34:Buoun Compleanno - 9/11

9

 ジャン、と地下室の階段を下りている途中で見失ってしまったオレンジ色の男をセオは銀朱の目で探す。
 しかしながらその姿はなかなか見当たらず、壁を伝いつつセオはジャン、と男の名前を呼び前へと進んだ。電灯の明かりは地下室とさえ感じさせないほどに眩しく光っている。床も壁も、同じく旧世代の地下室は感じられず、近代化されているのがよくわかる地下室であった。
 個々の扉の斜め上には監視カメラがぎぎと首を回して周囲へと目を走らせている。
 多少の不安を覚えながらも、セオはととんと小さな足を動かしながら前進する。そしてセオはふとある扉の前で足を止めた。扉の前、というよりもそこは突きあたりの部屋であった。くるりと振り返るが、ジャンの姿は見当たらずに、セオは目の前の扉へと再度視線をやる。
 子供ながらに、今までの通路で見当たらなければこの部屋だろうかと言う思考は働いたのか、セオはその扉をパンパンとたたく。
「ジャーン!ジャーン!セオ!ねっ、あけて!」
 しかし扉を誰かが開けることはなかった。だがしかし、そこで、扉上部に取り付けられている監視カメラからぴぴ、と電子音が響く。そして同じ無機質の機械音声で『認識完了』と流された後、扉は自動でするりと両脇に開いた。電気が灯されていない部屋は暗い。
 だが、セオが一歩中に足を踏み入れると、自動的に明かりがついた。セオはその室内のいっそ異様な雰囲気に息をのむ。オレンジ色の知り合いの姿を首を回して探すものの、その部屋で見つかるのは、不気味さが漂うセオにはよくわからない拷問器具だけである。部屋の奥に誰か人が椅子に括りつけて座っていたが、それはセオの知り合いではなく、声をかけようとはセオ自身も思わなかった。
 恐れが子供の背筋に伝ったのか、セオは一歩二歩と入り込んだ場所からよろけながら下がる。だが、その背中に机の脚が当たり大きく音を立てた。セオはビクンと背中を震わせて大きな動作で振り返った。と、その目の前に小さな可愛らしい笛が落ちた。
 セオもそれが笛であるということくらいは分かったのか、先程までの怯えよりも好奇心が勝り、落ちた笛を手にする。そして、笛本来の使い方をした。それは至極当然な行動であり、何かの意味と意図を持ってなされた行動ではない。セオが唇から吹き込んだ息は、ぴゅいーと鳥の鳴き声のような音を奏でた。
 音があふれたことにセオはきらきらと顔を輝かせて、立て続けにもう二三度笛を鳴らす。ぴゅーぴゅーとなる音にセオは楽しげに笑う。そしてこれを持っていこう、とポケットに入れた時、椅子に座っていた男の悲鳴が上がった。恐怖に満ちた悲鳴なるものを、セオは聞いたことがない。
 怯えと恐れと、絶望にすら瀕した男の声が部屋に充満する。セオは、その手から笛を取り落とした。からんとなった音に男の目がセオの方を向く。
「…ぼう、や」
 セオの存在を男の目が捉え、そして何を考えたのか、この場にそれを理解できる大人がいれば、答えは簡単に出たであろうが、その場にいるのは二歳になったばかりの子供が一人。
 男はきっちりと縛られた手首の痛みを感じながら、この状況に一縷の希望を感じた。そして、これ以上ないほどに優しい笑みを浮かべる。セオはその男の笑みに、男が怖いものではないというのを多少なりとも認識した。そして、泣き叫びかけたのを喉もとで止める。
「ぼうや、こっちにおいで」
 柔らかく丸い声は全く危険を感じさせない。セオは頷いてとことことそちらへと距離を詰めた。足も手も、しっかりと椅子に縛り付けられている男が動かせるのは口だけである。しかし、幼い子供に必要なのは、甘い言葉だった。
