32:情操教育 - 3/7

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 頭が痛い、と修矢は米神を強く抑えた。そうすると、周囲に子供が大丈夫?とわらわらたかってくる。
 正直はなし子供はそんなに好きな方ではない。嫌いではないが、好きではない。どちらかと言えば、嫌いの方に傾いている。見ていて腹が立つのだ。庇護されるだけの存在が。何一つとして自分で行動せずに(子供にそれを迫るのは酷か)周囲の人間に頼り切る。周りの人間がいなければ、すぐに死んでしまう弱いだけのただの形を見ていると苛々としてくる。
 まるで、
「平気だから、心配するな」
 昔の自分を見ているようで。
 修矢は自分に触れようとした子供の手から逃れるようにして体を持ち上げた。その仕草に子供たちはひどく不安そうな顔をした。それに修矢は気付いて、ゆるりと口元だけで笑みを作る。あまりに突き放した言い方。問題は自分にあるのにただの八つ当たりだったと反省して、気にするなともう一度繰り返した。
 そこに、空気を遮るようにしてぱんぱんと大きな掌の音が二度鳴り響く。子供たちの目がまるで吸い寄せられるようにして音の発生源、藤堂へと向いた。その顔にはいつの間にやら優しげな翁の面がつけられている。子供たちは笑いながら、また藤堂の方へと集まった。
「おじさん!そのおめんなーに?」
「ねぇ、あたしにもかして!」
 子供と戯れているその姿からは、普段のあの姿は一向に想像ができない。修矢はふと、先日の光景を思い出す。
 夜半遅くに人が出ていく気配がしたので、その気配を追って通り、人通りがない場所へと誘われるようにして気配を殺してついていく。ひらひらと面の赤い紐だけが、黒く沈んだ夜にくっきりと不気味な様相で浮かんでいた。気付かれているのかいないのか、分からない。だが咎められていないのは、ついてきても構わないのだろうと修矢は地面を蹴りつつ藤堂のその後を追った。
 しかし一瞬、その足が止まる。冷たい空気の香りに血生臭い臭いが飛び跳ねた。視界から瞬間的に消えた赤い紐を目が捉えるときには、既にそこに一つの死体が出来上がっていた。少し離れたところには首が転がっている。本体の方はまだびくびくと跳ねて、頭部の切り口から真赤な血をどくどくと落としていた。その血は排水溝へと流れて消える。
 人を殺すのも、死人を見るのも、慣れたものだと思ってはいたのだが、何故かその光景はひどく不気味なものに思えた。そこには、人がいると言うのに何もないのだ。感情を殺している、という次元の問題ではなく、もっとこう単純な、理由のない殺しである。
 自分やあの顔に傷のある男たちの殺しとは全く別物の殺害。言うならば、そう、あのハウプトマン兄弟のそれと近い。イタリアに行った時に遭遇したあの時の二人の感情と気配と、それからそのもの。それと酷似していた。
 誰かを殺すのに殺す側の意思はなく、彼らは「死」の橋渡し人にすぎない。誰かの殺意を、もう一人の誰かへと届ける。
 ゆるりと動いた面がこちらをとらえる前に、その場から逃げ去った。去った、のではなくその前に逃げるという動詞をつけるのが最も適していた。足が竦む前に逃げ出してしまわなければと本能が咄嗟に叫んでいた。きっと見つかったところで、その時はいつもの笑顔で、どうしましたかと問うのだろうが。
 この男は、やはりどこか歪なのだと、自分が正常であると思ったことはないが、それでもこの藤堂雅という男ほど歪ではないと思っている。
「修矢」
「な、んですか」
 そんなことを考えている途中に声を掛けられて、修矢ははっと顔を上げる。そして、その先にあった翁の面にぞっとした。しかしその面は節くれだった指先でついと上に持ち上げられる。その先には、笑顔があった。
「鬼です」
「…は?」
「おにいちゃん、おに!おーに!」
「は?おい、ちょ…っ!」
 わらっと蜘蛛の子を散らすように逃げだした子供は軽く数えても十人はいた。修矢は唖然としながら、藤堂へと目線をやる。藤堂は一際小さな子供を肩車した状態で朗らかに修矢に微笑んだ。
