33:進路相談 - 3/7

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 またこのパターンか、とXANXUSはにこやかな顔をしている老人の前に座ってそう思っていた。
 任務を一つこなしてそれからこの腐りかけの(失礼などとは思わない)老人に会いに来なくてはならない苦痛。何故苦痛なのかというと、ああ、まさにこれだ。
 XANXUSは眉間に深い皺を寄せて、皺が刻み込まれた手が差し出している大量のパンフレットを睨みつけていた。そしてその皺の深い手、ティモッテオはこれなんてどうだろうかと酷く幸せそうな顔をしてパンフレットを我が子に見せている。
「セオの幼稚園デビューもそろそろだろう?」
「…行かすつもりだったのか?」
「勿論だとも!やはり、幼いころに多くの人間関係を培っておいた方がいい」
 言っていることは正論なのだが、「こちら」に来るかもしれない、否、この場合はこちらに来るように仕向けるために入園させると言うことだろうか。しかし、幼稚園の入園申込みまでは軽く十カ月近く間があいている。今から悩むなど全く馬鹿馬鹿しい。
 きらきらとはしゃいでいる父親に苛立ちを感じつつ、XANXUSは低く舌打ちをした。
「下らねぇ」
 馬鹿馬鹿しいと吐き捨てた息子に父親はそんなことはないよ、と首をかしげる。そして、ソファにだれているXANXUSにこれなんてどうだろうかと、母親抜きで話を進めている。勿論のこと、彼女にこの話を通したところで、構いませんよと一言で終わってしまうことだろうから問題はないのだろうが。
 やはりとXANXUSは思う。
 母親としては子供に危険な、それこそ自分たちのような世界に足を踏み入れて欲しくないのだろうかと。だが、どう考えたところでその決定権は彼女には存在しない。どんなに悲しもうと嘆こうと、セオの道は、セオだけが決められる。ただ敢えて言うならば、彼の道の幅を狭めていっているのは自分と、つまり実の父親と実の祖父に他ならない。
 XANXUS?と呼びかけられて、赤い目をゆっくりと動かす。平和な顔をして、パンフレットを持っているこの老人の考えをXANXUSは考える。  ただ純粋に人間関係、もしくは子供としての生活を楽しんでほしいから入園を望むのか。それとも、他の、そんなことを考えるのは容易ではあるが、つまりこちら側の人間との繋がりを作っておきたいからの行動か。
 どちらにしろ、目の前の老人は「あの」沢田綱吉をボンゴレ十代目に選んだ男なのである。
 それに関して今更とやかく言うつもりはない。あのカスがもしボンゴレを貶めるようなことをすれば容赦なく排除するまでのこと。
 だが思う。このティモッテオ、ボンゴレ九代目に座る自分の義父は、穏健派と呼ばれながら、実はそんなことはないのではないかと。
 本気で穏健派などであれば、一般人であるカスをこちら側に無理矢理であるとは言え引きずりこむことはないだろう。ああいう行動を考えれば、このティモッテオは実は根っからのコーザノストラに違いないと。
 超直感だかなんだか知らないが、所詮直感は直感にすぎない。直感など、実行しなければただの予測にすぎないのだ。暴力で権力で、そして恐怖で畏怖で従わせることこそがコーザノストラの本質。そしてマフィオーゾ、名誉ある男たちである。
 滅ぼしたいならば、この九代目の時点で滅ぼしていた。何しろ自分は「その血」を引いていない。そして、残すところの血統は沢田綱吉という男だけである。他の奴らは全て始末した。その沢田綱吉が役に立たないのであれば、ボンゴレファミリーは滅ぶだけである。組入れなければ、ボンゴレは「血統」ではないファミリーになっただけだろう。つまり他のファミリーの構造と同じになる、ということだ。わざわざ血統にこだわるファミリーである必要などどこにもないのではないか。
