32:情操教育 - 5/7

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 幼児のテンションは恐ろしい、と修矢は頭痛を覚えながら、帰路についていた。片手にはスーパーの買い物かごがぶら下げられている。その隣では、にこやかな顔をした藤堂が魚のパックを手にとって眺めている。
 結局あの後の土産と称したお菓子は見事な争奪戦、争奪というには生ぬるい、まるで戦争のような光景が目の前に広がっていた。取り皿に分けていたとしても、隣の子の物を何食わぬ顔をしてぱっくりと食べてしまうもの。それに大泣きする子。ぶちまけられたジュースに空を飛ぶぬいぐるみ。積木まで飛び始めた時には、子供という生物の認識を改めようかと思った程だ。
 鯖の味噌煮もいいですね、と特売の鯖が入ったパックを一つ二つ手に取っている。鰤大根も美味しいんですけど、と隣の鰤をちらちらと見ていた。そんなに悩むくらいならばいっそ両方買えばいいのに、と修矢は乱暴に二つのパックを取って籠に放り込む。それに藤堂はにこやかに待ったをかけた。
「いけませんよ、修矢。魚を買うときはよく見なくては。そんなのでは一人暮らしする時、困りますからね」
「一人暮らしなんて予定はないです。大体、すぐに食べちゃうんですから、どれ買っても一緒でしょう」
 馬鹿馬鹿しい、と修矢は溜息をついて先のコーナーに進もうとしたが、肩に掛けられた手にくわえられた力は思いのほか強く、それより先に進むことを許さない。うんざりしながらも修矢は藤堂の方を向いて、唸るようにしてがっくりと肩を落とした。もう諦めるしかない。そんな修矢に藤堂は口元に朗らかな笑みを浮かべつつ、魚の見方を懇切丁寧に教えてくる。だから、一人暮らしをする予定はないと言うのに。
 修矢のそんな内心が藤堂に伝わるはずもなく、藤堂は分かりましたか?と笑顔で括って、結局鯖を籠に入れて、鰤を棚に戻した。野菜はどうしましょうか、とまるでどこぞの主夫のような勢いでああこれが安いですね、とぽんぽんと野菜を入れていく。重たくなっていく籠だが、タイムサービスの時間も狙っていたのか、まだそこまでの金額には至っていない。
「そういえば、修矢はどうするんですか?」
「は?何がですか」
「ですから、大学。来年は受験じゃないですか」
 何を馬鹿なことを、と修矢は反対に呆れかえる。大学に進学する予定など全くないのだ。高校卒業後は、こちらの世界にどっぷりと浸かることになるだろうし、大学に行ってしたいこともない。
「東眞ちゃんも大学はちゃんと行ってますしね。まぁ、進学すると言うのが必ずしもいいと言うことではないですが。その道を視野に入れておくというのは、入れないで考えるというのと全く違いますよ」
 だから考えておきなさい、と藤堂は籠の中にお買い得の豚バラ肉を三パックほど入れた。これは随分な量があるしすぐに食べきれるとは思わない。ぎょっとした修矢に、藤堂は冷凍保存するんですよと教えた。
「俺は大学進学予定はないですし…したいことも、特に。それに正式にこっちに踏みこむのも」
「ですから、そういうのがいけないと言っているんです」
「な、だ、」
 だから、と続けようとした修矢に藤堂は困ったように笑ってから、修矢の頭をくしゃりと撫でた。
 どうにもこの男は自分の頭をなでるのが癖のようだと修矢は、その手を振り払う。全く子供扱いもいい加減にしてほしい。
「そうやって本当にしたいことが見つかった時に、勉強してなかったで手遅れになったらどうするつもりですか。勉強だけはしっかりしておきなさい。今、進学するつもりがなくても。人の心は変わるものです」
「…俺の気持ちが変わったところで、そんなの、迷惑で」
 ああもうと息を吐いた修矢に藤堂は何を言ってるんですか、と肩をすくめた。そこまで言われる理由もなく、修矢は反対に怪訝そうに眉根を寄せる。
