24:妊婦と旦那 - 4/6

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 やはり、とレヴィは心を浮き立たせながら、置かれているコーヒーに手を付けた。
 あの方は、XANXUS様はどこまでも自分が心酔するに足る御方であると。細かいところにも目が行き、それをきちんと正せる素晴らしい名誉ある男である。彼の御方を褒め讃える言葉は数知れず、その容姿容貌の端麗な様と言えば、表現する言葉はないほどである。
 レヴィはもう一度頷いてから、先程よりも温度の低くなったコーヒーを口にした。

 

「…何を、なさってるんですか」
 レヴィさん、と東眞は壁に向かって金槌を打っているレヴィにぱちぱちと瞬きをした。
 その少し先では雷撃隊全隊員がレヴィ同様に金槌等々日曜大工に使用する工具を持って、壁に向かっている。こーんこん、とところどころから響いてくる金音とその気のせいか、まるでバリアフリーでも作っているかのような光景にまさか、と冷や汗を流した。
 レヴィは唇に挟んでいた釘を手袋の付いている手で取ると、貴様か、と眉間に皺を寄せた。
「こんなところで何をしている!」
「え、いえ、ちょ、ちょっとお茶を取りに…」
「その程度のことでうろちょろ動き回るのではない!ジェノッペ!」
「は!」
 工具を持っていた一人がそれを手放して、びしぃ、とそんな効果音がぴったりな動きで直立不動した。レヴィはジェノッペと呼ばれた雷撃隊の部下に命令を下す。
「茶を―――…温かいのと冷たいのはどちらがいい」
 ふ、と気づいて東眞にそう問うた。東眞は温かいので、と反射的にそれに返事をする。レヴィはうむ、と頷いて、温かいのをこいつの部屋に持って行け!とジェノッペに命じる。
 一連の行動に唖然としている東眞にレヴィは怪訝そうに首をかすかに傾げた。
「どうした!っ、まさか気分が悪いのか…っなんということだ!この俺が付いていながら、ボスの御子息を宿している貴様の体調を悪くさせるなど…っ!!」
 偶然会っているだけなので、別に付いているついていないの問題ではない。
 東眞は慌てて、違いますと否定しておく。このままではどこかで首を吊りかねない。元気です、との言葉にレヴィは一瞬だけ疑い深い目を向けたが、ならいいとつんとそっぽを向いた。
「にしても…これは…。どなたか、高齢の方か体の不自由な方が…来られるんですか?」
 すらりと伸びた手すりに東眞はおずおずと聞いてみる。だが、レヴィが答えたのは、想定外の答えだった。
「何を言う!ボスの海のように広いその御心に感謝しろ!貴様のためにとこの雷撃隊隊長、レヴィ・ア・タンに命令をされたのだ! あの方のように細やかなところまで気づかれる男を夫としたことを誇りに思え!」
「…え…あ、はい…。その…つまるところ、この手すりは…」
 もうほとんど言葉が詰まって上手く言えない東眞にレヴィはうむ、と元気良く頷いた。どこか誇らしげなのは(実際に誇らしいのだろうが)この際追及しないほうがいい。
 レヴィはその手すりの伸びた廊下に手を伸ばした。
「貴様のためにボスがしてくださったことだ!さぁ、遠慮なく使うがいい!躓きでもして、腹を打ち付けたりしたら大事だからな」
「……」
 少し、眩暈がした。
 しかしそこで倒れることも当然許されず、東眞はまさかと思いながら、さらにレヴィに尋ねてみる。
「その…まさかとは思いますが、階段もバリアフリーになってるとか…」
「ん?三階までのエレベーターは業者に連絡は付けてあるぞ。それから車椅子…」
「私は歩けます!歩かせてください!」
 ああもう、と東眞はとうとう声を荒げた。車椅子だけはやめてください、と涙ながらにレヴィに説いたが、ほとんど無意味であろう。
「それに、そこまでこけたりしませんし…」
「ボスの好意を無駄にするつもりか!許さんぞ!」
 それこそ許す許さないの問題ではない。直談判しに行った方がいい、と東眞は本気で思った。しかし、とレヴィは東眞の思いなどつゆ知らずで話をころりと変えて、そのマタニティウェアを身に付けた腹に目を落とした。
「随分と…大きくなっているのだな…」
「ああ、はい。もう五カ月ですよ。時々、お腹を蹴ってきたりするんです」
「ほう。元気なのだな!それはいいことだ…ボスによく似て見目麗しく利発な息子になられるに違いない…」
 まだ息子かどうかは調べていないので分からないのだがと言おうとしたのが、レヴィの幸せそうな様子を見ていると何故だか言えなくて東眞は笑って誤魔化した。ただ、おそらく生まれるまでは調べないのだろうなとは思っている。息子か娘か、どちらでも構わないのだから。元気に産まれてさえくれれば。
