33:進路相談 - 5/7

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 ぽんぽんとまぁるい形状に膨らんだ揚げ物を前にXANXUSは奇妙なものを見るかのような目をした。
 キッチンではなく、食卓の少し離れたところで油を使い、東眞は料理をしていた。大きめの台の上にはガスコンロと油鍋が置かれている。ベルフェゴールの指先が、つまみ食いをするためだけにひょいと伸びて、その丸い物体を掴む。まだ熱いのか、若い手の上でそれははねた。
 そんな熱さになれて、ベルフェゴールはそれをさっくりと食べる。だが、彼がしたことと言えば、きょとんと眼を丸くしただけだった。
「何、コレ。東眞ー中なんもないってねーぜ」
「入れてませんから。はい、ルッスーリア」
 油鍋の隣に置いてあった冷めてしまった厚手のフライドポテトを半分ほど消化して、東眞はそれをルッスーリアに渡した。ルッスーリアが持つ皿には塩が振りかけられた、先程ベルフェゴールが食べたものが沢山積まれている。
 離れた食卓ではもうすでに食事は始まっている。ただし会話というものが枯渇しており、フォークとナイフが動く音だけが静かにする。
 何て静かな食卓だろうか、とスクアーロはフォークとナイフを動かし、皿の中の肉を片づけながら切実にそう思った。席の最奥に座っている男は始終難しい顔をしてステーキを口に放り込んでいるし、その男とは随分とだが離れたところに座っている少年、青年は呆けて手が動いていない。尤も、前者の始終難しい顔をしている男が難しい顔をせずに食卓を囲っている姿など見たことはないのだが。
 少し離れたところで和気藹藹とした会話が響く中で、この温度差はないだろうとスクアーロは溜息をつく。料理は決して不味くはないが、料理の旨さというものは、なにも料理自体が云々というわけではないのだ。
 最後まで揚げ終わったのか、黒髪の女性が特定の席にゆっくりと腰を下ろす。皿を机に乗せてからルッスーリア、それからベルフェゴールも着席する。しかし何とも奇妙なものが持ってこられた皿の上には乗っている。丸い、揚げじゃがのようなもの。ポテトチップスというには丸過ぎる。そもそもポテトチップスはもっと薄いし、平べったいものである。断じて丸い物などではない。
「これは何だ」
 む、とレヴィがフォークで取ろうかそれとも指で取ろうか一寸迷って東眞に尋ねる。その質問に東眞はポテトチップスです、とそんな馬鹿なと思えるような答えを返す。
「厚めに切ったジャガイモをポテトチップスの要領で揚げてから一度冷まして、それからもう一度揚げるとこんな風に膨らむんですよ。サクサクしてて美味しいですよ。修矢も、好きだったよね」
 ほら、と東眞は隣に座っていた自分の弟に声をかける。それに修矢ははっと顔をあげて、ううん、とYESともNOともつかない返事をした。少し空気が固まったのを感じたのか、修矢は慌てて東眞が持ってきたその料理をポンポンと自分の皿に移して、もすりと食べる。
「うん、好きだった」
「過去形?」
「今も好き。でも、なかなかそんな時間もなくて作れないから」
 哲は砂糖をぶっかけそうだし、と修矢はその光景をありありと思い出して思わず口を押さえる。
 最近ではもう藤堂が台所に立つようにはしているが、それでも都合が合わない日などもあるから、哲が代理で立っている。勿論自分がそんな時は立ちたいのだが、その都合も合わない日である。そうでなければ彼に料理などさせたりしない。絶対。
 修矢の話を聞きながら、東眞は目を細めてくすくすと笑う。久々の姉の笑顔と笑い声に修矢は、少し気恥ずかしそうに笑った。少し、胸に残ったしこりを感じつつも。
「ところで藤堂のおじさんは?」
「ん、相変わらず。くじけそうなくらいにしごいてくる」
 それはそれはと苦笑をこぼした東眞に修矢は笑い事じゃないと口をかすかに曲げて、反論する。
