37:子供の我儘 - 2/5

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 ぱたぱたと廊下を蹴りながらセオは走る。その時、角から曲がった時に浅黒い肌を持った余裕が大きな服が流れるようにして銀朱の視界に入った。その固定された笑顔の男性の名をセオはきらきらと眩しい笑顔を浮かべて呼んだ。
「シャルカーン!」
「オヤ」
 Jrとシャルカーンはその口元の笑みをそのままに、一瞬考え込んで両手を合わせるとその袖の裾の中からするすると万国旗を取り出して見せる。セオはそれに瞬きを繰り返して、口元を楽しげに微笑ませた。そして、その中で、はっと思い出したように、セオはポケットに折りたたんでいたものをシャルカーンに見せる。
 差し出された白いお知らせ用紙をシャルカーンは袖に包まれた指先で受け取るとフム、とそれに書き記された文字を斜め読みして、笑顔のままそれをセオの小さな手に返却した。そして残念そうな笑顔でそれにスミマセンと答える。
「ワタシ、明日にはタイに行かないとイケナインデス」
「ベルとマーモンも、明日ロシアいくって言ってた。ね、ラジュは?」
「ラジュはお留守番デス。マタ今度、デスネ」
 くしゃりと頭を撫でられてセオはこくんと一つ頷いて同意を示した。シャルカーンはそして、セオが何をしたかったのかをきょろりと周囲を見渡して首を軽く傾げた。それにセオは笑顔でにこりと微笑む。
「手あらいとうがいしたら、ルッスーリアがお昼ごはんくれるの!」
「ソレハソレハ。ルッスーリアの料理は美味しいデスシ、沢山食べるとイイデスヨ」
「うん!おれ、たくさん食べて、たくさん大きくなる!」
 にこやかに微笑んだセオに長い袖から溢れた万国旗が満開の花になって降り注ぐ。一体どんな手品を使ったのかはさっぱり分からないのだが、セオはその満開の光景に目を丸くして、すごいすごいと両手を振って喜んだ。シャルカーンはそれに満足げな顔をする。
 笑顔の戻ったセオにシャルカーンはくるりとセオを向けて、マタと別れを告げた。
 遠ざかっていく特徴的な服の後ろ姿が消えたのを見ると、セオは踵を返して手を洗いに走る。だが、途中でその足を止めて、奥へと続く通路へと目を向けた。その先にあるのは個室であり、母の部屋がある。
 セオは一度洗面所と母の部屋を見比べ、ポケットの中に入っている紙をその上からかさりと触れると顔をあげて母の寝室へと走り出した。沢山の期待を胸に掛けた廊下の先に居る母の元へ。セオは、走った。

 

 XANXUSは深い深い溜息をついた。眉間に酔った深い皺はしっかりと突きすぎてもはや彫り込まれている様子に見える。その前面には、老齢の男が一人、コーヒーカップを片手ににこにこと幸せこの上ない顔をしていた。机の上に置かれているのは、上品そうなクッキーである。
 コーヒーカップがごつんと乱暴に机の上にたたきつけられるようにしておかれ、それは老人の楽しげな口ぶりであった会話を途中で遮断した。しかしながら老人はその幸せそうな笑顔を一切崩すことはない。むしろそれどころか、XANXUSの対応があったことに喜ぶかのように、さらにその頬笑みを深めた。忌々しい、とXANXUSは腹の内で盛大に悪態を告いだ。
「それでXANXUS」
「…」
「明日はセオの発表会だそうだが、勿論行くんだろう?ああ、当然私も行くとも!」
 黙ってコーヒーカップに口をつけていたXANXUSだったが、突然の情報にぶは、とコーヒーを思わず噴き出しかけながら、何だと、とその真赤なルビーを思わせる目をかっと見開いた。そんなXANXUSのあからさまに驚いた対応に、質問をした老人の方が反対に驚きを見せる。
 こつんと杖が鳴った。
