40:La mia sorella minore - 3/5

3

 鷲掴んだ頭部がふごふごと動く。何か喚いている様子であったのだが、XANXUSはそれに頓着すすることをしなかった。ただ、ほんの僅かに、まるで林檎を片手で握りつぶすが如く、手の平に込めていた力を増やした。呻き声がさらに大きくなる。頭部を掴む手首を、頭を掴まれている男が必死になって放せとばかりに引っ掻くが無視をする。XANXUSの足元には幾つもの死体が転がっており、銃殺された者、頭部を吹き飛ばされた者、消し炭にされた者、の体が骸となって存在している。無論、それに抗議する者はもはや誰も存在しはしない。先刻までは存在していたのだが、毛でできた絨毯へ己の体液を撒き散らして死んだ。最後に残る抗議者は至極残念なことに、頭部を押さえられ、一刻一刻とその死出の旅路へと歩みを進めている。
 老齢の男が生きているのはただ、ただ単に偶然にしか過ぎなかった。XANXUSが今現在通信機に向かって話しかけている、それだけが男の命を繋げている。通信が終われば、XANXUSはその手に炎を灯して男の頭を文字通り消し飛ばすだろう。灰すら残さずに。
「兎も角、連れて帰れ」
 そしてXANXUSは通信機から聞こえていた聞き慣れた声をそこでぶつんと強制的に終了させる。赤い瞳がゆるりと動き、頭部を掴まれている男の怯えた瞳へと焦点を合わせた。
 全て、殺した。もはやこれを最後として誰も残っていない。白と茶色が混ざっている髪の中に突っ込まれている指に力がさらにこもる。ぎちぎちとそれは頭部を締め上げて、男をさらなる死の恐怖へと誘う。XANXUSは喉を震わせてその低音で空気を振動させる。
「てめぇで、終わりだ」
 そして赤い瞳の男は、鷲掴んでいた男の頭部を瞬間的に焼き尽くした。最期の言葉などを聞くつもりは一切なく、重みを持った首から下は絨毯の上に力なく倒れた。どさり、と音がして人が倒れたことを示す。もっとも、その重さを示す音は、頭一つ分は軽い。本来であれば、首を落とした死体からは血が吹き出るはずなのだろうが、血管さえも焼き潰した攻撃は、一滴の血をもその場にそれ以上流すことを許さなかった。崩れ落ちた骸の手足はだらしなく他の死体と同じ意思を持たない肉塊に変化する。統率を司る脳が一つなくなっただけで、人の体はヒトという存在から肉の塊へと変わるのだから惨めなものである。尤も、その惨めさを理解することは、死した人間にできることではないのだが。
 XANXUSは静かにその部屋に立っていた。これで殺しつくした。残党もいない。研究所の人間は殲滅させた。任務は、終わった。コモファミリーはここで断絶される。誰もその遺志を継ぐ者もおらず、生かさず、ここで立ち消える。がつがつと死体ばかりが花道を作る廊下を歩き、そして外へと歩みを進める。吹き抜けた風が頬を撫でた。外の空気は、冷たい色でかすれて消えていく。月もない夜では、さらに鮮明にそれ感じ取られた。
 そしてXANXUSは、こぉとその手の平に憤怒の炎をめい一杯に灯す。そして手の平を言うほど大きくもない建物に向けた。これから彼が何をするのか、そして彼がしたことで何がどうなるのかは、彼の部下であれば誰でも知っていることであった。瞬きさえも許さぬほどの光が破裂する。光の球はまばゆい、それこそ花火など目ではない程の閃光を放ち、そして消える。何もかもを飲み干して消えた。光が灯された場所には何一つ残っていなかった。鉄筋コンクリートすらもそこには存在していない。ただの更地がそこに、あるのみとなった。彼自身が生み出した血と肉の海ですら、消え去った。証拠隠滅、と呼ぶにはいささかスケールが大きすぎるだろうが。
 ごつりとブーツを鳴らして、その黒い隊服を暗闇で揺らす。全ては終わった。もはや、何も残っては、いない。

 

 東眞は目の前の毛の塊を見下ろしていた。居間やキッチンでその毛の塊を見たと言うわけではない。ただ単に、包丁で指を切ってしまったから絆創膏を貰いに行こうとしただけであった。しかし、東眞はそれを見かけた。幸か不幸か、それを見かけてしまった。白いベッドシーツを真赤に染め上げた毛玉の塊。髪の毛が散乱し、その間から伸びている小さな手は赤い斑どころか、血の色一色であり、いっそ肌の色がその色でしたと表現する方が随分としっくりくるであろう。それは、扉の鍵を内側から開けた状態で東眞を見上げていた。
