37:子供の我儘 - 3/5

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 遅いわねぇ、とルッスーリアは今だ帰ってこない小さな可愛らしい林檎が大好きな子供を心配する一言を発した。セオだから、というわけではなく、ただ単純にお腹が空いているのだから、人間としての三大欲求の一つ、食欲を満たすために飛ぶが如く帰ってくると思っていた分、セオの帰りはやはり遅い。未だ物音一つしない扉にルッスーリアは、どうしたのかしらと小首を傾げる。
 机の上には布の掛けられたパニーノと、それからセオの好物の林檎ジュースのカップが置かれている。隣には一本ボトルが置かれているあたり、好きと言うよりも中毒症状ではないかと疑いたくなる。
 だが、その時室内にいた人間は、常人よりもはるかに良い耳が聞きつけた音に珍しいと、僅かに表情の筋肉を動かした。濁点の入り混じる吠えるような声が普通の声量で発声される。スクアーロはさらとその銀発を揺らした。
「珍しいじゃねえかぁ。スィーリオの野郎、遠吠えか?」
「無駄吠えしないようにボスがびしばししごいてたの覚えてないの?」
 即座に返ってきた言葉にスクアーロは覚えてねぇとはっきり返す。軽く肩をすくめることで、その流れる銀のカーテンが揺れて、スクアーロの面が僅かに隠れた。
「何言ってやがる。大抵一回教えりゃ覚えたから、ボスもそうそうな目に遭わせなかっただろぉ」
 一度目、トイレの場所を間違えた際に本気で殺されかけた子犬は脊髄にまでその恐怖心を叩きこまれたらしい。以来、スィーリオはXANXUSに絶対服従を誓っているのをスクアーロはよくよく知っている。何事もファーストコンタクトが大事というまさに典型的例である。
 そんなスィーリオが吠えている。外敵の侵入ではないことは、スクアーロをはじめとした幹部たちは知っている。そうであれば、まずジャンが張り巡らせているセキュリティに引っ掛からないことはないだろうし、それに自分たちがその殺気を感知できないはずもない。XANXUSもいないことだから、今のうちに遠吠えをしておこうと言う、鬼の居ぬ間に洗濯といった心境なのだろうかと疑いつつも、スクアーロはがりりと銀のカーテンの中に隠れた首筋を指先でひっかく。
 そして一つ溜息をついた。まだ、犬は吠えている。
「仕方ねぇ。ちょっと見てくる」
「そうしてちょうだ、あら、シャルカーン」
 一歩足を踏み出して扉を開けようとしたスクアーロだったが、余裕の大きなアジア系統の服を隊服の上に纏うという奇妙な行動をしている男にその動きを止めた。オヤ皆サンお揃イデ、と独特なイントネーションのある言葉が色の濃い肌から零れ落ちる。そして、シャルカーンは部屋を一度見渡すと、軽くその首を傾げて見せる。
 何か言いたそうなその様子に、スクアーロは痺れを切らして、とっとと言えぇ!と大声で怒鳴ったのだが、相変わらず、髪の毛の一本もない頭部の下に張り付いているその笑顔と表現するのが最も近いシャルカーンの顔は何一つとして動くことなく笑顔を保ち続ける。その様子はいっそ奇妙にすら感じられるのだが、場にいる人間は既にもう慣れてしまっているのでどうということはなかった。
 そうしてスクアーロの質問に、シャルカーンはようやく答える。
「Jr、マダ来テないんデスカ。サッキ廊下で会いマシテネ。手洗いとうがいを済まセテ、ルッスーリアのパニーノ楽しみにシテイタみたいデスヨ?ワタシ、途中で書庫にも寄りましタシ、Jrが到着してナイノハおかしくナイデスカ?」
「寄り道でもしてんじゃねーの?」
 ベルフェゴールは見ていたテレビから視線をそらすことなくそう告げたが、ルッスーリアはそれに、まさか!と高い声を震わせて、机の上に置かれた昼ご飯へと目を向けた。
「Jrに私の作ったパニーノより魅力的なものでもあるっていうの!?悲しいわぁ…」
「きっも」
