40:La mia sorella minore - 2/5

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 ざむ、と暗闇を踏みつける。背中には月影一つない今宵は新月。
 銀朱と銀の双眸がその明かり一つない暗闇の中で爛と光の筋を描いていく。スクアーロはすいと指先の動きだけでセオに次の行動を指し示す。セオはそれに首を軽く上下に振ると地面を蹴った。そして銀の布もざらりと空気をかいて泳ぐ。じり、と警報ベルが作動する暇もなく、スクアーロは目の前の白衣の人間へメスではない刃をつきたてた。そのまま腕力と腰のひねりだけで相手の胴体を食いちぎる。短い悲鳴と、鮮血。どぱ、とそれが一瞬白銀の世界を色彩ある世界へと引き戻した。
 ばたばたと異常に気付いた人間が、今度は武器を有した者が姿を角から現し、白衣の人間は逃亡を図ろうとする。だが、それは背中から足を止めることとなる。後頭部から前頭部に向けて銃弾が貫通する。当然、頭蓋の中におさまっている脳を貫通した銃弾は螺旋を描きながらぐちゃりと噛み砕きながら進む。その間、瞬きする暇もない。廊下から逃げようとした白衣が一瞬で血に染まる。六発の弾丸を放ち、セオはかつんと空薬莢を落とし、新しい弾丸を装填する。スクアーロはその瞬間にさらに踏み込み、僅かに躊躇した武器を所有する人間に刀を振りかざす。一人目を牙に収め、二人目を背後に控えていた鮫が喰らった。まさに、表現のごとく頭から食いちぎる。上半身が鮫の胃に消え、下半身になっただけの体はよろめき、前方に傾く。それが地面に着く前に、セオは銃弾の装填を済ませ、逃げ腰になったもう一人の頭蓋へと銃弾を吸いこませた。
 廊下での生存者は二名、スクアーロとセオのみとなる。スクアーロ、とセオは隣の鮫を従わせる男に声をかけた。銀の瞳は動かされることなく、正面を見据え警戒心を一切解かないままにセオの質問に答える。
「てめぇはこのまま東棟の奴らを掃討しろぉ。俺は西棟を始末してくる。何か不測の事態があった時には連絡を入れることを忘れるんじゃねえぞぉ」
「Ho capito(分かった)」
 セオの返事にスクアーロは頷き、そしてセオはずむ、と血だまりを跳ねさせて体重を足にかけた。そのままかけた体重を一気に前方に持っていくことで、体を放り投げるようにして駆けだす。スクアーロは右側の通路を走り抜け、そのまま銀を揺らした。

 

 こぽ、と水が揺れる。正確には水ではなく、特殊な液体と表現するのが最も正しく正確である。中で揺れている人のような、体は人ではあるが、その異様に長い髪の毛がそれを本当に人であるのかどうか判別するのに多少困る様相を呈していた。その周囲では人が慌ただしく右へ左へとかけぬけている。散らばる資料、舞う紙片。ざわめく声。液体の中の生物は、それを眺めていた。眺めているだけであった。それに対して何を思うだとか、何を感じるだと言った情報は、その生物にはインプットされていなかった。ガラス玉のような、ただあるだけの眼球にその様子が映し出されて、そして消えていく。
 奇妙なことに、その生物の瞳孔は横開きであり、まるで羊や馬、詰まるところ有蹄類のようなものであった。クジラやカバなどにも見られる瞳孔である。人間の、多くの哺乳類の瞳の形としては、いささか珍しいと言える。水中の生物の形が人としての形を保っているが故に、その違和感はさらに大きなものであった。液体に浮かぶ生物が、もしも羊の頭をしていたならば、瞳孔が横に開いているなどということは些事であり、むしろ違和感など一切なかったことだろう。むしろ、そこで瞳が丸い方に違和感を覚えるに違いない。しかしながら、残念なことにそこにあるのは人の形を模した頭部であり、そしてその瞳は横に長く開いていた。イルカの瞳は三日月型ではあるが、この瞳孔は横。そして人の瞳は丸。この瞳孔は横に長い。ならば、この生物の手足に蹄が備わっているのか、と思われるがそうではなく、前足に相当する両手には五本の、まだまだ小さくはあるが手がついており、同様に後ろ足に相当する両足にもきちんと指がついていた。爪もある。
 ゆらゆらと、髪が揺れる。
