33:進路相談 - 7/7

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 それどうしたんですか、と東眞は目の前の銀色の髪をした男性を見上げて思わずそうこぼした。
 彼が任務に関して負う物と言えば、返り血がせいぜいである(それは他の者も一緒か)怪我など滅多にすることはない。しかし、目の前のスクアーロは頭には包帯を巻き付け、頬には巨大な絆創膏を瞼には細い絆創膏を、そして右の目の上には氷嚢を押しあてていた。
 見るも無残なその姿を見たのは言うまでもなく、朝食を作りに来た際に、である。
 おお、と東眞の姿を認めて、スクアーロはひどくげんなりした様子で返事をした。東眞もそれに合わせておはようございますと少し遅れた挨拶をする。
「どうしたもこうしたもねぇ…あのクソボス…」
「…ああ…XANXUSさんが…すみません」
 謝った東眞にスクアーロは一瞬キョトンとしててめぇの所為じゃねぇと手を振った。だが無論東眞はそうなった原因である一因が自分に在ることは知っているので、いえとそれを否定しておいた。
 それにスクアーロは一拍置いてからああ成程と昨晩の(思い出したくもない)ことを振り返って頷いた。そう言うわけかと考えれば、あの時セオが外に放り出されていた理由も容易くつく。そして子供がマンマと母を求めた理由も。
 どうしてあの男は少し自分の子供にやさしくしてやれないのだろうかと溜息をつかざるを得ない。優しく接してやろうと努力は見えるのだが、それができていない。むしろ、あの脅すような顔ですぐに手を出し頭をガンガンと陥没するくらいに殴られれば、子供が母に助けを求めるのも当然である。
「ひどかったぜぇ…」
「…そうですか…」
 瞼の上に当てている氷嚢内部の氷が、がじょんと音を立てた。そして、スクアーロは昨夜のことを溜息交じりに思い出す。
 結局あの後、普通に部屋に入り子供を父親に預けた。子供はぐしゃぐしゃの泣き顔で父親の首に縋りつき、必死に謝罪していた。そして自分は上司の机の上に報告書を置いて、幸せ一杯の父子タイムを邪魔するまいとドアノブに手をかけた。だが、その足に何かが絡みつく。
 恐る恐る、半分は恐怖でそちらに目をやると、同じく目で涙を一杯にしている子供がこちらの足にしがみついていた。振り返りたくはない。子供の口から、「マンマのとこ!アーロ!」とこの状況を完全に無視した言葉を紡ぐ。何故こうも状況は自分に不利な方に傾くのか。
 冗談じゃねぇと言おうとしたが、その前に後頭部に満タンの酒のボトルが直撃して、意識がぐらりと揺れる。半ば条件反射的に何しやがると叫んで後ろを振り返ったその直後に、指輪がはめられた手が顔にめり込んだ。数回殴られて、最後にはアッパーが決まった。
 流石に此処までされて子供も自分の失態に気付いたのか、大人しくこちらの足から離れて、父のベッドの上に乗っていた。畜生、何て餓鬼だ。勿論最後は見事に蹴りだされたが。あれが蹴りだされると言うことかと身をもって実感した。嬉しくとも何ともない。
「――――――――…ああ、ひどかったぜぇ…」
 ひどすぎた、とスクアーロは机に氷嚢ごと突っ伏して溜息をついた。しかしここで東眞を責めるわけにもいかず(実際の事の起こりと言えば、自分の我儘上司なのだから)もう一度深く重い溜息をつく。
「口の中、切ってません?」
「おお、流石にもうそんなへまはしねぇ」
 それならばまず殴られるようなへまはするべきではないのではないかと、誰かがいればそう突っ込んだだろうが、不思議なことにもうこれに関しては誰も言わない。スクアーロの返事に東眞はそうですかと返して、冷蔵庫の中をカタカタと探って、そしてキッチンに立つとさっさと手を動かす。そしてものの見事十分もたたないうちに、スクアーロの前にはマグロのカルパッチョが置かれていた。
 自分の好物がポンと出されたことにスクアーロはきらきらと目を輝かせる。痛みより食い気であろうか。
 驚いて東眞に振りかえると、東眞はお疲れ様ですと労いの言葉をかけた。尤も、罪滅ぼしの一環ではあったが。スクアーロは一言礼を言うと、出された皿を口へと運び、その一時の幸せを噛みしめた。
「もうすぐセオの誕生日でしょう」
「そうだったなぁ。てめぇらJrへのプレゼントもう考えてんのかぁ?」
