40:La mia sorella minore - 5/5

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『ではXANXUS、お前に任せたよ』
 この一言で、正式に、というのもおかしな話だが、正式に黒髪の女が抱きかかえている毛玉はVARIA預かりとなった。半ば押し切られるような形でこの結果となったが、どうせあの狸はもとよりそのつもりであったのだろうとXANXUSは考える。何かあった場合の責任は取るつもりでいるのは間違いないとしても、いささか溜息をつきたくなる様な結果である。
 毛玉をまるで我が子のように抱いている東眞を見て、XANXUSは軽く溜息をつきたい気分になった。切れた電話を乱暴に机に置こうとして、気を変えて銀色の頭に向かって投擲する。投げたそれは見事に銀の頭に直撃した。勿論のこと怒声が響くが、そんなことは知ったことではない。
 そんないつもの光景を流しつつ、ルッスーリアはぽにょんと恐らく頬に当たる部位、髪の毛に隠れてしまっているのおおよその見当でしかないのだが、その部分を指先でつついた。部屋にはXANXUSの意見を待つレヴィ、あまり興味関心がなさそうなマーモン、多少つまらなそうなベルフェゴール、そして非常に不機嫌そうに毛玉を睨みつけているセオが居た。
「それでボス。この子がVARIA預かりになったのは分かったわ。これからどうするの?」
「どうするもこうするもねぇ。ここ預かりになったってことは、使い物にならなけりゃ殺すだけだ」
 尤も基礎攻撃力が高いので、使い物にならないと言うことはないだろうが。
 XANXUSのその言葉にレヴィがボス、と続けた。
「誰がそいつを指導するのですか」
「…」
 その対応にXANXUSは軽く眉間に皺を寄せる。何しろ目の前の髪の毛の塊は東眞にべったりとくっついており、引きはがすこともかなり困難である。だからと言って東眞に指導訓練ができるのかと言えば答えは言うまでもなくNoであることは大変今更な事項である。
 ちらりと赤い瞳を毛玉に向けると、その奇妙な生き物はまるで引きはがされるのを分かっているかのように、さらにぎゅぅと女の体に縋りついた。生体はもうはっきりしているし、対処法もある程度理解できたので引きはがすことはあまり恐ろしくはないが、あの声はやはり厄介なのである。しかし九代目直々に「殺すな」との命令が出たからには、理由もない限り殺害することもできない。使い物にならなかった、というには、やはりこの化物の戦闘能力は高い。
 XANXUSはそこで思い出したようにはっと軽く目を上げると、一枚の黒く長い布を東眞に差し出した。それは両端に紐が伸びており、一見すると装着した日本の褌のように見えないでもない(実際の褌は一枚の布でしかないのだが)
「これは」
「顔につけさせておけ。音波をある程度防げる。それから、そいつの目を他の奴らが見えねぇようにするためだ。髪の毛で普段隠れてるとは言え、面倒なことには変わりねぇ。予防策の一つとしてつけて置く」
「これ、中から外は」
「見えるようになっている」
 XANXUSの返答に東眞はそうですかと頷くと、毛玉にその布を見せてから、一度自身の顔につけ、つけますよと一声かけてから髪の毛の中に手を突っ込むと、それを丁寧につけた。髪の毛の塊は酷く大人しくその行為を受けている。
「ボス、名前はどうするの?いつまでもあれそれこれの指示代名詞じゃ呼びにくくってしょうがないわ」
「あーそれ言えてる。ってかさ、ボス。そいつマジでここの預かりになんの?」
「決定事項だ。文句言うんじゃねぇ」
 ぶつりと呟いたベルフェゴールをXANXUSは一言で切って捨てた。それに金髪の王子はそ、とちらと東眞へと近寄ると、膝に居た奇妙な毛玉を上からじろじろとよくよく眺める。ベルフェゴールの視線を受けて、髪の毛の生物は、そわりと視線を上げた。ここ数日で、この奇怪な生き物もあまり怯えることがなくなり、むしろ好奇心の方が働くようになってきている。本当にすることなすこと全てが可愛い盛りの子供で東眞は思わず目を細めた。