「ちょっと、ベル。あなた言いすぎじゃないの?乙女のハートを傷つける男はもてないわよ」
「うっせーっての。心配しなくても、王子はモテモテだから問題ねーし」
 いつものやりとりに戻った空間に、スクアーロはやれやれと溜息をつくと、未だ遠吠えを続けている犬の様子を見て来ると一言断ってから部屋を出た。長く続く廊下の延長線上にセオの姿はない。廊下にはただ遠くから響いてくる犬の吠え声だけが反響してくる。XANXUSが居たならば、それこそ二度と吠えることを止めるくらいに怯えさせられることだろうと、本日は主不在の幸福をスィーリオは感謝すべきだなと、スクアーロは小さく声にならない笑いをこぼす。
 吠える音のする方向へと耳と足が正しく導き、スクアーロは小さな点となって見えてきた大型犬の姿を認める。部屋の前から廊下に誰かを呼ぶかのように吠えている。何か自慢のものでも隠して誰かに自慢したくでもなったのかと疑いながら、誰の部屋だったろうかとスクアーロは思い出しかけ、そこが誰の部屋なのか、唐突に理解する。そして、スクアーロの脳内で先程顔を合わせた男の顔がよぎった。
 シャルカーン・チャノ。あの男は基本的に本部に腰を落ち着けることがない。アジアヨーロッパ北米北欧諸々の国を飛び回るような任務を回されている。そんな彼が一月に一度ここ、本部に必ず定期的に帰ってくるようになったのはいつからか。
 ぞくりと背筋に悪寒を感じて、スクアーロはブーツの底で強く床を蹴った。吠える犬の声が近づくたびに大きくなり、スクアーロが駆け寄ったことでさらに大きく吠え、そして、中に案内するようにくるりとそのまま、大きな体を部屋に飛び込ませたかと思うと、そこに倒れ伏している人間の前で止まると、さらに大きく吠えた。
 黒髪が床に散らばっている。白い手が放り投げだされている。シーツがベッドからずり落ち、白い海を作っている。死んでいるのか、と一瞬その白さにスクアーロは肝を冷やす。
「東眞!う゛お゛おぉ゛おい!しっかりしろぉ!」
 体を無理に動かしてもいいのだろうかとどちらかの判断に困りながら、スクアーロは取り敢えずうつぶせになっている状態から仰向けに戻す。ごろ、と力なく落ちた首はやはり死体を思わせる。弱弱しいながらも脈があり、心臓も動いている。細い呼吸を確認して、安堵の息をついた。
 ぱちぱちと意識の確認として、その青白い、では足りないほどに白く血の気のない頬をスクアーロは少し強めに叩く。三回四回、五回目に、瞼がピクリと動いて反応を見せる。黒い睫毛がふるりと震えつつゆっくりと持ち上げられる。初めはその奥にある暗い灰色の瞳の焦点が全く合っていなかったが、一二分待てば、その瞳ははっきりとした意識を持ち、そして、何故かスクアーロを向かずに扉の方へと向いた。
 意識を取り戻した東眞は、半ば本能的に疲れ切った体を起こしあげて、扉へと、その外へと、セオが飛び出して行ってしまったそちらへと意識を向かわせる。スクアーロの腕に気付くことはなく、今の東眞にはただそれだけが残っていた。
「セ、オ」
 行かなければといつぞやのように思う。子供の言葉とは言え、きっと寂しい思いをさせたのだろうと強く感じる。他の両親と一緒の子供たちを見て、自分だけ母がいない時父がいない時にどれだけ辛い思いをさせたのか、それは想像に難くない。東眞自身、両親がいない時期は寂しい思いをした。授業参観の時、学芸会の時、もうあの年頃になると親の来訪を素直に喜べなくなるのだが、それでも自分の親だけ来ていない、そもそも生存していないと言うのは、やはり寂しいものがあるのである。
 産まなかったらよかったと、そんなことはない。産んでよかった、産めてよかった、産まれてよかった。無事に産声を聞けた時のあの喜び、自分も生きて温かい体で我が子を抱きしめることができたあの幸福。