 生物が持っている気持ちと言えば、生存本能だけであった。そしてそれは防衛本能でもあった。
「そいつはどうするんだ…!まさかそれごと持ち運べるわけでもないだろう!」
「仕方ない。できれば今月は培養液につけておきたかったが…中から液を排出しろ!そこの容器に移し替えろ!」
「排出する時間などあるか!たたき割れ!」
 たたきわれ、生物はそう聞いた。そして、がん、と激しく己が生存する世界をたたき割ろうとしている、他の生物に恐怖した。恐ろしい、と生物は感じた。恐怖し、戦慄した。逃げなければ、と、もしくは排除しなければ、と。
 一層激しい音がして、とうとう世界は壊れた。どぷん、と中の液体共々外に放り出される。体にへばりついていた全ての管がぶちぶちと引きはがされ、痛みを生物に与える。神経回路が故障しているわけでもなく、正常に機能している生物はそれを痛みだと認識した。どしゃりとそのまま液体と共に床に投げ出される。そして生物は見た。横に開く瞳孔で、自分に向かって伸びてくる二本の腕を見た。
 そして当然のごとく、痛みを与えられたばかりの生物は非常に敏感になっており、警戒心が酷く強かった。しかし、サバンナの獣のようにその生き物には逆立てる毛もなければ、剥きだすための牙すらない。だがしかし、その生物には、精製されただけの意味を持っていた。落ち着いて、と周囲の者の言葉が生物の耳に入り、脳に伝わる。それを理解したが、それ以上の恐怖が生物を襲った。
 怯え震え、生物はずるずるとその長い、全身を覆い隠すような髪の毛を引きずりながら、伸ばされた腕から逃げるようにして後退する。逃げようとした素振りを見せた実験体に研究者は青筋を立てた。当然のごとく、自分の所有物が己の言い分を聞かないことに腹を立て、白衣の男は後ずさった生物の散らばる髪の毛を力任せに引っ張った。おい、と周囲の者が止めたが、少しばかり、それは遅かった。
 生物は全身で怯えた。そして、己が身を守るべく行動に出た。
 生物は、そして、口を開け、

 

 何かが震えたような気がして、セオは足を止めた。一瞬、地震かどうかと疑ったが、地面が揺れたと言うよりも建物が震えたと言う方が正確である。何かあったのだろうかとセオは勘繰ったものの、何も異変は見られない。相手側からすれば、セオの足元に転がっている死体の方が十分な異変であろうが。全ての死体は頭部を一発ずつ撃ち抜かれており、それだけで絶命したことが容易に知れる。尤も、脳死判定は即座に出ても、心肺停止までは少しばかり時間がかかるので、体が死んでいるかと聞かれればそうではないと答えるしかないだろうが。
 しかしどちらにせよ、少年の足元に転がるのは死体ばかりであった。子供の死体は一切なく、大人の死体ばかり。黒い服も白い服も混じっているが、黒の服はより赤みがかった染みついた黒に、白はその色自体をどす黒い赤に染め上げていた。しかし、殺人と言う行為を行った少年はそれに頓着することなく、周囲の気配を探りつつ、他に人がいないかどうかを確認し、先に進む。
 セオは念のために、通信機に声をかけた。
「スクアーロ」
 そう問いかければ、即座に耳につけてある小型のイヤホンから反応がどうしたぁと返ってきた。怒鳴りつけるような騒がしい鼓膜をも破く勢いの声ではないのは、本人も意識してのことなのだろうかどうかはセオに判断できるところではなかった。兎も角、返ってきた言葉に、セオは状況を報告する。
「東棟の三分の二は終わったよ。残すところ少しだけど、リストアップされてた数と照らし合わせてったら、もうそう居ないと思う。研究機関っていうか、えーとなんだっけ、分野が違うから東西に分けてるんだったよね」
『おお、そうだぁ。こっちは後一部屋で終わるぜ、ぇ!』
 ぶぉん、と通信機を伝って剣が空気を噛み切る音がする。それと同時に人の悲鳴が聞こえた。人の命がまた一つ散る。通信はまだ切られていないので、十分に余裕があるのだろうと判断しつつ、セオはスクアーロに続けて話しかける。
 ブーツで血の海を渡りながら、セオは先へと足を進める。
「こっちもそうないと思うけど」