 男は周囲にざっと視線を走らせて、その場にあるのものに一度身を震わせたが、脱出する機会はあるとセオへと目を向けた。そしてセオに甘く丸く優しい声で語りかける。七匹のこやぎに出てくる狼の気分を腹の底で味わいながら。
「そこの机の上にあるナイフを取ってくれるかな」
「ないふ?どこ?どうして?」
「必要なのさ。取ってくれたら、いいものをあげよう」
 いいもの、という単語にセオはぱっと笑顔をさらに明るくさせる。
 今日は自分の誕生日であり、沢山の「いいもの」をセオは沢山の人からもらった。目を輝かせながら、セオは椅子の、甘い言葉をささやく男に尋ねる。
「セオに?セオね、りんごだーいすき!セオ、りんごほしい!」
「…林檎…?いいだろう、ナイフを取ってきてくれたら、飽きるほどに買ってやる」
「ほんと!?」
「ああ、本当さ。俺が嘘をつくような人間に見えるか?さ、早く持ってきてくれよ」
「Si!」
 だから子供は単純だ、と男は目を歪めた。単純で愚かで、だからこそ可愛らしい。
 そしてその可愛らしいものを手ひどく汚すのは、なお楽しい。気絶する寸前に見た少年の絶望と恐怖、あれは一体どうなっただろうか、と男は思いだしてほくそ笑む。
 実験体の子供をそうやって端から汚しても誰もとがめる者はいなし、所詮蠅のたかる死体になるのだから、どう扱っても構わない。嫌がる子供の体を押さえつけて、殴ったり蹴ったりしながら、ケツの穴に息子や他のボールペンなどを突っ込んだりして愉しむ。痛いと喚き泣き叫ぶ子供の悲鳴と涙顔を想像するだけでたまらない。そして壊れた子供を実験に戻す。大抵は死ぬのだから、死ぬ前に新境地を味わわせてやる自分の優しさだ。
 くく、と喉を震わせて嗤う男に背中を向けて、セオは机の上にあるナイフへと手を伸ばす。だが、身長が足りないためにそれは届かない。だがセオも馬鹿ではないので、側にあった椅子をがたごとと動かし、ナイフ近くへと持ってくる。そして椅子によじ登ると、ナイフを手にした。椅子に立って、セオは男に向けてナイフを振ると、とった!と笑顔で報告する。男は一度扉を確認して、まだ誰も来ていないことに口角を吊り上げた。
 何故こんなところに(おそらくはボンゴレ組織の一部だろうが)幼児が、まだまだ小さすぎて自分の範疇外ではあるが、いるのかは分からないが、十分に利用できる。ナイフを持って無邪気な笑顔で近づいてくるセオに男は目を細めた。しかし、この場にいるということは、ボンゴレ関係者の子供であることは間違いない。
 そしてコーザノストラの男は、家族、この場合はファミリーを意味するのだが、を最も大切にする。だが、ファミリーのためとはいえ、子供を盾に取られて見殺しにできる親など居はしないだろう。息子を殺されたことで怒り狂い、やがて報復として一個のファミリーをつぶしたファミリーとて存在するのだ。次世代を担う可能性のある子を、むざむざ殺すマフィオーゾはいない。
 全ての風が自分に向かって幸運を運んできている、と男はセオが一歩一歩近づくほどにそれを確信した。
 そしてセオが目を輝かせて、男の側に立つ。男は手の上に渡してくれ、とセオに頼む。流石にセオが縄を切れることは期待していないらしい。セオは言われたとおりに男の手の上にナイフを置き、そして男は再度扉を確認してからナイフで手を戒めるナイフをぶつりと器用に切った。そして自由になった手で、足の縄を切る。
 自由になった男にセオはねっ!ときらきらと可愛らしい笑みを向けた。
「りんごちょうだい!」
 セオの言葉に、自由になった男は目をにぁたと細めた。そして、拳を振り上げて、そのままセオの横っ面をひっぱたいた。ナイフを持ったままの手は、セオの頬を殴りつける。当然小さな体は殴られた力に比例してそのまま床の上をはねた。