 好奇心の目を布の奥に隠してはいるが、その空気からは十分に読み取れる。ベルフェゴールはにやりと口元を歪めて、その手を布にかけようとした。だが、その背中にひく声がかかる。
「死にてぇなら勝手にしろ」
「…ちぇー…」
「まだ力の使い方も分かってねぇ。そいつは獣と一緒だ。手を出せば噛みつくぞ」
 ボスの言葉にベルフェゴールは口先を軽くとがらせて、長く緩やかにある薄茶色の髪の毛を一筋引っ張るだけにとどめる。それだけでも髪の毛の塊は大層嫌な反応を示して、助けを求めるように東眞の体へと反対に抱きついた。ベル、と東眞が諌め、ベルフェゴールは詰まらなさそうに摘まんだ髪の毛から手を離した。
 そしてXANXUSは名前か、と少しばかり唸る。
「実験体008と記されたプレートは見つかったみたいだね」
「008かぁ…つまり、001から007は失敗したってことかぁ。八番目の成功作、ってことだなぁ…いっそそのままでいいんじゃねぇのかぁ?」
「八番?ちょっとぉ、そんな愛想のない名前にしないのよ。この子、女の子よォ」
 ルッスーリアの言葉に、は?とスクアーロを唖然とする。女?ともう一度聞き返したスクアーロにルッスーリアはそうよ、と小指を軽く立てて、毛玉の頭頂部をその手で撫でた。ルッスーリアにはもう随分となれたようで、気持ちよさそうに頭をあげてその髪の毛をふさふさと揺らしている。
 スクアーロは信じられないとばかりに東眞の膝の上に乗っている髪の毛の塊を見た。
「てっきり、無性だと思ってたぜぇ…」
「ベースは人体そのものだ。人体をいじくりまわしてできたのがこいつだ」
「成程なぁ…。で、名前はどうするんだぁ?八番でも八号でもかまわねぇ気もするが…」
 判別さえできればいいとのスクアーロの言葉にXANXUSは子供を抱える女の様子を見て、一つ溜息をつくと、ぽつんと声を出した。
「Redazza…ラーダ」
「モップかぁ!こりゃ、尤もだぜぇ!」
 確かに、とスクアーロ笑う。外見は髪の毛の塊で、それはまるでボロ雑巾のようである。ボスにしちゃいいネーミングセンスじゃねぇか、と言いかけてスクアーロは慌てて口を閉じたが、少しばかり時遅く、見事にその頭部にボトルがめり込んだ。
 XANXUSはその赤い瞳を向けて、髪の毛の塊を見やる。
「ラーダ、だ」
「…モップですか…?」
「文句あんのか」
 困ったような顔をした東眞にXANXUSは眉間に皺を寄せたが、女の膝の上に居る毛玉が嬉しげに両手を上げたのを見て満足げに口端を吊り上げる。
 東眞はこんなのはどうでしょうと持ちかける。
「ラヴィーナ。あ、そうそう、この子筆記ができるんですよ」
 思い出したと東眞はソファに置いていたクロッキーと筆記用具を見せた。こんなに小さいのに意外ですね、と笑いながら東眞はそれを伸ばされてうろうろしている手に持たせた。そうすると髪の毛の塊は楽しげにクレヨンを手にクロッキーに文字を書く。まだ子供だからなのか、それとも原因は他にあるのか、文章ではなく単語で文字が記される。
 脳にインプットされていたのはイタリア語なのか、紙の上に滑る言語もイタリア語だった。そこには「Redazza」と「Lavinia」と正確に己の名前を書きだされており、髪の毛の塊はそれを嬉しげに髪の毛の奥にしまい込んだ。どうやら両方気に入ったようである。名前が二つもあって混乱しないのか、と数名は思ったようだが、本人が大層喜んでいる様子なのでぐだぐだと言う趣味も、そして愛想もそこに居た人間には一欠けらも存在しなかった。
 XANXUSは目を閉じて、ふっと息を一つ吐く。
「ラーダでもラヴィーナでも好きな方を使え」
「俺は勿論ラーダです、ボス!!」
 そして勿論即座に反応したレヴィであった。そんなレヴィの一言を軽く無視してXANXUSはその背中をソファにぎっしと預ける。グラスをもう一つ引っ張り、レヴィが差し出したボトルからテキーラを注ぎ傾ける。未だに不服そうな顔をしているセオを見たルッスーリアはあら、とその頬をついと突っついた。東眞もセオの不満げな顔を見て、そんな顔しないで下さいと声をかける。セオはそれにむすっとして視線をそらした。
 東眞は苦笑しつつ、そしてちらりとXANXUSの方へと顔を向けた。それはラヴィーナを抱きかかえている時からずっと考えていることであった。良い機会であるしと東眞は自身の考えを口にする。