 は、と東眞は体に力を込めて立ち上がろうとしたが、込めた力は何故か抜けて行き、まともに体を動かすこともできない。指先が微かに動くだけで、全身の骨を引っこ抜かれたかのような不自由さを味わう。セオ、と飛び出した名前を呼ぶ。
 そしてようやくそこで東眞は自分の体を支えてくれている腕と、しっかりしろとかけられる声を耳に捉え、そして脳で処理をした。銀色の髪がカーテンのようにざらざらと上から下へと流れ落ち、その間から見える顔には僅かな焦りが浮かんでいる。
「スク、アーロ」
「よぉし!気付いたなぁ!」
 反応が示されたことにスクアーロはほっと胸をなでおろした。そしてどうした、と状況を把握するための言葉を投げる。
「誰かから銃撃されたわけでもねぇ…なにか?トイレにでも行こうとしてぶっ倒れたのか?」
「セオ、を」
「Jrだぁ?」
 セオはこの部屋は立ち入りを禁じられているはずである。
 何故と不思議に思いつつも、スクアーロは取り敢えず東眞の体をシーツをはぐってからベッドに戻した。兎も角シャルカーンを呼びにやった方が良いとスクアーロは即座に判断した。今、彼女の体は彼女の意思ですら動かせない。
「…分かったぁ。Jrのことは俺に任せとけぇ」
「わ、たしも、セ、ォ」
 あの小さな背中がまぶたに焼き付いている。行かなくてはと東眞はセオの泣き顔を思い出した。大粒の涙をぼろぼろとこぼして、産まなかったらよかったのだと言わせしめるほどに傷つけて傷ついて。あまりそういった我儘を言わないものだから、甘えていたのだろうかと東眞は思いながら、自由にならない腕を伸ばす。
 スクアーロはやめろとその腕を上から押さえつけた。そして低い声で凄む。
「――――いいかぁ、Jrのことは、俺が、どうにかする。…ボスにも連絡を入れるから、てめぇは大人しくしとけぇ。いいか、大人しく、しておけよぉ?スィーリオ!」
 名前を呼ばれた犬はわふっと大きな声で一声鳴くと、東眞のベッドのすぐ近く、下りようとすれば必然的に足をついてしまう場所に伏せをして落ち着いた。見とけぇ、とスクアーロは犬に命じて、扉の方へと未だ視線が向いている東眞へと視線を下ろす。
「シャルカーンの野郎は、今呼んで来る。Jrは俺が探して、てめぇの前に連れて来てやる。いいな」
「――……すみませ、ん。セオ、を、頼み…ます」
 苦しげな表情にスクアーロはそれが、体の痛みからくるものなのか、それとも精神的なつらさからくるものなのか分からなかった。分からなかったが、任せとけぇと一つ告げてから踵を返すと、大股でその部屋から出て行った。
 一人取り残された部屋で東眞は足元のスィーリオの名を呼ぶ。スクアーロの命令と東眞の命令。どちらを優先させるべきなのか、規律社会に生きてきた犬はそれを素直に判断した。
「スィーリオ、セオ、を」
 ふるりと大きな尻尾が揺れて、そして、一拍の間を持ってスィーリオは大きな体をのっそりと持ち上げて、スクアーロ同様に部屋から出て行った。
 それを見届けて、東眞はもう動かない体を完全にベッドに預けた。全身が凄まじい疲労感に襲われている。体を動かすための力を通すためのポンプが全てバラバラになってしまった、そう表現するのが正しい。だから力を入れようとしても力は入らずに、どこか別のところへと流れて出て行く。全身を維持するための力もなくなったのかと思いつつ、東眞は細く息を吐いた。そこに扉が慌ただしく開かれて、特徴的な頭をした男が入ってくる。
 かつかつと軽めの音が東眞の耳にまで届く。
「ワタシのハナシ、覚えてマシタカ?」
 すみません、と答えようとしたが、もう声を出す気力もない。瞬きをゆっくり一度することで東眞はそれに返した。シャルカーンは深い溜息を一つついて、一度東眞の体に触れるとさらに深い溜息を口からこぼした。
「アナタの体デス。デスガ、アナタだけの体デハナイ。…マァ、子供が可愛いのは認めマスケドネ。ヤレヤレ。今回はワタシが近くにいたからよかったモノノ…イナカッタラ、一日と持ちまセンデシタヨ」