 まぁ九代目からは扉から入りきらないほどのプレゼントが送られてくるんだろうがなぁ、とスクアーロはくっと口元を歪めた。それに東眞はまぁ、と困ったように返答する。
「ここ最近XANXUSさんも何かと忙しいようですし、一緒に買いに行く機会がないんですよね」
「…ま、Jrにとっちゃ父親に怒鳴られたりしねェのが一番のプレゼントだろぉ…」
 納得してしまった自分が少し悲しいと東眞は乾いた笑みでそれに返す。尤も、あれだけされてもセオはバッビーノ!と父親を嫌ってはいないのだからそれもそれで凄い。やはりその辺はきちんと父親が不器用なだけということを分かっているのだろうか(そうでなくては無理であろう)
 スクアーロに背を向けて、東眞は朝食の準備を手際良く進めていく。沸騰している鍋の中にはゆで卵が躍っていた。流しでサラダの野菜を洗いながら、そうなんですよね、と東眞は一言ぼやく。その隣にスクアーロは旨かったぜぇと一つ述べて皿を流しに置いた。
「ああ、いえ。こちらこそご迷惑おかけしました」
「なに、たまにゃ弟と仲良くしてぇだろぉ。何しろ正月のことはあいつが悪ぃんだからなぁ」
 少しくらい痛い目を見せてやってもいい、とスクアーロは言いかけたが、とばっちりを喰らうのは間違いなくこちらなので、そこから先の言葉は飲み込んだ。
 東眞もスクアーロが飲み込んだ言葉を知ってか知らずか苦笑でそのあたりをとどめておく。
「で、あいつはいつ帰るんだぁ?ボスの機嫌が毎日こう悪くちゃ仕方ねぇ」
「今日の昼には。用事は済んだそうなので」
 ざるに野菜を上げて、東眞はさっさと水をきる。何気ない言葉を聞きながら、スクアーロはなぁとその背中に声をかけた。東眞は手を止めて、何ですかと尋ねる。
「あの餓鬼も大概なシスコンだがなぁ…てめぇもなかなかブラコンじゃねぇのかぁ?」
 きっと二人は一緒の部屋で寝たのだろうとスクアーロは辺りをつける。そうでなくては、XANXUSとセオの二人一組になるはずもない。
 スクアーロの問いかけに東眞はええと肯定していから穏やかに笑った。
「修矢は、私にとってもとても大切な弟なんですよ」
「血の繋がり、はねぇと聞いたぜぇ」
 ぽつんと響いた言葉に東眞は一拍の間を開けて、すぅと息を吸った。
 蛇口から流れて落ちる水は透明で、赤いトマトの上をなぞって排水溝へと吸い込まれていく。
「血の繋がりがこの現代社会において、一体どんな効力をもたらすんでしょうね。血なんてものは、所詮血球と血漿の集合体にすぎないんですよ。それに振り回されたりするのも、振り回すのも、私は御免です。血で縛るだけの関係ならば、そんなものは必要ありません。
 血だけで、それだけで望まれる物ほど下らないものはないと私は考えています。それは、どんな努力も必要としないものです。 椅子にせよ何にせよ。人を見るときにその血縁関係を見るだけの人間は愚かです。その人材を見なくては、意味がない。たとえバックに何がついていようとも、その人間自体が使えないものであれば、それは全くの無駄というものでしょう」
「振り回されるのは、愚か、かぁ?」
「望んでその舞台に上がりたいとは思わないだけです。でも、そんなものに振り回された人は、きっと何か大切なものを失う。私は修矢を見てきて、心底そう思いました。あの子は、自分を失った。あの年になっても、怖いと言うんですよ」
 夢が怖いと、と東眞は小さくぼやく。
「誰も、自分が分からない夢が。肩書きがなければ、そこに自分が伴わない夢を。可哀想とは思いませんが、そんな悪夢が一日も早く修矢を苦しめなくなることを私は願います」
 きゅ、とそこで東眞は水道を止めた。洗ったトマトをまな板の上に置いて、スライスしていく。すとんとんとんとスライスされたトマトはぱたりとその内部を天井に向けていった。
「血という鍵がなければ手に入らないものも、ごまんとあるでしょうね。切望して渇望して、それでも自分にはその資格がないから手に入らない。そんなものだってあるとは思います。それはもう、努力すれば認められるという世界の話ではありません。だから、私は、そういう世界が嫌いです。人の全てをそんなもののために否定する、そういう世界は、嫌いです。嫌悪します。反吐が出ます。嫌いです」