 それで、と東眞は微笑みながら、ゆっくりとその腹をなでる。
「ベルなんて、この間この子がお腹蹴った時に触ってて、すごく楽しそうに喜んだんです?」
「むっ!あいつめ…まさか腹を圧迫したのではないだろうな!」
「まさか。XANXUSさん以上にお腹触ってますよ。やっぱりこういうのは興味深いんでしょうね」
 そう言いながら、東眞はふとベルフェゴールの顔を思い出す。
 朝起きて、昼休み、それから寝る前に必ず東眞のもとに来て、ねぇまだ?と口元に一杯の笑みを広げて腹に触れる。だんだんと大きくなっていく生命の不思議に代わる表情を見ていると、こちらも楽しくなってくる。XANXUSも朝起きてすぐに、と仕事の合間に来ては体の調子をうかがって、腹に触れていく。動いたのを感じて、僅かに緩む目元が可愛らしい(などと言ったら怒るだろうか)
 思いにふけっている東眞にレヴィはおい、と声をかけた。
「あ、はい」
「……」
「?どうかしましたか」
 黙り込んだレヴィに東眞は質問をする。レヴィは一拍二拍、それから三拍目をおいて、視線を思いっきりそらして、それからようやくぶっきらぼうに告げた。
「触ってもいいか」
 そんな一言に東眞は瞬きをしたが、思わず噴き出して、勿論それにレヴィはむすっと眉間に皺を寄せたが、どうぞ、と東眞は微笑んだ。レヴィはおずおずと膨らんでいる東眞の腹に手を乗せる。
「…ここにボスのご子息がおられるのだな」
「そうですよ。XANXUSさんの――――…子供です」
「う、動いたぞ!」
「だから動いてますよ」
 慌てふためいたレヴィに東眞は苦笑して、自分でもその腹をなでた。元気いっぱいな様子で、成長している子供に目を細める。
「そういえば、シャルカーンが最近帰ってくる頻度が高いが…やはりボスも心配しておられるのだろうな」
 初めての出産だろう、と告げたレヴィの言葉に東眞の体が一瞬だけこわばる。シャルカーンは一月に一度だけ帰ってきて、東眞の体の気の流れを治し、それからその体調を診ていく。
 そして何よりも――――――二人だけの、秘密が。
「どうした。顔色が優れんぞ」
 まさか、といったレヴィに東眞ははっと気づいて、平気です!と半ば怒鳴るようにして返した。
 あの時のあの出来事は、XANXUSの耳に入れては決してけない事実である。シャルカーンはそれを守ることを東眞は分かっている。彼は医者として、東眞の秘密を口外しないことを誓った。言ったらどうなるか、それは東眞でさえも容易に想像できた。もう五カ月に入り中絶はできないことはないが、危険な道となる。
 だが、と東眞は考える。出産することで起きるリスクと現時点での中絶のリスク、彼ならば必ずリスクが低い方を取ると。それが、たとえ中絶という道であってもだ。いくら費用がかかろうとも、何だろうと。
 死ぬつもりはない。彼のそばを離れるつもりもない。絶対に生きてみせる。産んでみせる。この新しい命のために。そして――――――――――愛する、人のために。
 きっとこの秘密を口にすることは一生来ないのだろう、と東眞は思う。それでいいと思う。新しい命はここにある。チャノ先生も付いている。不安も危険もあるけれど、それを打ち消すだけの気概がある。
 先々週、シャルカーンは順調デスネ、と東眞に告げた。妊婦の状態も胎児の状態も良好デスヨ、と。ならばその言葉を信じるだけである。体の調子も、一番初めに告げられていた時よりも想像以上に良い。本当に器が、壊れかけているのかと疑うほどに。きっと自分では目に見えない、感じられない部分が壊れてきているのだろうなとは思うのだが。それでも、この命を育む。
「―――――――――――丈夫な子、産みます」
 呟かれた言葉はとても重い意味を持っていた。だが、レヴィがそれに気づくことはない。
 レヴィは当然だ!としっかり頷いた。そして、ぱしぱしと自分が取り付けた手すりを数回たたいて、使え!と頷いた。苦笑しながら、東眞は手すりをつたってXANXUSの部屋まで行った。勿論それは車椅子の件だけは却下してもらうために。

 

 コーヒーが冷めてしまった、とレヴィはこつんとマグカップを置く。目の前に置かれているルッスーリア特製クッキーを一つつまんで食べた。そして、ふとそこに皿の上に雷おこしが乗っていないのに気づいた。そういえばもう随分と長い間、雷おこしがここの皿にのっているのを見ていない。
「…あいつが作っていたのか?」
 ひょっとして、とレヴィは腹に新しい命を抱えた女の姿を思い起こして、そう呟いた。しかし、ルッスーリアが趣味で作っている可能性も捨てきれず、だが、久々に雷おこしが食べたくなった。
 取り寄せるか、とレヴィは冷めたコーヒーを飲みほしてそう呟いた。