32:情操教育 - 7/7

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 炎を使う気分にもなれず、黒い隊服は血の色で染まっており、その血は酸化を済ませて、ほぼ黒と変わらない黒となっている。明るいところで見なければ、これが赤だと分かる者はそういないだろう。臭い、はするのだが。
 皆殺し。根絶やし。殲滅。
 そんな言葉がぴったりな今日の任務。一人頭につき、一つ銃弾を使うのだから、随分と無駄になったと軽くなった銃をホルダーに入れながらそう思う。一つのファミリーを潰すことなど容易にできる。解体などと優しい真似はさせない。殺し尽くす。
 自分たちが任務をこなす際に必要なのはボンゴレからの依頼であって、それが何故、というのは取り立てて必要なことではない。それが必要ならば、ボンゴレのために必要ならば自分たちはその牙と爪をもって対象を切り裂き食らう。
 今日のファミリーは政府と癒着して仲間を売ろうとした。殺すには十分に値する。基盤を揺るがす例外者には死の鉄槌を。
 冷たい風が吹き抜ける路地を歩きながら、VARIA本部へと帰る。月は、空が曇っていて見ることができない。血を吸ってしまった服は、行きよりも随分と重い。セキュリティーをくぐって、扉を開けさせる。
 だが、そこでふと立ち止まる。何かが足りない。
「ボス!御無事であらせられましたか!」
 レヴィが帰還を喜びに満ちた表情で、迎え入れる。そして、セオと犬は別室で寝ていると言うことを告げた。さらにそれに加えて、レヴィはXANXUSに東眞が熱を出して寝ていることをさらに述べる。
「熱?」
「はい。ボスがお出になられました後に体調を崩して…今は部屋で横になっています」
 ああそうか、とその言葉にXANXUSは納得する。足りないものは、言葉だった。お帰りなさいと大丈夫でしたかのたった二つの言葉。ただそれだけの言葉がないだけで、こうも不気味な感覚が背筋を撫で上げる。
 レヴィの言葉を聞いて、XANXUSは血生臭い臭いをそのままに、東眞が寝ていると聞いている部屋へと歩く。
 起きているだろうかと心のどこかで期待しながらも、寝て休んでいることを同時に思う。
 服に染みついている血は外の風と、中の風の温度差でゆるゆると乾き始めていた。隊服が少しだけ、張っている。
 ふとそこで子供の部屋の前を通り過ぎて、ぴたりと足を止める。そして一拍二拍、それくらいの間考えて、少し引き返すとその扉を開けた。暗い部屋には白い物体が一つとそれから黒い物体がひとつ、身動き一つせずに小さなベビーベッドの上に乗っている。
 一緒に寝かせるのはどうなのだろうかと思いつつ、静かに足音を殺しながらその光景を見るためにゆっくりと近づく。だが、ある程度の距離まで近づくと、黒い獣の方がその瞳を開けて牙をこちらに剥き出しにした。うう、と喉を鳴らすような警戒心をあらわにした唸り声。
 なんだこの犬はと眉間に軽く皺を寄せたが、そこで自分の姿に気付く。ああそう言えば血まみれだったと、慣れ過ぎたせいで気にしていないことに気付いた。しかし、犬ももう少し近づくと血の匂いにまぎれた主の臭いに気付いたのか、唸るのをやめて、すとんと尻を落とした。
 ベビーベッドの枠に手をかけて、子供の寝顔を見下ろす。何も知りはしない無邪気な顔をして、子供は寝ている。手を伸ばして、その白い頬を指先で突き刺すようにして突く。やん、と痛いのか、指を払って、非常に嫌そうな顔をして、反対側に寝がえりを打つ。
 小生意気な野郎だと笑うと、指先を離してその小さな頭を撫でてみる。柔らかな髪先が掌に触れて気持ちいい。
「ィ―――の…」
「?」
 口からこぼれた言葉に興味を持って耳を寄せると、今度はマンマぁと小さく寝言を漏らす。たたき起こしてやろうかと思ったが、気を持ち直して、くるりと踵を返す。少しだけ、先程の切れ切れの言葉が気になりながら。
 扉を閉めて、さらに歩く。目的の扉は手をかけるとずっしりと重たく、隙間からは先程の部屋同様に明かり一つない。声をかけずにそのまま扉を押し開ける。中は暗い。廊下の明かりが中に入って、それが室内の様相を扉側から照らしだす。家具はそこまで多くない、本人を現したかのような静かな部屋。ベッドの足に光がかかっている。