「…XANXUSさん、この子、私の子供として育ててはいけないでしょうか」
 唇につきかけたテキーラをXANXUSはグラスを水平に返すことで元に戻した。先程の発言の意味が今一理解できない。思わず、母音を二つ並べて珍しく東眞に問い返した。
「あぁ?」
 それに合わせて他の視線も全てが東眞へと集中した。膝の上にのる小さな命を撫でながら、東眞は駄目でしょうかと許可を求めた。
「養子に欲しいとかそういう意味ではなくて、私の子として育てるのは駄目でしょうか」
 東眞の身体的な問題を知っているルッスーリアを始めとした幹部は、その言葉に互いの顔を見合わせた。小さな、それこそ幼児と呼べる年頃の子供が現れてこうも懐いていれば我が子として育てたくなる心情も分からないではない。
 低い声がその問いかけに答えた。
「てめぇ、そいつがどういうものか分かってんのか」
「兵器として作られた子、でしょう?兵器でもこの子は、人です」
 分かっていますと東眞は首を上下に振って続けた。
「怯えたり、喜んだり。力を使うには知識だけでは駄目ではないですか。それをどうして行使してよいのか、何のために行使するのか、力の使い方だけを覚えて使うのは、貴方の信条に反するのではありませんか?」
 口が立つ、とXANXUSは眉間に軽く皺を寄せた。額を軽く揉んで軽く溜息をつく。吐き出された息は深く低く、まるで床につきそうなほどに長く伸ばされて切れた。
 彼女の言は理論的に間違ってはいない。髪の毛の塊は自我を持っている時点で、兵器と人の間でその存在を彷徨わせていく。成長すれば確固たる己の意思と言うものを持ち始め、武器としての資質以前に人としての資質を問われることとなるだろう。生物兵器の最も厄介なところと言えばそこである。兵器なのか、それとも生物なのか。兵器としてだけならばそのまま即戦力として戦場に放り込むことができるだろう。それはもう匣兵器や銃などの武器と同等の扱いができる。しかし、生物となれば話は少し異なる。自我が薄いうちはそれでもいいのかもしれない。しかし、それが生物である以上、そして高度な思考認識ができるようになればなるほど、その行動に何かしらの疑問を抱くようになる。何のために殺すのか、それを理解しない殺害ほど意味のないものはない。
 ただ例外的にこの生物は、殺害を目的として作られており、己の場所を作るためには「殺害」をしなければならない。そうでなければ、この生物にVARIAにおける居場所すらない。全てを見越してVARIA預かりとしたあの老人の枯れ木のような背中を思い出してXANXUSは軽く舌打ちをする。
 この女がいるこの場所では、この子供が、正確には生物兵器が、ただ殺害の道具として扱われることなく、人の子としても扱われるであろうことをはなから理解して、預けた。
 くそじじい、とXANXUSは毒づいた。あの老獪は全くやることなすこと忌々しいのである。嫌がらせのような配置をしてくる。
「同情なら止めておけ。てめぇは街にいる餓鬼共全部拾ってくるつもりか」
 全くの正論であった。一人を救うならば全員を、偽善の塊であるかのような言葉にXANXUSは僅かながらに胸がざわついた。東眞は一度言葉を詰まらせたが、いいえと首を横に振る。
「私は、そこまで優しい人間ではありません。救いたいなんてそんな大それたことは思えません。考えられない。言葉にするのはとても難しいですが、こうやって、」
 そう東眞は自身の膝の上に座るラヴィーナを一度抱え直して、その小さな手を取った。まだまだ小さく、柔らかい。
「…こうやって、小さな手を取るたびに考えるんです。母になりたい、と。それだけなんです。とても我儘で、自己中心的な感情です。ここにいたら、どんなことをしても私はこの子を見ることになる。膝に乗っかったり抱き抱えたり。伸びてくる小さな手を他人として扱うには、私はどうにも我儘です」
 我儘だ、と東眞は苦笑する。それでも、膝の上の重みに腕を動かさずにはいられない。
「家族ごっこ、と、言っても間違いではありません。同情…いえ、そうですね、情が移ったんでしょう。私は、この小さな手を一度手にしてしまった」
