29:こっちを向いて、バンビーノ! - 6/6

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 広がる砂場で遊ぶ子供が二人。金色の髪と、真黒な髪。
 真ん中に砂の城を作って、それを端から小さな子供の方が小さな手のひらであっという間に崩していく。それに金色の髪の子供はけらけら笑って、同じように端から崩していく。
 いつの間にかその間には大きな男が一人、黒い髪をツンツンととがらせて二人の子供の遊びを眺めていた。仁王立ちで。さらにその砂山に隠れて見えなかったが、さらに小さなフードをかぶった子供もそこに座っていた。
 部屋にいる二人以外は全員そろっている状況に東眞は笑いながら、ベル、とカップケーキの作り主の名前を呼んだ。風に乗って届いた声に、ベルフェゴールはくるりと首を回してひらりと手を振ると、すっくと立ち上がり、東眞の方へと砂を蹴って駆け寄る。
 そして、東眞が持っている籠の中身を覗き込むと、一つ食べようと手を伸ばす。だが、その籠はひょいと持ち上げられてベルフェゴールの手から遠ざけられる。不満げな顔を見せたベルフェゴールに東眞は小さく笑って、すいと側にあった水道を指差す。
「手を洗ってからです、ベル」
「ちぇー」
 先食べんなよ、とベルフェゴールはしっかりと釘をさしてセオとマーモンを連れて手を洗いに行く。レヴィは砂には触らずに立っていただけだったので、特に手を洗う必要もなく、ルッスーリアの指示で白いテーブルを端から持ってくる。ルッスーリアはその上に持ってきていた白いテーブルクロスを広げ、そしてジュースのカップを並べる。
「貸せ」
 レヴィは東眞の手から籠をさっと取り上げる。取り上げる、というよりも体を慮っての行動に近い。それに東眞は有難う御座います、と礼を言ったが、レヴィは一度視線をずらして、ふんと鼻を鳴らした。そんなレヴィの行動を横目でとらえたルッスーリアは、こっそりと東眞に照れてるのよと耳打ちする。レヴィはしとらん!と怒鳴ったが今一説得力がない。
 ちゃっちゃとお茶の準備ができて、真ん中にベルフェゴールが焼いたカップケーキが置かれた頃に三人が戻ってくる。
「へぇ、カップケーキかい。でも君にしちゃ珍しく簡単なお菓子だね」
「今日はベルが作ったんです」
「文句言うなら食べんなよ」
「ム、誰も食べないとは言ってないよ」
 食べるさ、とマーモンは一つカップケーキに手を伸ばして、周りの紙をぺりぺりと剥ぐと、そのまま食べるのは流石に大きすぎるのか、一口サイズにちぎって食べる。美味しいとは言わなかったが、もう一口二口と食べているのは美味しい証拠である。作った張本人もドライフルーツのカップケーキを取り、二つに割ると口に放り込む。そしてやっぱ王子は天才、と自分を褒めたたえる。ルッスーリアや東眞、レヴィもそれぞれ好みのものを取って口に運び、食べる。
「あら、美味しいじゃないの」
「王子が作ったんだし、トーゼン。な、東眞、これJrに食わせてもいい?」
「すみません、それはちょっと…」
「ふーん」
 つまらなさそうにそう言って、ベルフェゴールは一口大にちぎったケーキを自身の口に投げ込む。
 セオはと言えば、東眞の膝の上でルッスーリアが持ってきたリンゴジュースをちうちうと飲んでいた。
「こっちは何だ」
「えぇと、それはナッツですね。その隣がチョコチップです」
 カップケーキの中に何が入っているのか聞き終えて、レヴィはナッツに手を伸ばしたが、その手がふと止まり目線がはっと斜め上を向く。レヴィ以外の人間、ベルフェゴール、マーモン、ルッスーリアもそちらに向いていた。東眞も一拍遅れてそちらを向く。
 そして東眞の目線が追いつくと同時に、全員の目線がいっていた方向の窓ガラスが盛大に割れた。激しい音とともに、ガラスの破片がきらきらと太陽の光を浴びながら下へと落ちてくる。
 東眞たちがティータイムをしている所よりも少しばかり離れたところなので、こちらに被害はない。
