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セオ!と明るくかけられた声に、セオは鞄に道具をしまっていた手を止めてそちらへと目を向けた。同い年の子供たちが集まって、セオと同じように帰る支度を始めている。
「おれんとこさ、バッボとマンマが見にきてくれるんだ!」
「あ、わたしのパパーとマンマもきてくれるの!」
おれもわたしもと溢れかえる声を聞きながら、セオは手元に残った紙、それは先程鞄に入れようとしていたそれへと目を落とした。そしてその会話の中に加わることをどうかと迷う。
子供の声の一人がセオにもう一度かかった。
「セオのところは?」
「おれの…とこ、は…その、まだ、言ってない」
困ったように視線をそらされて、周囲の子供は何か不味いことを言ってしまったのだろうかとセオを気遣う。周りの空気を悪くしたことに気付いたのか、セオは慌てて笑顔を作る。
「でも!おれ、今日言うし、バッビーノもマンマもきてくれるっておもう!」
セオの返しに、周りはほっとしたように笑顔を広がらせた。
「だよな!マンマとバッボ、おれのこと大すきだもん!」
「わたしのマンマとパパーも、ミケラのこと大すきよ!」
「お、おれのバッビーノとマンマも、おれのこと、大すき!」
来てくれる、とセオは思った。
忙しそうにしているバッビーノも、最近少し体調が悪そうに見えるマンマも来てくれると思った。他の子たちの両親が来てくれるのだから、大好きだから来てくれるのだから、自分のことを大好きで大切にしてくれる両親は来てくれると、セオは確信した。
そして、一生懸命練習している劇の服をきちんと綺麗に畳んで鞄に入れ、お知らせの紙を大切そうに四つに折って、セオは部屋の後ろに二人で座って自分の劇を見てくれるであろう両親の姿を瞼の裏に思い浮かべ、嬉しげな笑みをその顔に浮かべた。
Ciaoと別れの挨拶で、そろそろ迎えにきてくれているだろうレヴィの元へとセオは駆けた。
案の定、入口付近でとても目立つツンツン頭の男が一人静かに仁王立ちの状態でその場に存在していた。セオはその大きな影にきらきらと目を輝かせて、鞄を揺らしながらレヴィ!と声を上げた。セオの呼びかけに気付いたレヴィは、セオ様!と自分の名前を呼んでもらったことに歓喜を示しながら、駆けよってくるセオに膝をついた。
「セオ様!おおお…あり余る幸福!」
「…そんなにかなぁ?」
「あちらに車を待たせておりますので、こちらへ!鞄をお持ちいたしますか?」
相変わらずの賛美にセオは多少の戸惑いを隠しきれないまま、ううんとそれは慌てて断った。てこてこと大きなレヴィのコンパスについて行きながらセオはにこやかに笑った。
「あのね、これはいいの!」
「何か大事なものが…」
「…うーん、そう、かな?」
言葉尻を濁して、セオはレヴィが開けた車の扉の内側、車内に体を滑り込ませるようにして座る。レヴィはその隣に大きな体を折り曲げながら入り込んで、すとんと腰を下ろした。セオのまだまだ短な足は床につかずにぶらぶらとゆらされている。
エンジン音を聞きながら、レヴィはしかし本当に大きくなられたと、今日あった出来事を嬉しげに話すセオの姿にそう思った。彼は未熟児である上に早産であったが故に、本当に、本当に小さく込める力加減を間違えば握りつぶしてしまうのではないかと大きな体の自分は本当にそう思ったのである。しかしながら、そんな心配をよそに、言葉数もどんどん増えて行き、寝っ転がって這って歩いて、こけて笑って泣いて叫んで遊んで、小さな小さな自分の命よりも大切なボスの子供のはあっという間に大きくなった。自分の意思を明確に話し、相手の気持ちを考える年頃になったのである。
ボスによくお顔が似ておられる、レヴィはセオの笑顔を見下ろしつつはいと返事をした。ころころ変わる表情は彼の母親である東眞や、周囲に居るスクアーロやルッスーリア、ベルの影響が強いのだろうなと、笑い声と大きく身振り手振りをして話すセオに愛しさを感じつつレヴィは顔を綻ばせる。
感謝はせねばなるまい、とレヴィは今頃ベッドの上に体を横たわらせている女のことを思い浮かべつつ、車の動きが止まったのを感じた。
先に車を降りて扉を押さえ、セオが跳び下りるのを確認すると、小さな体を風のように走らせる少年の背中を、お待ちください!と叫んで追う。本気を出せばそこそこに追いつけるのだが、軽く走る程度ではもう追いつけないようになってきた。少年は、本当に色々な面で成長を遂げている。