 セオは何が起こったのか、全く理解できずに目をぱちぱちと瞬かせる。父親に普段から殴られているせいか、殴られたことには今一反応が薄い。しかし殴られた事実だけはしっかりと受け止め、林檎をくれなかったということに、セオはジワリと目に涙を浮かべる。うえ、と泣きかけたセオの体を男の腕がひっつかみ持ち上げる。セオは男の顔をぎろりと恨みがましげに睨みつけた。
「めっ!うそつき!」
「―――――――――――…、ぼうや」
 お前、と男はその顔を見て目を見開く。どこかで見たことのある顔だった。そして、は、と腹を抱えて、セオを持ち上げたまま笑いを弾けさせた。ひとしきり笑った後、男は空いているほうの手で、セオの頬をぺちぺちと叩く。セオはばたばたとぶら下げられた状態で手足をばたつかせた。
 だがそんなことは当然大した意味を持たず、音は目を喜びで歪めた。まさに、幸運である。
「そうか、あのXANXUSの息子か。全くよく似てるぜ。ここまで似てるといっそ気味が悪いな。あの残虐非道で暴威的な男が、息子を取られて慌てふためく様がみられるとは俺もとんだラッキーだな。カメラでもあればよかったぜ」
「やっ!はなしてー!」
 ただ暴れるセオに男はゆるやかに、嘲りを含めて嗤った。
「なんだ?炎も使えないのか?まあ、餓鬼だからそれもしょうがないか。産まれながらに憤怒の炎でも使えれば、優しく手ほどきして、俺のボディーガードにでもしてやるつもりだったんだがな。取り敢えず、今はお前を上手く利用してここから逃げ出さないとな。うまく役に立ってくれよ?セオ様?」
 わざわざ嫌がらせのように敬称をつけて、男はいやらしくセオの名前を呼ぶ。セオは初めて憎々しげに男を睨みつけた。目付きの悪さだけは父親譲りで、男は薄く笑ったが、父親と違い何の力もない子供に睨まれたところで恐ろしさなどない。
「きらい!」
「俺も、きらい!」
 からかうように、男はセオの言葉を真似して笑う。馬鹿にされているのは分かるのか、セオはぐぅと唇を噛んだ。
 さて、と男は顔をあげて、そしてその笑みを硬直させた。そこには大柄の男、ガラス玉の目の男が立っていた。もぐもぐと片手にもっているパニーノをガブリと噛み、そしてごくんと簡単に嚥下して胃を満たしていく。しかし随分とでかい。
 愕然としている男にジェロニモはぺろりと食べ終わって、食べカスがついている指先をぺろりと指先で舐めとった。
「で?それで話し合いはおしめーかい?」
「ジェロニモ!」
「よーう、バンビーノ。大層な遊びに付き合ってんじゃねぇかい」
 セオは見知った男の姿にぱぁっと満面の笑みを浮かべた。そんな子供の反応に、ジェロニモはにぃと口角を吊り上げて楽しげに笑う。
 気配などなかった、と男は恐怖をその瞳に焼きつけながら、一歩二歩と下がる。だがそこで、子供が自分の手の内にあることに気付いた。上司の子供にナイフを突き付けられれば、ここから脱出できる可能性はある。
 男はふは、とどこか狂ったような笑いを浮かべ、つりさげていたセオをその腕に抱え直して、その喉にナイフを突き付けた。そしてありきたりな言葉をその口から吐きだす。
「こ、こいつの命がおしけりゃ、そこを退
 け、と言いかけて、男の言葉は途切れた。三日月の笑みを口元に浮かべている男に、動揺は一切見られない。
 そして三日月の笑みを浮かべている男は、扉にもたれかかったまま、手の中の匣兵器をぽうんとそこで遊ばせた。ジェロニモがいつ開匣したのか、男には全くその行動を目にすることはできなかった。だが、匣兵器の姿はまだどこにもない。