「缶けりですよ。遊び方は…知ってますか?」
「それくらいは」
「修矢が鬼です。では、私たちは隠れますので」
 頑張ってくださいね、と藤堂はすっと腕を持ち上げて、容赦なく修矢の首筋を打ちつけた。う、と痛みが走って修矢は膝から崩れ落ちる。ぐらぐらと揺れる視界で見えるその背中、子供を負った背中を睨みつけながら修矢は地面に倒れた。
 暫くして、目が覚めたときには目の前にぽつんとジュースの缶が立っている。円の中に。
 このまま帰ることもできるが、何故だかこう、ひしひしと期待に満ちた視線が背中に突き刺さってくるようで修矢はしぶしぶと立ち上がった。何でこんな子供じみた遊びをしなくてはならないんだとぼやきながら修矢は、自分の気配を殺して周囲の気配を探る。だがなかなか見つからない。かさりと木の葉のそよぐ音に敏感に反応してとしても、それはただ風のいたずらにすぎない。
 自分に向けられない気配を探ることほど難しいものはない。くそ、と一つ吐きだして修矢は結局足で探す方法をとる。らしい、感じはしているのでそちらに向かえば、あっさりと二人一緒に隠れているところを見つけた。
「見つけたぞ。ほら、出てこ、
 い、と言いかけた瞬間、自分の後ろの方で、かこーんと素晴らしく響く高い音が弾けた。
 目の前の子供はにっと笑って、そして修矢の前から走り去ってまた物陰に隠れる。それを追いかけようとしたが、ふと缶けりのルールを思い出して渋々蹴られた缶を拾いに戻った。子供の脚力とはいえ、それなりに転がった缶を足だけで戻すのは非常に面倒ではあるが、それがルールな以上仕方がない。
 修矢はこつかつと缶を小さく蹴りながら、両足を使ってどうにかサークルの中で缶を立たせた。
 そしてこのゲームのなかなか難しいところを知る。つまり、誰かを探そうとして円から離れれば、他の誰かが容赦なく缶を蹴りに来る、ということだ。子供ながらに恐ろしい遊びを考えつくものだと修矢は思いつつ、今度は缶の周囲に意識を残しながら周囲を探していく。ざ、と缶を蹴りに来た子供よりも早く缶の場所に戻って、缶を踏みつけて、見つけた宣言をする。
 そうこうしていると、五人六人と缶の周囲で見つかった子供が増えていく。だが、これはなかなかしんどい。探すことと、蹴らせないことに気を払わなくてはならず、さらに缶を蹴られそうになったら、即座に戻って缶を蹴られぬようにしなければならないのだ。もしこの状況で、缶を蹴られたりなどしたら今までの苦労が完全に水の泡である。ぞっとしながら、修矢は周囲を探していく。
 少しずつ子供たちが見つかり、残すは藤堂とあの肩車をされた子供の二人になった。
 流石に藤堂の気配は全く見つからない。だが、子供と一緒にいるならば話は別である。それに、先程から一か所でくすくすと笑う声が草むらから響いてきている。だがその場所は、少しばかり缶から離れていた。しかしながら、もう誰も缶を蹴る恐れのある人間はいない。勝った!と修矢はそちらに向かって駆けた。そして、草むらを覗き込む。
「見つけ――――――――、た…」
 そこで口元が引きつる。そこにいたのは、肩車をされていた子供が一人。
 するとそのすぐそばの遊具の陰から一つの影が、笑っていた。面を結ぶ赤い紐がゆら、と風に乗せられた。缶の周りに集まっている子供がわぁ!と歓声を上げる。
「まさおじさん!がんばって!!」
「おじさーん!」
 くそ、と修矢は少し小さくなった背中をすぐに180度回転して追いかけた。赤い紐が笑うようにひらひらと目の前で揺れている。ふ、と藤堂の足が持ち上がって缶を蹴りつけるかのように振られた。
「さ、せるか―――――――――――!!」
 自分の今までの苦労を、と修矢はそのまま見事なヘッドスライディングを決めて、缶と藤堂の足の間に体を滑り込ませた。藤堂の足が修矢の腹部を蹴りあげると思いきや、その寸前でぴたりと足が止められる。
「おや、やられました」
