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「ハァ」
そう、間抜けな返事をした笑い顔の男に赤い目をした男は、何だと僅かに眉間に皺を寄せた。さも不機嫌そうな顔をされて、シャルカーンはイエイエと袖を軽く振って笑う。尤ももとより笑い顔なので、笑ったのは声だけではある。
そしてシャルカーンは上司が、XANXUSが渡してきた依頼書へと一度目を通す。こちらに回ってくる任務は特殊なものばかりなので、よくよく注意しなければならない。だが、その依頼書の文字を横から読みながら、シャルカーンはやはりもう一度首をかしげて、そして少し不服気に溜息交じりにもう一度ハァと言った。今度呟かれた方の「ハァ」はあからさまな退屈さがこもっていたので、XANXUSは黙ってろ、と短い言葉を口にする。
シャルカーンと言えば、その報告書を火にくべて跡形もなく燃やす。依頼書の内容は完全に頭の中に入った。二度も、と、いうよりも、依頼者が誰であったのかという情報はこれで綺麗に抹消されてしまった。尤も、このVARIAを利用する機関と言えばボンゴレ以外に他ならないのであるのだが。
「ワザワザ、ワタシデスカ」
ボス、とシャルカーンは任務内容に不満があるようにそう口にする。XANXUSはその溜息交じりとさも嫌そうに言った男をぎろりとねめつけた。
「ボスボス。コレ、通常はジェロニモの任務じゃナイデスカ。ワザワザ連れて帰るくらいなら、ジェロニモ待った方がイイデスヨ。ワタシ、重たイトランク持って飛行機に乗って帰ってくるの趣味じゃナイデス」
「…テメェが今トランク詰めにされんのとどっちがいいんだ。あぁ?」
「勿論イヤとは言いませんケドネ、ボス。デモ、ジェロニモドウシタンデスカ?」
凄んだXANXUSにシャルカーンはひらひらと袖を振って答える。閉所、もしくは暗所恐怖症ではないけれども、トランクに詰められるのは御免なのだろうか、シャルカーンはきっちり肯定はしておいた。
ジェロニモ、とシャルカーンの口から出された名前にXANXUSは不愉快そうに眉を顰めた。シャルカーンはさらに続ける。
「彼、モウ帰って来てるデショウ?」
「Rothenburgに休暇取って行ってやがる。連絡手段が取れる機器全部こっちに置いていきやがった」
「…ローテンブルグ?」
聞き覚えのない場所の名前にシャルカーンはそれを繰り返すことによって、それがどこなのかを問う。それにXANXUSは机の上にがんと足を乗せて、ふぅと苛立ちを少しばかり押さえながら息を吐く。
「中世犯罪博物館だ。あのドカスが」
ちっと舌打ちをして吐き捨てたXANXUSにシャルカーンは一拍置いて、ソウデスカと答える。デハ仕方アリマセンネ、と笑って、くるりと背中を向けようとして、ふと止まる。
「ソウイエバ、ボス。もうすぐJrの誕生日じゃないデスカ。プレゼントは準備してルンデスカ?ア!モチロンワタシはバッチリでスヨ!今回の任務がなければ練習に精を出していたんですケドネ…心残りデス」
これ見よがしにシャルカーンは溜息をつき、XANXUSは不愉快そうに眉を顰めた。
何かを準備していないと言うことはないのだろうが(否、ひょっとするとありうるかもしれない)彼が一体何を準備しているのかが気になる。ボスボス、とシャルカーンはさも楽しげに自分の上司に呼び掛けて返答を求める。
しかし、しまいにとうとう怒りのパラメーターが振り切られて、XANXUSはうるせぇ!とシャルカーンを怒鳴りつけた。そのあまりの怒りように、ソンナに怒らなくテモ、とシャルカーンはしょんぼりと袖を下げる。
そしてひらひらと袖を振りながら、怒り心頭の上司をものともせずに話を続けた。
「スクアーロたちは皆サンそろって林檎のプレゼントばかりデスケドネ。…ひょっとして、ボス…ご自分の子供の誕生日忘れてまシタ?九代目が泣きまスヨ?」