 死を告げる言葉に東眞はぞっとした。それと同時に、ぐ、とシャルカーンはその掌で東眞の体を強く押す。すると体が一気に熱くなり、全身の関節から神経細胞までが焼き切れるような痛みに襲われた。あ、と喉がそれて悲鳴が上がりそうになったが、歯を食いしばってそれはこらえた。
 笑顔が固まった顔がすいと東眞の顔に近づけられ、そしてその笑みのまま口元が動く。
「 絶 対 安 静 デス」
「…はい」
 ほそ、と声がでて東眞はどこかほっとする。少し経てば、冷めて行くだけだった体が次第に熱を持ち始める。先程よりももっとひどい疲労感が全身にけだるさを残しているが、それでもそれは指先一つ動かせないような、体がバラバラになった感覚とは違う。今は、全身が自分の指示を受け付けるようなパイプが一本全身に通っている感覚が確かにあった。
 マッタク、とシャルカーンはぶつぶつとぼやきながら、両袖をひらひらとさせる。
「スクアーロがJrがどうとかこうとかで要領をえない話し方デシタガ…今は、自分の体のコトを一番に考えてクダサイネ。結構無理矢理繋いでるんデスカラ、冗談でハナク本当ニ。自分の体がどういう状態カ分からないトハ言わせまセンヨ。イイデスカ、大人しク、デス。Jrはスクアーロに任せてしまっテクダサイ。後で、オ説教デス」
「でも」
「デモもヘッタクレもナイデス。時々に対してヤッテハイケナイコト、ガあるコトは自分で察知シナクテハナリマセン」
 甘やかしすぎは禁物デス、とシャルカーンはぷりぷりと怒った。怒る、という行為自体が珍しいので、東眞はそれに目を丸くしながら、そしてきっと今でも泣いているのだろうかと、探しに行けない息子を思った。

 

 共同場に居たシャルカーンへ状況を告げた後、スクアーロは説明も曖昧にその場を飛び出すと、セオの姿を探しながら電話を入れる。今日の今頃の時間ならば、確か九代目のところへXANXUSは足を運んでいたはず(の予定)だったと思いつつ、電話の応答を待つ。頼むから切ってくれるなよと切実に願いながら。
 数回のコール音の後、幸運にもぷつっと電話がまともに出られた。おお、とスクアーロは多少の感激を覚えつつ、ボスかぁ!と思わず怒鳴る。直後にうるせぇと地響きを思わせる、帰ってきたらただではすまないような声で返答がなされた。この場に本人がいたら頭が叩き割られたいたことだろうとスクアーロはぞっとする。
『何の用だ、ドカス』
「それだがなぁ、東眞が倒れたぜぇ」
『何?』
 僅かに動揺を見せた声にスクアーロはこいつにもそうやって心配をする心があるのかとぼんやり思いつつ、それがあるなら少しばかり自分にも分けて欲しいものだと言葉には出さず心中でぼやく。
「何でもJrといざこざがあったらしくてなぁ。探しに行こうとして倒れたようだぜぇ。まぁ、シャルカーンの野郎も今日はいたことだし、…あ゛?」
 突然切れてしまった電話画面をスクアーロは憮然と走りながら見る。すでに通話は強制終了に持ち込まれていた。そんなに心配だったのだろうかと、慌てて立ち上がるXANXUSの姿を想像して、そしてその想像を打ち消した。今一、どころではなく全く似合わない。だが、そうであっても驚かないだろうとスクアーロは思う。実際、倒れた女の体はまるで死人のようであったし、あれで長く放置しておけば死ぬのではないかと素直にそう感じたからだ。死の臭いを毎日嗅いでいる人間として、死の訪れには非常に敏感に気付く。間違いではない、と確信している。
 問題を起こした張本人はルッスーリアの特製パニーノを食べることもなければ、大好物の林檎ジュースも放置して一体どこかに行ってしまっている。どうせすぐに見つけることが出来るだろうと、俺に任せろ!とばかりに出てきたが、なかなか見つからない。
「Jr!」