 否定した言葉を東眞は肯定した。同情とは多少違うのかもしれないが、決して違うとは言えない。同じ部分も多いのだろう。救える救わないの話ではなく、ただ縋りついてきたこの小さな子にセオと同じように愛情を注ぎたい。ペットのように飼い主としてではなく、母として。
 東眞の言葉にXANXUSは口をゆっくりと開いた。グラスはまだ投げられていない。
「その気がないのに手にしたものを投げだすのは非常に無責任です。私は母としてこの手を一度取ってしまった。ならば、最後まで。私の命が尽きるまで、この子の命が尽きるまで、私はこの子の母でありたい」
「てめぇの餓鬼ってことは俺の餓鬼か?」
「母であることと父であることは違いますが…XANXUSさんはこの子の手を取られていませんから、それはお任せします。私が母であるからと言って、この子の父である必要はありません」
「紛らわしい。勝手にしろ。ただし、」
 ただしと一度XANXUSは言葉を切った。そしてグラスの中のアルコールをぐいと飲み干す。視線は東眞へと向けず、ただ空になったグラスへと注がれていた。
「忘れるな。そいつが兵器としての力を持っていることはな」
「ええ、分かっています」
 兵器としての、との言葉にスクアーロはふとXANXUSを見た。彼自身もある意味その東眞の膝の上に乗っている生物と似たような面はある。死ぬ気の炎はそれだけで十分な武器となる。それが攻撃力が高い憤怒の炎ならば尚更だ。そしてかの生き物を抱く東眞は九代目か、とスクアーロは目を細めた。XANXUSがその光景に何を見たのか、どう思ったのか、スクアーロには理解の及ばない所ではある。だが、彼がそれに対して怒鳴りつけなかった時点で、何かが変わったのだろうか、とスクアーロはそう思った。
 そうなると、と東眞はくすと笑う。
「セオはラヴィーナのお兄ちゃんですね」
「お、お兄ちゃん?!」
「そうでしょう?ラヴィーナはもう私の子供なんですから」
 不機嫌そうな顔をしていたセオは突然の言葉に大きくその目を丸くする。ええ、と驚いているようだが、妹という単語を口の中で繰り返して、先程までの不機嫌そうな顔を払拭するとそわと肩を軽く揺らした。
「なんだぁ?さっきまでは嫌そうな顔してたくせに、妹だってことになったら随分そわそわしてるじゃねぇかあ」
「だ、だって、俺、妹できるなんて思ってなくて。妹か…いもうと…」
 坊主憎けりゃ袈裟まで憎し、の逆バージョンだろうかとスクアーロはくくと笑う。「妹」という代名詞がついただけだというのに、酷くそわそわして落ち着きがない。勿論悪い意味ではなく、なのだが、妹かぁと大層嬉しそうにはにかむ子供を見ていると、やはり親にも言えない部分はあったのだろうと思う。東眞がもう子供を産めないのはセオも知っているし、だからこそ妹や弟などには多少なりとも憧れていた、というのは否めない。
 セオは髪の毛の塊を抱く母に近づき、そしてわくわくとしながら手を伸ばした。だがしかし、セオの手が伸ばされた、ただそれだけの動作だと言うのに、ラヴィーナは慌てて東眞の膝から飛び降りるとソファの陰に隠れた。まるで、セオから逃げるように。
「…え…な、何で?俺何もしてないよ?マンマ?」
「…ラヴィーナ?」
 いらっしゃい、と東眞が声をかけてもソファの陰からのぞく髪の毛はフルフルと震えた。セオはどうして逃げられたのか分からずに、ソファの側までラヴィーナを追いかけたが、それをすると、毛玉は床を掃除しながらXANXUSの机の下にすいと潜り込んだ。
 セオはその行動に愕然とする。後ろからスクアーロがああ成程と遅ればせながら納得する。
「考えても見りゃ、最初は銃で殴るし、二度目は怖ぇ顔して銃口突き付けりゃ苦手にもなるのも納得だぜぇ」
「…そんな!俺の顔よりバッビーノの顔の方がずっと怖いよ!!今だって、凄く眉間に皺がぁ!」
「…何だと?糞餓鬼が…」
 額にセオは見事にグラスをめり込ませて後ろに倒れた。一言も二言も多いのはスクアーロの教育のせいなのかどうなのかは誰も知らない。幸い、グラス中の酒は全て飲み干されていたのでアルコールを頭から被ることはなかったのだが、額にはくっきりとグラスがぶつかった赤い痕が残った。セオは尻餅をついて涙目でグラスがぶつけられた部分を撫でる。
