34:Buoun Compleanno - 3/11

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 やれ、とシャルカーンは溜息交じりに目の前の光景に溜息をついた。深い溜息は、口元の笑みを僅かに崩す。
 後ろ手に閉められた扉。そして扉の奥にある大きな天蓋付きのベッドの下には一人の男がいた。寝ているわけでもなく、小さな子供を柔らかなベッドに押し付けている。何をしているのか、というのはわざわざ聞く必要があるわけでもなく、見れば、すぐにでも分かりそうな答えがあっさりと出る。
 シャルカーンの出現に、ベッドの上の男は枕下に隠してあったのか拳銃を片手にすると男はその銃口を笑顔の男に向けた。しかし銃口を向けられたにも関わらず、笑顔の男はその笑みを一切崩すことがなく、そのまま銃口が向けられるままに立っている。今、男が引き金を引けば、笑みの男はその脳漿と血液、それから肉片を床にばらまくことになるだろう。
 男の下にひかれていた少年は男の力が緩んだのに気付いて、転がるようにベッドから落ちた。引き裂かれた服を見れば、この男が少年趣味、つまり少年に対して性的暴行を働こうとしていたのは見て取れる。
 珍しく、侮蔑の色がその笑顔の上に宿る。しかしその侮蔑も軽蔑も一瞬だけ浮かんだもので、それはすぐに表情から消え去った。変化の少ない、笑顔だけの表情に戻った男は、向けられている銃口も銃弾も恐れる様子は一切なく、唇をゆるりと動かした。
「お迎えに上がりマシタヨ」
 揺れた感情の水面はすぐに平らになって、何も映し出しはしなかった。シャルカーンの呼びかけに、男は口元を勝ち誇ったように歪めた。
「ボンゴレの手先か。だがまぁ、騙される方が悪いというものだろう。俺は捕まる気もない。手に入れた金で遊んで暮らすんだからな。高飛びくらいどうということはないさ。だからお前は―――ここで死ね!」
 トリガーに掛けられた指先に力がこめられ、掌側にそれが引かれ、動く。ぱんと銃声が一つして筒の中を通りながら、銃弾は高速で螺旋状に移動する。そして銃口から硝煙の臭いを撒き散らしつつ、熱さと速度をもった鉄の塊が飛び出た。まっすぐに、それは男の額に食い込む。だがしかし、その銃弾は額を貫通し、頭蓋を割砕き、脳味噌を食い破っていくことはしなかった。ほとと銃弾は絨毯の上に音もなく落ちる。
 何、と男の声は驚愕と恐怖で一瞬支配される。シャルカーンは相変わらずの表情でそこに立っていた。
「迎えの馬車はトランクデスケド」
「…っふざけんじゃねぇ!俺はこれから幸ふ
「シンデレラは十二時帰宅デシタガ、アナタ、帰れそうにナイデスネ」
 ブーツに包まれた足が柔らかな絨毯を食む。足音もなく近づいてくる男に銃声が弾ける。しかし、血液も骨片も肉片も、それらの類のものが絨毯を汚すことはなく、ただ男が笑顔で距離を詰めてくる。ほとほとと撃ちこんだはずの、体に食い込むはずの銃弾が絨毯に一つ二つと落ちていくたびに、男の顔は恐怖で染め上げられていく。
 浅黒い色をした肌が、一つ落ちた銃弾を拾い上げると既に空になった男の銃口にころんと逆に入れた。
 袖に包まれた手が顎に触れ、声もまともに出ていない男の額に添えられる。見開かれていたその目はぐるんと白に代わって柔らかなベッドの上に落ちた。
 シャルカーンはネコサン、と自身の匣兵器を呼びだす。すると影からずるりと一匹の猫と共に、一つの大きなトランクが吐き出された。それをかぱんと開けると、ぐったりとした男の膝を折り、屈葬のような状態で詰め込む。実際、屈葬と表現したところで間違いはない。
 どうせこの男のたどる末路は、自ら死を望むようになるほどの拷問と苦痛の末に殺されるだけである。ただ、死と葬儀の順番が逆になっただけだ。
 サテ、とシャルカーンはトランクを匣兵器が潜んでいる影の上にドンと置いた。すると、それはずっぽりと影に沈み、そして消える。
「スコシ重いデスケド、ガンバッテくだサイネ。ネコサン」
 男の呼びかけに、匣兵器はどこからともなく、にぁんと鳴き声を震わせた。そして出ていくために踵を返して、シャルカーンはそこで思い出したように足を止めた。部屋の片隅で、肩を抱き震えている少年が一人。肌の色は自分の色よりももっと深い色をしている。その中で震える瞳は真っ青で、海の色をしていた。