 自分がこの道を進まなければ、他の誰も進まないし、自分は今までこの道のためにずっと生きてきた。だから、歩いていくことに何ら遺恨も後悔もありはしない。他の道など、考えたこともないと言うのに。それに、自分がやらなくては他の者が路頭に迷う。それだけは、避けたい。無論これは最終的な理由にすぎないのだが。一番大切なのは、自分が今立っている場所の平穏を、何よりも誰よりも「自分が」守りたいと言うことであるということである。そして、それが可能にするだけの状況がそろっている中、そこに立たないのは全く馬鹿のすることである。自分の半生がぱぁ、だ(半生、というほど生きてきてはないが)
「また、そんなことを言って」
 馬鹿ですね、と藤堂は困ったように笑った。
 この笑みは苦手だ、と修矢は心底思う。子供であることをあっさり許すこの笑顔が嫌いなのだ。そこに甘んじることを許してしまう笑みは自分を堕落させてしまう様な気がする。
 確かに先刻言われたように、偶にはそうあってもいいかもしれない(と少しは思うようになれた)が、この男は常に、自分を子供扱いする。まだ子供でいてもいいのだと、子供の権利を施行するだけの権限が自分にあると再三にわたって自分に告げてくる。そんなことは、したくないと言うのに。
 魔女――――女でないから、この場合は魔法使いだろうか。少なくとも魔法の言葉で誘惑するのはやめて欲しい。そんなに自分を、甘やかさないでほしい。
「誰も困ったりしませんよ。子供がしたいことをするのは、したい道に進むのは当然です」
「…だから、俺が進みたい道は、こっちなんです」
「決めつけはいけませんよ。いつでも視野は広く持っていなさい。あなたの年頃の可能性はそれはもう無限にあるんですから」
 言いことを、普通に考えれば言っているのだろうが、どうにもこの藤堂という男が口にするとどうにも歪んで聞こえる。これ以上甘やかしてくれるな、と心の耳を塞いで、修矢は豆腐を一パック取る。
 そういえば、と藤堂は安くなっている三パックの納豆を手に取ると、何気なく修矢に尋ねた。
「あなたのご両親―――――母親はどうしたんですか?」
 藤堂の言葉に修矢の動きが僅かに鈍って止まる。あの人は、と口がゆるりと動いて言葉を発する。
「実家に帰してある。もう、あの人が桧の敷居を跨ぐことは一切ない。それに、俺はあの人を『母』だなんて思ったことは、ない。俺が、あの人にとって父親とのただの繋がりだっただけなように、あの人は俺を産んだだけの人だった。それ以上でもそれ以下にもならない」
 母親ではあったが、母ではなかった。自分を見る瞳にはいつでも執着があった。権力に対する執着。鏡を見るたびによれていくいく、美しさを失っていく顔を眺めながら、父親に捨てられるのを恐れた女。そして父親にとっても、自分は子供ではなく、跡取りでしかなかった。家は家庭ではなく、箱だった。自分と父親と母親と、それから組という形を詰め込んだだけの箱。勿論中身は空っぽだった。
 辛気臭い、と修矢は顔を顰めた。自分の見たくもない過去を、振り返る必要のないことを振り返ってもいいことなど何もない。
 敬語はどうしましたかと優しい声が、傷をえぐったことも知らずに訂正する。煩わしい。
「関係ないでしょう、俺のことは。あなたが依頼されたのは、俺を強くすることであって、俺の過去を詮索することじゃない。それから、あなたは俺の何でもない。ただの教える立場と、教えられるだけの立場です。いらないことを聞くのはやめてください」
「だったら、私のことも聞けばいいでしょう?ほら、それでお相子です。私は、あなたのことをもっと知りたい」
 突き放した言い方をしたのに、傷つく様子一つ見せず(きっと一つも傷ついていないのだろうが)藤堂は笑顔でそう切り返す。俺は、と修矢は視線を背けて、籠に入れられた納豆のパックを元の棚に戻した。
「興味ありません」