「うるせぇ。下らねぇこと言ってねぇでとっとと片付けてこい。いいか、生かしたまま連れてこい。後はジェロニモに始末させる」
「ワカリマシタ、ボス」
デハソノヨウニ、とシャルカーンは一礼してからくるりと部屋から退出した。
相変わらず全く読めない男にXNAXUSは難しい顔をして椅子にしっかりと凭れかけた。
自分の子供の誕生日を忘れるはずもない。それに、あの日は生きた心地がしなかった。大体、自分が覚えていなかったとしても、周囲の人間が鬱陶しいくらいに浮かれているので、嫌でも分かると言うものだ。自分の父親は一月も前から一日に一回は電話をよこして、今のセオの気に入りは何かを鬱陶しく聞いてくる。電話回線を焼き切りたい衝動に駆られた。
シャルカーンの言うとおり、セオは一体何をどうしてなのか分からないくらいに林檎が好きなので、おそらく誕生日には机の上に林檎の料理が並ぶであろうことは容易に知れる。アップルパイを焼くのだと、笑顔で自分の妻が言っていたのはしっかりと覚えている。そしてルッスーリアと一緒に一週間ほど前から、どの林檎で作ったアップルパイが一番おいしいかを研究していた。
それに付き合わされて、最近の茶うけは見事にアップルパイである。こうも連日続くと、この原因を作った子供を殴りたくなる。
スクアーロは何やら栽培キットを用意して、林檎の種をプレゼントするのだと大いに語っていたが、二歳の餓鬼に何ができると殴っておいた。
そう言えば二歳なのか、とXANXUSはふとその白い天井を見上げた。あの日から、二年が経つ。
東眞の体は相変わらずで、それでも少しずつはよくなってきていると主治医(シャルカーン)は言っているのだが、今一信じられない。それはおそらく、一月に必ず一週間近くはベッドに寝たきりになっているからであろうことは分かっている。
幸いその週はセオの誕生日にかかっていないので、一緒に楽しむことができる。去年の誕生日はあの老いぼれが扉からは入りきらない大きさのぬいぐるみを持ちこんできて、セオが恐怖で泣いたのを覚えている。
あの老人の脳内には子供=ぬいぐるみという形式しかないのかとうんざりしたのは、今でもはっきりと思い出せる。その上妙にリアルなぬいぐるみだった。結局そのぬいぐるみはセオのベッドの側に置かれたが、それがあるだけで泣くので、ベルフェゴールの的になった。憐れ。
今年は一体どうなる事やらと面倒くささが体に圧し掛かる。もう、渡すものは決めているのだが。確か去年は林檎を一つやった。あまりにも嬉しそうな顔をされたのが意外だった。
しかしながら、ああまで良く泣いたり笑ったりされると本当に自分の子供だろうかと疑ってしまう時がある。特に、よく、泣くのだ。泣くのが仕事ですよと東眞は言うが、あれはいくらなんでも泣き過ぎなような気がする。
あの腐った根性をいつか叩き直してやる、とXANXUSがそんなことを思っていると聞きなれたノック音が響いた。それにXANXUSは視線をそちらに向ける。かちりと音がして、扉が開いた。紅茶の優しい香り。
「お邪魔でしたか?」
「…いや」
普段であれば、ほっと表情を緩めるところだが、本日に限ってXANXUSは僅かに眉間に皺を寄せた。その二つの赤い目が東眞の手元、トレーの上に向かっている。視線に気づいたのか、東眞はああと微笑んだ。
「丁度セオの誕生日の試作品ができたので。やっぱり紅玉が一番おいしくできますね、アップルパイ」
どうぞと置かれた皿の上のアップルパイと優しい香りに紅茶にXANXUSは一つ溜息をつくと手をつけた。美味しいのだが、やはりこうも続くと飽きがくる。
椅子お借りします、と一言断ってから東眞は腰を一つの椅子に落ち着けた。
調子がいいのか、顔色がいい。人の顔色を窺うようになったのは一体いつからだろかとXANXUSはすいと目をそらした。そんな夫に東眞はどうですかとアップルパイの評価を求める。