 実際問題、笑い物ではない。翌日はこの自分が、筋肉痛で動けなくなったことなどもあるのだ。歩くたびにぎしぎしと悲鳴を上げる体での見回りは死ぬかと思った。しかしながら、ほぼ同じメニューをこなしている、自分よりもずっと年上の男は平然とした様子で次の日を過ごす。全く人外である。全くどういう体の構造をしているのか、掻っ捌いて確認してみたいところではある。
 溜息をついた修矢に鋭い視線が一つ向けられる。シルバーの視線に気づいて、修矢はなんだよ、と口先をとがらせる。それにスクアーロはそっちに死神がまだいるのかぁとさぞ喜ばしげに口元を歪ませた。
「…何だ、知り合いか?」
「おお、まあなぁ。それで、てめぇは死神に何教えてもらったんだぁ」
 ニタニタと楽しげに笑っている、捕食者の笑みにそれは修矢は冷めた目で見返した。一気に視線の温度が下がったことはスクアーロも気付き、何か悪いことなど言ったかと自分の言葉を振り返る。だが、分からない。尤も分かったところで何がどうなると言うわけではないのだが。そしてスクアーロは修矢の言葉を待つ。
 そして修矢はふと思い出したようになぁとスクアーロに一つの問いをする。その問いはスクアーロに関して愚問で、修矢に関しては疑問だった。
「あの人とスクアーロってどっちが強いんだ。戦ったら」
 修矢の質問に馬鹿なことを聞く、と周囲の空気は一瞬だけ答えた。だがそれを口に出して発言する者はいない。そして質問された張本人、銀髪の剣士、剣帝を倒した男、スクアーロは分からねぇと短くそう答えた。
 俺が強ぇ、という答えが返ってくると期待した分、その驚きは大きい。修矢は意外だ、と素直に自分の感想を述べた。そんな修矢にスクアーロはがり、と一度頭をかいて髪を混ぜ、そして溜息のような息を漏らした。
 何故こんなことも分かっていないのかと言わんばかりの態度に修矢は一度むっとしたが、そこは黙っておく。
「どちらが強ぇなんて俺たちの中ではねぇぞぉ。餓鬼ぃ」
「は?」
 ルッコラのサラダを口の中に突っ込んで咀嚼しながらスクアーロは答える。あまりうるさくないよう、口の中の物を飛ばさないように、嚥下してからその話を続けた。
「戦ったら、どっちかが死ぬんだぁ。その時点で生きているほうが強ぇだけだぁ。その後の話でどっちが強かったなんざ馬鹿馬鹿しい話だろぉ。現時点ではどっちが強ぇなんて事は分からねぇなぁ」
 だから楽しいのだ、とスクアーロは口元を歪ませた。
 強いと言われる、呼ばれる人間を食いちぎりなぎ倒していくその感触はひどく愉しいものである。自分が強いと、尤も実感できるその瞬間。
 ちょっとぉ、とそれをルッスーリアの声が遮る。
「食事時に生々しい話しないでチョーダイ。んもう!」
「あ…すみま、せん」
 どう答えていいのか分からず、修矢は少し戸惑ったような敬語を口に乗せる。それにルッスーリアはいいのよぉ!とばんばんと修矢の背中を叩いて(その力は凄まじかったと修矢は後に語る)そしてスクアーロに笑顔を向けた。どこか見習えと言わんばかりの笑みだったので、スクアーロはふざけんなあと半眼になってルッスーリアは軽くねめつけると口元を引き攣らせた。
 その時、机の奥でおいと短い声がかかり東眞の方に皿がつきだされる。それをはいと二つ返事で受け取ると東眞は手際よくさらに料理を盛っていく。また何かひと悶着起きるだろうかと机が一瞬だけ嫌な緊迫感を持ったが、おかしなことに、少年は声を荒げることはせずに、自分の皿に乗せられた丸い揚げものを口に突っ込んだ。
 どこか悔しそうではあったが、それでも彼が今回一言も声を荒げなかったのは随分な成長ではないだろうかとその場にいた全員はふとそんな風に思った。
 そして東眞はXANXUSに皿を返すと、笑顔で修矢も何か食べる?と問いかけた。それに俯けられていた顔がこれ以上ないほどに嬉しそうな笑みで彩られる。先程の出来事は幻覚だったか、とかちゃんとフォークとナイフが無情に動かされた。

 