「レヴィ!はーやくっ」
「た、只今!」
速度を上げて、レヴィはふうと一息ついてセオの隣まで到着する。げほ、と咳込みレヴィは広間の扉を押しあけて中に入る。すると、Bentoronato!と帰宅を祝う言葉がかけられる。
「Salve(ただいま)!」
広間には珍しく全員がそろっており、各個の行動をとっている。息を荒げているレヴィにルッスーリアはどうしたのよと笑いながら、一杯の水を差し出した。レヴィはそれに一言礼を言ってから受け取り、一気にぐびと飲み干した。
セオは思い出したように、先程レヴィに渡さなかった鞄をごそごそと探り、大切に曲げて入れておいた紙をパッと取り出して、ねえ!と注目を集めるようにひらひらと振った。それに、剣の手入れをしていたスクアーロ、テレビを見ていたマーモンとベルフェゴール、それにレヴィとルッスーリアは目を寄せて、セオの方を向く。目が良い彼らはその紙に書かれていることを具に読んだ。
そして、セオ自身もそれについて自分で述べる。
「あのね!明日、げきするから、みんなきて!」
目を輝かせたセオにルッスーリアは小指を頬に添えつつ、明るく返す。
「あらあら、それは是非とも行かなくちゃ行けないわね!セオは一体何の役をするのかしら?」
「そりゃ剣士の役だろぉ!」
「自分がやりてー役押し付けんなっての。ばーっか」
「んだとぉ!!」
怒鳴りつけたスクアーロだったが、べるフェゴールの隣座っていたマーモンは、でもとその会話を分断するように首を横に振った。
「でも、僕とベルは残念だけど行けないね。今晩から明日の夜までロシアだから仕方ない」
マーモンの言葉に、セオはひどく残念そうな顔をしたが、ベルフェゴールはルッスーリアがビデオ撮ってくれるからそれ皆でもう一回見よーぜと声をかけたので、沈んだ顔を笑顔に変えて、うんと元気よく頷く。
「ロシアって、おもしろいおもちゃがあるんでしょ?おれ、見てみたい!」
「面白い玩具?」
何それと怪訝そうな顔をしたベルフェゴールに、マーモンがマトリョシカじゃないと答える。そして、中から同じものが出てくる奴かいと質問して、セオがそれに大きく頷く。
「お金を要求したいところだけど、君はそんなお金を持ってはいないだろうし、」
「ぬいぐるみ一つあげようか」
「遠慮しとくよ。出世払いってことで、一つ買ってきてあげよう」
「ただで買ってきてあげなさいよ。もう、ケチねぇ」
「世の中金ってことを覚えさせておかなくちゃね」
「ま」
そんなやりとりを交わしながら、セオは多少不安げになって他のメンバーを見渡す。来られるかどうかを不安に思っているのが如実に伝わり、ルッスーリアは私は大丈夫よと微笑む。そして、レヴィも俺も大丈夫です!と勢いよく頷いた。スクアーロもレヴィ同様に頷いて平気なことを示す。セオはそれに、うん!と幸せそうに笑った。
セオの笑顔を眺めながら、親同然の彼らはそれぞれの口元に柔らかい笑みを浮かべる。
「バッビーノは?」
だが、その言葉にスクアーロはうんと軽く唸る。
「…あーボスはどうだろうなぁ…今日は昼からスケジュール詰まってて夜まで帰ってこねえぞぉ。それに、明日もどうだったか…」
「…バッビーノ、こられないの?」
自分たちの時よりも酷く落ち込んだセオの声にルッスーリアは慌てて、まだ分からないわよ!としょんぼりした背中に声をかける。
「今日は忙しいだけだし、明日はどうだか私たちもよく知らないわ。ボスが帰って来てからJrが頼んだらいいのよ。少しくらい予定はずらせるかもしれないし、ね?」
「うん…そうしてみる!」
ほっとしたようなセオに周囲は安堵の息を漏らす。セオはその中で、再度四つに畳んだ紙をポケットの中に入れた。と、丁度その時ぐぅとお腹が鳴る。まだ昼食をとっていない体は素直に空腹を告げた。少し頬を赤くして、セオはマンマと母親の姿を探したが、何故だが母の姿がない。代わりにルッスーリアが、そうそうと机の上にふきんをかけて置いておいたパニーノを差し出す。
「はい!ルッスーリア特製、愛のこもったパニーノよ。美味しく食べちゃいなさいな」
「Grazie、ルッスーリア!」
満面の笑顔で礼を言ってセオはそれを掴もうとしたが、その手が届く前に、するりと皿ごと上に持ち上げられる。まだまだ身長の足りないセオは視線だけをパニーノの乗った皿へと動かした。ルッスーリアは口元に綺麗な笑みを浮かべ、セオの手を指差した。
「お外から帰ってきたら?」
「うがいと、手あらい!」
「よくできました!さ、言ってらっしゃい。林檎ジュースも用意しておいてあげるわ」