 見る限り、幼児である。人間の。開けた扉の先にそんなものがいれば当然のように驚く。が、しかし、色々と驚きなれてしまった東眞にとって、それは十分に対応できる事態であった。毛玉は扉の反対側にいた東眞の姿を認めると、素早動きで床を滑るように対極の壁へと逃亡した。ざざとその長い髪の毛が床をこすり、未だ乾き切っていない血の痕を床に残す。壁にへばりつくようにして存在する毛玉は、何故何どうして、どこをどう見ても不気味、としか表現しようのないものであった。だが、目の前の髪の毛の塊は、野生動物が他の動物に出会い威嚇するための牙と爪と毛を持っていない。ただ、警戒しているというのだけははっきりと分かる雰囲気であった。恐怖と怯えから、全身を強張らせ、近寄るなとばかりに反対側の壁を逃げようとこする。小さな手が足掻くように五本の赤いラインを描いた。
 床を彩る血の量に反して不思議な生き物の動きは非常に俊敏であるから、おそらく返り血か何かだろうと東眞は判断する。万に一つか二つ、この髪の毛の塊が怪我を負っているとして、それに手出しができるほど自分は力を持った人間ではない。おそらく、この生物こそがXANXUSが口にしていた「預かりもの」ではないのだろうかと、東眞は判断した。ならば自分がすることなどありはしない。むしろ手を出して爪を立てられるのは問題外である。
 多少気になりはしたものの、東眞は毛玉への注意を怠ることはせず、救急セットから消毒液と絆創膏を取り出すと、小さな怪我を負った指先の治療を手早く済ませる。
 東眞が全く無視を決め込んでいるので、毛玉はその警戒心を自然と解いた。ただ、逃げ出そうとそわそわしているようでうろうろと床を這いまわっている。一度閉められた扉を開けることはどうやら本能的に拒んでいるようであった。また、何かが現れるのを忌避してのことだろう。自分以外の動くものが恐ろしい、と言った感じである。
 セキュリティロック(これは認証式で外から簡単に開けることができるが)で閉ざされているだけでなく、恐らくこの部屋は外側から鍵もかけてあったのだろうな、と東眞はそう思う。そもそも危険(かもしれない)生物を鍵もかけずに放置することはあり得ない。何かあって、一時的にこの救護室に閉じ込めておいたのはいいけれども、先にこちらの生物が目を覚まして内側からその扉の鍵を開けてしまった、というのが最も正しい見解と思える。
 絆創膏のシールをゴミ箱に捨てて、東眞はそわそわとしている毛玉を視界の端で捉える。椅子を立った時にした音で、毛玉は一層大きく震えて部屋の隅へと逃げ込んだ。動きを見せる時は小さな真赤な、皮膚の色はそれではないのだろうが、その四肢がひょこひょこと僅かにのぞき見える。だが、部屋から出て行こうとすると、そわりとその毛玉が動いた。ベッドの端の足に手をかけて、そわそわと落ち着きのない様子でこちらを見ている視線が背中に突き刺さる。しかし振り返ると、髪の毛の塊はざざとその姿をベッドの陰に隠した。何がしたいのか、当然のように東眞に理解できるはずもなく、数秒どうしようかと迷ってから、東眞は背を再度向けて一度閉じた扉に手をかける。だが、やはり視線が突き刺さる。視線だけ後ろを向けば、先程よりも大きく幅を取って出ている髪の毛の塊があった。
 恐怖からの逃亡か、それとも好奇心故の接近か。それを理解するための意思疎通方法を東眞は有していなかった。
 出て行こうと一歩、敷居を乗り越える。追いかけてくる様子はないが、さらに強い視線を背中に感じた。構ってほしいのか、それとも早く出て行って欲しいのだろうか。後ろ手に扉を閉めようとすれば、ざざと音が大きくくっついた。脚に一つ分の体重が衝突して、ひざ裏を折るようなそれに体が一瞬落ちそうになったが、それはどうにかで耐える。ジーンズの外側に、内側まで染みてはいないのだが赤い、血のラインがついた。