「…XANXUS、ひょっとしてセオから聞いていないのかい」
 私は聞いたのにと言わんばかりの言い様に、XANXUSはびきっとその額に青筋をはっきりと立てた。そんな一子の父の様子に子供の祖父はにやぁと嬉しげに口元を緩めた。
「いやぁ、そうかいそうかい…ノンノに一番最初に教えてくれたのかな?ふふっ、ふ、ふふふ」
「気色悪ぃ笑いしてんじゃねぇ!老いぼれが!」
 帰ったら絶対に許さねぇとXANXUSは可愛い我が子の顔を思い浮かべながら、あまりにも嬉しげに笑う父親に噛みつくように怒鳴った。しかし、孫に一番に話されたという事実に祖父はもはやとろける程の笑みを浮かべてにやけるしかない。明日は何を着て行こうかと浮かれた様子で、子供から話を聞いていない父親に言うものだから、さらに神経を逆なでする(おそらく分かってやっていることなのだろうが)
 しかしながら、それも数分そうやって、だがね、とティモッテオは冗談のようにその笑みを止めてXANXUSにそのとろける表情をやめて尋ねた。未だに憎らしい様子だが、XANXUSも怒鳴りつけようとしていた口をむすっと閉じて腕を組むと、ずっしりとソファの背もたれに体を預けて父の言葉を聞く。
「セオはお前が忙しいのを知っていたから、きっと遠慮したんだろう。心根の優しい良い子だよ」
「てめぇと違ってな」
 間髪いれず皮肉をこめてXANXUSはティモッテオに言い返す。そんな息子の心ない言葉にティモッテオはそのすっかり白い眉毛を斜めに下げて、そんなことはないと軽く口先を尖らせる。カップのコーヒーが芳しい香りを揺らめかせた。その中でXANXUSは緩やかな動作で適温のコーヒーを半分ほど一気に飲み干す。
 息子のそんな様子にティモッテオは目を細めて穏やかな表情を浮かべつつ、ああと話を続けた。
「東眞さんの調子はどうだい」
「…暫くは、起きられそうもねぇ。当分来るな」
「では、明日のセオの発表会も行けそうにないのか…ああ、何、XANXUS、心配しなくても問題はないよ。私が超ハイクオリティのカメラを持っていって可愛い可愛いセオの活躍を一挙一動逃すことなく収めるから、後で東眞さんと一緒に見よう。それで、結局お前もいくのかい?」
 ティモッテオの質問にXANXUSはすっと視線を横にそらせてどうだったかと明日のスケジュールを時間ごとに上から並べて行く。恐らく発表会は幼稚園の時間帯にあるのだろうから、普通に考えて午前中。今日は午前も午後も予定が詰まっていたために、おそらく、そう、おそらく自分の子供は自分にそれを伝えることができなかったのだろうとXANXUSは流して、頷く。そうでもしなければ、子供の顔を変形させそうな気がして仕方がない。
 午後は週末に予定している任務の打ち合わせがあるから無理だとして(実際幼稚園の時間は午前だから問題はないのだが)、午前のスケジュールをぱらぱらと頭の中でめくっていく。おそらく、は、なかったとXANXUSは記憶していた。目を通さねばならない書類が山程あったが、今晩を犠牲にさえすればできない量でもない。
 XANXUSはそう結論付けて、ああと短く答えた。息子のその返事に、ティモッテオはそうかいと明るく笑ったが、すぐに表情を引き締めて、ああと注意を促すように手招きをする。顔を寄せるのは非常に癪ではあったが、何かあるのかと少しばかりの子供可愛さにXANXUSはソファにうずめていた背中を持ちあがらせて、そちらへと耳を寄せる。
 こそり、とティモッテオは耳打ちをした。
「XANXUS。発表会の時は、眉間のしわを取りなさい。きっと他の子…っ!あ、危ない!何を…!」