 く、と口元が自然と歪んだ。この男ほど、マフィオーゾらしいマフィオーゾもいないのではないかと。目的のためならば手段を選ばない。どんな相手でも遠慮なく引きずり込む。ただただ自分の目的のために。標的の意図など存在せず、そこにあるのは自分の目的のために遂行される駒である。
 あのドカスがこちらの世界に向かないほどの優しさを持っているのを知りながら、知っていながら、引き込んだ。おそらくそれは已む無くなどではない。コーザノストラの慣習に一番縛られているのは、この目の前の男だろう。
「老いぼれが」
「?」
 ふん、とXANXUSは鼻を鳴らした。嘲りと、それから目の前の男がそうであることに幾分の安堵を含めて。
 そして机の上にばらまかれているパンフレットを一つ二つとって目を通す。そして、嗤う。どれもこれも他のファミリーの餓鬼が通っていそうな幼稚園ばかりである。餓鬼だからこその、交流なのか。それともただ純粋に子供を預けたいという思いか。
「行かす必要なんざあるのか」
「必要…というかだね、こういうのもあれだが、お前たちの場所は子供の情操教育の現場には適しているとは思わない。セオにはもっと広い交友関係を持たせてしかるべきだと私は思うよ。何が人を痛め、人を悲しませ、そして喜ばせるか。そういった子供の情緒豊かな感情を育てるには、自分と同じような年頃の子供がいる場所が一番だろう」
 笑いが止まらなくなる様な正論である。確かに「自分と同じような」存在が集まる場所だろう。マフィオーゾの息子、もしくは娘たちが集められる場所。同じような思考を持ち、同じような家庭環境で育ってきた年端もいかぬ子供。
 こっちはどうなんだ、とXANXUSは一つ紛れ込んでいた普通の、つまるところ一般的な子供が通う幼稚園のパンフレットを手に取る。案の定、目の前の老獪はそれに渋った顔をした。紛れ込んでいたのかといわんばかりの表情である。分かりやすい。
「…XANXUS。お前がそれを選んだのはわざとなのだろうが…セオは、お前の息子なのだよ。それだけで、そういう産まれをしているだけで、普通の生活に溶け込むことはひどく難しいと私は思う」
「そういう生活に溶け込むだけの、そうだな、てめぇが言う様な情緒豊かさが育つんじゃねぇか?」
 出口のない迷路に意地の悪い問いをかける。
 こちらは何故この義父が同じような子供が集まる幼稚園を進めているのか、その二つの真意など理解していた。一つは、同じような子供が集められることによる、ボスとしての、またはコーザノストラの後継者たる意識の統率。二つ目は、ああ、それはもっと単純なことだ。被害がかからないように。
 仮に、と老人の話は続いた。その中には答えが含まれている。皺の寄った両手が組まれていた。
「仮に、いやセオもまだ子供だ。きっと普通の子供たちの中で育てば、そういう風に育つだろう。だが、成長していくほどにその差異に苦しめられる。自分が彼らと違う立場に立っていると言うことに、気付くだろう。そして何よりも、セオがいることによって普通の子供たちに被害が出る可能性もないとは言えない。
 我々は女子供には手を出さないという、暗黙の了解がある。だが、それも随分と昔の話だ。今となっては、女子供関係なく、ただファミリーの一員だと言うだけで、とりわけその家族は被害に遭う可能性がある。我々の争いに一般人を巻き込むわけにはいかない。それでは本末転倒といものだ、XANXUS」
「―――――全くその通りだぜ、クソ爺」