 砂埃でげほげほとせき込みながら、修矢はぐったりと仰向けに倒れた。指先に缶があたって、かこんと倒れる。疲れた、と見上げたその空は、びっくりするほどに青かった。
「にーちゃん、すげーな!いまのかっこよかった!な!」
「うん!かっけー!こーだろ、こー!」
 ずざーと隣では男の子たちが自分の真似をして砂埃を上げながらスライディングの練習をしている。まさおじちゃんおしかった!と慰めている声もあれば、少し怒っている声もある。
 そんな声を聞きながら、修矢はふ、と笑ってしまった。口元が笑う。
「さ、お土産も持ってきてますから、皆さんはうがいをして、手を洗って。後それからお皿とお茶の用意もお願いします」
 藤堂の言葉に子供たちははーい!と元気よく返事をして、わらりとそろって手洗いうがいに走った。
 子供たちの気配が去って、二人になったあまりにも静かなグラウンドで、修矢は上からのぞいてくる翁の面を見上げる。その面がするりと解かれて、普通の、藤堂そのものの顔が修矢の視界に入った。その顔は、穏やかなもので、微笑んでいる。
「修矢」
「…なんですか」
「楽しかったでしょう?」
 別に、とその問いかけに修矢はそう答えた。正直に答えられるほど、自分はもう子供ではない。しかし、藤堂はもう一度繰り返した。楽しかったでしょう?と。
 仰向けに倒れている修矢の隣に藤堂はゆっくりと腰を下ろす。
「あなたはもっと笑っていいんですよ。子供みたいにはしゃいで、楽しんで」
「馬鹿言わないでください。俺は、もうそんな子供の俺ではいられない――――――――し、誰も、望まない」
 そうだ、と修矢は倒れていた上半身を起こしてその土を掌ではたき落す。
 我を忘れてついつい遊んでしまったが、こんな子供の遊びにかまかけている暇などないのだ。本当は。
「何を言ってるんですか、修矢」
 だが、頭の上に乗せられたその声と、掌に修矢はぎょっとした。穏やかな声が身を震わせる。
「まだ、子供なんですよ――――――――あなたは。だから、もっと大人を頼りなさい」
「子供じゃないって、何度言ったら」
「私の半分も生きていないというのに」
「生きてきた年月の長さで大人と子供が決まるわけじゃないでしょう。俺は、少なくとももう子供じゃいられない。子供のままでいたら、自分にとって一番大事なもの失う。それだけは、したくない」
 修矢は藤堂の手を払って強く睨みつけたが、藤堂は一向に気にしていない様子でにこりと微笑むままだった。
「メリハリがつけられないのは、子供と一緒ですよ。修矢。子供のように遊ぶ時は、子供になりなさい。偶にはガス抜きをして、子供になってしまいなさい。誰もあなたを責めはしたりしませんよ」
「誰が責めなくても、俺が、責める。そうやってしてる間に、
「だから、そんな時は周りの大人が助けるんです」
 修矢、と藤堂は向けられた強い瞳の頭をぐっしゃりと撫でた。穏やかな目をして、藤堂は修矢の顔に、先程まで自分がかぶっていた翁の面をかぽりとつけた。
「たまには、子供になってしまいなさい」
 耳に浸透する言葉に、声に、修矢は面の奥で唇を噛みしめた。
 悔しいのか嬉しいのか、もうごちゃ混ぜになってしまって良く分からなくなってしまった。それでも穏やかに紡がれた藤堂の言葉に、修矢はお面を自分の顔に押し付けた。泣いているのかどうかは、誰にもわからなかったが。

 

 細い糸目にひらひらとたゆたうその服装を前に、銀色の髪の男は非常に嫌そうな顔をした。片手に携えている刃が地面にかすれている。
「さ、行きまショウカ」
「う゛お゛お゛ぉ゛おい!!ちょっと待てぇ!!」
 何事もないように笑顔でくるりと踵を返したシャルカーンの背中にスクアーロは怒鳴り声をぶつける。それにシャルカーンはうるさいデスネ、とひょっこり袖を持ち上げた。
「何でこんな任務に俺までつきあわされなきゃ何ねぇんだぁ!テメェ一人でもできるだろぉ!」
「イヤデスヨ。ワタシ肉体労働好きじゃアリマセン」
「好き嫌いの問題かぁ!」
