしてゆっくり、と刃で水晶体をつつく。瞼を閉じないように、左手で無理矢理こじ開けて、それから突き刺した。
「痛いですよね。とても痛いなら、嬉しいです。ではもう片方も」
 そう言って、藤堂は遠慮なくもう片方の光も奪った。そして耳を削ぎ落とす。鼻を軽く裂いた。そして暫くそのままで放置しておく。ガムテープの下でうめく声が聞こえる。ただ自分がそこにいるのを忘れられないように、時折耳の横に刃を突き刺した。
 アンモニアの臭気が部屋に漂う。困りましたね、と藤堂は口先で笑った。
「妻が初めに刺されてから死ぬまで、大体三時間ほどだったそうです。後、五分で、三時間です」
「―――――――――、  、」
「すみません。ガムテープのせいで何を言っているのか」
 分かりません、と藤堂は嗤う。
 かちんかちんと時計の秒針が動く。そして三時間が経った。
「では、あなたを殺します。これからあなたの腹を裂きます。妻と違ってあなたには子宮というものがないから、でてくるのは小腸や大腸などの薄汚いものしかありませんが。でもまぁそれは仕方ないでしょう。諦めます。ですから、始めは少しだけ腹を切り裂きます。それから中に手を突っ込んで、腸を引きずり出してあげましょう」
 痛かったらいいですね、と藤堂は微笑んだ。無論それは般若の面で見えない。それでは失礼します、と藤堂は、その刃を―――――――――腹に、当てた。