 顔を歪めたそれに、スクアーロは反対に少し気圧された。彼女がここまで何かをはっきりと嫌いだと言うことはない。だからこそ珍しい。
 切ったトマトを皿に盛り、そして東眞は長い息を吐いた。
 そして、スクアーロには、「よく分からない」言葉を唇に乗せて発した。
「無論、全ては憶測にすぎませんが――――――――――だからこそ、私はそれが嫌いなんです」
 あの時、懺悔を繰り返し悲痛な面持ちで告白をした老人が。あの時、メモを焼き払った苦悩の表情が。あの時、手を伸ばすことも許さなかった―――――――その、背中が。
「嫌いなんです」
 瞳の奥に穿たれた、氷よりも冷えた表情の冷たさにスクアーロは小さくそうかぁと返事をした。それに東眞はふと時計を見上げて、皆さん起こしてきますとくるりと回転してキッチンを出て行った。
 スクアーロはぼつ、と少し大きめの声で話しかける。
「だとよ、ボスさんよぉ」
 そしてその声は、キッチンの扉の死角の影にいつの間にか立っていた、赤い目の男に告げた。それに男は、XANXUSは静かにうるせぇ、と呟いた。

 

 ボストンバックを肩にかけて、修矢は目線を少し下に姉の笑顔を見た。
「有難う、姉貴。俺、頑張るからさ」
「うん。この時期インフルエンザとかも流行るだろうから、健康管理はきちんとね。それから哲さんや藤堂のおじさんにもよろしく」
 うん、と修矢は首を縦に振ってふわっと笑った。しかし、その笑みは東眞の腕に抱えられている子供に強張る。一体何度見てもあのこ憎たらしい男にそっくりなのである。
 そんな修矢の親の仇を見るような眼に東眞は苦笑しながら、そんな顔しないのと咎めた。
「…そいつの顔、成長したら姉貴に似てくるとか…ない?」
「ないない。パーツが明らかに違うから無理。ほら、搭乗遅れるよ」
 響くアナウンスに修矢は顔をあげて、そっかと深い溜息をついた。その溜息がはたしてアナウンスになのか、それとも顔の変更は認めない子供へのなのかは定かではない。
 搭乗出口の前で、修矢は名残惜しそうに姉へと視線を向ける。幸い、というよりも半ば意図的にここにXANXUSの姿はなかった。
「また、おいで。待ってるから」
 笑顔で東眞が口にした言葉に修矢はうん、と幸せそうな顔でうなずいた。そして搭乗出口をくぐろうとしたが、背中に掛けられた言葉にふと足を止めて振り返る。ひらりと金髪が手を振っていた。
「次、少しなら譲ってやるよ、泣き虫!」
「…な、泣いてない!」
 泣いてないからな!と修矢は拳を振り上げたが、チケットを渡してしまっているので、次がつっかえるために中に入る。そして、少し搭乗ゲートに見えていた最後の姿に手を振った。否、最後ではないのかと思いつつ。
 飛行機の中に入り、自分の席を見つけるとそこに体を落ち着ける。そして天井を見上げて、修矢は少し笑った。しかしあの子供の姿を思い出し、性格だけは姉に似ないものだろうかと切実に、そう願った。

 貸して、とベルフェゴールはその手のうちからセオを預かって、ひょいと腕に持ち上げるとその背に負う。広い空港を歩きながら、ベルフェゴールはにやにやと笑いつつ、話を進めた。
「あいつ、泣いたんだぜ?知ってた?」
「修矢は結構泣き虫ですよ。小さい頃は本当によく泣いて」
「…ふーん?」
 泣いていたのか、とベルフェゴールは一向に泣きそうにないあの見るだけで腹が立つような顔を思い出す。そしてぱたぱたとそれを消すと、背中に背負っている子供へとちらりと目線をやる。
「なぁ、東眞!Jrがクレープ食いたいって!王子もクレープ食いたい」
「…それ、自分が食べたいだけなんじゃないですか?ベル」
 にかっと笑ったベルフェゴールに東眞は苦笑を浮かべて、それに反論する。ベルフェゴールはその返答にそんなことねーって、と笑いながら口を返した。
「じゃぁ、クレープの材料、買って帰りましょうか」
「アイスも買ってかえろーぜ!それからホイップクリームと、チョコと、」
「持って帰れますかね?それだけ買って」
 そんな東眞にベルフェゴールは余裕!と笑って返した。甘いものだけでは駄目ですねと付け加えた東眞の言葉にベルフェゴールは少し残念そうな顔をしたが、仕方ねーのと口を曲げた。
 そして東眞は、今日の昼食はまた騒がしいことになりそうだと、目を細めて、穏やかに笑った。