 へばりついた髪の毛の塊の手の平は思ったよりも強く、それはそう、セオが小さかったころの手の平の強さを思い出す。XANXUSが抱こうと、その小さな体を持ち上げて引っ張ったと言うのに、セオときたら服を掴んで離さずにびえびえと泣いていた。それと、よく、似ている。
 子供なのだろう、と東眞は思った。この小さな生き物の行動は全て子供である。子供、というにはまだ早い。おそらくは幼児ではないのだろうかと東眞は推測する。寂しいのだけれど、恐ろしい。見知らぬ人に怯えるが、誰もいないと心細い。そういう時期の年頃であれば、ここを離れてしまうことを母である自分はできればしたくないと思う。そしてできないと思った。縋りつく子供の手を振り払うほど、自分は母を捨てられない。
 東眞は少し体の向きを変えて、脚にしがみついた毛玉を持ち上げる。小さいころの、セオの重みがした。抱き上げたことで、一度は震えた毛玉だが、敵意が完全に存在しないのを察知したのか、代わりに寂しいとばかりにその首にかじりついた。べとり、と首にぬめった液体の感触を知る。さてどうしようと東眞は逡巡し、側にあったメモ帳を手に取ると、横に文字を連ね、赤い染みの付いたシーツの上に置く。
「体を洗いましょうか。気持ち悪いでしょう。服は小さいころのセオのものがありますから、それを貸します。お風呂、分かりますか?」
 小さな生物は首を傾げた。伝わっているのかどうかは別にしろ、風呂に入れてやろうと考える。ベッドの上にメモも残しておいたことだし、この腕の中の小さな生き物には殺意も敵意もない。いざとなれば助けを呼ぶこともできる。
 小さい子を抱き抱えて、東眞は廊下を歩くと風呂場にたどり着く。コルクをひねれば湯がでたが、それに驚いたのか、ぎゅうとしがみ付く手が強くなる。大丈夫と背中を叩いて落ち着かせれば、腕の力はほんのわずかに緩んだ。全く、何一つ知らぬ赤子と同じ反応をする。もしも、と東眞は考える。もしももう一人、子供がいたならばきっとこういうものなのだろうと目を細める。
 服を脱がそうと一度その髪の毛の塊を下ろす。しかしよく触ってみれば、衣服の類は一切付けていなかった。成程、と東眞は納得して自分も服を手早く脱ぎ、洗濯物籠にそれを放り込む。
 そして、うろうろと頭を彷徨わせているその生き物をもう一度抱き上げると、湯気が立ち込める中に入った。先に湯船に入れると湯船の水が真赤になることは目に見えていたので、それをせず、先に小さめの椅子を引き出すと、その上にその毛玉を座らせる。ちょこんと座ったそれだが、すぐにうろたえて東眞の首にかじりついて安堵を求める。しっかりと組みついてしまった体を引きはがすことはどう考えても困難なので、諦めて、その小さな体を抱え直して自分自身で椅子に座ると、かじりついている体に合わせて湯をかぶせた。どぷん、と髪の毛を通過して皮膚に触れたその湯の色は赤く染まる。痛みを訴えてこないので、怪我はないのだなと東眞は再確認する。
 側に置いてあったスポンジを手に取り泡立てる。毛玉は体にかじりついたままその泡立つ様子を何とも不思議なものを見るかのように首を軽く傾げた。そんな可愛らしい光景に東眞はくすと思わず笑みをこぼして声をかける。
「石鹸ですよ。今から体を洗います」
 十分に泡立てると、東眞はその小さな体の髪の毛を上に持ち上げようと手を触れたが、その手は慌てた様子ではじかれた。そして、小さな生き物の小さな両手は、自分を覆い隠す髪の毛を下にぐいぐいと引っ張って持ち上げられないようにしようとしていた。嫌なのか、と東眞はそう判断し、ごめんなさいと謝る。
「…先に髪の毛を洗いましょうか。大丈夫ですよ、持ち上げたりしませんから」
 ほら、と東眞は一つ微笑んで持っていたスポンジを下に戻すと、シャンプーを手にとってその頭の上に乗せるとくしゃくしゃと混ぜる。小さな両手は未だに髪の毛をぐいぐいと下に向かって引っ張っている。だが、頭を洗われていること自体は嫌ではないようである。上から下に向かって洗い、毛先は持ち上げることなく、そのままの位置で洗うと上からざばざばとシャワーをかけて泡を落としていく。リンスはどうしようかと悩んで、結果的に手早く済ませて洗い落とす。