 しかしながら、ガラスと一緒に落ちてくる人間、流れるような銀髪に全員はああ、とその状況を悟った。それが襲撃ではないということも。銀髪の剣士、もといスクアーロはそのまま無様に落ちることもなく、くるりと宙で器用に回転して、すたりと地面に降り立つ。その直後ばらばらとガラスの破片が地面に飛び散った。幸いスクアーロはその一瞬前に隊服の上を脱いでガラスの脅威を防いでいたが。
 そして、スクアーロは割られたガラスの方へ向かって吠える。
「う゛お゛お゛お゛お゛おぉ゛お゛い!!!てめぇ、このクソボス!何しやがる!!」
 いつもの光景に東眞を含めた全員は諦めたようにカップケーキとジュースへと戻った。そして他愛ない会話がまた再開される。
 ルッスーリアはその指先にグラスを摘まんで、くいとジュースを飲む。
「あの二人も懲りないわよねぇ。ガラス代どれくらいかしら…九代目がまた泣くわね」
 ふぅと小指を立てて溜息をついたルッスーリアにマーモンは全くだよ、と話を続ける。すとんと小さな腰が落ちつけられて、まだ食べ終わっていないカップケーキを食べ始めた。
「僕らにかかっているお金の大半があれのせいだからね」
「そんなになるんですか」
 庭がXANXUSの銃弾にえぐられながら、スクアーロはその攻撃を必死になって避ける。そんな光景も慣れたものと、テーブルを囲む話は続く。
「そうよ、壺とか絵画とか高価なものも多いのよね。でもボスったらしょっちゅうそれでスクアーロを殴ったりしてるから…」
「別荘が軽く三つ建つくらいの金額はあるぜ、ぜってー」
「…そんなに…まさか金はトイレで流す紙と同列に考えてらっしゃるんじゃ…」
「ボスに関していえばそうだと言うしかないね」
 僅かに青ざめた東眞にマーモンはしっかりとそれを肯定した。
 こちらにおける別荘は日本における別荘とは格が違う。それを「軽く」三つなどと、一体どれくらいの金額になるのか、想像もしたくない。
 しかしながら、そんな会話にレヴィはしっかりと釘をさす。
「ボスが悪いわけではない!スクアーロがボスのことを理解しておらんからだな…」
「でもボスの趣味ってスクアーロいびりじゃね?この間も新技の練習だとか言って拷問室連れてったしさ」
「…よく生きて帰ってこられましたね…」
「慣れよ、慣れ」
 そう言ったルッスーリアの椅子に逃げてきたスクアーロの背が当たる。それにルッスーリアはもう、と口先をとがらせた。
「ちょっと、スクアーロ。じゃれあいなら邪魔にならないようにやって頂戴!私たちは楽しいお茶会の真っ最中なんだから!」
「知るかぁ!う、ぉ!」
 足元に銃撃を喰らって、スクアーロは慌ててルッスーリアが据わっている椅子の背に手を乗せて、そこを点にくるりと跳ね上がるようにして、机の上にブーツをつけた。身長もある分体重も当然あるので、ガタンと激しく机が揺れた。慌ててレヴィはその机が倒れないように押さえる。
 白いテーブルクロスに土の足跡がつく。
「んま!行儀悪いことは止して!」
「俺に大人しく殺されろってのかぁ!無茶言うんじゃねぇ!!」
 ベルフェゴールも自分が作ったカップケーキの入った籠はスクアーロの足がつく前に死守していた。
 気をつけろよ、とスクアーロを睨みつけるが、スクアーロからしてみればそれどころではない。どん、と銃声がして、今度は机が撃ち抜かれる。スクアーロが立っていた場所は丁度机の中心、その真下には机の脚がある部分である。そこに銃弾が撃ち込まれれば当然バランスは崩れる。
「う、ぉ…っ、」
 咄嗟に避けたものの、スクアーロも体勢を崩す。しかし、スクアーロは銀の髪の隙間に倒れかかっている方向にいる存在に気付く。一人逃げ遅れている。誰だ、というのは言わずもがな。ベルフェゴールもレヴィ、ルッスーリアもマーモンも、全員が逃げられる状況で、逃げられない人間はただ一人。
 不味い、とスクアーロは頬を引きつらせた。しかしながら、ここまで体勢が崩れた状態から持ち直すには一旦地面に手をつけるなりなんなりしなくてはならない。
 眼鏡の奥の目が酷く驚いており、腕の中の小さな子供は守るようにしっかりと抱き抱え直された。勿論のこと、スクアーロも愚かではないし、暗殺部隊の一員であるからして無様に地面に顔をこすりつけるなどと言うことはない。だが、上から見れば倒れこんだ状態は一体どう見えるのか、というのは自明である。とはいえども、ひっくり返った机から跳ねたグラスやジュースが重力に任せて落ちてくる。自分が退けば、下にいる女にそれが当たる。