 モウ、と困ったように小首を傾げたシャルカーンへスクアーロは当然の文句をぶちまけた。勿論それでシャルカーンが頷くかと言えば答えは言うまでもなくNOであるが。戦闘服ではなく、普段の目障りなぶかぶかの服を着ている時点で自分から動く気は全くないのは目に見えているのだが、言わずにはいられない。
 スクアーロはふざけるんじゃねぇ!と怒鳴りつけて、隣の壁へと拳をぶつけた。そんなスクアーロにシャルカーンはいたって冷静に痛くないんデスカ?と問うた。無論、痛くないはずはない。痛い。
「デスカラ。スクアーロがワタシの進行方向にいる敵をばっさばっさと斬ってデスネ、デ、ワタシがその後を優雅に進ムというコトデス。何も問題はアリマセンネ。ナイデスネ。サ、分かったらとっとと動いてくだサイ。鮫は動かないと窒息死しちゃいマスヨネ。そういえば、スクアーロの匣兵器も鮫でしタッケ…?マッタク、どこまで好きなんデスカ。ニホンのえーとナンデシタカ、アレ」
「…なんだぁ」
 腹を立てながらも、スクアーロはかろうじてシャルカーンの言葉を聞いてやる。自分ほど堪忍袋の緒が太い人間もいないだろう、とスクアーロはしみじみとそう思った。
「ソウ!ウメゴ、デスヨ」
「あ゛ぁ゛?ウメゴだぁ?」
 なんだそりゃ、とスクアーロは聞いたこともないような名前に眉をひそめる。シャルカーンはそれにエエ、と頷いた。そして、ニコニコと笑いながら(もとから笑ってはいるのだが)ひょこっと袖を持ち上げて、スクアーロの質問に答えた。
「鮫の煮こごりデス」
「……あ゛?」
「ですから、鮫の、煮こごりデス」
 今度お土産にシマショウカと笑ったシャルカーンにスクアーロは何度目になるか分からない、ふざけるな、を飛ばした。無論シャルカーンはただからかっただけなので、冗談が通じないと肩をすくめただけに終わったが。
 ああ疲れるとスクアーロはどっとしんどさを覚えながら、ごつりとブーツを鳴らして、そこでふと足を止める。
「そういや、てめぇも匣兵器持ってたよなぁ。使わねぇのかぁ?」
「スクアーロだって使ってないじゃないデスカ」
「こんな雑魚共に使う必要なんてねぇ。大体一匹二匹見逃して後ろに回ってもしらねぇからなぁ。てめぇの身はてめぇで守れ」
「分かってマスヨ。ホラ、働いてクダサイ。馬車馬のヨウニ」
「…てめぇ、後でおろす」
 どすの聞いた声を響かせながら、いらだち紛れにスクアーロはどんと目の前の扉を蹴り破る。案の定扉の向こうの人間は、扉がけ破られたことに驚いていたが、すぐさま手元の銃器をこちらに向けて、発砲してきた。
 下手糞共が、と思いながら、スクアーロはずるりと体を空気の中で泳がせた。銀色の髪がまるで水のように動く。銃弾が体のわきをすり抜けて行く中で、相手の懐に飛び込むと、刃で目の前の体を食いちぎる。ぱっと鮮血が飛び散った。倒れかかった体をわきに蹴り飛ばすや否や、刃は次の獲物へとその牙を食いこませている。
「これで―――――終わりだぜぇ」
 ぴっと刃についた赤い液体を払うとスクアーロはその真赤な床の上に立っていた。シャルカーンは口元を袖で押さえて、気持ち悪イ、と小さく呻く。
「…てめぇ、本当に暗殺部隊の人間かぁ?血なんざ見なれたもんだろぉがぁ」
「スクアーロと一緒にしないで下サイヨ。何が嬉しくて人の死体踏み付けて歩かなくチャいけないんデスカ」
「だったら、はじめっから俺に頼むんじゃねぇ!」
「スクアーロをよこしたのはボスですカラ」
 ヤレヤレとシャルカーンは血だまりをできるだけ踏まないようにして床を歩き、その先にある扉へを向かう。対してスクアーロはびしゃびちゃと血をブーツではねさせながらその中を歩いていく。それにシャルカーンは血が飛ブノで止めて下サイと訴えたが、今までの仕返しとばかりにスクアーロは血をはねさせた。
 扉の前についたが、案の定見事に鍵がかかっている。壊すか、とスクアーロは尋ねたが、シャルカーンはイイエと答えた。
 そしてどこにしまっていたのか、自身の匣兵器を取り出して、指輪の炎を注入する。かぽ、と吐き出すようにしてそこから一匹の黒猫が出現した。
「ネコサン、頼みまシタヨ」