 ブーツの音さえ消して、まるで標的を追う時のように後ろ手で音もなく扉を閉める。光が遮断されて部屋はすぐに暗くなる。暗殺になれた目は、暗闇の中でもすぐに当たりの様子が分かるように反応した。目は即座に暗闇に慣れる。他の家具に当たらぬように部屋の中を歩き、ベッド横にまでたどり着く。見下ろせば、額に濡れたタオルを乗せた女が一人横たわっている。
 腰をベッドわきに下ろせば、ベッドは体重の分だけ軋んだ。女はきっとまだ起きていない。規則的な動作で胸のあたりのシーツが上下している。そのままの位置で手を伸ばすとまるで生死を確認するかのように、手を鼻と口の上にかざした。呼吸は確認できる。そして、ゆるりと手をそこから皮膚の上に乗せる。滑らすように顔の肌をなで、頬を通り、耳の裏を指先でなでる。
 その時、頬のあたりが微かに動いて、僅かに指先が痙攣したように跳ねた。黒い瞳が、こちらを見て微笑んでいた。
「お帰りなさい、XANXUSさん」
 起きていたのかと時計をちらりと見たが、どう考えても起きていられる時間ではない。現在朝の四時。それは寝たのを起こしたことに他ならないのだが、ああとXANXUSはそう言葉を返すしか思いつかなかった。
 XANXUSの疑問に気付いたのか、東眞は違いますよと笑う。そして額のぬるくなってしまった布を取ると、盥の中に戻してゆっくりと上半身を起こす。
「おい」
「大丈夫です。XANXUSさんと話す時は、ちゃんとこうやって話したいんです」
 咎めたXANXUSに東眞はにこやかに笑ってから、その赤い瞳を少しだけ見上げるようにして黒眼を細めた。とはいっても、もう随分と熱も下がっているし、少しばかり体がだるい程度である。
「無事で、何よりです」
「…くだらねぇ。カス相手に怪我なんざするか」
「血の臭いが、強いですから。早く洗った方がいいですよ」
 落ちなくなります、と笑った東眞にXANXUSは捨てると一言で切り捨てた。物を大事にしない性格は変わりない。
 部屋の電気はつけられないまま、東眞はあの、と声をかける。それにXANXUSは何だと返した。
「部屋の電気つけていただけますか?顔がみたいです」
 顎で使うか、とXANXUSはそう思いながら、壁の電気のスイッチを押して明かりをつける。そしてふとそこで、自分の格好を思い出す。考えてみれば、汚れていたのは隊服だけではない。白いシャツも、まだらな赤いシャツになっていた。
 そんなXANXUSの姿に、東眞は着替えたほうがと声をかけたが、このまま着替えるのも癪で、いや、とXANXUSはまたベッドの端にどんと腰を下ろす。
 筋肉の鎧を着こんだ重い体は、ベッドを軽く揺らす。東眞はその背中に手を伸ばして、指先で触れる。何気ない動作にXANXUSは怪訝そうな顔をし、東眞へと向ける。それに東眞はその隊服をつまんだ。白い指先が、少し赤くなる。
「嬉しいです」
「何がだ」
「生きてて。それから側にいてくれて。本当は、少し心細かったです」
 言やいいだろうが、とぶっきらぼうに言いかけて、その言葉を喉もとでとどめる。
 そうだったとそして思い出す。この女は、そういう女ではないのだと。縋りついて、とめるような女ではない。笑顔で見送って、そしてこちらがふと忘れたりなどすれば、そのまま初めから何もなかったかのように消え去ってしまう様な、女だ。
 そうか、とぶっきらぼうな言葉の代わりに、その言葉を投げ渡す。隊服をつまんでいる指先がどうしてか―――――――――温かい。
「寝てろ。居てやる」
 XANXUSは東眞の顔に大きな手をかぶせて、力任せに後頭部から枕に押し付ける。こちらの力にかなうはずもなく、細い体は手を泳がせて、ベッドにあっさりと押し付けられた。隊服をつまんでいた手は離れている。
 指先が血で赤くなっているその手を、先程まで顔を掴んでいた手で包み込む。指をからめるように、逃げられないようにベッドの上にそのまま放り投げる。
「居てやる」
 寝てろともう一度繰り返して、XANXUSはそれしきこっきり黙ってしまった。東眞は握りつぶされそうな手の中で、指先を動かして、ゆっくりとその手を握り返す。握られた手は、温かかった。

 

 がん、と扉をけ破るようにして、スクアーロは肩で息をしながら、ようやく目的の場所についたことで安堵の息を漏らす。そして、その背中からひょいと黒い影が一つ飛び降りた。
「御苦労サマデス!スクアーロ」
「…っ、てめぇ…シャルカーン…っ!!この俺様をタクシー代わりに使うたぁ…」
 ぜぇ、としかしスクアーロの目は本部の壁に掛けられている時計に向いていた。急いだためか、どうにかこうにかで言われていた、一日以内には間に合った。免れた減俸処置にあー、とスクアーロは側にあった椅子にどっかりと腰掛ける。