 ずざと手袋が地面をこする。何もなければ、このまま腕の力でもう一回転して前方に飛ぶことができる。しかし。ああ畜生、とスクアーロは結局そのまま地面をしっかりとつかんで、背中や頭にグラスやジュースを浴びた。
「…う゛ぉ゛お゛おい、無事かぁ…」
「だ、大丈夫です」
 りんごジュースのシャワーを浴びてスクアーロは銀色の髪からそれを地面に吸わせつつ、息を吐いた。上から見れば間違いなく押し倒しているように見えることだろう。あたら若い命をこんなところで散らすとは、とスクアーロはこっそりと涙ぐんだ。涙の味は、りんごジュースだった。
 しかし感傷に浸る間もなく、耳の横を僅かにかすめて銃弾が地面にめり込む。それは東眞の頭上よりも上に落ちていた。身長を即座に測って撃ってきたのであれば(測ったのだろうが)全く褒められることである。
 鬼のような気配が上から落ちてきているのは気のせいではない(だろう)どん、と上から人一人分が落ちてくる音がした。ボス、とレヴィの感極まった声がスクアーロの耳に届く。幻聴であればと願うばかりだが、そんなことはあり得ない。
 砕けたグラスが背中から落ちたのを合図にスクアーロは東眞の上から即座に退いて、逃亡を図る。しかしながら、不思議なことに銃弾の嵐はこない。スクアーロは不思議に思って足を止めると、ふと後ろを振り返った。
 見れば、XANXUSはいつの間にやらセオを東眞の手から引き取って、こけていた東眞に手を差し伸べていた。
 勿論この瞬間、スクアーロの心にその優しさの一欠けらでも自分に分けてくれればという考えが浮かんだのは言うまでもない。
「有難う御座います、XANXUSさん」
「…怪我はねえか」
「大丈夫です、スクアーロが庇ってくれましたから」
 ここでのさりげないフォローにスクアーロはぐっと拳を握る。
 そもそも窓ガラスを突き破る勢いでぶん投げられた原因といえば、ただうっかり父親が子供に呼ばれないと口上にしてしまっただけなのだから。実際に呼ばれていないのだし、事実を言っただけでここまでされるいわれ場断じてない。相変わらず理不尽の塊である。
「そうですね。折角全員居るんですし、仕切り直してお茶でも…」
 如何ですか、と言いかけた東眞だったが、肝心の机は先程XANXUSがはなった銃弾で壊れている。ルッスーリアは非難がましい目をスクアーロに向けて、もう、と小指を立てた。
「待てぇ!俺のせいかぁ!!どう考えてもボ
 スのせい、と言いかけてスクアーロはふと口を押さえる。東眞の隣で殺気だっている男が一人。
「――――――――あぁ?てめぇ、カスの分際で俺に責任押し付けるつもりか…?」
「…」
 ありえねぇ、とスクアーロは泣きたくなった。その時、ふとその殺気だった男の腕の中で小さな声が上がる。
「ぃーの、めっ!めっ!」
 ぺち、と小さな手がXANXUSの腕の中で、その自分を抱えている腕を叩いている。ひょっとして、とスクアーロはすたすたとそちらへ足を向ける。
 セオの口が今度はしっかりと言葉を発する。
「ばっびぃの、めっ!アーロ、め!」
 めーぇ、とセオは涙目になってXANXUSを叩く。ルッスーリアもそれを覗き込んで、あら可愛い、とほほ笑む。そして、呆然とりんごジュースを垂らしながら立っているスクアーロに声をかけた。
「Jrに随分懐かれちゃって」
 しかしルッスーリアはここまで言って、ふとこれは爆弾発言か、と口を押さえる。だが、XANXUSの鉄拳はまだ飛んでこない。どうしたのかしらとルッスーリアがXANXUSの顔を確認すれば、そちらの顔もスクアーロ同様驚きに満ちていた。
「そういえば、セオがバッビーノって呼ぶの、初めてですか?」
「…でも、結構ボス練習させてたみたいよ?」
 私、目撃しちゃったのよね、とルッスーリアはこっそりと東眞に耳打ちする。
 ようやくその努力が報われたわけだが、初めて呼ばれたのが叱られるときとは、と少しばかり気の毒にならないでもない。だが、XANXUSにとってはそれを呼ばれたことの方が重要だったようで、空いた手でセオの頭をぐっしゃりとなでた。