 そして、さてと先程置いておいたスポンジを手に取り直して、髪の毛を持ち上げずに、髪が濡れたことによって分かった体のラインで両手を優しく引っ張りだして丁寧に洗う。乾いていた血も先程から数回掛けられている湯によって随分落ちていたが、泡がどんどんと赤くなっていくのは流石に問題のようにも思えた。数回スポンジを洗い直してから、東眞はようやく、その体を洗い終えた。ざばん、と大きく泡が流される。
 小さな子供はきっちりと洗われて、東眞の膝の上に安心しきったように体重をかけた。可愛らしいものだと東眞はその頭を優しく撫でる。
「最後に顔を」
 洗いましょうと手を伸ばしたが、また髪の毛が顔のラインを目立たせるくらいに下に引っ張られる。今度ばかりは明らかに嫌がっている。ならば仕方ないと東眞も諦め、ためてあった湯船に二人で一緒につかる。ざらざらと長い髪の毛は水中に浮いたり、下に沈んだりとまるでクラゲのような光景を湯船に広げた。
 東眞はタオルを湯につけ、そして顔を見ぬように髪の下からその小さな顔を優しく叩くようにして拭った。タオル先が赤く染まったが、全て拭き終えると、やはりその小さな髪の毛の塊は気持ちよさそうに体を揺らした。ぱしゃぱしゃと湯の水を叩く小さな手を前に、東眞はタオルを一度洗うと、その目の前で空気を含ませると風船を作ってやる。毛玉はそれをみて、大層嬉しげにその風船を両手で持って潰した。
 そして思い触れ、感じる。
 もう命を育めぬこの体で、新しく小さな可愛い命に触れている、その喜びを。

 

 スクアーロは連れて帰った毛玉を一度救護室のベッドに放り投げると外側から鍵をかけて、セオの体を応接間のソファの上に寝かせる。外傷はなく、ただ意識がないだけで一切問題がないようにも思われた。うつぶせに倒れたため、前面は全く血の色に染め上げられている。
 Jr、とスクアーロは声をかけた。そのまだ筋肉の薄い肩を手袋の付いている手でつかみ、軽く上下にゆする。う、と短い呻き声が上がって、セオはその銀朱を瞼の裏から見せた。そしてがばりと体を起して、ふっふっと息を荒くして自分の両手を見下ろす。ただならぬセオの様子に、どうしたと声をかけたが、即座の反応はない。ただ、一拍二拍置いてから、セオはスクアーロの存在に気づいたように、脂汗を、それは真赤に染まったそれだったが拭った。
「…スク、アー、ロ。ここ、は?」
 きょろとセオは周囲を見渡して、頭を押さえる。まだずきんと頭痛は残っているものの、自身の思考を破壊されるような感覚は消えていた。
 セオのその尤もな問いかけに、スクアーロは本部だぁ、と分かりやすい答えを返し、何があったのかを尋ねる。セオはうんと頷き、しかしそこで、その毛玉が見当たらないことに気付く。そんなセオの様子を見たスクアーロはおお、と頷くと、その毛玉をどこへ連れて行ったのかをしっかり返した。そして、拾い上げていた銃をセオに返す。
「…よく、分からないけど。あの毛玉に目があったんだ」
「…まぁ、そりゃあるだろうぜぇ」
「違うんだ。あったんだけど、凄く変わった目で…それ見たら、何て言うんだろう、俺、俺…頭の中がぐちゃぐちゃになった。自分が自分じゃなくなる様な、自分の中に土足で踏み入られて、それで掻きまわされたって言うか…」
 上手く言葉にできていないようだったが、セオの言葉を聞きながら、スクアーロは成程と頷く。ようは、あの髪の毛の塊のような生物は、精神攻撃をセオに仕掛けてきたと言うことになる。恐らく発動条件は相手の瞳を見ること。
 それを判断し、スクアーロは取り敢えずとセオの肩を軽く叩いた。
「もう、大丈夫だなぁ。気分は悪くねえかぁ?」
「…うん、大丈夫」
 多分、とセオは立ち上がったが、瞬間的にぐらつきスクアーロの手に支えられる。心配そうな銀の瞳を受けて、セオは首を慌てて横に振ると量の足でしっかり立ちなおした。ふ、と短く息を吐いて今度はしっかりと首を縦に振るう。
「大丈夫。それで、あの生き物は?起きたの?」