 動くな、とセオの首に強くナイフを押し付けて男はジェロニモに威嚇した。だが、ジェロニモは笑みを深めただけだった。男はその時、足元からぞわりと何か無数のものが自身の体を這いあがってくる感触に身を震わせた。ズボンの隙間から、靴の中へ入り込み、そして膝の上まで這って上がる。かしかしと痒ささえ覚える感覚に、男はひふ、と不規則な呼吸を恐怖とともに吐き出した。そして、男はセオをその手から取り落とした。
「ぎゃ、ぁ、あ、―――――――あぁぁあああああああああああああああああああ!!!」
 肌を上がってくるのは、小さな小さな、蟻。無数の蟻が皮膚の上を登っていた。男は蟻を叩き潰そうとズボンの上から、服の上から叩く。だがそんな小さな行動で全ての蟻が叩き潰せるはずも、叩き落せるはずもない。蟻という生物は、生命力が強く、簡単に死なない。潰されても、まだなお動き続ける。
「ぁ、あっ、あああっぎ、ぁっああっ!誰、か!たすけ、て!助けて!ぎゃぁ、あっあああ!」
 男は床に転がるとごろごろとその辺りでのたうちまわる。
 ジェロニモはごつんとブーツを鳴らして、落とされたセオをひょいと抱き上げ、男を見下ろす。
「安心していいぜぇ。お前さんにゃたーっぷりと話して欲しいことがあんでい。殺したりは死ねぇよ、まだ。一つ付け加えておいてやると、そいつらは肉食性の蟻でねい――――うっかりすると、皮膚の奥まで食いかねねぇ。ま、死なねぇ程度に食わせる癖はつけてあっから、命だけは補償すんぜ?」
 安心しろい、とジェロニモは同じ言葉をもう一度繰り返した。
 男は生きながらにして無数の蟻に体を食われていく激痛に悲鳴を上げる。だが、その悲鳴も、口内に入り込んだ蟻によってくぐもっていた。
 そんな男を無視して、ジェロニモはさてと抱えたセオを見上げる。セオは呆然とした様子で、蟻にたかられている、まるでケーキのような男へと目を向けていた。
「何でこんなところにいんだい、バンビーノ。部屋にはロックがかかってたはずだぜい?」
「…セオ、どのへやでも、はいれる…の」
 男を食い入るように眺めながら、セオはか細い声でジェロニモにそう返した。それに、ジェロニモは一拍待って、ああ成程と上司であり、父親である男がジャンを呼ばせた意図を知った。
 そして、そうかい、と口元を大きく歪めて笑う。部屋ではまだ、男の悲痛な悲鳴が反響して残っている。のたうちまわる男が、いる。
「―――――――――――で、続きを一緒に見てぇかい?バンビーノ」
 バンビーノ、と呼ばれればいつも名前を主張していたセオだったが、今度は首を弱弱しく横に振るだけだった。そんな反応にジェロニモはそうかいと笑うだけに納める。そして、セオを連れて扉の前立った。そうすれば、扉は自動的に開く。
 ジェロニモは抱き上げていたセオをそっと扉向こうの廊下に下ろし、一度しゃがんでセオと目線を(見えはしていないが)合わせる。セオは扉の奥から響いてくる断末魔をその耳に収めながら、ジェロニモの言葉をぼんやりと聞く。
「で、誰に会いたいんでい?」
「ジャン」
「あいつかい。あいつの部屋は階段下りて三つ目の部屋だぜい?こりゃちょーっと頑張りすぎたねぃ。俺ぁちーいとばかし忙しくすんで、一緒にゃ行けねぇが…一人で行けんない?もう二歳だしなぁ」
 だろう、とジェロニモはセオの頭をくしゃりと撫でた。セオは何も言わずに小さく頭を縦に振った。
 それにジェロニモはにかっと笑って立ち上がると、じゃぁなと扉を閉じた。そしてセオは、言われたままに、呆然としたまま廊下を歩いていった。

 

 スクアーロははジャンの部屋に来て、目をぱちりと瞬かせた。ジャンはと言えば、彼の愛しのパソコンを食い入るように見つめ、そしてほうと息を吐いている。
「なんだとぉ!!?」