 角見えた人影にセオは少しばかり体をずらして、額に標準を定めると引き金を引く。一、二、三、四。あ、と短い声が悲鳴の前に響いて、四つの体が崩れ落ちる。白衣の男が持っていたトランクが落ちた拍子に開いて、ばらばらとその中の用紙を真赤な海にばらまく。今拾い上げたとしても、もうその内容は赤く染まって読むことはできないだろう。
 一度通信が途絶えたセオにスクアーロは声をかけた。
『う゛おぉ゛い、平気かぁ』
「うん。それで、さっき建物が揺れた?それとも地震?」
『地震?いや、そんなものはねぇ…こっちが揺れた感じはねえぞぉ。…Jr、十分に用心して進めぇ。こっちの一部屋片付けたらそっちに向かう。今どのあたりだぁ』
「今は、東棟A地区、最奥の部屋に向かってる」
 セオの返事にスクアーロは分かったと返事をして通信を切った。セオは通信機から注意を離して、びしゃんと血を弾けさせる。もう、誰も残っていない廊下はあまりにも静かだった。じとじとと流れていく血溜まりだけは長くどこまでも続いている。
 歩きながら、セオはリストアップされていた人間と殺した人間の数を合わせて行く。東棟の研究員は総勢五十名。ボディーガードとして雇われた人間は研究員とは違うので、その数には含まない。殺した白衣は四十四名、それ以外は三十名。そう考えると、残りは六名。被験者、実験者は殺すなとの命令を受けているが、未だそれに出会ってはいない。誰もいない部屋に、まるで物のように積まれていた死体は見つけたが。彼らにとって人間は人ではなく、物であったということは、その様子からも瞭然であった。しかし、その光景を見て気の毒にと同情を寄せることはセオにはない。今、セオの頭にそれが入り込む余地は一分たりともなかった。
 続く部屋は全て確認して進んでいるし、人の気配も探りつつ歩いている。見逃した、ということはあり得ない。
 スクアーロと共に侵入したのが、東棟入口。そこは丁度西棟との渡り廊下の境でもあった。そこから奥に向かうようにC地区、B地区、そしてA地区があり、それぞれに分野の研究としては一緒だが、レベルが違う研究室が設けられている。CBの散策は済み、残すところはA地区のみ。そう考えれば、残す六名が一体どこに居るのか、最後の部屋に居ると考えることは全くもって妥当である。
 奥に見えた扉にセオは意識を集中させた。人の気配は外にはあふれていない。それでも十分すぎる注意を払い、セオは壁に体を隠しつつ、先へとその扉との距離を詰める。そして、途中まで進み、ふと足を止めた。扉の隙間から、先程まで網膜にこびりつく勢いで見ていた色が流れ出している。否、染みだして、溢れだして、兎も角それが隙間からその色を露わにしていた。
 セオはこつんと通信機を叩いてスクアーロと通信を再度試みる。返事がなされた。
「スクアーロ、何か様子がおかしい」
『どうしたぁ』
「血が、扉から流れてる。仲間割れ?」
『…中には入ったのかぁ』
「まだ、今から入る」
『…気をつけろぉ。俺も、もうそっちにつく』
 分かった、とセオは頷いて扉の開閉を守るセキュリティロックの前に立った。この部屋だけ認証装置がついており、随分と厳重な様子が知れる。セオは裾のホルダーにある一枚のカードを取り出した。ジャンから支給されたカードであり、それをもってすれば、どんなロックでも開けることができる(との本人談である)。セオはそのカードを差し込んだ。
 認識が無事完了されたのか、扉がすっと地面に広がる赤を引きずりながら右に開く。念のために、扉の前に出るような間抜けな真似はせず、弾丸などの攻撃から身を隠すために扉のすぐ脇に体を隠しておく。一秒、二秒待ったが内側からの反応はなく、敵意も感じられない。よし、とセオは銃弾を再度確認してから体を出した。しかし、そこで目撃したものに、目を見開く。銀朱が、大きく、丸くなる。な、と短く言葉を失う。
 銀朱の瞳が脳に伝えた光景は、凄まじいものであった。赤、それが第一印象である。
 血の海であった。
 血の海であった。
 そして、肉片だった。
 セオの脳はそれを理解するのに、数秒の時間を要した。凄まじい、と表現するのが適切な光景である。床が見えているところなど一切なく、そこに広がるのは真赤な血液。足を動かすだけで、その海の中に波紋が生じる。これだけの血の量であれば、一人では到底足りない。大体、そう、五六人の。ぞぁ、と総毛立った。セオはごくんと唾を飲み込む。
