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大きくなったものだ、と東眞はさくんと手元の海老フライを切った。足元ではセオがきらきらと目を輝かせながら、東眞の手元を覗き込もうと背伸びしているが、如何せん背がまだまだ低いため、キッチンの台で母が一体何をしているのかは見えない。ただ、美味しそうな匂いと母がつけているのがエプロンであること、それから自分の本日の行事を鑑みて、何をしているのかは想像がつくらしい。
セオが入園してから、かれこれ半年近く経つ。入園初日のティモッテオの心配用はただ事ではなかったと東眞は思い出す。XANXUSが怒鳴り散らすまで後僅かと言わんばかりの状況だったことを振りかえりながら、口元を僅かに緩める。全く微笑ましい限りである。
「マンママンマ!」
可愛らしい声が上がり、東眞は包丁の動きを止めてセオへと視線を下ろした。母の視線が向いたことにセオはぱっと満面の笑顔を浮かべて、おべんとう!と母が現在作っているものの名前を述べる。そして、ちらちらと不安そうに壁にかかっている時計へと視線を注いだ。
そんな可愛らしい仕草に、東眞は大丈夫ですよとセオに語りかける。
「ちゃんと間に合いますから」
「だいじょうぶ?セオ、きのうたくさんねたから、きょう、げんきいっぱい!」
「知ってますよ。でもまず、パジャマから着替えたほうがいいですね。手伝いますか?」
膝を曲げて子供の視線を合わせた東眞の目の前には、まだ寝巻のままの子供が立っている。だが、その手にはきちんとリュックサックを引きつれているあたり、変なところで準備がよい。
そこにスィーリオが飯の時間だと言わんばかりに入ってきた。はっはと息を切らしているところを見ると、どうやら外を走り回ってきた後のようである。下に置かれている器に張られている水をびちゃびちゃと舌が掬いあげて涸れた喉を潤していく。スィーリオ、とセオはそんな大きな犬の背に抱きつき、そして話しかける。
「きょう、セオ、ピクニックにいくの!スィーリオ、おるすばんね。いいこでまっててね。セオもいいこでがんばる!」
「じゃぁ、良い子は朝ごはんを作り終えるまでに」
「かおあらって、きがえる!」
「そうです」
元気のよい返事をしたセオの頬を東眞は二つの指でくにと摘まんで、軽く引っ張る。セオはふへ、と嬉しげに顔をほころばせると、母の指が外れたと同時に踵を返して顔を洗いに行く。着替えは昨日の晩なら待ち遠しそうに畳んで置いておいたので、全く問題ないだろうと東眞は再度キッチンに向かった。
その背中に、あらあらと苦笑交じりの柔らかな声が届く。
「Jrったら上機嫌ね」
「おはようございます、ルッスーリア」
「おはよう、東眞。それお弁当?」
和やかな挨拶を交わして、身だしなみをきちんと整えているルッスーリアに東眞は目線を向ける。その際に動かしている手は止めていない。ルッスーリアはしっかりと身についた美脚を艶めかしく動かして、床を蹴り、東眞の側によるとその手元を覗き込んだ。セオと違って背がある分、キッチンの上で何をしているかを想像せずとも、目に見て確認することができる。
ふわふわとした髪を動きに合わせて揺らしながら、ルッスーリアは東眞の手元に広がる光景に小さく笑う。それに東眞は、楽しみにしていてと苦笑する。
「昨日なんてなかなか眠らなくて大変だったんですよ」
「あー…子供ってそういう行事大好きよねぇ。ピクニックって、東眞たちも一緒なのかしら?」
ルッスーリアの質問に東眞は多少困った顔をして、それが違うんですよと海老フライをレタスの上に詰めながら小さく溜息をついた。それは、子供に対する心配なのだろうかとルッスーリアは軽く首を傾げる。しかしながら、東眞の口からこぼれた言葉は少々趣の違う言葉であった。
「…XANXUSさんが…」
「…なぁに?それ、ひょっとして…まさかのまさか?」
よくよく見れば、用意してある弁当は小さな子供用のと、もう一つ。明らかに大人用の弁当が一つ、否、二つ置かれている。東眞も一緒に行くの?とルッスーリアはおずおずと聞いてみたが、それに母親はまさかと首を横に振った。
「そんなことをしなくても、セオは大丈夫ですよ。それに、家で待っていたほうがセオの話を聞く楽しみもありますし」
「じゃぁ、そっちのもう一つのは?」
「スクアーロです」
「…親馬鹿二人ここに誕生、ね」
ああと項垂れた東眞にルッスーリアは軽く頬を引き攣らせて、首を横に振った。筋肉で覆われた太い首はその動作で筋を作り出す。
