哲とシルヴィオ - 3/6

3

 どん、とシルヴィオは地面に背中をつく。
 腹にかかった圧迫感と、突きつけられた金属器の鋭さに笑って両手を上げた。降参降参、と言うと、上に乗っていた哲は手の内のナイフを収めて立ちあがる。服をはたきながらシルヴィオはその体躯を持ちあげた。
「ま、今日はこんなとこか」
「今日も俺の勝ちですね」
 ふん、と笑った哲の頭をシルヴィオはぐしゃぐしゃとかきまぜて、はいはいそーだなと返した。全く悔しさが感じられないその言葉に哲は不服そうな表情を浮かべる。その視線を受けて、シルヴィオは、くと口元を歪めた。
「俺は別に肉体勝負の仕事をやってるわけじゃないんでね。肉段戦でお前に負けようが一向に構わない。それに、だ」
「…それに、何ですか」
 半眼でなおも睨みつけてくる哲にシルヴィオはうっすら、とその顔に酷薄な笑みを浮かべた。そして、黒ではない瞳に不可思議な色を宿す。それに哲はごくりと唾をのんだ。
 シルヴィオは哲の喉が動くのを確認して、その指先を哲の喉仏に添えた。少し圧迫されて、痛みが走る。
「お前は俺に勝てねえよ、哲坊」
 はっきりと言われて哲は目を見開く。かっと頭に血が上った。
 シルヴィオに教えられるようになってから早一月。最近ではシルヴィオと闘っても負けることはほぼなくなってきた。それなのに、この今の言葉。負け惜しみにもほどがある。
「俺はずっとあなたに勝ってる!」
「俺はな、」
 がなった哲にシルヴィオは静かに微笑んだ。
 視線よりも少しばかり高い位置にある笑みにぞっと背中に直接氷を滑らされたような寒気が走った。その薄い唇が、ゆっくりと動いて言葉を作る。
「お前を殺せる」
 その一言に哲の時間が止まった。
 シルヴィオは柔らかな声音のまま、話を続けていく。
「そしてお前はまだ人を殺せねえ。お前がやってんのはまだ唯の喧嘩だ。武器を持って、相手を殺す覚悟がねえならお前は確実に負ける。勝負に勝って人生に負ける。俺が今ここに立っているのは、勝負に負けても人生に勝ってきたからだ」
「な――――…っ」
「俺は遊びで命はかけねえ。本気でこの人生に命をかけている。俺の命が終わる時は、仕事をしくじって――――負けた、その時だけだ」
 一言の重みに押しつぶされそうになる。
 今まで、哲自身認めるほど一般的に見て悪いことをやってきた。病院送りにしたやつだって数え切れないほどにいる。窃盗だってやった。だが、命をかけてやってきたのかと聞かれれば、答えはいいえ、かもしれない。いつだって必ず逃げ道は残してきた。警察に捕まっても、死刑になるようなことはやってない。
 口ごもった哲にシルヴィオはさらに言葉を投げつけた。
「…相手を殺すのは最後の手段だ。殺害は最大のリスクを伴う。ただし、相手を殺す覚悟だけはしとけ。自分の命を守るために。戸惑えばお前が死ぬ」
「俺が…死ぬ」
「ああ、死ぬ。人の体は意外と強くできてるが、それでも心臓をさされりゃ死ぬし、頭をぶち抜かれれば死ぬ。当然だな。だから死にたくなけりゃ殺される時には殺せ。お前の武器はその体で、俺の武器は情報だ」
 その一言に哲は怪訝そうに顔をしかめる。
「情報では人は殺せません。物理的に不可能だ」
「敬語」
「…不可能だと思いますが」
 きっちり訂正されて哲は渋々ながら言い直す。しかし、その直後、身に走った先ほどよりももっと強い威圧感に肌を泡立たせた。
 あのな、とシルヴィオは告げる。
「情報とは全てを覆す『鍵』だ」
 そう言って笑った男に哲は、目の前の男に本気で牙をむけた場合死ぬのはこちら側だ、と本能的に察知した。その反応にシルヴィオは笑って、体を強張らせている哲の頭をまたなでた。

 

「ああもう、いちいち頭をなでるのはやめて下さい!俺は子供じゃない」
 哲は髪の毛をぐしゃぐしゃにしてしまったシルヴィオの手を払いのけて、むすっと睨みつける。それににやにやと笑いながら、シルヴィオは声を立てて笑った。
「おーおー、一丁前に生意気言っちゃってなぁ。明日が盃だからっていいきになるんじゃねぇぞ?哲坊」
「なっていません」
 もし、と哲はカップのプリンにスプーンを差し込んで口に運ぶ。
 それなりには自分も緊張しているのだが、このシルヴィオ・田辺という男と居るとそれを忘れる。会ってから一年ほどたったが(本当に嫌な思い出もある)それでも哲はこのシルヴィオという男に自分を(少なくとも(よい方向に)変えられたという自覚はある。
「祝いなら明日やればいいでしょうに」
「おい、そんなこと言うんなら今すぐお前のそのプリン返せよ?折角この俺がお前にプリンを好きなだけ食っていいって言ってんだぞ?大体明日お前の盃の後は宴会だろうが。二度も三度もお前なんか祝ってたまるか」
「もう食べてしまったものは返せません。あ、すみません、この抹茶プリンも一つお願いします」
 しれっと哲はシルヴィオの嫌味をかわして通りかかった店員にメニューを見せて頼む。店員は哲の隣にあるカップの山を見た後に少しだけ頬をひきつらせて、かしこまりました、と告げた。
 そして哲は手の中にあったふんわりプリン、とやらを食べ終わる。シルヴィオはそんな光景を見ながら、やはり笑っていた。
「あの腐りきったガキんちょがなぁ…あー信じらんねー」
「ええ、これもあなたの鬼のようなしごきの結果ですよ。素直に受け止めて下さい」
「鬼?おいおい、冗談はお前の眼付の悪さだけにしとけよ。俺がいつ鬼のようにしごいた」
「自覚症状がないなら末期ですね。あ、有難う御座います」
 哲は持ってこられたプリンにスプーンをつけた。まったくなぁ、とシルヴィオは頬杖をついて口元を笑わせる。哲はそんなシルヴィオをちらりと横目で見た後―――――ぐしゃぐしゃにされた髪をかきあげた。