「そうですか。でもたった一人の母親でしょう?」
「母親ではあっても、母、ではないですから。どうでもいいです」
「それでも、彼女は貴方を愛していたと思いますよ。子供を産むと言うのは、そう言うことです」
 しつこい、と修矢はぎっと奥歯を噛みしめた。あれは、産んだと言うよりもむしろ産まされたのではないのかと今では思っている。命を作ってくれたところには感謝しているが、それだけだ。顔も見たくない。
「…分かったようなふりは、やめてください。あんな形だけの箱に俺は何の未練もない。それにあの人は、俺のことを一生恨んでいくでしょうから」
 父親を殺した子供を。自分の拠り所を奪ってしまった少年を――――――――許すとは思えない。
 くだらないことばかりを考えてしまう。もしも、とそんなことばかり考える。こうやって、子供扱いをされるとなおさら。
 父親を殺さずに済んだ場合、父親と母親がもしも自分を、自分自身を見てくれていたのならば、という場合。あり得もしない、そんなことばかり。過ぎ去ったことに過度な装飾をして、現実を歪めて過去を美化するのはくだらないことである。
「俺の父親も母親も、彼ら以外にはありえません。たとえ、それがどんな人間であっても。でも、俺はそれ以上に大切なものを知っているし、あの人たちが作った箱の中で、そんなくだらないものよりも大事なものを知った。だから、俺にはそれらはもう必要ない。俺に必要なのは、仲間と力と、それから――――――揺るがない覚悟だ」
 留守をしている哲にと修矢は一つプリンを手にとって籠に放り込む。中身が崩れていようが知ったことか。
 可哀想な人ですね、と続けられた藤堂の言葉に修矢はぴたと動きを止める。振り返れば、そこでは同じようにプリンの棚を眺めている藤堂が立っている。目線は珍しくこちらを向いていない。
「何よりも大切なものを、自分から手放した人たち。気付けなかった人たち。全く、世の中は不条理です」
 横から見たその瞳に、背筋に冷たいものが走り抜けた。そこには何もない、深く暗い、触れればあっという間に飲み込まれそうな暗闇が広がっている。自分が触れればあっという間に足を取られておぼれてしまう様な深いものが、延々と続いている。
「欲しい人には与えられず、欲しがらない人には悪戯に与えられるなんて、ね」
 指先が修矢が先程選んだものとは別のプリンを取って籠に入れる。
 伝った冷や汗に気付かれているのかどうなのか、分からなかったが、藤堂はいつものように修矢の頭をくしゃりと撫でた。そして最後にミント味のガムを大量に籠に詰め込まれて、そしてその籠はレジへと持っていかれた。

 

 むぅ、としかめっ面をしたレヴィの手元には水を張ったボールとタオルが置かれている。そしてその前にはベッドの上で青白い顔をして横たわっている女が一人。
「すみません…セオ、晩御飯は」
「案ずるな。セオ様のお世話は問題ない。貴様は自分の体を良くすることだけ考えておけ」
 大丈夫だと思ったんですけどね、と東眞は苦笑して天井を見上げる。結局あの後熱が出てしまって、こうやって寝込む結果となった。けほ、と息を吐いて口元を小さくゆがめる。全く弱くなってしまったものだと自分に呆れが来る。
「Sirioにも餌はやっておいた」
「何から何まで有難う御座います」
「ボスの留守を任された身だからな」
 レヴィの手が固くタオルを絞って、それを東眞の額の上に乗せる。体温計は39度とあまり好ましくない結果だ。
 医師を呼ぶにも、今時間帯は病院はしまっている。それに、医療班は本来こう言った風邪などは取り扱っていない。彼らが請け負うのは主に負傷した兵士の治療やウイルス性の毒などである。勿論風邪も治療できるだろうが。
 ちらりとレヴィは東眞へと視線を向ける。大丈夫だからと云い張られてしまっては、治療班を呼ぶこともできなかった。