「悪くねぇ」
「…誕生日にはこのアップルパイと、それから林檎ジュース、それに林檎のゼリーもどうかと思ってるんですよ。見事に林檎で統一してみようかと。セオ、林檎大好きですからね」
先程からセオセオと自分の子供の名前ばかり言って少しも面白くない、とXANXUSは紅茶を飲みながらそんな風に思う。そんな子供に嫉妬するほど自分は愚かでも何でもないのだが、こうもないがしろにされると腹が立つ。
かつんと無言のままでティーカップをソーサに音を立てておいた。それに東眞はようやく笑顔でセオの誕生日について話していたのを止めた。少し、気分がいい。そして一拍黙ってから、そうでしたねと柔らかい声で、少し困ったような声が耳に届く。
XANXUSさん、とようやく子供の名前ではなく聞こえてきた自分の名前に、XANXUSは口元を緩ませて何だ、と答えた。
んっ、とセオはルッスーリアが持ってきたアップルパイを口にめい一杯頬張る。そして、そのおいしさにぱぁっとほっぺたを林檎のように赤くして、Buono!とルッスーリアに笑顔を向けた。
「ルッス、Buono!もっこ、ちょうだい!」
「…っあんらまぁ可愛い!ちょーっと見てよ、スクアーロ!」
「うるせえぞぉ!そいつが無類の林檎好きなのは周知の事実じゃねぇかぁ。腐ってさえなけりゃそいつはどんな林檎だって平らげちまうだろぉよぉ。今更ごたごた騒いでんじゃねぇ!」
そんなスクアーロの味気ない反応に、ルッスーリアはもうこれだから、と口先をとがらせる。それにセオはその銀朱の瞳を少し曇らせて、首を軽く傾けた。
「ルッス…おいしーよ?セオ、だいすき。ね?」
「…んんんんん……っもう!Jrったら可愛いわぁああ!!そこの脳味噌が空っぽのデカ物とは大違いねっ」
「誰が脳味噌なしのデカ物だぁ!!」
「誰もスクアーロのことなんて言ってないわよ。さ、Jr.ルッスお姉さんがアップルパイもう一つ食べさせてあげるわ」
さ、どうぞとセオの皿の上に、ルッスーリアはもう一つ可愛らしいアップルパイを置く。セオはきらきらと目を輝かせて、フォークをそれに突き立てると、むく、と口の中に入れた。小さな口はアップルパイでいっぱいになりながら、むぐむぐと動かされる。
その幸せそうな表情と愛らしい面差しにルッスーリアはうんうんと頷いた。そして、最後に林檎ジュースの入ったカップをセオに手渡す。
「Grazie、ルッス!」
「いいのよぉ、気にしなくて。んふふ…本当に可愛いわねぇ…あれね、九代目がメロメロなのも分かるような気がするわ。ところでスクアーロ。あなた、Jrへのプレゼント考えたの?ベルたちはもう準備してるって言ってたわよ」
栽培キットはボスに壊されたんでしょ?とルッスーリアに言われて、スクアーロは苦い顔をする。
長い期間楽しめると思って、購入したのに、渡す前に見事に父親に壊されてしまった。同じものを買ったとしてもまた壊されるのは目に見えているので、別のプレゼントを考えなければならない。
ルッスーリアの質問にそれだがなぁ、とスクアーロは溜息交じりに答えた。足を組んで柔らかなソファに腰掛ける。
「実はまだ決まってねぇ」
「あら。シャルカーンだってもう決まってるのよ?しかも手品まで披露するそうじゃない。スクアーロ、色んな意味でシャルカーンに負けちゃってるわね」
「うるせぇぞぉ!大体プレゼントなんてのは勝ち負けじゃ……まぁ、いい。で、てめぇは何やるんだぁ?」
「私は東眞と一緒に料理よ。愛のこもった手料理が一番の贈り物ってやつね」
そんなルッスーリアの言葉にスクアーロは半分ほどげんなりとして、そうかぁと肘をついて溜息を交えた。
レヴィは随分と張り切った様子で、少し大きめのプレゼントを仕事の合間に買ってきていた。それに、あのマーモンでさえも林檎飴。地下室の引きこもりは、自作のシューティングゲームをプレゼントするらしい。