 尻餅をついた姿勢からは机下のラヴィーナは見えない。だが、机の下にいるのはかさかさと音で分かる。
「バッビーノずるい…」
「うるせぇ」
「ラヴィーナ?えーと、おいで?怖いことしないから」
 ほらほら、とセオは気を持ち直して立ち上がると、XANXUSの机の横を回って机の中を覗き込む。案の定そこには薄暗い中にだが、髪の毛の塊がもさもさとしていた。だが、セオが手を伸ばすと、逃げるようにXANXUSの黒いブーツにしがみついた。ずるい!とセオは声を上げたが、その途端にセオの頭に拳が落ちた。痛みにセオは呻きつつ蹲る。
「お、俺だって任務じゃなかったら殴ったりしないよ…」
「ばーっか。そんなの、んなチビに分かるわけねーだろ」
 ベルフェゴールは頭を押さえてぐすと鼻をすするセオを笑う。そしてひょいと自身もXANXUSの机の下に引き籠ってしまったラヴィーナに手を伸ばしたが、笑いながら伸ばされた手から逃げるようにまたラヴィーナはXANXUSの背中の方へと逃げた。
「ベルだって一緒じゃん」
「…うっせーな…」
「さっき髪の毛引っ張ったのが駄目なんじゃなーい?」
 ルッスーリアはそう声をかけて微笑した。大丈夫だよ、とセオは言いながらラヴィーナに再度手を伸ばそうとしたが、その手は届く前に自身の頭へと回されることとなる。XAXNUSの大きな手が林檎を割るが如くセオの頭部をわしづかみにしていた。ぎちぎちと頭蓋骨を粉砕しそうな勢いで力が込められる。
 セオは当然のように痛い痛いと悲鳴を上げた。ベルフェゴールはさっと身を引き、口元を引き攣らせて身の安全を図る。
「…てめぇ、こいつの特性聞いてなかったのか?あぁ?」
「ききき、聞いてた!聞いてたよ!」
「なら迂闊に発動させるような真似するんじゃねぇ!ドカスが!」
 ぶんと振り回されて、セオは宙で一回転してから綺麗に着地と同時にちぇぇ、と溜息をついた。そしてそんなセオを見て、周囲からどっと笑いがわく。それにセオは笑い事じゃないんだけどなぁ、とひそやかに肩を落とした。

 

 よろしかったのですか、と杖を持つ老人に声がかけられる。
 ティモッテオはそれにああと穏やかに返事をして、机に置かれていたコーヒーを一口飲んだ。
「あそこには東眞さんもいるだろうし、何より、あの子供はここでは居場所を見つけられないだろう」
「…苦しいところですな」
「こればかりは仕方ない。声と目を潰してしまえば…普通の世界で生きる方法も見つからないこともないが…それは、流石に躊躇われる。ならばいっそ、あの子のままで生きる場所を与えてやることこそが私にできることだ」
「全てを見通してXANXUSに預けたのですか、九代目」
 あの子には悪いことをしただろうか、と少し心配そうにティモッテオはカップを机に戻した。芳しいコーヒーの香りが鼻を擽り、部屋の中でくるくるとゆるやかなラインを描いていく。
「あの子も、変わってきている。色々なものが変わってきている。あの子も、ボンゴレも。私はいい方向に変わってきているのではないかと思っているよ。いつかXANXUSが、そう、私に笑ってくれる日も来るのではないかと期待できるくらいには…変わってきているのではないかな」
 一度も笑ってくれなかった息子。
 ティモッテオはその表情を思い出しながら、深く息をつき椅子に凭れかかる。今でも笑った顔は見たことがない。上から見下ろす、嘲笑に近い笑みは幾度も見たことがあるのだが、優しげな笑みと言うものは未だに見たことがないのである。否、見たこと自体はあるが、それが自分に向けられたことはない、というのが正しい。
「そう遠くない日ではないかな。セオもよく私をノンノと呼んで遊びに来てくれるようになったし…」
 そわ、と嬉しげに肩を揺らしたティモッテオに家光は苦笑を浮かべる。
「私も早く孫の姿がみたいですな」
「孫はいいぞ、家光。可愛い!それと息子との仲を取り持ってくれる!」
「ご安心を、九代目。心配せずとも私と綱吉との間柄は非常に良好なものです」
「…」
 きっぱりと言い切った家光にティモッテオはそうだったか、と残念そうにコーヒーをまた手に取った。