「はぐれた。いやーごめんね。子供って足遅くてさぁ、それにニコラに一刻も早く会いたくて会いたくて…矢も盾もたまらず走りだしたら、見失ったよ。まぁ、そのおかげで僕はこうやって我が愛しの女性、ニコラのこの上なく美しい姿を一分一秒長く見られているわけなんだけどね」
「ふざけんなぁ!!」
 なら餓鬼はどこだ、と怒鳴りつけたスクアーロに、ジャンはくるりと椅子を回転させて、へらっと眼鏡の奥で笑う。そう気にすることもないさ、と。やけに自信たっぷりなので、スクアーロは反対に虚を突かれる。
「やーだって、ニコラのセキュリティは完全さ。それに、こんなVARIA内部でもしも、もしも敵がいたとして、殺されるのは敵の方に決まってる。どうあがいたところで、Jrを殺すことなんてのは不可能だし、無理な相談ってもんさ。君は気にせずに座ってくれていればいいよ。それに誰かに会ったら、それこそ誰かが僕のところまで連れて来てくれるだろ?ボスの子供に無礼を振るう馬鹿はいないさ」
 一番の無礼を払っているのはてめぇだ、とスクアーロはジャンを睨みつけたが、それはここで言っても仕方ない。
 とはいえども、ボスの子供だから、というのは幹部間ではほぼ、レヴィをのぞいて誰も気にしていない。特別扱いされた餓鬼はあまりいい方向に育たないのだ。子供、と言う点においては配慮しているものの、「XANXUSの」だからという意味での特別扱いは誰もしない。それは、母、東眞のたっての願いでもあった。
 スクアーロはそれを自分たちに頼んだ時の彼女の顔を今でもまだはっきりと覚えている。
 セオをただの子供として接してあげて下さい、と頭を下げた。頭を下げる行動は日本人によくみられる行動だが、あの時のあの行動は、深い。ジャンはあの場にいなかったし、滅多に地下室から出てこないのでこれを知らされていないのかもしれないが、各部隊の部下(無論少数精鋭だから徹底されている)にもそれは通達された。
 以後、セオは「ボスの」息子だからと言って、特別扱いは受けていない。その代名詞だけで頭を下げられたりは、されなくなった。
 そのせいか、セオはいい意味で傲慢に育っていない。多少我儘ではあるが、それは子供故の我儘である。決して、権力を傘に着た我儘ではない。隊員とも適度に仲良く、一緒に遊んでもらったりしている姿はよく見かける(無論ある程度手を抜いた遊びではあるが)中には、セオと呼び捨てにする隊員でさえいるほどである。あの子供は、ひどく子供らしい環境で育てられている。
 普通に考えて、迷子の子供を目的地に連れてくるというのは普通の行為であって、確かにセオが迷っていれば、誰かが連れて来てはくれるだろう。そう言った意味では心配はいらないが、ここは、それだけの場所ではない。特に、現在はXANXUSによってセオはどの部屋でも出入りができるようになっている。
 それはつまり、どんな危険な部屋でも簡単に出入りができると言うことである。武器庫も例外ではない。好奇心旺盛なあの年頃の子供が、そこに入れば、考えるに恐ろしい。痛みを持って知ることもあるが、痛みの前に死んでしまっては元も子もない。
「そう言う問題じゃねぇだろぉ!」
 怒鳴ったスクアーロにジャンは分からないといった様子で肩を軽くすくめた。探せばすぐに見つかるけどさ、とここVARIAの全セキュリティを統括する男は椅子を回した。
 ならとっととやれぇとスクアーロはジャンに怒鳴ったが、ジャンは一言、面倒臭いよと口をとがらせた。
「ボスだって言ってたじゃないか。Jrは見て触れるべきだってね。僕たちがそれを邪魔する権利なんてないんだ。特に君の場合は心配してるだけだろ?折角だし、初一人で地下室!を体験してもらおうじゃないか。地下室は結構な部屋がそろってるしね。いやー泣いて帰ってくると思う?それとも平然な顔してると思う?それとも母親か父親を探してると思う?」