「いや、てめぇをこっちに先に連れてきた。あいつは救護室に閉じ込めてある。外側から鍵もかけてあるしな…内側からでも開けられるが、あれが気付くのはもう少し先だろう」
「…様子、見に行こうスクアーロ。俺、多分そんなに強く殴れてない」
 ふらついた体で殴ったものだからきちんと押さえられていたかどうかも分からないし、そこまで強く殴れた記憶もない(殴ったかもしれないのだが)セオの対応に、スクアーロはそうかと返して頷いた。
 そしてセオとスクアーロは二人で長い廊下を歩く。他の隊員たちは個々の依頼も残っており、雑務に追われている者もいるために、廊下を歩く者は少ない。VARIAのボスであるXANXUSはコモファミリーの本拠地を潰しに出向いている。研究所自体はイタリアにあったために、スクアーロとセオはこのように早く帰宅できた。
 無言のままに廊下を歩きながら、しかし、セオははっと顔を上げた。それはスクアーロも同様であった。
 扉が、開いている。
 だむんと二人は同時に地面を蹴って、開いている救護室の中へと飛び込むが、ベッドのシーツは赤い色だけ残して、中にはだれ一人として残していない。くそ、とスクアーロは大きく舌打ちをした。セオはそのシーツの上に乗っている紙に気付いて、顔を青ざめさせた。
「マンマ!」
「何?どうした、Jr!」
 横をすり抜けたセオにスクアーロは制止をかけるものの、セオの速度の方が随分と早い。廊下を駆け抜けたセオを追う前に、彼が取り落とした紙を拾い上げ、そしてさっと同様に顔を白くする。
「ばっ、あの…!Per la miseria!(畜生)」
 待てとスクアーロはその銀を空気に泳がせてセオの後を追いかけた。コンパスの違う足はすぐにセオの背中に追いつく。セオの目に今スクアーロは見えていなかった。ぎゃぎゃと角を凄い勢いで曲がり、セオは石鹸の香りが漂うその部屋を蹴り開けて中に滑り込んだ。
「マンマ!!」
「平気かぁ、東眞!!」
 そして二人は中の様子を見て、唖然とした。はく、と声にならない声を上げる。
 目の前に居たのは、体をバスタオルで包み、毛玉の髪の毛をドライヤーで平和に乾かしている東眞の姿であった。あ、とスクアーロは手足をぶらつかせている(であると思われる)髪の毛の塊の様子を見て、さらにどうしたらいいか戸惑う。まるで牙を抜かれた大人しい獣ようにその生物は座っていた。
 だが、セオは違った。
 鍛えられた体はホルダーに一度しまった拳銃を手慣れた動作で素早く構え、東眞の前に居た毛玉に銃口を合わせる。
「マンマから離れろ…!」
 怒りの灯された銀朱に毛玉は怯えを見せて、慌てて東眞の体に飛び込み、震えるようにして髪の毛を揺らした。くそ、とセオは一つ舌打ちをすると、その髪の毛を無理矢理掴んで母から引きはがそうとした。だが、それは柔らかな手に弾かれる。
「セオ、よしなさい。まずは、銃を下ろしなさい。今すぐに」
「マンマ。そいつを離して!危険な奴なんだ!」
「今の私には貴方の方が危険に見えますよ」
 深い灰色の瞳に、セオはうと言葉に詰まる。でも、と言いかけたセオにスクアーロが助け船を出す。
「東眞。Jrの言うとおりだぜぇ。そいつはそう見えてもよくわからねぇ生物だ。餓鬼の姿してても安心はできねぇ」
「私には怖がっているだけに思います、スクアーロ。小さな子供は腕を振りあげられれば怯えて牙をむきます。どうか、手をあげないで下さい」
「東眞」
「セオ、銃を下ろしなさい」
 未だに向けられていた銃口に東眞はそう言い放った。それにセオは大人しく銃を下ろす。スクアーロは一つ溜息をつき、そして東眞の腕の中で震える毛玉を一度見て、敵意も殺意も感じない存在だと判断する。今のうちは、確かに害はないだろう。
 仕方あるまいとスクアーロは溜息をつくと、セオの首根っこをひっつかむとぐいと風呂場の敷居を踏み越えた。
「何かあったらすぐに呼べぇ」
「分かりました」
「そんな、スクアーロ!」
「よーし、まずはてめぇもその服着がえてから、報告書書かねぇとなぁ」
 批難の声を上げたセオを引きずりながら、スクアーロはさてどう報告したものかと軽く溜息をついた。