29:こっちを向いて、バンビーノ! - 4/6

4

 温かい、と修矢は思う。
 目の前の自分と同い年の少年の言葉は、絶対に自分には響かない。し、影響をもたらさない。それでも両肩を押さえてベッドに座らせてくれているその手は温かいと感じた。ただ一人の、ほんの少しだけ残っている「子供」の桧修矢がこの少年の前にはある。それが、少し嬉しい。
 どんどんと切り捨てていく一般的な子供の自分を悲しいとは思わないけれども、それを引っ張ってきてくれる人間が側にいれば、それは嬉しい。
 「組長」というのは仮面ではなく、すでにもう自分の一部となっている。それを望み、そうなった。
 姉の前では自分は何の飾りもない「桧修矢」であれる。姉の前だけでは、ちっぽけな人間でいても許される。だから、姉の側は心地よい。温かい。優しくて――――――――ずっと側にいたくなる。それは甘えだと、理解してはいるけれども。
 途端、肩に乗せられていた手が慌てて退けられた。
「わ、ご、ごめん!お、俺物凄く偉そうなこと言ったけど…つ、つまり、俺が!そういうのは、嫌だってことで。俺は皆が怪我したり、つらそうな顔したりするのは、すごく、嫌だから」
 ところで痛くないの、と綱吉は修矢の傷を指差して言う。それに修矢はまあ、と返答する。服の下に刻み込まれた古傷の数々は、もうすでに記憶の奥底に埋もれているものでもある。
「男の勲章とか、言わないよね?」
「言わない言わない」
 頬を引きつらせた綱吉に修矢は軽く手を振って否定して笑った。
「でも最近は怪我することも少なくなってきたし…まぁ、今日はちょっとドジったかな」
「…桧君は、死ぬのが怖くないの。俺は、すごく怖い」
 こうやって話を聞いていると、と綱吉は静かに言った。それに修矢は怖いよとあっさり返した。死は恐ろしいものだ、誰にとっても。
「死を怖がらない人間は、弱い。死は怖いけれど、俺はそれを覚悟してる。それだけだ。でも、だからと言って俺が偉いわけでもなんでもない。死ぬのが怖くて、命乞いをする奴もいるだろうさ。俺はそれをしたくないけれど、死ぬくらいならどんな恥を晒しても生きるって考える奴もいるんだ。だから、死が怖くても可笑しくない」
 沢田、と修矢は綱吉から視線をはずして、フローリングの床を見ながら言葉をゆっくりと肺から押し出した。
「一つ、いいか」
「な、に?」
 了承の返答に修矢はすっと顔を上げ、そして綱吉のその大きな眼を見つめた。彼はきっと大丈夫なのだろうが、と思うが、少しばかり心配になる。
「自分を支えてくれる人間を、必ず作っておいた方がいい。この人がいるならどんな道に行っても自分を保てる、そんな人。―――――――そうだな、あの女の子とかいいんじゃないか?えぇと、なんだっけ、あの…そう、笹川」
 ぶっとその言葉に綱吉はせき込む。顔を真っ赤にさせた綱吉に修矢はにやにやと笑う。先程までの静かで張り詰めた空気が一瞬でほどけて、ばらける。
「な、な、なな、ちが!おおおお、俺は、そのっ!」
「あれ?沢田は笹川が好きなんじゃないのか?」
「だ――――――っ、だ、桧君!」
 慌てて顔の色をゆでダコのようにさせた綱吉に修矢は腹を抱えて笑う。はは、と笑って修矢は背中をベッドに倒して、肩を震わす。
「あーなんだ、やっぱり好きだったのか。沢田、分かりやす過ぎる…」
「だ、騙したの!?」
「騙してないだろ?引っかかったのは沢田だからな。そっかー笹川か、沢田って意外と面食い?」
「い、いや、京子ちゃんはそりゃか、すごくか、か、かかか、かわ、か」
「可愛い?」
 どもりすぎて上手く言葉も言えない綱吉に修矢は苦笑する。ここまで初心だとは思わなかった。笑うなよ!と怒る綱吉に修矢はひーひーと笑いをこらえながら悪かったと謝る。そして倒していた上半身を起こして、まだ真赤な綱吉の顔を見て再度噴き出す。
「桧く―――――――――、
 ん、と言いかけた綱吉の言葉が詰まったのを修矢は怪訝そうに首をかしげた。
 その視線はどうやら窓の方へと釘づけになっている。なんだ、と思い修矢もそちらの方へと首を回した。そして、その光景に引くりと頬を引き攣らせる。屋根の上に座っているのかどうなのか、窓の外には鼻をすすりあげているその、自分の側近の姿。
 ああ、と修矢は深く溜息をついた。
「哲…お前、何してるんだ」
 坊ちゃん、と窓ガラス越しに話しかけているのだが、流石に近所迷惑だと判断したのか、綱吉はさっと窓を開けて、その強面の人間を招き入れた。完全に呆れ顔の修矢に哲はがばっと抱きつく。みしり、と背骨が音を立てたような気がして、修矢は顔を引きつらせた。