 ごっそりと消えてしまった机の一角、消えたと言うよりも正確に言うならば灰になったその状況にティモッテオは慌てて反論する。XANXUSはそんなティモッテオ相手に頬の筋肉とその傷跡を盛大に引きつらせつつ、ふざけんじゃねぇと空気を恐ろしく低く機嫌の悪い声で震わせる。気のせいではなく、その掌には死ぬ気の炎の亜種である憤怒の炎が、煌々と光を放ちながら灯されていた。
 流石に言い過ぎただろうかと、ティモッテオは両手を軽く持ち上げたのだが、少しばかり気付くのが遅かったようで、死ね老いぼれ!といつもの声が響く。これは息子の少し変わった(危険で一杯の)愛情表現であろうとティモッテオは少しばかりの至福に満ちた表情を浮かべた。それにXANXUSはさらに米神に音を鳴らして、怒りのボルテージを上げる。いい加減にメーターが振り切れそうである。
 攻撃的すぎるほどに攻撃的な息子の攻撃をひらりひらりと避けながら、ティモッテオはXANXUSと会話を続ける。
「と、ところで、今度、一緒にサッカー観戦にでも行かないか?実は観戦券を買ってね!ああ、勿論セオの分もあるし、東眞さんの分とお前の分もある!ほら、セオは男の子だろう?だから、ほら、こう、スポーツ観戦も興味あるんじゃないかと思ったりするんだが…」
 なまじっか、そこらのスポーツ選手よりもアクロバティックなスポーツを経験しているのだが、やはりそれはそれこれはこれなのだろうかとXANXUSは攻撃の手を緩めることなく、食事時にテレビをつけてルッスーリアに怒られていたセオの姿を思い出す。あの時についていたのは、サッカーかバスケットだか、どちらか覚えていないのだが、どちらにしろスポーツは好きな様子ではあった。時折スクアーロをはじめとした隊員たちがチームを組んで(無論手加減はしているのだろうが)庭に広がるコートで、遊んでいたのをXANXUSは仕事部屋の窓から眺めていたのを覚えている。言うまでもなく、仕事をさぼった奴らには倍の仕事をその後で申しつけたのだが。
 ふっと考え込んでいるXNAXUSの様子にティモッテオはさらに押しの一手をかける。もう一歩!とばかりに言葉を続けた。ファミリーの部下からすれば、そこまで命のやりとりをしつつ誘うものだろうかと首をかしげられるところだろうが、ティモッテオはかわいい孫と息子と、それからその嫁との数少ない触れ合いに史上最高の幸せを案じているのだから、問題はない。
「一番いい席を取ってあるとも!」
「…いつだ。まさか、俺に任務が入ってる日選んでんるわけじゃねぇだろうな…狸が」
 ぎろりとうっかりすれば睨み殺される程目付きの悪さでXANXUSはティモッテオを睨みつけて、差し出された観戦チケットを四枚、老人のしわくちゃの手からひったくった。街中でやればうっかりどころではなく、本気でひったくりと間違われそうなほどのひったくりぶりである。
 そしてXANXUSはチケットの日付を確認して、小さくこくりと頭を上下させる。この日であれば、東眞ももう動きまわってもよいだろうし問題はない。その日の家事はルッスーリアがやってくれるだろうとXANXUSはシチュエーションを一から十まで想像して、よしとそれを乱暴に自分のポケットの中に突っ込んだ。その仕草に、ティモッテオはあれ、と困ったような声を上げる。
「XANXUS?その、私のチケット…」
「あぁ?なんでテメェなんかと行く必要があるんだ。そうだな…犬にでも使うか」
「そんな!」
 ああと悲痛な悲鳴をあげた父に、XANXUSはにやと笑って冗談だと一枚ポケットからぐしゃぐしゃになったチケットを取り出して、ティモッテオに投げつけた。それを安心したように受け取ると、ティモッテオはほっと安堵の息を紡ぐ。
「では、迎えの車をよこすから一緒に行こう。ふふ、嬉しいなぁ」
「…言ってろ、死に損ない」