東眞は色どりの明るい弁当を詰め終わり、デザートの林檎の皮をむきながら、大丈夫だと思うんですけどねとぼやく。
「先生もついて行って下さるとの話ですし…それに、もう三歳ですよ?そんなに心配しなくても、大怪我をするわけでもないんですから、セオに任せても大丈夫な気もするんですけどね」
「毎日あそこまで殴ってて、それでも心配するのもおかしな話だとは思うけれど。私としては」
「可愛い子供が心配なのは結構なんですけど」
「ボスの可愛がり方は随分過激だけれどね」
「全くです」
よくあれで、頭蓋骨が破壊されることなく無事に生きてきたものだと東眞は溜息をつく。殴られるたびにびえびえと泣き喚いているものだから、セオもいい加減に泣き癖がついてしまったのではないかと東眞は少々心配している。とはいっても、父親に叱られたりする以外ではそうそう泣いたりもしないので、それもないのだろうかと思ってはいるのだが。
どちらにせよ、と東眞はするりと林檎の皮を可愛らしい林檎に向いていき、それを小さなタッパーに詰める。可愛げな小さなプラスチックの水筒に入れるのはお茶ではなく林檎ジュースである。
「牧場見学だそうですよ。動物なら、普段から肉食獣までよろしくしていることですし…それこそ、動物に泣かされる羽目になることはないと思いますが…」
「少なくとも、牧場にいる動物はJrの頭をかじったりはしないわね」
「それは、もう」
そうですね、と東眞は遠い目をしながらタッパーのふたを閉める。可愛い兎の林檎はその中にきっちりと収まっていた。
なにしろ、ここには牧場など目ではないほどに動物の形をした陸海両方の匣兵器が鎮座しているのだから、牧場の動物など恐ろしくあるまい。さらに言えば、セオは毎度毎度父親にベスターだして!と頼み込み、その度に頭をかじられている始末である(加減はしているのか、甘噛みなのが幸いしている)東眞でさえ、最初にそれを目撃した瞬間には、ベスターがセオを食べているものかと勘違いして、大慌てしたものである。反対に、アーロはセオを噛んだり口に放り込んだり(つまり咀嚼される)光景がないので、一安心だが。ある意味、猫科の動物よりも、海の恐怖、それこそジョーズ再来とばかりの光景の方が恐ろしいに違いない。
心臓に悪い、と東眞はぼやきながら小さなセオの弁当を袋に入れて、きゅっと口紐を引っ張る。そんな東眞に、ルッスーリアはまぁそうよねぇと返しつつ、側に会った椅子に腰かけた。東眞は片手間にホットミルクを作って、それをルッスーリアの前に置く。Grazieと礼がなされた。
「私のクーちゃんはそんな真似しないし、レヴィのリヴァイアも主同様Jrに乱暴働くわけもないわね。ミンクはいつも枕になってなかったかしら?」
「枕と言うよりも、マフラーですね…それがこの間」
くす、とホットミルクを飲みながら東眞は破顔する。破顔しても良い話なのかどうかは微妙なところだが、これは笑える話である。母の仕事も終わって、一息ついている合間の話にルッスーリアは耳を傾けた。何があったの、との言葉に、東眞は話を続ける。
「セオがミンクの尻尾を強く引っ張ったみたいで、ミンクがセオの首を絞めたんですよ。余程苦しかったみたいで」
「あら」
「それ以来、セオときたらミンクが肩より上に乗ろうとすると凄く嫌がって、ベルに泣きついてるんです」
カップを半分ほど飲みほして、東眞は苦笑をこぼしながらその話をする。
「あの調子じゃ、今年の冬、セオはマフラーつけてくれないかもしれません」
「タートルネックがご入り用ね。とんだトラウマを植えつけられたものだわ。でも、アーロに落とされたり、ベスターに噛まれたりするのは平気なのに、それだけ駄目だったの?」
ルッスーリアの尤もな問いかけに、東眞はそうなんですよとカップを一度置いて指先をカップにひっつけて温める。考えてみれば、ルッスーリアは正しい。流石に生死が関わる問題となりそうだったので、体が本能的に拒絶したと考えるのが一番の近道ではあるが。
少し思い悩んだ東眞は、そうですねと答える。
「命の危機を感じたんじゃないですか?やっぱり」
「ボスの拳骨一つだって毎回命がけよ、もう。まぁ、ベスターは加減して噛んでるみたいだし、アーロもそうね、襲ってきたりはしないわね。ジェロニモの蟻も見たことはあったけれど、襲われたことはなかったものねぇ。考えてみれば」