「坊ちゃん御無事で!!!片付けをした場所にはおられませんで、心配したんですよ!」
「げぇ…っご、ほ…っ!」
「しかし御無事で本当に何よりです…どこぞで行倒れているのかと…」
「うぇ、げ、」
 ぎちぎちと締め付ける腕の強さに修矢は呻き声を漏らす。
 そんなスプラッタ一歩手前の光景を綱吉は眺めながら、ひぃ、と熱すぎる抱擁に背筋を凍らせた。メキメキと響く音が生々しい。しかしながら背骨が完全に折られる前に修矢の足が哲の足の間を容赦なく蹴りあげた。
「うっ…!」
「いい加減にしろ!俺を殺す気か!!」
 はーはーと修矢は肩で息をしながら、そして怪我をした方の足で咄嗟で蹴った痛みに目尻に涙を浮かべつつ沈没した側近を怒鳴りつけた。あれは痛い、と綱吉は手を本能的に股間に持って行った。大きなスーツの男は前のめりに倒れて二分ほど呻いていたが、腰を叩きながらようやく立ち直る。
 心なしか顔が青ざめているようなのだが、到仕方ないことではないだろうかと綱吉は頷いた。修矢の方も傷の痛みがようやく引いてきたようだったが、その額に青筋を浮かべて哲を睨みつけていた。
「…あ、あんまりです坊ちゃん…自分は坊ちゃんのことを心配して…」
「喧しい。心配してうっかり殺されてたまるか。で、何でお前ここに来たんだ?電話は入れてないぞ」
 話を真面目な方向に戻した修矢は自分の携帯を拾って、それの電源が来ていることを示す。哲はそんな修矢にいや、と手を振ってからとてもいい笑顔で素朴な疑問にさも当然のように答えた。
「ああ、GPSです。いやー万が一の時にと内蔵させておりましたが、役に立ってよかったです」
「俺は迷子の子犬ちゃんか――――――――!!」
 がそん、と哲の額に修矢が投げつけた携帯が直撃する。空中を回転する携帯電話を眺めながら、綱吉は随分とバイオレンスな光景に絶句した。どこか遠い星の出来事のように、そう感じた。
 しかし哲は真面目な表情で、直撃した携帯をぱしりと空中で受け取るとそれを否定する。
「いえ、この場合は迷子の子猫ちゃんかと…犬はおわまりさんですよ、坊ちゃん」
「一生童謡でも歌ってろ!!」
 的外れな答えに修矢はベッドの上に置いてあった枕を哲の顔面に渾身の力を込めて投げつけた。幸い固いものではなかったので、ぼすりと音がするだけで済んだが。
 修矢は肩で数回呼吸を繰り返して息を整えると、はぁと深く溜息をつき頭を手で押さえた。そして綱吉の方へ、くると顔を向けた。完全に疲れ切ったその顔に綱吉は苦笑いをこぼす。
「あー、と沢田。悪いな、迎えが来たから帰る」
「あ、うん。気をつけ
 て、と言おうとしたが、哲が修矢を持ち上げた時に華麗にお姫様だっこをしたので、拳が振り上げられたので言葉が止まる。止めろって言ってんだろ!と怒鳴りつけた修矢に哲は、坊ちゃんが楽なようにと、と漫才を繰り広げている。
 最終的にはおんぶにおさまったようで、哲の背に背負われた修矢は、思い出したように綱吉を見た。
「有難う、沢田。この借りはいつか必ず」
「借りなんて―――――――――その、俺たち、友達…でしょ?」
 友達、と言う言葉に修矢は目を丸く大きくした。その言葉を反芻して、修矢は哲の背中で笑った。
「――――――ああ、友達、だな。沢田」
 有難うと修矢が言ったのを確認してから、哲はその開かれた窓からひょいと部屋から出ていった。話せてよかった、と綱吉は思い、窓をからりと閉める。
 そして、哲が入ってきた革靴の土で汚れに汚れたフローリングの床に目を落として、がっくりと肩を落とした。
「これ…俺が掃除するんだよね…」

 

「う゛お゛ぉ゛お゛おい!」
 邪魔するぜぇ、とスクアーロが扉を開けて入ってきた。
 部屋のソファで見るからに平和な家族図を描いている三人に小さく笑ったスクアーロにはXANXUSが紅茶のカップをプレゼントした。幸い中身は全て飲み干していたので、火傷をするようなことにはならなかったが。
「何の用だ、この使えねぇカスが」
「いらねぇもんつけてんじゃねぇ!誰が使えねぇだぁ!」
「は、てめぇの他に誰がいるんだ、ドカス」
 言葉を覚え始めているセオはその言葉を聞いて、きらきらと目を輝かせてスクアーロを見上げる。そして、ぱぁぁと素敵な笑顔を浮かべた。
「かすーおかすー」
「…な…っ、う゛お゛ぉ゛おい!ボス!余計な言葉覚えさせんじゃねえぞぉ!」
「間違ったこたぁ言ってねぇ」