 XANXUSはふんと鼻を一つ鳴らして、立ちあがっていた状態からソファに腰を戻すと、飲みかけのコーヒーをぐいと最後まで、まるで酒でも飲むかのような仕草で煽った。飲みほしたコーヒーは少し冷めており、そしてまた、少々、えぐみが強くなっていた。

 

 ぱたぱたと小さな足音が響いて近付いてくる。東眞はふっと重たかった瞼を押し開け、一挙一動もしんどさを感じる状態で上半身を持ち上げて、ベッドの背もたれ、柔らかなクッション素材が多用されているそこに全体重を預けて一息ついた。それと同時に部屋の扉がぎぎと外側から内側に向かって押し開けられた。
 そこには、小さな子供の姿がちょこんと立っていた。母を見つけた子供はきらきらとその銀朱を輝かせて、マンマ!と声を上げる。
「セオ」
 東眞はどうしてここにとその名前を呼ぶ。治療を行い、体が完全回復するまでの数日間、セオは自分の部屋には立ち入り禁止にしているはずであった。それはただひとえにセオに心配をかけさせないためであり、また、満足できる程の相手をしてやることができないからである。
 XANXUSからもそれはきつく申し伝えられているはずなのだがと東眞は内心首を傾げながら、廊下を見回して部屋の中に入ってきたセオへと視線を注ぐ。セオは母の視線が向いていることに、にこっと笑い、父親の姿がないことを最終確認して東眞が弱弱しく座るベッドの端に見つからぬようにとさっと駆けて、両肘を乗せてさらに嬉しそうな笑顔を浮かべた。
 その笑顔に多少の申し訳なさを感じながら、東眞は口を開く。
「セオ。今日からこの部屋は入ってはいけないと、XANXUSさんとの約束だったでしょう?」
 母の叱責にセオは少し首をすくめたが、すぐに気を取り直して、そのね、と口を開いて言葉を紡ぐ。
「おれ、おれ!マンマにおねがいがあってきたの!」
「お願い?」
「うん!」
 これ、とセオは柔らかなベッドにつけていた両肘を持ち上げて、両足にしっかりと体重をかけ直してポケットに突っこんでいた紙片を取り出して東眞へと差し出す。それを東眞は動かすのすら億劫な腕をどうにか持ち上げて、微かに震え続ける指先でそれを受け取ると、イタリア語で書かれているそのお知らせの紙を横に読んでいく。達者、ではないにせよ、日常生活においては困らない程度には東眞もイタリア語をマスターしている。
 東眞は書かれたお知らせの紙を読みながら、これはと唇を噛む。隣ではしゃぎながら、言葉を紡ぐセオに東眞は深い罪悪感を抱いた。
「あのね。おれ、今日までがんばってたくさんれんしゅうしたんだ!先生にも『セオはうまいね!』ってほめられたんだ。だから、その、ね。明日なの。えっと、バッビーノは今日かえってきてから、おれ、きてくれるようにたのんでみる!マンマも、ね、きてくれる、よね?」
 よね、と期待に溢れた言葉に胸が、ひどくいたくつらく、締め付けられた。
 母の表情がいやに暗いのを見て取ったのか、セオは眉を下げて、あ、と間を詰めるように言葉を漏らす。
「ね…きて、くれる、よね?マンマ…おれの、げき、見に、きてくれるよね?ね?」
「セオ…その」
 ああと東眞は深い溜息を心の中でついて、セオと名前をもう一度繰り返して、手の中の紙をシーツの上に置くようにして、疲れた腕をベッドの柔らかさの中に埋める。一つ息を吸ってから、東眞は明らかに不安になっている我が子の顔をしっかりと見て声を発した。
「すみません。私は、行けないんです」
 母の答えに、セオは一拍置いて、どうして、と言葉を溢す。
「どうして?マンマ、明日はなにも、ないでしょぉ?ベルとマーモンとシャルカーンはいそがしいって…言ってたよ。でも、マンマのおしごとってお家のことでしょ?おれのげき、どうして見にきてくれないの?だって、だってだって!だって、だいじょうぶでしょ?おそうじとか、ごはんとか、少しくらいおそくっても、おれ、なにも言わないよ。バッビーノだって、言わないよ?」