 うつらとしながら、東眞は天井が揺らめくのを眺めつつ、本当はと呟く。レヴィは東眞の声を拾って、そちらへと視線を向けた。天井に向けられたままの目線は合うことがない。
「さみしい、ですね。こんな時、一番側にいて欲しい」
「……ボスは、任務だ」
「ええ、知ってます」
 知っています、と東眞はひんやりとした額の濡れタオルの上に手を乗せた。指先が水分を吸い取る。本人を前にしていると言えないことも、絶対にいないと分かっていると口からこぼれる。ああ熱のせいだ、と東眞は苦笑する。
「まだまだ、ですねぇ。貴方に認めて欲しいのに」
 目をずらして東眞はレヴィを見やると、クスと笑う。レヴィは見上げてきた女の目を見下ろして、ふんと鼻を鳴らす。
「認めて欲しいなら、ボスを心配させるな」
「…そうですね」
「大体貴様という女は弁は立つくせに、風邪になった途端に弱気になったりするな!貴様は、
 む、とレヴィはそこまで言って、病人の前ということを思い出したのかふと口をつぐんで、むすーっと腕を組んだ。
 何か食べられるか、と本人は聞いたが、レヴィが料理ができるとは聞いていない。セオの料理は自分が作れる時に作って置いたものだし、スィーリオは何しろドックフードなので、皿に盛るだけである。病人食は期待できまいというのと、食欲もなかったので東眞は首を横に振った。
 レヴィの何気ない気遣いが有り難く、どこか東眞はほっとしながら細く長く息を吐いた。貴様は、の言葉の後にはきっと何か良い意味の言葉が続くのだろう。
「レヴィさん」
「な、何だ!」
「XANXUSさん、今日はいつ頃帰ってくるんでしょうか」
 そんな言葉にレヴィはぎょっと目を向いて、眦を吊り上げる。何を考えている!と怒鳴られて、東眞は反対に驚く。レヴィはびしっとベッドに横たわっている東眞に指をつきつけて、言葉を続けた。
「ボスがお帰りになられるまでよもや起きているつもりではあるまいな!ふざけるな!貴様は寝ろ!寝て早く熱を下げろ!セオ様にまで心配をかけさせるつもりか!母親がおらず今も寂しい思いをされておられるというのに…っ!」
「あ、す、すみませ…」
「貴様は母親としての自覚が足らん!分かったか!」
 全くの正論で、きっとスクアーロもルッスーリアも同じようなことを言ったであろう。
 東眞はああそうだと熱のせいでうまく回っていない頭を枕に押し付けて体の力を抜いた。
「いいか、母親たるものだな…」
 つらつらと続く、本で勉強したのかどうなのか、立派な母親像を子守歌代わりに東眞は目をつむった。ゆっくりと沈んでいく意識の中で、少し慌てた様子で聞いているのか!という声と、それから少し安堵したような溜息に少し口元が笑う。
 「彼ら」はどこまでも、残酷で冷酷で、そしてかつ温かく優しい。仲間には生を、敵には死を。
 待っていよう、とゆるゆると沈む意識の中でそう思う。一番大切な人と、それから自分にとって大切な人たちを。万人に訪れる物が、彼らを蝕むその時まで。自分がそれに飲み込まれぬように、その場に立って。ただ一言、お帰りなさい、と言うのが、できることだから。
 あの人にとって、ただ「帰れる」場所であり続けたい。虚勢もなく誇張もなく。それが、いい。
 それにはまず熱を下げなくてはと、柔らかな布団に体を預けて東眞は眠った。

 

 ぷつ、と電話が鳴って、スクアーロはそれを取る。誰だと思いつつ耳に当てれば、自分を卑下する言葉が吐きだされる。
『おい、カス』
「…出会い頭に御挨拶じゃねぇかぁ…」
 ひくりと頬を引きつらせて、スクアーロはどんと隣の壁を叩いた。ぱらりと破片が飛んで、シャルカーンがおや、と笑う。こんな電話の反応をするのは知る限り一人しかいない。
『てめぇの隣にいるカスも一時帰国だ』
「あ゛ぁ゛?こいつもかぁ!?まさか一緒に帰れっつーんじゃ…っ」
『文句あんのか?あぁ?カスの分際で』