 ふ、と短い呼吸の後、鋭い刃が空気を切り裂く。
 今頃自分の姉は台所でルッスーリアと一緒に食器を洗っていることだろう。
 息を吐き出せばそのはあっという間に白く染まり、指先は正直随分とかじかんで、手袋をしているにも関わらず指先は感覚が鈍い。それでも藤堂に叩きこまれたこの習慣は、まるで自動装置のように自分の体を突き動かした。空気を読み、そして刀を振るう。薄く積った雪の上に自分の足跡が一つ二つとついて、それはまた新雪に埋もれて消え、そしてまたつけられる。
 頭に積もった白い雪を、軽く払うことで退ける。耳までが冷たく、きっと真赤になっていることは容易に知れた。刀を一つ振るって、修矢はそこで動きを止めた。丁度その動作がされたときに、木の上から声がした。
「何だぁ、もう終わりかぁ」
 銀の髪はまるで雪のようで、雪が細く連なっているようにすら見える。冬の似合う男だと修矢は思った。そして同時に、その長い髪の毛は言うまでもなくマフラーもとい防寒にもなるのではないかと疑う。
「寒い」
「そりゃそうだぁ。だが、寒いのは弱ぇの言い訳にゃならねぇぞぉ」
 ぷつんとそこでまた会話が切れる。
 しかし今度は修矢の方から会話を持ち出した。まるで自分に言い聞かせるように紡がれる言葉である。スクアーロが何故わざわざこの寒空の下、マフラー一つで出てきたのか、何となくその答えは分かっている。
「姉貴が、俺に何か隠してるのは―――――――分かった。姉貴は、嘘つくの凄く上手いけど、分かる。俺だって、いつまでも昔のままの俺じゃないから」
 くると刀を回して鞘の中に刀身を納める。鍔がちきんと音を雪の間にならせた。それは雪に吸われてすぐに消える。そして、修矢はゆっくりと言葉を続けながら紡ぐ。その言葉に、苛立ちなどの強い感情は含まれていない。
「でも、聞かない。あれが姉貴の優しさだから。姉貴がきっと、良かれと思って俺に黙ってることだから。だから、聞かない。真実を告げるのは厳しさだけじゃない。優しさもあるけれど、でも黙っている優しさも、ある。姉貴はその辺をよくわかってる。何を言うべきか言わないべきか。俺が、どういう人間だったか、どういう人間なのか、よく知ってるせいだと思う」
 スクアーロはその背中を雪を浴びている木の幹に預け、少年の独白を聞く。
「本当は全部話してほしいけど、姉貴の優しさを無碍にしたくない」
 きっとそれを聞けば、とスクアーロはふと思う。
 彼女の体が悪い本当の理由をこの少年が聞けば間違いなく、取り返しのないほどにこの少年は傷つくだろうと。彼女を姉として慕い、尊敬し、寄りかかる少年からすれば、あの事実はひどく残酷である。
 尤もこの少年がここで挫折しようがしまいが、自分には何ら関係のないことだがとスクアーロは思う。「その程度」のことで潰れてしまうようならばそこまでの男だと言うことだ。だが、彼女は話さない。
「話してくれるまで待つとか、きっとそれは無意味だ。姉貴は、俺がどんなに変わっても話さないと思う。姉貴が黙るのは、それはきっと俺が弱いからじゃなくて、俺を傷つけたくないからだ。体、悪いんだろ」
 姉貴のと質問した修矢の問いに、スクアーロは返事をしない。表情の変化も一切ない。しかし修矢はそれを肯定とみなしてゆっくりと話を進めた。
「何で姉貴の体が悪いのかは分からない。黙っているのはきっと俺のためだろうと思う。余計な心配かけないように、とか多分そんなところだろうな…」
 黙っている優しさか、とスクアーロは言葉尻を静かに雪に落とした修矢とその雪の光景を眺めている。そして、そう言えばと修矢は話を切り替えた。
「藤堂さんが、アンタと同じこと言ってた」
「あ゛ぁ゛?何がだぁ?」
 突然死神の名前を出されてスクアーロは木の上の雪を落としそうな大声を発する。修矢はさっきの話、と呟く。