 よく言った、とばかりにXANXUSは膝の上の赤子の頭をなでる。勝ち誇ったその表情にスクアーロはぐぅと歯を食いしばる。しかし、セオは歯を食いしばったスクアーロの顔を見て、すぐに泣きそうな顔をした。
「ぁーろぉ、あーろぉ…」
「…てめぇ…」
 心配してくれてんのかぁ、とスクアーロは鼻をすすりあげた。奇妙な友情関係が形成されていく光景を目の当たりにしながら、東眞は苦笑する。
 しかしながら子供と言うのは随分と呑み込みが早い。
「ところで、どうされたんですか。スクアーロ」
 話を元の路線に戻されて、スクアーロはああと顔を上げる。もとはその話しに来たはずだったのに、何故こんなことになっているのか。疑問に思っても仕方のないことなので、スクアーロはうんと頷き話を戻した。
「報告書だぁ。それから、こいつは」
 仕事の話になってきたので、東眞はXANXUSの膝からセオを預かって、その部屋をそっと出る。しかし、腕の中のセオは妙に暴れて大人くしてくれない。ひょっとして歩きたいのだろうか、と判断して東眞は膝を折り、その床にセオの足をつけさせる。するとセオは嬉しそうに笑って、東眞の足を支えにして、へったりと立った。だがこれでは歩けない。
 しかしながらセオはそこから東眞の足を伝って、固い壁に手をつけた。そして、一歩一歩、ゆっくりと歩き始める。どこまで歩くつもりなのかは、分からない。へたへたと歩いて行くセオの一歩後ろを東眞はゆっくりとついて行く。途中でこけたが、意外にもめげずにセオはすぐに立ち上がる。
「ん、んっ、ぁーう」
 壁を伝って歩き続けるセオを眺めていた時、一室が開いて金色の髪が姿を現す。そして金髪の王子はひょいひょいと東眞とセオに近づいてにぃと口元を三日月に笑わせた。
「何してんの?」
「歩くのが好きみたいで」
「へー、やっぱ王子が手伝ったおかげ?」
「かもしれませんね」
 笑う東眞の隣、セオはベルフェゴールを見つけて、朱銀の目を細めて微笑む。
 える!と声を上げ、一度こけてからベルフェゴールの方へとよたつく足で進むと、そのブーツの前でパタンとまた倒れた。ベルフェゴールはちげーと笑ってから、セオの脇を両手ですくってひょいと立たせる。
「ベル」
「えーる」
「ベル」
「る?」
 どうやらまだ口を大きく動かす音は難しいらしく、両脇に手を差し込まれて立っている状態で、セオはえる、と繰り返す。それにベルフェゴールは口をへの字に曲げてから東眞の方へと顔を向けた。
「…東眞、こいつ馬鹿なんじゃねーの?」
「まだ小さいですからね…でもさっき、スクアーロのこと、アーロって呼んでましたよ。ベルの名前も根気強く教えればきちんと呼ぶようになります」
「ふーん」
 鼻からこぼすように不思議な声を出して、ベルフェゴールはひょいと小さな体を持ち上げる。そして、持ち上げた手の中できゃらきゃらと笑うセオににかっと笑った。
「ベル」
「えーる」
「ベル」
「える、べる?」
「「あ、」」
 一度発音された音にベルフェゴールと東眞は同時に声を上げる。するとセオはそれが正解と取ったのか、ベル、と今度はもっとはっきりとした音でその名前を呼び始める。
「べるーべーる!」
「やるじゃん、お前。なんなら王子の召使いにしてやってもいーぜ?」
「べるー」
「…こうやって聞いてるとそのうちペルーって言い出すかもしれませんね」
 ひょいと東眞の口からこぼれた国名にベルフェゴールは口元を引き攣らせる。何が嬉しくて自分の名前を国名で呼ばれなければならないのか。ベルフェゴールは高い高いの状態で止まっていたセオを胸のあたりまで下げる。そうすると小さな手がベルフェゴールの口元に触れてくる。
 やめろよと、と言ったものの、そんな言葉はセオには伝わらない。二人の小さな子供のやりとりを眺めながら、東眞は笑った。
「なんだか兄弟みたいですね」
「…だったらマーモンのほうじゃね?王子よりすっとちっせーし」
「…並んで座ったら、双子みたいに見えますか…?」
「こっちにフードかぶせたら」
 見えるかも、とベルフェゴールは東眞の隣で笑う。そしてセオの両足を床に戻すと、少し状態をかがめてセオの両手を取り、歩く手伝いをする。
 べる、とセオは笑顔を浮かべてひょっとくひょっとくとその足を前後に動かして歩いて行く。ベルフェゴールは東眞にどこまで行くんだよ、と質問する。東眞は少し考えてから、キッチンまで、と答えた。
「カップケーキ、焼きましょうか」
「やりぃ!王子、ドライフルーツがいい!」
 にかっと笑ったベルフェゴールにセオはべる、ともう一度名前を呼んだ。