「今回に関しての仕事はこれで終わりか、爺さん」
シルヴィオの問いかけに、縁側に腰かけている老人はその鋭い瞳をゆっくりと動かした。双眸がシルヴィオの深い青と緑の混じった瞳とかちあう。
老人は、元組長は、大地という男は静かにそうだ、とその質問に返した。
「ワシの仕事はここまでだ。あとは勝手に進んでくれる」
「えげつねぇな。この女の子もアンタの駒の一つになるわけか」
「お前がそう判断するならば、そうなるのだろうよ。どちらにせよ、ワシは駒を投げ込むだけでそれを操作する人間ではない」
「よく言うぜ」
ふん、と小さく鼻を鳴らしたシルヴィオに大地は目をつむる。その手にしている湯呑からは、ゆらりと湯気が上がった。そして揺らしたことによって発生したその波を、皺の中にある目が見ていた。
「爺さん、俺の独り言なんだが」
「言うてみい」
目をあげることもせずにそう言いきった老人にシルヴィオは小さくため息をついて続けた。
「息子を殺すための布石は揃ったんだな」
シルヴィオの独り言に老人は返事をしない。ただただ、揺らめく波紋を眺めている。ぱちりとその瞼が一度閉じて、また持ち上がった。やはり瞳は動いていない。
シルヴィオはさらに続けた。
「残酷な男だ。孫に父を殺させるたぁな」
「まだ、決定してはおらん」
「どうせそうなるんだろう、爺さん。あんたが描いた絵図のままに行くならば」
「どうだろうな。あやつ次第だろう。道を違えれば即座に駒は自動的に反応する。それはワシの意思ではなく、駒の意思」
「仕向けた男の言葉じゃねーな」
「仕向けた?あるべき場所にあるべきものを置いた結果が自然的に発生するだけだ」
だからこの男はえぐいのだ、とシルヴィオは言葉を切った。
組を守るためであれば、あらゆることをしてみせる。そして、その災禍が決して自身の身に及ばぬように。肉親ですら、組を脅かすと判断すれば即座に布石を打っていく。見えぬように、分からぬように。慎重に。むごたらしい。
そしてシルヴィオは大地と向き合った。起立しているその大きな影が、大地の枯れた体を覆った。
「さて、俺は俺の仕事をした。爺さんも俺に報酬をくれ」
「ふむ、よかろう。ワシが固執する理由だったか―――――――この組に」
「そうだ。俺が知っている情報はあんたの妻を薬で亡くしたことだったと聞いている。俺の爺さんから」
シルヴィオの言葉に老人はゆっくりと、しかし冷静に語り始める。ことの、始まりを。
「ワシとあの男は共犯者だ。そう、殺された。妻を薬で。ワシが助けに向かった時には既に遅かった。体中に痣を作って、犯されたのだろうな服は破られ異臭がしていた。妻をどうにか連れ帰ったはいいが、心に深い傷を負って錯乱していた。そんな妻にあいつらは、」
「あいつら?」
「今の組の一つ前だ。今の組はその組を食らった形よ」
老人の瞳は波紋が収まりつつある茶の水面に吸い込まれるようにしていた。まるでそこに過去の情景が映っているかのように。
「薬を渡した。油断しておったワシも悪かった。妻は当然薬におぼれた。忘れるために、記憶を消すために。結局、妻はそのまま飛んだ。高層ビルから。薬物中毒者として死亡記録には残されたがな。許せんかった。死に物狂いにあの組を潰す方法を考えた。人一人の力なぞ実際は大したことはない。踏み込んだところで無駄死にをするのが落ちだな」
分かっていたから、と大地は続けた。
「お前の爺さんを探した。情報屋として名高い、お前の祖父を。警察手帳はその時に捨てた。尤も、妻を守りきれんかった時点で―――捨てるべきものだったがな。そしてワシはお前の祖父に会った。信司に頭を下げて、プライドも何もかもかなぐり捨てて頼んだよ。あの組を潰せるだけの情報をくれ、とな」
「爺さんは渡したのか」
「それが同情だったのか、ビジネスだったのか、気まぐれだったのか…ワシにはいまだに分からん。もう本人に確認も取れんしな」
死んでしまっては、と薄く笑った老人の話にシルヴィオは耳をそっと傾ける
「兎も角、それで組を潰した。妻を犯した者を炙り出し、蜘蛛の糸にかかるように殺した。ビデオカメラに撮られた光景は何とも言えんほどに無様なものだったな。あれに妻が犯されたのかと考えれば―――今でもそれは悔やまれる。妻を守れんかった自分にもな。
組内を情報で混乱させ、疑心暗鬼にさせた結果、勝手に殺し合ったわ。皆が死んで、あとは信司の仕事だった。死んだばかりの臓器は十分に利用価値もある。お前は、そっちの仕事はやっておらんのだったか」
「…俺は片付けるだけだな」
「そうか」
その一言で片づけて、ふ、と大地は息をついた。
「組を再興したのは――――もと警察官が組長というのもおかしな話だがな、ワシの目の前で薬を跋扈させたくなかっただけだ。実際警察とうの正義の使者ができる範囲などたかが知れておるわ。裏から手を回した方が格段に結果が出る」
「そーいうのって自己満足って言うんだぜ?」
「人間など自己満足の塊だ。ワシが死ぬまでは―――この目が白く濁るまでは、薬の姿など二度と見たくない。組に固執するというよりも、組の機能自体に固執しとるだけだな」
「奥さん、みたいな人ださないためにか」
「―――――そうかもしれんな」
そうだ、と言いきらないあたりはこの男らしいとシルヴィオは思った。
この男が置く布石と影響は常に関わりのあるものにしか及ばない。残酷な男だというのに、変な所にこだわっている。だからこそこの組が大きくならないわけで、同時に大きくしない理由なのだろう。
「シルヴィオ、お前の父は情報に殺された」
「…」
「信司は、珍しく落ちこんどったよ。出来の悪い息子だったと、そう言いながら、泣いておったわ。ワシはお前の父でも何でもないが、あの信司にお前のことは宜しく頼まれておる」
「利用してるだけの爺さんが?」
「利用している分情報提供も怠っておらんだろう。殺されるなよ、父のようには」
その一言にシルヴィオは首を軽く横に振って肩をすくめた。そして爺さん、と語りかけて背中を向ける。
「あんたが俺の父親でなかったことを心底喜ばしく思うよ」
「言うてくれるわ」
く、と笑った大地の言葉にシルヴィオは、またな、と手を振ってその場を去った。流れていく桜の花弁は、二人の距離を綺麗に遮断した。