 血の海に浮かんでいるのは、それだけではなかった。指、靴、真赤な白衣(白衣、ではなく赤衣と表現すべきか)、髪の毛、千切れた腕。切断面は鋭利な刃物ではなく、むしろ爆弾で弾け飛ばされたように見える。そして、転がるもの、全てに皮膚は残っておらず、内側から小型爆弾か何かで破壊されたかのようにぶちぶちと引きちぎられている。転がる頭部も、頭部として形成されているのではなく、頭部をさらに弾けさせられている。耳や鼻、それらも部分で弾けてしまっていた。
 この部屋で何が起こったのか、セオには理解できなかった。理解できる範疇にはない出来事であった。
 一瞬注意を怠っていたが、セオは足元を見て、反対側から波紋がブーツを打ったことに気付く。ふっと視線を上げれば、今まで何故気付かなかったのが不思議なくらい異質なものが血の海の真ん中に存在していた。それは、一見すると髪の毛の塊であった。そうとしか表現しようがない。人間になり損ねた髪の毛の塊。頭部で発育を止めてしまったかのような印象を受けた。
 波紋が立ったというのは、すなわちそちらから動きがあったといことで、あの毛玉、髪の毛の塊が生きていると言うことを示す。まるでその髪は、防水加工でも行っているのかと思われる程に、血を落としていた。血が染みていない淡い茶色の髪。長く床に浸されたその髪がずると動いた。
 そこでセオは、はっと被検体、実験隊は保護と言う名目を思い出す。構えていた銃を下ろし、その毛玉と向き合い、少しずつ、攻撃をされないかどうかを警戒心を最大リミットまで持ち上げて動く。びちゃん、とブーツが血を跳ね飛ばした。髪の毛の塊に恐る恐る近づけば、毛玉は怯えるようにずるずると引き下がる。引き下がったと言うことは、つまりその髪の毛の中に何かが、つまり動くための手足があると言うことを意味する。案の定、動いたと同時に、人間の、幼児の小さな紅葉の手が、勿論言うまでもなくその手は血まみれであったが、それが髪の毛の間からにょっきりと姿をセオの目の下に晒した。
 ずるっずる、と髪の毛は引き下がって行く。怖くないよ、とセオは声をかけようとしたが、この状況下においてその言葉ほど相応しくない言葉もない。少しばかり逡巡して、セオはその血だまりの中に膝をつけた。いつも母がしてくれるように、できるだけ相手と視線を合わせようと試みる。スィーリオもそうであったとセオは思い出す。しかしながら、相手の目が一切見えないもの問題であるが。取り敢えず、こちらを向いているのだろうと仮定して、セオはもう少しばかり視線を低くした。完全に視線を合わせるとなると、それこそ地面に這いつくばることになるので、膝をつくに収める。
「君」
 す、とセオは手を伸ばした。ざざ、と髪の毛が揺れて先程よりも大きく後退する。余程怯えられているのか。セオはそこで、自分が手に持っている銃に気付いた。ああ成程と理解して、持っていた銃を少し離れた所に置き、自分に敵意がないことを示す。
「ほら、俺は何も持ってないよ。君を殺すつもりはない。だから、」
 大丈夫だと言おうとした時、セオはその髪の毛の中に隠れていた瞳を見た。変わった瞳だ、とセオは一見して感じた。人の瞳は丸い。犬の瞳も丸い。ベスターの、と言うことは猫の瞳は縦に長かった。だが、この毛玉の瞳は、横に長い。奇妙な瞳をセオは吸い込まれるようにして見つめ、そして、唐突に頭痛を覚えた。
「あ゛、ぁ、ぁ、ああ…っあ!」
 ひどい頭痛が意識を奪う。なんだとセオがこの痛みの原因を探る。だが、探ろうにも何か分からないものが頭の中に混入される。自分ではない自分以外の存在が、もう一人、頭の中をひっかきまわす。自分が、自分でなくなる、自己と他者の区分ができなくなる、そんな感覚に襲われた。器が消え去り、精神だけがばらけて行く感覚。
 セオは頭を抱えて、ばしゃんとその血だまりの中に額をつけた。
「ぁ、が…!っ、あ、あぁ…!!ぐ、」