 かっ消されてぇのか、と凄んだ声にスクアーロはわな、と震えて、シャルカーンに電話を押し付けた。それにシャルカーンはハイハイ、と楽しげに電話を取る。何が楽しいのか、とスクアーロはぎりぎりと歯ぎしりをしながら唸る。隣ではハイハイ、と同じ言葉しか繰り返さない糸目の男がプッツンと突然電話を切った。ぎょっとしてスクアーロは目を見開く。
 そんなスクアーロにシャルカーンは大丈夫デスヨ、と言ってからスクアーロの掌に携帯電話を返す。
「ソウイウワケデ、ワタシも一緒に帰るコトになりマシタ。旅費はスクアーロが出してくれるってハナシですので、ヨロシクオネガイシマス」
「…は、ぁあ!?う゛お゛おぉお゛い!!何でそんな話になってんだぁ!」
 ふざけんじゃねぇぞぉ、とスクアーロはがながったが、そんなことをしても意味はない。しかしとそこで冷静になって、こほんと咳をして落ち着く。
「…っち、てめぇ後で三倍にして返せよ」
「イヤデス」
 即答に剣を振りあげかけたが、大人の対応で(米神に青筋を浮かべているものの)スクアーロは耐えた。耐えに、耐えた。そして、何故シャルカーンまでが呼び戻されたのかの事を理由を考える。
 だが、そんなスクアーロの思考はシャルカーンのぱちぱちと手を叩く音でこれでもかというほどに妨害される。この男は、とスクアーロはいい加減に堪忍袋の緒が切れそうになったが、シャルカーンの言葉がそれを遮った。
「東眞サンの体調悪いミタイデス」
「…元気だったぜぇ?」
 イタリアを出る前に見た姿は、普通であった。椅子に座って外に出て、紅茶を飲んで。あれのどこが不調だと言うのか。スクアーロの疑問に気付いたのか、シャルカーンはすたすたと歩きながら、その問いに答える。
「薬みたいなモノデスカラネ」
「何がだぁ?」
「耐性ができるってコトデスヨ。ワタシの治療も同じデス。マァ、気をつけてはいマスケド。ソレニ、彼女の場合、日常の疲労が蓄積されると体調がスグに悪くなりマスカラ。仕方ないでショウ」
 デモ頑張ってマスヨ?とシャルカーンの言葉にスクアーロは何を、とさらに問う。無理をしてはいけないことは理解できたが、その本意がよくわからない。
 そんなスクアーロにシャルカーンは丁寧に答えた。
「Capacityって分かりマスカ?」
「ふざけるんじゃねぇ。てめぇ…俺を誰だと思ってやがんだぁ。英語程度マスターしてるに決まってんだろぉ!」
 Capacity=容量、その程度のことスクアーロには容易に分かる。何しろヴァリアーに入隊する資格のうちには八カ国語マスターが必須なのだから。世界共通語で必ず必要、と思われる英語をマスターしていない者はいないと言っても過言ではない。日本語は、まぁゆかりがあるためか喋れる人間が多い。
 スクアーロの内心をよそに、シャルカーンはその長い袖に隠れた手を珍しく外に出した。親指と人差し指が、左右全く逆の長さを示すように開かれた。左手は広く、右手は狭く。シャルカーンは左手を軽く振る。
「コチラが、ワタシたちだとしマスト、東眞サンはコッチなんデス。ツマリ、たったこれだけの容量シカ、彼女はナインデスヨ。同じ量だけ水を入れれば、先に溢れるのは勿論コチラデスヨネ?結構、シンドイ思イ、してると思いますヨ、彼女」
 モチロン、とシャルカーンは手を袖の中に戻して、口元を小さく歪めた。
「選んだのは、彼女デスケド」
 尤もである。スクアーロはふいと視線をそらした。
 こうなるのが分かっていて、彼女はこの道を選んだ。それで後悔していないと笑っている。ならばこちら側は、それをサポートしてやるのが仕事だ。
 じろ、と銀色の目で睨まれて、シャルカーンはオオ怖イ、と袖を震わせる。
「三文芝居やってねぇで、とっとと帰るぞぉ。それがてめぇの仕事だろおがぁ」
 びしゃりと血を踏んだスクアーロにシャルカーンは、ソウデスネとスクアーロが踏んだ血だまりの上を軽く飛び越えた。銀色の髪は、今日も血で汚れていた。