スクアーロの悩みをよそに、ルッスーリアはそう言えば、とぼやく。
「ボスは何をあげるつもりなのかしらね?去年は机の上にあった林檎だったわよね」
あまりにも適当すぎるプレゼント(というよりもあったから渡しただけ)に周囲は非常にがっかりとしたものだったが、プレゼントされた本人はとても嬉しかったようである。
ひょっとしてとスクアーロは思う。この林檎が大好きな子供が林檎を好きな理由は、実は父親が林檎をくれたからではないだろうかと。
普段からよこすものといえば、拳と怒声くらいで、あまりまともなものを与えられていなかったような記憶しかない。だからこそ、誕生日、という特別な日に、父親からもらったものはとても嬉しく、記憶に鮮明に残ったのではないかと。正確なところは分かりはしないのだが、どちらにしろこの子供が林檎好きといのだけは間違いがない。
ルッスーリアから貰った林檎ジュースを飲みながら、セオはにこっと笑った。
「しっかし良く笑うやつだぜぇ。ボスとは大違いだな」
顔はよく似ているのに、とスクアーロはセオの顔を見ながら笑う。そんなスクアーロの言葉に、ルッスーリアも同意を示して、そうねぇと肩を軽く揺らした。
目の色が違うだけで、今の上司を小さくして傷を無くせばきっとこんな顔になるのではないだろうかと想像する。しかしながら、かの男は表情の変化に乏しい上に、普段から不機嫌そうな顔しかしない、もしくは凶悪な顔しかないので、こんな笑顔は想像できない。尤も、あの上司がこの子供のように純真無垢に笑ったとすれば、おそらく皆から熱か病気かと心配されることだろう。
「何かじゃねぇのかぁ。流石に去年と同じものは贈らねえだろぉ。この年じゃ銃の一つも扱えねえしなあ…ま、玩具とかじゃねぇのか?」
「そうねぇ…あ、Jr!スィーリオにはあげちゃ駄目よ。わんこはアップルパイ食べちゃ駄目なの」
「め?」
「そうよ、めっ!なの。お腹壊しちゃうの、分かった?」
「Si!」
人差し指を立てて優しく教えたルッスーリアにセオは笑顔でこくんと頷いた。もしも上司がこんな仕草をしたら、と考えるとぞっとしない。天変地異の前触れである。
ふとそんな二人を眺めながら、スクアーロは見なれない背中を見たのを思い出した。
「そういや、シャルカーンの野郎が珍しく帰ってきてたなぁ。この間帰ってきてたばかりじゃなかったかぁ?あれか、パーティーの打ち合わせかぁ?」
「任務じゃなぁい?今、ジェロニモが休暇中だから余計に忙しいんでしょ」
「あいつが休暇なんざ珍しいぜぇ。前の一件は片付いたのかぁ…」
「今回どれくらい持ったのかしらね…えぇと」
そう言ってルッスーリアは壁に掛けられていたカレンダーへと目を走らせる。そして一つ二つと数えながら、あらと口元を軽く押さえた。
「二週間じゃない!今回は頑張ったのねぇ、相手。ねばったって言うべきかしら?」
「おお、そいつは長ぇなぁ。そういや、ジェロニモの野郎は東眞との面識はあったか?」
「…ないんじゃなぁい?本部にいるときは拷問室にこもりっぱなしじゃない。そうじゃない時は休暇か、もしくは海外任務でしょ?後それか外の家で音楽鑑賞だもの。よっぽどのことがない限り会わないわよ。前回のJrの誕生日だって運悪く任務が重なって、来られなかったし…今回はどうなるのかしらね」
成程なぁとスクアーロはするりと自身の髭の生えていない顎を撫でる。
「まぁ、シャルカーンの野郎が標的を連れて帰り次第、また拷問室行きかぁ。あいつも楽じゃねぇなぁ」
「楽じゃないのは、連れてこられる標的の方よ。とばっちりくらったシャルカーンも少し気の毒かしら?」
くすと笑ったルッスーリアにスクアーロはあいつも偶にはそれくらいの目に遭った方がいい、と口元を歪ませた。
そしてアップルパイを食べ終わり、林檎ジュースを飲みほしたセオは、空になったカップをルッスーリアに差し出して、ルッス!と名前を呼んでお代わりを求めた。