 そのシャルカーンの声に、猫の姿をした匣兵器はなぁとなくや否や、ずるりとその姿を影にした。そして、扉と床の隙間から忍び込む。ひ、と内側で悲鳴がしたが、そのあとすぐに扉の鍵が開かれて内側の様相を明らかにする。
 少し小太りの男が黒い影に縛られて椅子の上で喉を引きつらせていた。足元に転がっているトランクにはユーロ札がばらけたようにして詰め込まれている途中である。
 男に巻きついている黒い影は猫の尻尾のように見えるのだが、猫の尻尾にしては立体感がないし、まず長すぎである。
 幻覚か、とスクアーロはシャルカーンの性質が霧であったことを思い出したが、どうにも幻覚には、不思議と見えない。だがそれはこの場で論議することではなし、スクアーロはシャルカーンとこぶとな男へと視線を向けた。
 口にまで巻きついた黒にシャルカーンはネコサン、と一つ名前を呼んでその部分だけをはずさせる。そしてシャルカーンはぱん、ぱん、と手を数回鳴らして最後に自身の耳飾りを揺らした。男の目が、それだけで虚ろになる。一体どんな芸当でそうさせたのかはスクアーロには理解できない。薄明かりの灯された部屋で笑った顔の男が言葉を紡ぐ。
 二人の会話を少し離れたところで聞きながら、ふとその耳に聞いた事のある名前が飛び込んできた。
「コモファミリー」
 どこだったかと思い出していると、う、と小さな呻き声がこぼされて、するりと男に張り付いていた黒い尻尾の影が消えた。そして男の首はがっくりと普通に考えれば無理な方向へと傾いてしまっている。力なく開かれた口からはだろ、と涎が一筋落ち、光のない瞳はどうにも不気味である。血まみれの惨状と五十歩百歩な光景にスクアーロは少なくとも見えた。
 シャルカーンはくるりと一回転して、現れていた匣兵器をネコサン、と呼んで箱の中へと戻す。黒い小さな猫は呼ばれてはこの中へと大人しく消えてしまった。
「ネーミングセンスねぇなぁ」
「アーロよりかはましだと思いますケド」
「てめぇのなんてまんまじゃねぇかぁ!」
「アーロだってまんまデショ?ネコは日本語デスカラ。それにネコサンって響きが可愛いじゃないデスカ。そんな…アーロなんテ…ちょっと残念な響きだと思いまセンカ?」
「人の名前を侮辱すんじゃねぇ!」
 怒鳴ったスクアーロだったが、ああと話を元に戻してシャルカーンに尋ねる。
「そういや、コモファミリーってのは」
「最近それ関連の任務多いデスヨ。そっちはどうか知りませんケド、こっちは多いデスネ」
 不穏な動きもあるみたいデスし、とシャルカーンは匣兵器をまたどこかへと戻した。そして、話をさらに一転させる。
「そう言エバ、東眞サンは元気にしてマスカ?」
「ん、あぁ、平気だぜぇ。この間俺とレヴィの野郎で飼ってきた犬の世話もしてるしなぁ」
 Jrの情操教育にいいと思ってだなぁ、と伸びたスクアーロの鼻をシャルカーンはソウデスカの一言でばっきりと折った。そして続けざまに、スクアーロも一緒に情操教育受けたほうがいいかもしれまセンネ、と笑う。
「デモ、気をつけてはクダサイネ」
「?何をだぁ。最近はもう随分元気だぜぇ。まぁ、調子悪そうな時もあるがなぁ」
 うん、と二人は血だらけの通路を歩きながら、全く関係のない会話をつづけていく。
 シャルカーンのブーツが血だまりを一つ踏んだ。
「気をつけないと、死んじゃいマスヨ」
 血だまりの中での、その冷え切った声にスクアーロは僅かに動きを止めて、銀色の隙間からまっすぐに前を向いている褐色の男を見た。相変わらず、表情に一切の変化はない。しかし、この男は医学に関して嘘をつくことだけはしない。
「―――――――な、」
 にを、と言いかけたスクアーロの隣でシャルカーンはマァ、と続ける。歩きだしたその自分よりも小さな背中、ふわふわとした服だけが妙に浮いて感じる。
「気をつけていレバ、大丈夫デスケドネ」
 帰りまショウ、と振り返ったシャルカーンの顔はいつも通りの笑顔で、スクアーロはそれにぞっとしながら一歩踏み出した。そしてその時に聞いていたファミリーの名前は、意識の奥底へと沈められた。