 見られたからには殺しておかなければならない。記憶の消去などもできないことではないが、絶対ではない。死人に口なし、とはよく言ったもので、それが人の口をふさぐための最も効率的かつ効果的な方法である。
 シャルカーンはすたすたと絨毯の上を歩き、震える少年の前にたどり着くと膝を折ってその視線を下げる。怖くナイデスヨ、と笑うとその袖で包まれた両手で少年の頭を包み込んだ。少し、指先を動かすだけで少年の命は散る。
 そして、シャルカーンはいつものような笑顔でそっと指先に力を込めようとした。しかしその前の少年の幼い口がゆるりと動き、声を発する。
「――――――――くる」
「?」
「ひと、が、くる」
 たくさん、と喉が揺れ動き、そして震え始めた。
 シャルカーンは耳をすませたものの、人の足音も気配もまだない。門番を数人操って忍びこんだが、一定の時間が立てば死ぬようにした。確かにそろそろ時間が訪れ、門番が自ら死ぬ時間である。そろそろそれを見つけた人間が騒ぎ出す時間でもあるのだ。
 だが少年はそれを知らない。そしてまだ人の足音も気配もそう言ったものは、自分が感知できるほどには近くにない。ならば少年はどうやってそれを感知したのか。
 シャルカーンは力を込めようとした指先をそっと少年から離した。そして、緩やかに笑う。口元の笑みが楽しげに動く。そのあたりで、ようやく人の気配と、かなり遠くにある人の足音が聞こえてきた。
「ワタシと来マスカ?」
「…どう、して。あなた、も、いっしょ…?」
「イイエ。ワタシニハあんな下卑た趣味はアリマセンヨ。スコシ、アナタに興味がわきまシタ。ドウデスカ?一緒にクルカ、ソレトモ、
 死ヌカ、とシャルカーンが最後まで言う前に少年の口と喉がはっきりと動いた。
「いく!いっしょに、いく!」
「イイデショウ。ナマエは、何とイウンデスカ?」
 青の瞳が大きく揺らいで、ない、と呟いた。
「うられた、から。ない。ここでは、くず、ってよばれて、た」
 その答えにシャルカーンはフムと顎を撫でて、そしてひょいとぎちぎちに破られた少年の服の上に、自身のだぶだぶの服を纏わせた。それからひょいとそのまま少年を抱き上げる。黒髪と深い色をした肌の中で少年の目はまるで光のようにシャルカーンを眺めていた。
「デハ、ラジュ、ト」
「らじゅ」
「王様、という意味デスヨ」
 イイ名前デショウ、とそう言って、シャルカーンはふわりと開かれた窓から飛び降りた。長く伸びている影からは猫の尻尾がひょろりと揺れた。叩きつけるようにして開けられたドアと、重なる銃声はシャルカーンの耳にははるか遠くで聞こえる。
 草が広がる地面の上にブーツをしっかりとつけて、飛び降りる。弾けた銃弾の音には、黒い影が伸びてそれを防いだ。
 シャルカーンは少年の頭にまでしっかりと自分の服をかぶせて、包むようにする。口元を微笑ませ、そして少年に優しく囁いた。
「シッカリ、掴まってクダサイ。揺れマスヨ」
 普段の服をはらむ服が無いせいで、動きが余分に早い。空気抵抗が減っている中で、シャルカーンの指は、腰のホルダーの輪刀を引っ掛けた。幾枚も重なって入っているホルダーから二三枚流れるように取り出し、体を柔らかくひねるとその反動を利用して指から刀を離した。円を描くように回転しながら輪刀は空気を切り裂き、そして銃を持つ人間の頸動脈をすぱんと音もなく切裂いた。真赤な血飛沫が木々を汚す。
 地面に血を撒き散らしながら、笑みを口元に乗せてシャルカーンは地面を走る。一人の子供を腕に抱えて。怯えるようにしがみ付くその力はなかなか強い。だがその力はしがみ付くだけではなく、一二度肩を叩いた。
「あっち。ひだり。においが、しない」
「―――――、ソウデスカ」
 くつん、とシャルカーンは少年の言葉に笑って従う。
 飛んできた銃弾が再度黒い影に叩き落され、その後ろで進行方向をきゅっと変更する。そして言われた方へと素直に体を疾駆させた。木々の合間を縫いながら、一人を抱えて走るので、少しばかり速度は落ちるが、それでも敵の姿はほとんどない。
「コッチはワタシの本業じゃないんデスケドネ」
「みぎ、まえ、」