 そして同じように呆然としていたスクアーロにカス、と声をかける。機嫌でもよくなったのか、と周囲はその言葉に聞き取れた。が、
「明日のSランク、行って来い」
 ぽん、とスクアーロの肩にルッスーリアの手が優しく乗せられた。同情に満ちた目が、これほどに悲しいことはないとスクアーロは後に語ることとなる。

 

『久々の仕事はどうだったんだ?』
 くつくつと電話が越しに笑う声に、電話を持つ男はゆるやかに問題はないです、と返す。そしてズボンのポケットに手を突っ込むと、中からミントの味がするガムを取り出して銀紙を剥くと口に放り込んだ。
『失敗の一つあったら面白かったんだがなぁ。何だ、何もなかったのか。つまららねー奴だ』
「私が失敗をしたらあなたは信用を失うこととなりますが、それでも?」
 奥歯で男はガムを噛む。すぅすぅと口が涼しくなる感覚に目を細めた。
 暗がりの通路、薄汚れた壁に背を持たれかけさせて、男は電話に耳を傾ける。揶揄するような、それでいて愉しげな響きを持った声が電話と言う機械を通して耳に伝わってくる。
『いやいや、お前の仕事の確実さは知ってるから任せたんだろうが。まぁ、これからもよろしく頼むわ』
「…支払いは悪くないですし。あなたはもうこちらでこの仕事をする気はないんですか」
『俺はそんな陰気臭い仕事はしたくないね。ちっとも楽しくない』
「陰気臭い?まるで私が辛気臭いとでも言いたげですが…」
 男は口元をかすかに歪めて電話に向かってそう言い返す。すると電話の相手はそう言うわけでもねーよ、と笑って返してくる。この男のくせは大概そうやって浮雲のように相手をかわすことにある。全く忌々しい。
『だが、辛気臭い名前はしっかり持ってるだろ?』
「…私がつけたわけではありません。周りが勝手にそう言っていただけのこと」
 不機嫌にそう言って、男は味のしなくなったガムを銀紙に包むと、なぜか携帯していた小さめのエチケット袋に入れてポケットに戻す。そして、再度銀紙を向いて新しい一枚を口に入れた。柔らかなガムを歯で噛めば、それはすんなりと曲がってあっという間に形を失う。
「…一度顔を合わせましたが、見かけませんでした」
『いいや、養子縁組したっていうのは確かな情報だ。俺は情報に関しては一切の嘘は言わない』
「それに関しては信じましょう。しかし、いないものはいない。あの家が、彼女の家なんですか」
『ああ、あの家は彼女の家だ』
「…」
 男は黙りこくって、電話向こうの相手の名前を呼んだ。
「シルヴィオ、それでですが、もう一つの…」
『あーそっちもよろしくな。結構見どころはあると思うんだが、まだまだ荒くてな』
「荒いも何も、死体を見る限りでは完全な自己流ではないですか。今更矯正しろとでも」
 三枚目のガムを二枚目のガムを噛んでいる中に男は入れる。消えかけていたミントの香りがまた口の中に広がった。烏がごみをつついて、ぎゃぁぎゃぁと騒いでいる。男は不服気にそう言うと、電話の答えを待つ。
『それをどうにかするのが、お前の仕事だろう?で、見込みは?』
「…悪くはありません。が、やはり荒いですね。師がいない状態でよくぞまぁと言いましょう」
『うんうん、お前にそこまで言わせたら充分だろ。じゃぁよろしくな。ちゃんと金は払ったわけだし、お前はそれ受け取った』
 その言葉に、男はうと答えに詰まる様子を見せる。しかし息を一つ吐いて、分かったと了承の答えを返した。ああところで、と電話を切る前にシルヴィオは待ったをかける。
「何ですか。まだ何か」
『お前さぁ、いい加減にミント味のガム以外のやつにも挑戦してみたらどうだ?薔薇味のガムだとか。流石に毎日ミントだと一緒にいる奴も気が滅入ってくるだろ?電話の向こうからでもミントの香りだとか、流石の俺も嫌に
「黙ってください、この煙草中毒者。肺癌になって三途の川でも泳ぎなさい」
 ぶつ、と男はシルヴィオの電話を無理矢理切って内ポケットに突っ込んだ。
 そして壁に立てかけてある袋を背負いなおして、空を見上げる。ビルの隙間から見上げた空は随分と狭かった。