 君はどう思う、とジャンは拳を握りしめて立っているスクアーロに問いかける。それにスクアーロの答えはたった一つだった。振りあげた拳で、すぐそばにあったスキャナを叩き壊す。
「な…っ!ちょ、な、何するんだい!!それはニコラの相棒の一人でクラ、
 ーラと言いかけたジャンの言葉にスクアーロの怒鳴り声が乗っかって、押し潰す。
「あいつは、右も左もわからねぇ餓鬼だろうがぁ!!誰かついてやるんだったらまだしも、一人で歩かせていいような場所じゃねぇのは、分かってんだろぉ!!大体、ボスはああ言ったが、ジェロニモが仕事中だったらどうすんだぁ!あれは、餓鬼に見せるもんじゃね
 え、と言いかけたその後ろで自動的に扉が開いた。スクアーロははっとそちらを振りかえる。そして、そこに立っていた小さな子供の姿に口を開いた。
「Jr、てめぇどこほっつき歩いて…」
「…マンマ、どこ…?」
 マンマどこ、とセオはスクアーロを今にも泣きそうな顔をしてスクアーロの足にへばりついた。
 何を見た、とそんなセオに問いただすこともできず、スクアーロはへばりついた、今日が誕生日で、本当は一年で一番楽しい日になるはずだった子供をそっと抱き上げる。
 そんなスクアーロにジャンは追い打ちをかけるようにして、ニコラのキーボードをたたき、はは、と笑った。そして、ぎぎと音を立てて椅子を回転させる。オレンジの三つ編みがゆらりとゆれた。
 スクアーロはジャンの言葉をその耳でとらえる。どこか楽しげで、ああなんだやっぱりねと言わんばかりのその声を、聞く。
「ジェロニモの部屋、Jrの認識チェック入ってるよ。ジェロニモも一度戻ったみたいだね。はちあったのかな」
 ジャンの声とは比べ物にならないほどの弱弱しい声で、マンマどこと母を求める子供の背中をスクアーロはその手袋をはめた手でそっと叩いた。
 これは、間違いなく見たのだろう、スクアーロは見当をつける。拷問部隊なだけあって、あの男の部署は、正直凄まじい。拷問の光景はスクアーロは見たことがないが、自分たちが施すような絞殺、もしくは単純に殺すだけではない。如何に苦痛を与え、如何に恐怖を与え、如何に絶望を与え、如何に懺悔させるか、そして、如何に惨たらしく殺すか。そういった部署である。
 本来裏切り者は、その最も近しいものがインファーメに死を与えるのであるが、ジェロニモに与えられる場合もある。それは、インファーメがある情報を持っていたりする場合、もしくは背後に何者かの関連がある場合のどちらかである。
 沈黙の掟、オメルタを破っただけ(だけ、というのもあれなのだが)の場合は、近しいものに回される。その中でも内通者などに限って、ジェロニモはその腕を振るう。彼の仕事は、それである。沈黙の掟を破る者はそう多くもない。
 そのため、彼の仕事は非常に少ないが、その分、内容が濃い。ともすれば一ヶ月以上拷問室にこもっている場合もある。
 外から内部の音は聞けないが、それでもその壁の向こうで繰り広げられている惨状は想像するに恐ろしい。何しろ、あの部屋から出てきた死体は人の形をしていないからである。
 やはり早すぎたのではないか、とスクアーロは思う。そして、セオの背中をぽんと叩いた。抱きついてくる力は子供の力にしては思いのほか強い。それほどに、衝撃的なものを見たと言うことなのだろう。
「――――――――マンマ、なぁ。ああ、今連れてってやるから、安心しろぉ」
 夫婦の話も終わったころだろう、とスクアーロは今日、二歳になったばかりの子供背中をそっと撫でた。