 少年の言葉を耳にしながら、シャルカーンは武器を構えて、口にされた言葉の方向に最大限の注意を払う。そこから十数m程先に進んで、ようやく人影がぽつりと見えた。それに向かって輪刀を投げつける。弧を描いて戻ってきたそれをホルダーの中にしまい込む。さらに進み、先程殺した人間を飛び越え先へと進む。そこで少年はようやく首を横に振った。
「もう、いない」
 一度立ち止まって、周囲を確認してからシャルカーンは速度を落とした。とんとんと足を踏みつつ、そこで止まると少年の足を地面につけさせる。
 そして自身の小豆色の服に身を包む少年を笑顔で見下ろして、そして行きまショウカと笑った。伸ばされた細い腕に少年は、ラジュは一度不安げにシャルカーンを見上げたが、一つ頷いてその手を取る。
「なまえ、は?」
「シャルカーン・チャノ、デスヨ」
「ちゃの」
 短い方が呼びやすいのか、口をついてでた方は名字の方であったが、シャルカーンは笑って、ソウデスと口元を緩ませる。そして服を買って帰リマショウとその黒い髪の毛をそっと撫でた。

 

 かちゃ、とトレーの上の紅茶のカップが音を立てる。柔らかく丸い香りが漂うミルクティーの隣には茶うけのスコーンが二つ添えられていた。冷たい廊下は細い息を吐き出せば、それは白く曇ってそしてまた解ける。
 東眞は冷たくなった足の指先の温度を感じながら、廊下を歩き先程の会話を頭の中で反芻する。やはり気にしていたのかというのが、一番に来る感想であった。
 できれば、できればもう二度とあの話題にしたくはないと東眞はほつんとそう思った。
 振り返ればそれは笑い話になる、という過去ばかり人は持ち合わせているわけではない。思い出したくない過去も、存在する。触れたくない過去、思い出すだけで苦痛となる過去。人はそれに対して向き合って乗り越えろと言うが、それは傲慢であり押し付けである。
 事実としてそれと向き合う時、それは時としてナイフとなり人の心をえぐり取る。そのナイフの切先が丸くなることは記憶であり過去である限り永遠にない。厭う記憶というものは、いつまでたっても嫌味なくらいに色褪せないものである。そしてまた、上塗りもできない。
 辛いものは辛い。もうそれでいいのではないのだろうか。傷口をえぐる必要などどこにもなく、そっと蓋をしてそれがあったとその事実だけが埃を被っていればいい。
 ティモッテオにせよ、XANXUSにせよ、彼らのその過去と記憶は間違いなく色褪せることはない。ただし、新しい思い出を作ることはできる。それは上塗りという隠すための作業ではなく、新しいものに目を向ける作業である。
 自分も、と東眞は自身の腹に手を添える。感動と喜びの記憶も色褪せることはない。
 だがそれと同時に、犯された時の恐怖と恐れもまた、覚えているのである。けれどもそれを捨てることはしない。捨てられないと言うのもあるが、結局のところ、そういう記憶も記録も全て、今の自分を作っているからである。あの時のあの行動がなければ、恐らくここでこうやって思考し思想している自分は存在していない。
 無理に思いだす必要もないが、それを捨ててもいけない。決して良いとは言えない思い出も含めて、全てが自分なのである。意図的に忘れないし思い出さない。そして意図的に忘れられない。それで、構わない。過去というものは、そう言うものだからだ。
 そんな思いを巡らせていた東眞の背中に、弾んだ声がかかった。無論それが誰のものなのかは、振り返らずとも容易に知れる。
 だが、振り返った先にいたのは、自分の可愛い子供ではなく、大きな、XANXUSと張り合うくらいの長身の男だった。この寒いのに胸元は開けられ、その肌には幾重にもなる傷がぞっとするほどについている。
「マンマ!」
「マンマ?あーっと、こいつぁ失礼。Signora」
 大きな男に肩車されたセオは頭の上からの珍しい景色に浮足立ったいる様子である。だが大好きな母親を見つけて、その肩の上でわたわたと手を振った。
「ジェロニモ、おろして。セオ、マンマにだっこ!」
 だがジェロニモと呼ばれた男は東眞を上から見下ろして、にかぁと豪快にその歯を見せて笑っただけだった。セオはぱちぱちとジェロニモの刈り込まれた頭を叩く。
「おろして!セオ、だっこ、してもらう、の!」
「そいつぁできねぇ相談だぜぇ、バンビーノ」
「セオ!」
「こいつぁすまねぇ、セオ」