 良く分からないものが、頭をかきまわす。ぐちぐちと無遠慮に頭の中を踏みつけられる。セオはその根源を探り、そして側に存在した髪の毛の塊を思い出す。痛み続ける頭をもたげて、そちらを見た。横開きの瞳孔と視線がかち合う。こいつが原因か、とセオは側に置いた銃へと手を伸ばした。だが、殺してはならない。そうであった。
 くそと一つ舌打ちすると、セオはぐらつき続ける思考を必死に水平に保ちながら、凄まじい速さでその毛玉を銃尻で殴りつけた。何かをしようとしていたのだろうか、僅かな動作が見られたが、その前に意識を失わせる。ばしゃん、と毛玉は血の海にその髪の毛を散らばせた。倒れた拍子にその体と手足が見える。それは、人間のものであった。
 セオはぐらぐらと揺れる頭の中からようやく踏みつける足音が消えたのに気付く。しかしながら、自分の足をしっかり保つことは不可能であった。未だに自分の体が自分だけのものと判断できない。他の誰かが強制的に自分の体に、正確には精神に組み込まれた。ロボットでもあるまいし、そんな経験は一切ない。ううとセオは呻く。頭の中で他の声が鳴り響いたり、テレパシーのようなものとは根本的に異なる。自我が、食いつくされる恐怖が存在する。
 くらくらする頭でセオは毛玉に手を伸ばす。顔面を血の海につけていれば窒息死させてしまう。だが、セオ自身も色々と限界に来ていた。手を伸ばし、その髪の毛に触れ、そしてセオはとうとう意識を失った。Jr!と後ろで声が響いたような気がしたが、それは既に意識の奥へとうずもれた。

 

 スクアーロは倒れたセオの体を慌てて抱き起こす。周囲の悲惨な状況をセオが引き起こしたのではないことは、それはすぐに理解できた。Jr、と倒れた子供を抱き起こして、体をゆすり、口元に手を添える。手袋越しではあったが、呼吸が確認できる。特別呼吸に異常がみられるわけではなく、スクアーロはほっと胸をなでおろした。眉間に皺を寄せて目を閉じている姿は彼の父親であるXANXUSに全くそっくりである。
 そしてちらりと銀の瞳をセオの隣で倒れている髪の毛の塊に向ける。髪の毛の間からは、まだまだ幼い手と足がにょきりと伸びている。実験体か、とスクアーロはそう判断して、その小さな塊を持ち上げた。それは、いつぞやのセオを持ち上げた時の感覚とよく似ている。大きさとしては、三四歳児くらいであろうか。しかしとスクアーロは不思議に思う。これだけ血の海に使っていれば、髪に血が染みてもいいはずなのに、その淡い色の髪には血が流れ落ちるだけで、僅か足りとも染みている様子がない。特殊、としか言いようがない。
 血の海と、そして転がっている、まだ数えられる体を数えて六とスクアーロは判断する。こちらに来る途中で転がっている死体の数はカウントしていたので、この六名で依頼されていた人数は事足りる。任務終了。
 部屋をぐるりと見渡り、割れている管とその周りにある機械を確認したが、それが一体何であるのかスクアーロには理解できない。今することは取り敢えず気絶しているセオを抱え、そして転がっている毛玉を連れて帰ることかとスクアーロはそう判断した。実際任務が終わった以上ここでこれ以上しなければならないことはない。
 スクアーロは片手で支えていたセオの体を俵に担ぐと、反対の手で毛玉を脇に抱える。セオが持っていた銃は手の平の力が緩んでいたのか、担ぎあげた拍子に血の海に落ちる。スクアーロはそれを拾い上げてから、びしゃんとぬめり始めた血をブーツではじいた。二人分の体は随分と重い。そしてスクアーロは通信機に話しかけた。
「ボス、任務完了だ。今、そっちに帰るぜぇ」
『早くしろ、ドカス』
「…そう言うなぁ。それと、実験体を一名。色々ヤバそうな奴だが…連れて帰っていいのかぁ?」
『怪物か』
「いや、餓鬼だぁ。外見は三四歳児だぜぇ」
『…兎も角、連れて帰れ』
 有無を言わさず切られた通信にスクアーロは溜息を一つつくと、ごつんと二人分の体重が増えたブーツの音を鳴らした。今度は扉から出、そして地面の上を歩く。上から照らしつけるものは何もなく、やはり闇ばかりが存在している。服にべっとりとついた血の色も、すぐにその闇に溶け込んだ。
 ただ、強く濃く香り続ける、その粘つく匂いだけは闇に紛れることはなかった。