 そう、皮肉るようにXANXUSは笑った。
 東眞が、我が妻が一体何を思おうが、セオが、我が子がどう考えようが、組み込まれた世界の中では歯車にすぎない。そこに個人の意思は存在せず、ファミリーの意志、そしてコーザノストラの掟のみが全てを決める。
「これなんか、悪くねぇ」
 そういってXANXUSは適当に一枚手にしたパンフレットを、そしてティモッテオの前に投げ出した。そんな我が子の対応にティモッテオは一瞬複雑そうな顔をして、それからそれを手にとり、ああいいね、と静かに言った。

 

「姉貴、お、俺手伝うよ。姉貴いなくなってからさ、俺も料理できるようになったから」
 へへ、と笑いながら修矢は東眞の隣にすとんと立って袖をまくる。それに東眞は、じゃあお願いと修矢に側に山程積んであるジャガイモの皮むきを頼んだ。
「包丁で剥ける?それともピーラーがいる?」
「包丁で剥ける。皮むきは得意なんだ。林檎とか、兎の形にも向けるし」
「兎に向いてどうすんだっつーの」
 べーっと東眞の隣でキャベツを洗っているベルは舌を修矢に向けて出した。それに修矢は何でアンタがここにいるんだよと悪態を告ぐ。
「ここは俺たちの場所だし。いてトーゼン。むしろ何でお前がいんの?なぁなぁ」
「あ、姉貴を手伝いに来ただけだ。アンタに関係ないだろ」
 あからさまに突っかかってきたベルに修矢は口先を尖らせて、はっきりと言い返す。それにベルフェゴールはにぃとその口元の両端を歪めてにししと笑いを漏らす。
「ハァ?東眞の手伝いは俺だけで十分だっての。大体いつも東眞だけで作ってるし。なー東眞」
「作ってますが…手伝いは多い方が有難いです。それに、喧嘩をするようならば二人揃って出て行ってもらいます」
 が、と微笑んだ東眞にベルはちぇっと一つ舌打ちをして野菜を洗うのを再開する。冷蔵庫をふと覗いて、東眞はああと思い出したように、顔を上げる。
「ワインセラーに行ってきます。暴れないで下さいね」
「心配いらねーって」
 ひらひらとベルフェゴールはその場を後にした東眞に手を振る。
 そして、犬猿の仲といっても過言ではない二人が同じ部屋に取り残された。
 修矢はジャガイモを包丁でするすると剥き、そしてベルフェゴールはぱちゃぱちゃと水をはねさせながら野菜を洗う。終始無言で個々の仕事をこなしている姿はある意味異様である。しかしその沈黙を先に破ったのは修矢だった。
「おい」
 呼びかけても返事はない。ベルフェゴールと言えば、完全に無視を決め込んでいる。その背中に腹を立てて、修矢は持っていた剥きかけのジャガイモをベルフェゴールに向かって投げつける。勿論それは空中で切り裂かれた。
 流石にそんな暴力行為に及ばれて、ベルフェゴールも元々短い堪忍袋を切らしたのか、くると振り返る。
「は?なんなわけ?」
「アンタこそどういうつもりだ。さっきから目の敵にしやがって。大体、腹立ててんのはこっちだ。姉貴は正月日本に帰省予定だったのに、アンタらのボスがどうせ足止めでも何でもして、無理矢理させたくせに」
「東眞はボスの東眞だから、当然だろ。そっちこそ姉貴姉貴ってシスコンかっての。うぇぇ、気持ちわり」
「姉貴が大事で何が悪い!」
 ぶん、と修矢はもう一つジャガイモを投げた。ベルフェゴールはまたそれを切って床に落とす。そして彼が反撃に出ないはずもなく、ボールに入っていた水と野菜、丸ごと修矢に向かって投げ飛ばした。
 修矢は当然それを全てよけ切れるはずもなく、頭から水をかぶる。だが、即座に反撃に出て、こちらも箱のジャガイモ、丸ごとベルフェゴールに投げた。さらにおまけとして、自分が座っていた椅子を滑らせるようにして、蹴り飛ばす。勿論ベルフェゴールの足元を狙って。げ、と短い声が上がって、ベルフェゴールは数個のジャガイモと衝突する。
