哲とシルヴィオ - 6/6

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「…自分を、笑いに来たんですか」
 馬鹿な男だと、と哲は病室のベッドで不機嫌そうに吐き捨てた。その白いベッドの隣にいるのは、シルヴィオ・田辺、その人である。
 シルヴィオはいーや、と言ってからお見舞いにともってきた林檎をするすると剥いて、自身の口に放り込んだ。
「そういうのは普通病人に渡すものではないんですか」
「お前さぁ、俺がお前に林檎を剥いて食べさせてやる光景想像そして見ろ。ぞっとするぞ」
「…」
 確かに、と哲は納得した。そんなのは自分も十分に嫌である。黙りこくった哲にシルヴィオはいつも通りに、まるでここ数年間音沙汰がなかったとは思えないほどに話しかけた。
「馬鹿な奴」
「…自分だって、別につけたくてこんな傷をつけたわけじゃありません」
「どこの世界に自分の体傷つけて喜ぶやつがいるよ。そんな奴がいたらそいつはちょっと変わった性癖の持ち主だな」
 しゃり、と手の中の林檎を齧ってシルヴィオはそう告げた。
「名誉の勲章ってとこか?哲坊」
「そんな大層なものじゃないです。自分は実際、」
 言葉を濁した哲にシルヴィオはわずかに動きを止める。そしてその先を読んだかのように言葉をつづけてやった。それに哲は目を丸くする。
「嫌いなんだろ?まるで昔の自分を見てるみたいで」
「なっ…、なんで」
「あの坊主はな、お前とほぼ同種だな。爺さんがお前を守役に付けた理由も分からんでもないが…今回は人選ミスか?いや…あの爺にそりゃねぇか」
 ぶつぶつと言うシルヴィオに哲はぱくぱくと口を開閉させる。シルヴィオはその口に皮もむいていない林檎を突っ込んだ。哲はそれをげほ、と吐き出して、傷を覆っているせいで片方しか見えない目でシルヴィオを睨みつけた。
 シルヴィオはその視線を受けてから、するりとそれからはずしてぼそりと呟く。お前も駒か、と。意味が分からなかったが、それはどうでもいい。
「自分と同じってどういうことですか」
「自分の命をちっとも大切にしねーところ。ただなぁ、あの坊主はお前よりも性質悪いぞ」
「?」
 疑問符を浮かべた哲にシルヴィオは、話を続ける。
「お前はどうでもいいどうでもいいって思いながら、結局は自分の命が惜しかった人間だ。が、あの坊主はどうでもいいって本気で思ってる。生きてることに、価値が見いだせねぇんだろうな。自分ってもんが何なのかよく分かってねぇタイプだ」
「どういう意味ですか」
「哲坊、お前もし自分の価値観が他の人間によって全部決められてたらどうする」
「は?」
 良く分からない展開に哲は思わず聞き返す。シルヴィオはもう一つ林檎を取ってするするとその皮をむきながら口を動かした。
「そいつ自身は一切求められてなくて、その役割だけが求められたら、お前どうする。誰もお前を求めてなくて、お前が求められているのは守役だけだとしたら、どうする」
「…それは、嫌ですね」
 そう答えた。
 哲もそんなのは嫌だ。仲間には哲と呼ばれて、自分と親しくしてくれているものがいる。そういった繋がりは非常に大切なものだ。だが、あの子供にはそれがない。
「餓鬼の時分からそうやって育てられてきたんだろうなぁ、あいつ。さっきちらっと見てきたが、最低だな」
「…」
 黙り込んだ哲にシルヴィオはそれ以上何も言わなかった。哲もそれで十分に分かったが、解決策など哲は知らないし、どうしたらいいかも分からない。渡された役を確実にやるだけである。
 ところで、とシルヴィオは話を変えた。口調が明るくなる。
「用事でこっちに帰ってきたら、お前が怪我して入院だって聞いてな、驚いたぜ?」
「どうせ自分はまだどんくさいですよ」
「ま、誰かのために体張れるくらいにはなったことは褒めてやろーじゃねーか。よーしよし、偉いぞ哲坊」
「ちょ、あ、頭なでないで下さいよ!もう俺も二十歳過ぎなんですから…っ」
「ほー。じゃ、」
 するりとシルヴィオはベッド下の箱を持ちあげてちらつかせた。そしてにやりと笑う。
「二十歳過ぎのいい年した男にゃ、こいつはいらねぇかな」
「そ、それは――――っ!!まさか!」
 喰いついた哲にシルヴィオは不敵な笑みをこぼして、中身をちらつかせる。
「ああ、そのまさか。いやー手にれるの苦労したぜ?あの一日限定二十個のプリン。病人だからって奮発してやったんだが…そうかそうか、いらねーか。仕方ねーな。これは俺が責任もって…」
「い、いりますいります!食べます!」
「よしよし、人間素直が一番だぜ。ほれ」
 シルヴィオの見舞い品を哲は目を輝かせながら受け取った。それを見て、ぐしゃりともう一度頭をなでてからシルヴィオはじゃぁなと言って、部屋を後にしようとし、そしてふと出口の前で立ち止まった。
「哲坊、おそらく近々その坊主に姉ができるぜ」
「奥様にそのような兆しはありませんが…?それにそれならば姉ではなくて妹でしょう」
「いや、姉だ。俺の情報がキーだな。もし『姉』がそっちに行けば…、」
 そこで一度言葉を区切ってシルヴィオは一拍置いてから続ける。
「全ては爺さんの描いた絵になるだろうよ」
 消えてしまった背中に哲は礼を言うのを忘れて、ぽかんとしていた。

 

 そして、時は流れて。
 哲の前には一人の少女が紹介された。少女の名前は、東眞、といった。