しかし、セオが怯えるとなれば、ベルフェゴールが見逃すはずもない話題である。意外に面倒見のよい彼であるが、やはり人をからかうのが好きらしく、セオも何だかんだでしょっちゅう遊ばれている。それでもセオは懲りずにベルフェゴールに遊びを挑むのである。懲りないと言えば、懲りない。学習能力がないと、悪い見方をすればそうである。
首元の寒さは何もマフラーでなければならないと言うこともないし、ルッスーリアの言うとおりタートルネックであれば問題もないだろう、と東眞は考えをまとめる。
そこにルッスーリアはさらに続けた。
「それに、Jrのマフラーだけど、去年の冬の始めにボスが思いっきり引っ張って酷い目に遭ってたじゃない。それも関係してるんじゃないの?」
その時の光景を思い出して、東眞はああと納得する。
突然、XANXUSがセオを自転車に乗せて出かけると言って前に乗せたのはいいのだが、その時不幸にもセオが首にしていたマフラーが車輪に絡まって、危うく窒息死しかけたという、笑えない話である。確かその時、セオは二週間ほど自転車には近づいていなかった。ちなみに、マフラーも遠ざけていた記憶は生々しい。
「Jrって本当に運がないわね」
「…強く、育ってると思いますよ?なかなか、過酷な環境で」
「この環境下で強くならなかったら、それこそ毎日病院送りね。シャルカーンの憂い顔が簡単に想像できるわ」
酷く残念そうな笑顔を思い浮かべて、東眞はそれに同意する。一月に一度は帰ってくる彼に付き添っているラジュをセオは楽しみにしているのだが、はたして次の月までセオが五体満足でいられるかどうか、際どいところであろう。
ルッスーリアはカップのホットミルクを最後まできっちり飲んで、美味しかったわと感想を述べる。ホットミルクは牛乳を温めるだけで美味しいも不味いも、そう下手をしない限りは美味しいものなので、褒め言葉と取るべきかどうか迷うところではあるが、感謝の気持ちを差し出した代わりである。それに東眞はいいえと答えた。
丁度そこに、何かを引きずるような音と、がつがつとブーツが床を蹴る音が響いてくる。小さな子供の足音ではないので、セオでないことは確かである。まだ着替え終わっていないのだろうかと東眞はそんなことを思いつつ、来訪者へと目を向けた。案の定、な二人組である。
「おはようございます、XANXUSさん」
「準備は」
挨拶をすっ飛ばして、きょろりと見渡したXANXUSに東眞はできてますよと二言で返事をした。そして片手で髪の毛を引っ張られているスクアーロへ気の毒そうな目を向ける。
「放してあげたらどうですか?髪、抜けますけど」
「はげりゃいい」
「ふざけんじゃねぇええええ!!大体、なんで俺まで付いていかなくちゃなんねぇんだぁ!東眞!てめぇからもぐぅ、ぇっ、ほ、えほっ、」
「うるせぇ。てめぇは黙ってついてこい」
黒いブーツがスクアーロの腹にめり込んで言葉を遮り、XANXUSは不愉快そうに咳込んだ男を見下ろす。相変わらず暴力的な二人であるが、いい加減に見なれたのか、東眞は机の上に置いておいた二人分の弁当を差し出した。それにXANXUSは軽く首を傾げる。何故二つもあるのか、と言わんばかりであった。
それに東眞はスクアーロの分ですよと付け加える。さも当然に付け加えられた単語に、スクアーロは声を荒げた。
「う゛お゛おぉ゛おい!てめぇまで俺を換算してんじゃねぇぞぉ!」
「諦めて下さい」
「…てめぇ、性格悪くなってねぇかぁ…?」
無理ですとばかりにすっぱり言いきった東眞に、スクアーロは眉間に皺を寄せてぼそりと返した。たくましく、というよりも大変したたかになったというのが、おそらく正しいのであろう。
「何年も付き合っていれば、流石に分かってきますよ。そういうわけですから、XANXUSさんを宜しくお願いします」
「…おい」
「セオの初めての遠足をぶち壊しにはしないで下さいね、XANXUSさん」
続けられた言葉にXANXUSはむっと顔を顰めたが、当然だとそれに返した。一抹の不安を覚えながら、東眞はXANXUSの手を髪の毛からどうかして振りほどいたスクアーロに弁当を二つ渡す。上司が荷物を持つはずもないことはスクアーロも重々承知なので、溜息をつきつきそれを受け取った。
うんざりしたスクアーロの後ろで、どてんと一つ、軽い音がこける。四つの視線がそちらへと動かされる。見れば、ズボンの裾を踏んで転げたセオがそこにいた。セオは顔をあげて、スクアーロやルッスーリアたちを見つけると、ぱぁと表情を明るくした。
「Buongiorno!ルッスーリア!スクアーロ!」
「Buongiorno, Jr.もう準備は万端なのかしら?」