 だが無理な相談だとジェロニモは肩の上の子供に話しかけた。セオはむくっとほっぺたを林檎のように膨らませる。そしてジェロニモの肩の上でばんばんと頭を叩き、そしてその小さな足を揺らして駄々をこねはじめる。
 普段であれば父親であるXANXUSがうるせぇの一言(と拳骨)で黙らせるのだが、今回はそれがない。
 セオは我儘にばっちんとジェロニモの頭をまた叩いた。それには東眞も見咎めて、セオ、と少しばかり怒った声を出す。そんな声にジェロニモはああと声を出して、片手を軽く横に振るう。
「気にしないでくだせぇ。何しろまだまだ可愛いバンビーノでさぁ。我儘言えるのも今の時期だけですぜぇ。めい一杯我儘言わせてやってくだせえ。なぁ、バンビーノ」
「…セオ!バンビーノ、ちがうの!セオ、もうすぐ、にさい!」
「二歳か、そいつぁ随分でっけぇ兄ちゃんになるねぇ。なぁらマンマを困らせねぇようにしねぇと駄目だぜ?」
 でしょう、とジェロニモはそこでようやく東眞に同意を求めた。子供の扱いに非常になれている様子の大男に東眞ははぁと何とも言えない曖昧な返事をする。
 隊服を着て、そしてこの場所にいる以上彼がVARIAであることには間違いないのだが、東眞は彼の顔を見たことがなかった。尤も、見たことのある顔ぶれなどそうそう多くもない。恐らくは両手で足りるくらいの数しか、東眞は見たことがない。
 XANXUSの隣にいる以上、見ることがよくあり、そして記憶にも残りやすいのは幹部の人間である。そしてシャルカーンとジャン。
東眞の疑問に思っている視線をかぎ取ったのか、ジェロニモはにかぁとまた白い歯を見せて笑った。
 そこで東眞はようやく失礼しましたと一言断る。
「桧東眞といいます」
「そうですかい。ああ、ボスの奥さんですか。いやー俺ぁ結婚式には任務が入って行けなかったんですよい。全くボスの晴れ舞台を見逃しちまって――――ああ、いや、俺ぁ見れねぇですけどね?全く、残念でしたぜ」
 言われて東眞ははっと男の目をよく見る。サングラスの奥は、よく見れば瞳が存在しない。二つのガラス玉。そして目の周囲には火傷か、それに近いものか、どちらにしろ深い傷跡で覆われている。見れば、セオの足を押さえている手にも蚯蚓腫れのような引き攣った傷跡や、火を押しつけられたような痕、酷い古傷が山ほどあった。
 無論東眞がそれについて言及することはなかったが、代わりに、そうですかとほのかに笑って話を流した。
「そいつぁ、お茶ですかいねぇ。今日はよくよく冷えちまって、体の芯まで凍えちまいそうでさぁ。ボスもあったけぇお茶を入れてくれる優しい奥さんがいて、全く羨ましい限りですぜぇ。持ってくんですかい?」
「ああ、はい」
 そうなんです、と東眞はふっと忘れてしまっていた当初の目的を思い出す。あなたもと言いかけたところで、男はそうでしたねいと笑う。
「俺ぁ、ジェロニモ。ジェロニモ・ロッシ。仕事が仕事なもんで、あんま本部にいる時にゃ奥さんと顔合わせするこたぁないかと思いますが、まぁ宜しくおねげぇします。スクアーロやレヴィたちは俺のこと知ってんですけどねぃ。いい話題としてはあがんねえと思いますが」
 ジェロニモ、という名前にはっと東眞は先程の通信の名前を思い出す。成程この男であったかと。
 そして一拍二拍おいてから、ジェロニモさん、有難う御座いますと礼を述べる。それは勿論セオと遊んでくれた礼であった。ジェロニモもそのあたりは察したのか、いえいえ気にしないでくだせぇと笑う。しかし、それから困ったようにはにかんだ。
「俺のこたぁ、さんづけはよしてくだせぇ。どうにもくすぐったくて仕方がねぇ。それともスクアーロたちのこともさんづけで呼んでるんですかい?」
「レヴィさんだけです。敬語はもう癖のようなものなので見逃して下さい」
「…そりゃぁ、仕方ないですねぇ。でもまぁ、名前くれぇは。頼みますぜ」
「分かりました、ジェロニモ。XANXUSさん」
 こつん、とようやくたどり着いた扉に東眞は数回ノックを試みた。そして二拍ほど置いて、入れと声がかかる。
 東眞が扉を開けようと片手にトレーを持ちかえようとしたが、その前に大きな手が扉に手を先に掛ける。見上げれば、にかぁ、と笑ったジェロニモがそこにいた。
「ボスの妻に扉開けさせるわけにゃいかねぇですよ」
 そう言ってジェロニモはゆっくりと扉を内に開いた。