「どちらが強いわけでもないってやつ」
「…あれかぁ」
「まさか、同じ言葉が聞けるとは思ってもみなかった。あの人とアンタは対照的だと思ってたから」
 まぁそうだろうとスクアーロは頷く。片やこれ以上ないほど好戦的で、片やそれとは対照的な面倒臭がりやである。
「『生死をかけて同じ人間と刃を交えることは、二度もないです』あの人の、言葉だ。何と言うか、俺は今まで強かったから生き残ったんじゃなくて、ただ単に偶然勝ち上がってきたのかって思わされた。強いとか弱いとか、それは最後の結末が教えるだけのことで―――――だから、自分は弱いって言ってた」
「…弱い?死神が、だぁ?」
 冗談言うんじゃねぇとスクアーロは呻いた。あの男の強さは折り紙つきである。
「あの人はいつも自分が弱いって言ってる。いつ死んでもいいと思っているから、命に対して投げやりだから。本当に強い人間は、命に食らいついていく人間だってさ。死を覚悟して、なお命にすがる人間だって」
 執着こそが、最も強い武器。
「スクアーロと戦ったらどうなるか聞いた。そしたら、あっさり負けるって言ってたよ。逃げはできるけど、勝てはしないってさ。どうしてって聞いたら、彼は死ねないからだと。自分はもう守りたい者も守る者なくて、生きて死んで、毎日が退廃の繰り返しだって言ってた。あの人、何のために生きてるんだ」
 ぼつんと零れた言葉にスクアーロはさあな、と答える。それは彼、死神にしか分からないことである。
「話し戻すけど、そんなに気を遣わなくていい。俺は、姉貴が何を俺に隠していても、問い正したりすることはないから。今は――――――――――まだ、姉貴の優しさを有り難く貰っておこうと思う」
「…少し、成長したんじゃねぇかぁ?」
 く、と笑ったスクアーロにそりゃそうだと修矢は笑って言った。初めて会った時から、もう随分と経っている。これで変わらないならば、ただの詐欺だ。
 修矢は雪積る空を見上げて、冷たいと笑った。

 

 ぱしゃんと油を溶かすために程良くぬるいお湯がはねた。二人の体はそれぞれエプロンで包まれており、汚れることはない。
「に、してもどうしようかと本当に思ったわぁ。ボスったらあの程度の咳で東眞連れてっちゃうんだもの!弟君に何ていえばいいのかちっともわからなくて、皆でうまくごまかしたのよ」
 でも誤魔化しきれたのかしらとルッスーリアは少し不安げに溜息をつく。しかし東眞はそんなルッスーリアに大丈夫ですよと、そう微笑む。
「修矢も成長してないわけじゃないでしょうから。案外、何か隠し事をしてるのは気付いているのかもしれませんね」
「あら、だったらもう問い正してるんじゃないの?」
「前は、の話ですよ。それは」
 スポンジで皿の汚れを落とすと、水切り台に皿をすとんと収める。そして東眞はくしゅりと手の内のスポンジを握りつぶして泡立てた。
「――――――尤も、聞いても聞かなくても、修矢に教えるつもりはありませんが」
 知らない幸福、というのは確かに存在する。それは決して悪い意味だけではない。全てを知っていることが必ずしもいいことだとは限らないのである。
 綺麗になって、台の上に増えていく皿の数をルッスーリアは目で追いながら、ねぇ東眞と切り出した。それに東眞は何ですかといつものように答える。
「あなたって、時々本当にこっちが惚れちゃうような格好良いこと言っちゃうのね。そこらの男よりも潔いわよ。弟君もあれね。東眞みたいなお姉さん持ってると確かに頼りたくなっちゃうわ。どんな風からも守ってくれそうだもの」
「育て方、間違いましたかね」
 そんなつもりはないんですけれどと、笑った東眞にルッスーリアは、じゃぁJrは風にも負けない男に育てないとねと肩を上げた。それに東眞は納得ですと、お腹がいっぱいになって側の椅子でくすぷ、と眠っている我が子に目をやった。