 名前を呼んで出てくるならば苦労はしまいとスクアーロは思う。案の定、やはり返事はないし、気配一つない。気配の消し方や銃の撃ち方、爆弾の使い方、ルッスーリアからは少しずつムエタイを教わっているようで、あの年で中中に動きが素早い。その上小さいものだから、どんな場所にでも潜り込める。ああ、とその厄介さにスクアーロは溜息をこぼした。かくれんぼ、などと可愛いものではないが、骨が折れそうである。
 二人の間に何があったのかは知らないが、兎も角一度はセオをこってり絞るべきか、とスクアーロは思ったが、どうせ帰ってきた父親にこってりどころではなく、ぎりっぎりにそれこそ身がこれ以上出てこない程に絞られそうなので、自分は多少遠慮しても良いかと思い直し、スクアーロはもう一度Jrとその小さな小さな子供の名前を呼んだ。

 

 繋がっていた電話を無理矢理切ってXANXUSは携帯をポケットに突っ込むと、言葉もほどほどにコートをむしり取り立ち上がる。
「何かあったのかね」
「帰る」
 息子の顔に浮かんだ焦燥と言う名の焦りを読み取ったティモッテオは、気をつけなさいと一言声をかけて、息子を送り出した。 XANXUSは競歩のような早足から、自然と足が駆けるのを感じた。倒れた、と言う事実にぞわぞわと神経が浸食されていくような寒気を覚える。今日は、シャルカーンが治療をした日である。絶対に、安静だとあの奇妙な笑みの男は言っていた。気をつけなイト死にマスという言葉が喉元に焼き付いている。
 死は、何もかもを唐突に衝撃的にあっさりと奪い去る。
「出せ!」
 車の後部座席に乗り込み、運転席の部下に命じる。
 死ぬな、とXANXUSは額に大きな手を添えて項垂れた。どんな言葉を持ってしても、死と言うものは誰に対しても平等であることをXANXUSはよくよく知っている。死んだ人間を生き返らせることは不可能だし、引き止めることも恐らくできはしない。死は、それこそ絶対的なものなのである。
 扉を開ければ帰宅を喜ぶ声。柔らかな笑顔。温もりのある体。
 くそ、とXANXUSは一つ舌打ちをし、東眞との距離をこれ以上ないほどに憎らしく思った。
 セオがどうとか言っていたが、後で問い詰めてやると心に刻む。小さい子供は何を考えているのか分からない。可愛い、とは思うのだが、それと同時に子供特有の我儘や自己中心的な考え方が癪に障る時もある。東眞はそれを可愛いと称していたが、XANXUSにはその良さが少しも分からなかった。
 遠足に行けなかった時、ひどく申し訳なさそうな顔をしてベッドに座っていたものだから、セオの背中を押して、二人してそのベッドのわきで、セオは流暢に、そして自分はかなりたどたどしく遠足の思い出を語った記憶がある。そしてセオが寝付いた後、私も行ければ良かったんですけれど、とそんなことを言っていたので、ふざけるなと軽く返しておいた。あの体で出るなどと自殺行為に他ならない。本人もそれを理解してか、大人しくベッドに座っていたわけなのだが。
『あんなに笑って楽しそうにしてましたけど、寂しかったら…我儘、もっと言ってくれた方が、嬉しいんですけどね。私としては』
 と、セオのことをそんな風に言っていた。聞き分けがいいとは、まぁある程度聞き分けがいいが、セオは確かに東眞に関しての我儘をそうそう口にしたことはなかった。行事に参加できなくとも、バッビーノが来てくれたから!と素直に喜んで済ます。
 寂しかったのだろうか、とXANXUSはその笑顔を思い出しながら考える。黒髪で銀朱の瞳。目元は自分によく似たと言われている百面相の子供。百面相は似ていないにしても、あの笑顔は母譲りだろうとXANXUSは思う。よく微笑む母親を見て育った子供は、同じような笑顔を顔に咲かせる。
 XANXUSは眉間に深い皺を寄せて、その笑顔が消えることを考える。自分を残しては死なぬと、そうは言った。その言葉を今はただ信用するしかない。そんな言葉には、何の効力もないのだが。胸につっかえるしこりに小さな恐怖を味わいながら、XANXUSは未だ動き続ける車を呪った。