「ほんと?!」
「勿論よ」
「行ってきます!おれ、すぐにかえってくるから!食べちゃだめだから!」
分かってるわよとルッスーリアは笑いながらセオの背中を押しだした。でかくなったもんだぜぇ、とスクアーロはレヴィと同じ感想を、また剣を拭きながら口からこぼした。
はぁ、と東眞は深い息をつく。苦しげに歪んだ表情の隣には、シャルカーンがひっそりと立っている。そして、東眞がベッドの上で楽な姿勢を取るのを袖に隠された手で手伝った。ゆっくりと柔らかなシーツの中に体をうずめ、その青白い血の通っていないかと思われる程の顔色で、息が細く整えられていく。
「今日と明日、できレバ明後日も安静にしておいて下サイネ」
返事の代わりに東眞は小さく唇を動かして、はいと細い声を出した。
「今日ハ、特に絶対安静デス」
「…はい」
すぅすぅとゆっくり体の神経を伸ばすように落ち着いていると、顔に少しばかりの血の気が戻ってくる。土気色だったその顔色はまともになり、シャルカーンはその顔を見ながら、東眞の顔にかかった髪を指先でそっと退けた。
「苦しいとは思いまスガ」
「仕方ありません。セオを産んだ時に、覚悟はしてました。でも、それ以上に今幸せですから。XANXUSさんがいて、セオがいて、皆がいて…本当に、幸せです」
「大切ニ、してくだサイネ。自分の体デスシ、アナタを心配する人ハ沢山イマス。ボスとか、特ニ」
クスクスと笑って、シャルカーンはその足元の匣兵器、黒猫が足に擦りついてきたのに、ニコと笑った。尤も、彼の場合は普段から笑顔であるためにそれが笑顔であるのかどうか、判断するのはとても難しい。
東眞はシャルカーンの言葉に苦笑を浮かべて、でも嬉しいですと返した。うっかり惚気を聞かされたシャルカーンは珍しくその持ち上げっている口端を少しばかり下げて、両袖を持ち上げるとやれやれのポーズを示す。そんな彼の様子を見ながら、東眞はもっと惚気てみようかとそんなことを考えた。ルッスーリアたちなどは、XANXUSの方の惚気(と呼べるのかどうかは甚だ疑問だが)の方が酷いといつもいうが、東眞とて惚気ようと思えればいくらだって惚気られる。頬に触れてくるその優しい指先や、抱きしめてくる時に少し頬をすり寄せてくる仕草、洗濯物を畳んでいたらまるで大きな犬のように時折背中にもたれかかってきたり。
今日はいつ帰ってくるだろうか、と東眞は目を細めて、愛しい男の顔を思い浮かべた。一般に恐ろしい顔だと思われがちだが、精悍な顔つきだと東眞は思う。それに、目付きが悪いと言われるが(実際に良い方とは言えないと思うのだが)気分によっては優しくなるし、むしろ可愛らしいと思う。
一人心中で盛大に惚気つつ、東眞はくすくすと小さく笑った。笑えば少し体の節々が痛むが仕方ない。
「ナニ、笑ってるんデスカ?」
「いいえ、チャノ先生。所謂、惚気と言う奴です」
「ソレハ、聞かないホウがよさそうデスネ。大きなティーカップとトテモ苦いコーヒーを用意シナクテハ」
「本当に。そう言えば、今日、ラジュが居ないんですね」
普段はシャルカーンの横にちょこんといる小さな、とはいっても彼ももう随分と大きくなったのだが、少年を思い出して東眞はその名前を口にする。それにシャルカーンはエエと袖を上げる。
「ラジュは家で特訓中デス。来年にはテストデスシネ」
テスト、と返した東眞にソウデスとシャルカーンは袖を持ち上げて笑う。
「入隊テストデス。もとより三年の約束デシタノデ。マ、大丈夫だと思いますケド」
「セオもよく懐いていますし――――よい、結果になればいいのですが」
悪い結果が何を意味するのか、東眞は理解してそれを口にした。シャルカーンはソウデスネといつものような笑顔でそれを返した。笑顔を読むことはきっと無表情の人間の顔を見るよりも難しいのではないかと東眞はそんなことをどこか遠くで思った。ポーカーフェイス、それに近いのだろうかと感じつつ、東眞は疲れ切った体の全体重をベッドに預けた。
シャルカーンは東眞の手、脈拍に触れて小さく頷く。
「ワタシの言ったコト、忘れないでクダサイネ」
「はい。でも、復唱ができるほどに、もう同じことを繰り返してますね」
「一月も経てば人は忘れマスヨ。デハ」
お大事ニ、とシャルカーンは一礼してその部屋を出た。
取り残されて、一人になった部屋の天井を眺めながら、そして東眞は長く息をついた。今日明日明後日、それさえ過ぎれば、また彼らの輪の中に戻ることができると、ちょっとした寂しさを覚えながら。