 ごんがんとジャガイモが落ち、修矢は頭と服から水を滴らせつつ、ベルフェゴールはジャガイモの土で汚れながら、二人は睨みあう。このまま笑顔で「あはは、お前…なかなかやるな!」と友情EDに突入する見込みなどあるはずもなく、二人は落ちていたジャガイモを咄嗟に手にした。
 そしてキッチンはそのまま戦場と化す。ひょうんとジャガイモが二人の間を飛び交う様は、いっそ絶景である。
「大体、ムカツクんだよ!東眞は俺たちの、東眞だっての!あだっ!東眞も東眞で、テメーが来たら、そっちに構いっぱなしになるし、わけわかんねー!」
「五月蠅い!誰がアンタたちの姉貴だ!姉貴は俺だけの姉貴だっ!!い゛っ!姉貴が久々に会う弟に構うなんて当然だろ!当たり前のことなんだよ!大体、アンタは毎日姉貴といるんじゃないか!俺はいつも日本にいて、そんなに会えないんだから、少しくらい譲れよ、この馬鹿野郎!!」
「ウッゼー!マジキモい!う、ぶっ!水出してんじゃねーよ、バーカ!」
「うざいのはどっちだ、このちんくしゃ!」
「ちんくしゃ!?王子のどこがちんくしゃなんだよ、この性格ブス!!」
「アンタに言われたくないね!」
 この野郎、と修矢は椅子をぶんとベルフェゴールに投げつける。ベルフェゴールはしゃがんでそれを避けると、側に在った皿を掴んで投げる。修矢がそれをまともに受けるはずもなく、当然避ける。陶器製のそれは壁に当たって割れて、床に落ちる。子供の戦争を止める者は誰もいない。
 そのまま修矢の手はXの入っているマグカップを取って、ぶおんと投げる。赤いその文字に、ベルフェゴールはひくりと口元を引きつらせて我に帰る。それが誰のものなのか、此処に住む者で知らない者はいない。
 それを気付いているのかいないのか、修矢はかの男が気に入りの者(しかも壊れるものばかり)をぶんとベルフェゴールに投げてくる。無論避けることは可能だが、避けて割れた後、振りかかる火の粉がこちらにも飛んでくる可能性は否めない。くっそ、とベルフェゴールは今度はよけずに、投げ飛ばされてくる陶器を片っ端からぱしぱしと受け止めて、床に置いた。
 投げるだけ投げて、修矢は肩で息をしながら、ぐいっと腕で口元をぬぐう。
「何だよ―――――――…っ、姉貴一人占めするんじゃない!アンタだけの姉貴じゃないんだぞ!」
「だから東眞は、…あ、」
「…っ、」
 ベルフェゴールはそこで言葉を止めてしまう。は、と肩で呼吸を繰り返したその少年の目に浮かんだ透明の液体に気付く。考えてみれば、この少年は自分よりも年下だと言う事実に気付く。
「うるさい!黙れ!」
「…何も言ってねーっての。泣いてんじゃねーよ、キモい」
「誰が泣いてんだ!勘違いすんな、この金髪野郎!」
 五月蠅い、と修矢はベルフェゴールにジャガイモと一つ投げた。それをベルフェゴールは片手でぱしと受け取り、そして、息を一つついて、ばーか、と呟いた。

 

 ふとスクアーロはキッチンのすぐそばで背を壁に預けて、腕にはワインを持っている東眞に気付く。
 どうしたぁ、と声をかけかけて、黙っているようにとの仕草に口を止めた。怪訝に思いつつ、ちらとほんの少し顔をキッチンへと覗かせる。見事に散らかった床。その惨状。いつボスが帰ってきたとうろたえたが、その姿はない。
 クスクスと笑う女性に、ああ成程と事の次第を理解する。
「…なかなかイイ性格だよなぁ、てめぇも」
「そうですか?」
 二人揃って、床を片づけている自称王子様とシスコンの少年を眺めながら、スクアーロは小さく笑った。それに東眞はにこやかに微笑みながら、目を細めた。