「セオ、ばっちり!ちゃんとひとりで、ふくきれるもん!」
見てとばかりにセオは自分で着た服を見せたのだが、ボタンを一つかけ違っている。可愛らしい子供の間違いにルッスーリアはくすくすと笑いながら、膝を折ると、セオの服へと手を伸ばした。
「あらあら、でもボタンが一つ余ってるみたいよ?」
「…ボタンがふえたの、きっと」
ルッスーリアの言葉にセオは少し恥ずかしそうに唇を尖らせて、自分の失敗を隠そうとする。そうねぇとルッスーリアはそれに答えながら、かけ違ったボタンを手なれた様子で直し、これで完璧よときっちりと合わさったボタンを指先でつつく。セオは少しばかり頬を赤らめてから、Grazieと礼を述べた。素直である。
ふっとセオは視線を上げて、スクアーロの手におさまっている弁当を見つける。あ、とスクアーロは慌ててそれから弁当を隠そうとしたが、少しばかり遅かった。興味津津と言った様子で、セオの目が輝く。
「スクアーロも、おでかけ?セオはね、きょう、うまさんやうしさんにあいにいくの!」
「…お、おぉ、そうかぁ。そりゃいいなぁ!」
「でしょ!セオ、たくさんぎゅうにゅうもってかえってあげる!あのね、あのね」
耳打ちをしたい様子でセオが手招きをしたので、スクアーロは少ししゃがみこんで、そちらへ耳を寄せる。それにセオは小さな両手で口元を隠して、こそこそとスクアーロに話しかけた。尤も、この場における人間で、その会話が聞こえていないのは東眞くらいである。何しろ、残る二人は非常に耳がよい。
スクアーロはセオの小声(本人がそう思っているのだろうが、随分と大きい内緒話である)に耳を傾けた。こそっとまだ幼い声が耳に届く。
「ぎゅうにゅうってね、『カルシウム』がたくさんはいってるんだって。でね、『カルシウム』はおこってるひとにいいってほんにかいてた!だから、セオ、たくさんぎゅうにゅうもってかえって、バッビーノにあげるの!そしたらね、ばっびぃぎっ」
最後までセオの言葉が続くことはなく、見事に父親の拳が脳天にめり込んだ。苛立ちが充満している赤い目が我が子を上から見下ろしている。それにセオはぐすっと鼻をすすりあげて、父親を見上げた。拳一発で泣かなくなったのは、進歩と言うべきか否か。
スクアーロは殴られたセオに同情の視線を向けつつ、XANXUSの口から吐き出される低い声を聞く。
「この糞餓鬼が…!あぁ?誰が何だと?」
「だ、だって、だって!バッビーノ、セオたくさんたたくんだもん!いっつもおこってるし!」
「うるせぇ!誰が原因で怒ってると思ってやがんだ!チビが!」
「ぎゅうにゅうたくさんのんだら、おこらなくていいよ?ね?セオ、たくさんもってかえってきてあげるから。そしたら、ね、スクアーロもだいじょうぶだし、バッビーノもにこにこできるでしょ?」
ニコニコしているXANXUSという単語に、スクアーロは思わず噴き出す。だが、噴きだした直後に足が飛びスクアーロは顔面から壁に激突した。預かっている弁当はどうにか死守する。
セオはどうして父親が怒っているか分からずに、あうあうと言葉をなくすと、最終的に東眞の後ろに逃げ込んだ。差し出せとばかりにXANXUSは東眞を睨みつけたが、東眞は駄目ですよと溜息をつく。
「XANXUSさんのこと考えてくれてるんじゃないですか。でしょう、セオ」
「Si!バッビーノ、すぐにおこるから。いっつもぷんぷんしてる。あのね、バッビーノ」
「…何だ」
苛立ちのパロメーターの数値が限界ぎりぎりに達している父親に子供は無邪気な顔をして、無邪気な一言を告げる。
「おこりすぎるとね、『ストレス』がたまって、あたまがね、つるつるになるんだって。だからね、セオ、バッビーノがつるづ…る…」
あう、とセオは最後まで言わずにぱっと東眞の足にしがみついた。父親の、XANXUSの顔はまるで鬼のような形相になっている。ぶるりと全身を震わせて、セオはマンマ!と母親に助けを求める。しかしながら、母の助けが入るよりも、父親の動きの方がとてつもなく早い。セオはあっという間に、XANXUSの手に首根っこをひっつかまれて持ち上げられた。
XANXUSさん、と東眞は制止したが、うるせぇと一喝されて、結局ルッスーリアと視線を交わして溜息をつくことになる。そして、華麗に見事にこれ以上ないほどに美しい頭を叩く音が響き、流石に二発目は大変力がこもっていたのか、セオの泣き声がわぁんと響いた。
憤慨する夫と泣き喚く子供を眺めつつ、東眞は時計を見やり、無事集合時間にセオを届けることができるのだろうかとそんなことを心配した。