 どうしてと繰り返すセオに東眞はごめんなさいと、声のトーンを落とし、どうしたらいいのか分からぬように呟いた。そして、小さく困ったように微笑む。
「ごめんなさい。また、今度ですね。今度、今度はきっと見に行けますか
「うそ!」
 強く発生された子供の悲鳴じみた言葉に東眞の言葉は叩きつけるようにして踏み潰された。セオはわなわなと震えつつ、うそ、ともう一度繰り返した。ぼろりと大粒の涙が銀朱の目から一粒二粒ととどまるところなく零れ落ち、溢れかえる言葉は涙声になってしまっている。
「セオ」
「うそ!だって、だ、っぇ、マンマ!そんなこと言って!前の…っ、前の、えんそくの、とき、もっ、きてくれなかったもん!」
「それは」
 それは、と続ける言葉を東眞は無くした。幼稚園主催で、家族で近くの公園に遠足に行こうというイベントも東眞は参加ができなかった。自分の代わりにルッスーリアが出てくれたのだが、XANXUSはお陰で肩身が狭かったと帰ってきたときにぼやいていた記憶がある。ただその時は東眞も体調を崩しており、さらに体調を悪化させてはいけないので、寝ていろとベッドに押し付けられたのでそうなった。帰ってきた時のセオは、嬉しげにルッスーリアがねと話してくれていたので、気にしていないのだろうと思っていたのだが、どうやら完全に思い違いだったようである。
 ぐすんとセオは鼻を一つすすって、東眞が手に持っている紙をひったくるようにして奪うと、癇癪を起してびりびりに破いて床にばらまいた。そしてそれをどんどんと踏みつける。肩で息をしながら、セオはもう一度しゃくりあげた。
「マンマ、っは、おれのこと、きらい、なんだ!すきじゃないんだ!」
「そんなことは」
「うそ!うそ!おれ、わかるもん!だって、」
 涙で一杯の顔を持ち上げて、セオは東眞の顔を睨みつけた。泣いている我が子の顔を目にして、東眞は言葉を完全に失った。セオは東眞に言葉を紡ぐひまを与えずに、さらに言葉を叩きつけた。
「エルモのマンマも、ミケラのマンマも!大すきだから――――っきて、くれるって!言ってたもん!だから!マンマはおれ、がきらいなんだ!」
「セオ!」
「きらいなら―――――うまなかったらよかったんだ!」
「、セオ」
 東眞の思考は、停止した。
 だが、セオの言葉はもう止まりどころを知らないかのように続く。
「おれなんか、うまなかったら、よかったのに!」
「」
 セオともはや名前も呼ぶこともできずに、東眞は喉を空気だけで震わせた。セオは東眞を睨みつけたまま、一歩二歩とそのまま下がって、部屋の中心で踵を返すと扉を乱暴に開けてそのまま部屋を飛び出した。
 叩きつけられた音に東眞ははっと我に返って、追わなければと至極自然にそう思い、何もかもを忘れてベッドから立ち上がった。セオと泣いてしまった子供を追うために、東眞は一歩、踏み出す。しかしながら、体はぷつんとそこで悲鳴を上げた。
「ぁ」
 まるで糸の切れたマリオネットのように東眞はその場に崩れ落ちた。伸ばした腕が絨毯を叩き、体が放り投げだされる。
 全身を鋭い痛みが走り、目の前を電車が走っているように電気が散る。ごうごうと耳元で轟音が響き喉もとからは吐き気がせり上がる。一つに走っていた神経回路がぐちゃぐちゃにひん捻じ曲げられてへし折られたような感覚に体は喘いだ。声にならない痛みの悲鳴が喉を震わせる。体中の骨を粉砕されたかのような眩暈に耐えながら、その指先を伸ばす。
 セオ、と名前を呼んだ。呼んだ名前は、最後には声にならない。
 脳内を暴れまわる激痛と点滅する視界に、そこで思考は途切れた。