 そんなスクアーロの顔をシャルカーンは毎度の糸目で見下ろしながら、何言ってルンデスカと笑う。
「ジャンケンに負けタスクアーロのセイデスカラ」
「そんな勝負持ちかけたのはてめぇだろぉがぁ!!つーか、てめぇその服の中にどんだけ隠し持ってんだぁ!何だあの尋常じゃねぇ体重は…っ!明らかに見かけの体重オーバーしてんだろぉ!」
「ソンナ太ったダナンテ…傷つきマス」
「傷ついてそのまま死んでしまえ」
 冗談が通じまセンネ、とシャルカーンは口元に袖を持ってくると、クスクスと笑い声を隠す。
 ああくそ、とスクアーロは重たい体を起こしながら、XANXUSに任務報告をするために椅子から立ち上がる。数十歩歩いたが、後ろをことこととついてくる袖の長い入れ墨が頭に入った男の気配を感じて、ぴたりと止まって、ついてくんじゃねぇ!と怒鳴りつける。
 もうこんな男と付き合ってはいられない。というか、付き合いたくない。
 任務先からここまで戻ってくるまでの間はまさに地獄だった。思い出したくもない記憶である。任務で疲れたから飛行機の中でひと眠りしようと思っていたのに、この男ときたら、目の前で手品を一人で愉しげに繰り広げる。そしてしまいには、新しい手品の開発に付き合えなどと転寝を仕掛けたこちらを叩き起こす。最低だ。最悪だ。
 スクアーロのそんな内心を知ってか知らずか(きっと知っている)シャルカーンは笑顔で、ワタシもボスに用がありますから、と言う。幾らその言葉が正しくとも、あまり認めたくない。二度とこの男と任務を組ませないように頼もう、とスクアーロは心に決めた。
 そして歩いて行く途中にレヴィとすれ違う。帰っていたのか、と随分と早い時間に驚いたレヴィにスクアーロはまあなぁ、と遠い目をした。レヴィと言えば、隣のシャルカーンを見て、ぎょっと顔を顰める。この男もシャルカーンという男にからかわれるようになって長い。
 いつかレヴィとはこの話題で酒をあけられそうだ、と嫌な意味でスクアーロは微笑んだ。
「ボスならば、あいつの部屋だ」
「…そうかぁ」
「デハ行きまショウ、スクアーロ」
 ハイヨー!と言って、スクアーロの背に飛び乗ろうとしたシャルカーンの頭を拳で殴ってスクアーロはふざけんなぁ!と怒鳴りつけた。がつがつとブーツを鳴らしながら、シャルカーンを放って行くが、すぐさま追いつかれて、ニコニコと腹の立つ笑顔を浮かべている。
 この男がつけている耳飾りをいつかそのまま引きちぎってやるとスクアーロはそんなどうにもくだらない殺意を覚えた。
 この耐えがたい苦痛が溢れている空間をスクアーロは一刻でも早く逃れたい一心で、目指す扉の前まで競歩でたどり着いた。邪魔するぜぇ、と少しだけ声を押さえて扉をあける。隙間から光が漏れていたので、二人とも起きているとスクアーロは思っていた。
 だが、扉を開けた瞬間にむっとした血の香りにぎょっとする。どうした、と声をあげかけて、それはシャルカーンの袖で押さえつけられる。ぐきりと首の骨が音を立てた。静かにシテクダサイネ、と笑ったシャルカーンにスクアーロはいつか殺す、と音が鳴った首を押さえる。
 スクアーロとシャルカーンは奥まで足音と気配を殺して近づく。そして赤い目がその二つの姿をとらえる、事はなかった。攻撃的な目は瞼の下に閉ざされて、大きな手と細い手が繋がれてベッドの上に放り投げられている。規則的な動作で二人は寝ていた。
 驚きの光景にスクアーロは絶句する。シャルカーンもそんな光景を眺めて、それからアア、と笑う。
「ソウ言えバ、犬を飼ったんでしタカ」
「お、おぉ。Jrの情操教育にと思ってだなぁ…」
 そんなスクアーロの言葉に、シャルカーンは二人の寝ている姿を見て、クスクスと袖で笑った。シャルカーンが笑う意味が分からず、首をかしげたスクアーロに、答えが返ってくる。
「ナンダか、ココ、とても情操教育で忙しいミタイデスネ」
「あ゛ぁ゛?――――――――――――――、あぁ、あー」
 成程、とスクアーロはようやくシャルカーンの言葉の本意を飲み込む。
 Jrに子犬、そしてXANXUSには。
 スクアーロは疲れ切った体の肩をすとんと落として、そこにあった椅子に腰かけた。
「しっかり教育してくれよぉ」
 東眞、とスクアーロは穏やかな顔で寝ている女性の名前を呼んだ。きっとその言葉をそこで眠っている凶暴な大型獣が聞きでもしたら、頭に瘤一つできそうだったが。