23:この子は - 1/5

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 ごろごろと床の上を車輪が転がる音が歩いて行く。そして、それに合わせてこつんこつんと軽めのブーツの音が廊下に響いて行く。
 ゆるやかな服が目の前で閉じられている扉に触れた。そして、それにぐっと力がこもる。力が加わったことにより、扉は進行方向に向かって開かれた。そして、
「ハイ!皆さん、元気にしてまシタカ?」
 ひら、と男は笑顔で服の手を振ったが、残念なことにその場には誰もいなかった。折角の帰還だというのに、誰の迎えもないと言うのは寂しいものがある。アラ、と残念そうな声を漏らして肩を落とした。
 頭に入れ墨を彫っている男は部屋の中に足を踏み入れて、ふと実は部屋の中に誰かがいると言う事実に気付く。そして、ひょいと反対側を向いているソファの反対側に回り込んだ。
「アラアラアラ、ボスもこの人もすっかり寝てマスネ」
 気持ち良さソウと男は小さく笑って、二人分の寝顔をじっくりと眺めた。その背中に濁点が非常に多い、大声がかかる。
「う゛お゛お゛ぉ゛おおい!!シャルカーンじゃねぇかぁ!」
 いつ帰ったんだぁ、とスクアーロはがつがつとブーツを鳴らしながら近づいて来る。シャルカーンと呼ばれた男はスクアーロ見て、ただいま帰りマシタと告げてからそっと口元に指先を持ってくる。だが少しばかり遅かった。
 スクアーロもソファの所に来てからようやく二人の存在を思い出していた。
「ボス、帰りましたヨ」
 これ報告書デス、とシャルカーンは赤い瞳をゆっくりと見せたXANXUSに書類を差し出した。寝起きでボケているのか、思考がしっかりと働いていないのか、XANXUSは差し出された書類を受けとって、眉間に皺を寄せたまま、それを斜め読みする。
 シャルカーンは今にもまた寝てしまいそうなXANXUSにペンを差し出した。それ受け取ると、XANXUSは報告書にがり、とサインをしてシャルカーンに押しつけた。
 その手慣れた様子にスクアーロは感心する。自分がやれば頭が吹っ飛んでいることだろう。間違いない。だがシャルカーンは取り立てて気にする様子も見せずに、ボス、と続ける。
「結婚おめでとうございマス」
「……あぁ…」
「それとデスネ、空港でマルコとコージモの二人組見かけたので、ついでに始末しておきまシタヨ」
「ああ、そういや回ってたなぁ、そんな奴等」
「トランク盗まれそうになりマシタ。マッタク、手癖が悪い子は困りマスネ」
 盗まれそうになった、という単語にスクアーロは乾いた笑いを浮かべながら、そうかぁと続けた。
 マルコとコージモの二人組はボンゴレにおける密輸の邪魔をしたということで、始末の依頼が入っていた。だがそこまで重要な任務でもなかったので、人相書きだけ回されて、発見次第始末という形を取っていた。マフィアに追われているにも関わらず、まだこのイタリアにいたのかと呆れと賛辞を贈りたい気分である。
「オヤ、女性の方も、起きるみたいデスネ」
 オハヨウゴザイマス、とシャルカーンはにっこりと(元より笑顔だが)東眞に笑顔を向けて朝の挨拶をした。東眞は数回目をこすって、ぱちぱちと瞬きをする。
「…おはようございます。え、ぇと…」
「起きたかぁ」
 ひょっこりと後ろから顔をのぞかせたスクアーロに東眞はほっとしながら、目の前にしゃがんでいる浅黒い肌の男性をもう一度見た。男はにっこりと、元から口元には常に笑みが刻まれていたが、もう一度東眞に頬笑み直して、ハジメマシテと非常に丁寧な口調で頭を下げた。シャルカーンが膝をのばして立ち上がったので、東眞もそれに合わせて立とうとしたが、XANXUSに膝を占領されているので動けない。それにクスクスという笑い声が上から降り注ぐ。
「イエイエ、そのままでイイですヨ。ワタシはシャルカーン・チャノと申しマス」
「ヴァリアーの特殊医療班に所属してんだぁ。滅多に帰ってこねぇから、こっちでも知ってる奴はすくねぇけどなぁ」
 任務終わったのか、とスクアーロが尋ねたので、シャルカーンはハイ、と二つ返事をする。
「今回は特別多かったデスネ。ボスも鬼デス。デモ、一週間は体が空いたのでのんびりしする予定デスヨ。ところデ――――――、ボスの奥サンってどこデスカネ?フフ、ワタシとても楽しみにしてたんデス」
 口元を長い袖で隠して笑うシャルカーンを見てから、スクアーロは困ったように東眞に目を落とす。よもや気付いていなかったとは思ってもいなかったらしい。
 そのスクアーロの動作にシャルカーンも気付いて、ちらりと視線を動かし、そしてその瞳――が見えているのかどうか不明な糸目がXANXUSに膝を貸している女性を捉える。そして一拍二拍置いて、東眞が先にその沈黙を崩した。
「はじめまして、チャノさん。桧東眞といいます…その、昨日、XANXUSさんの妻に…なりました」
 こうやって言葉にすると何故だか無性に恥ずかしいなと思いつつ、東眞は少しだけ頬を赤らめた。
 東眞の言葉にシャルカーンは一息分の呼吸を空けて、それからアア!と声を上げた。
「そうですか、奥サン!アナタが!なんとなくそんな感じはしてましたケド――――ボス、イイ人見つけたんデスネ」
「?」
 それに怪訝そうな色を僅かに浮かべた東眞にシャルカーンはクスクスと声をたてる。そして、まだ寝ぼけ眼のXANXUSを見下ろしながら、その疑問に答えるべく、口を開いた。
「ボスが安眠できる膝なんでショウ?ワタシたちにとってはボスが安心できる人が傍にいてくれればいいんデスヨ」
 東眞サン、とシャルカーンは穏やかに微笑んだ。するとチャノじゃん、と扉の方から新しい声が響く。
「おはようございます、ベル」
「お久しぶりデス、ベル。相変わらず視力が落ちそうナ髪型デスネ」
「それで君も相変わらずその口は変わって無いんだね」
 ベルフェゴールの腕の中にいたマーモンは冷静にそう切り返した。シャルカーンはこれは一本取られマシタと小さく肩をすくめた。そこにルッスーリアやレヴィも入って来て、久方ぶりの再会の挨拶を交わす。
 するとシャルカーンの袖の中の手が容赦なくレヴィの首を打った。
 ぎょっとした東眞だったが、他の者が驚いている様子は一切見られない。レヴィ本人もまったくおどいた様子はないのだ。ただ、突然はやめろ、と眦をいからせてはいた。
 ぱちぱちと瞬きをした東眞にスクアーロは説明を加える。
「あいつはなぁ、東洋医術の方面が分野でなぁ。指圧、針治療、漢方薬、あと精神的分野、催眠術とか、そっち系統取り扱ってんだぜぇ」
 成程、と頷いた東眞にぱちぱちと少しばかり布の摩擦でくぐもった拍手が響く。誰がその音を鳴らしているのかといえば、シャルカーンであった。
「皆サン、健康診断しまショウカ。体の悪いトコはちゃんとチェックしといた方がイイですからネ」
 来訪者の言葉に場にいた一同は(XANXUSと東眞を覗く)それぞれ了承の返事をした。東眞は状況に上手くついていけないまま、一人ずつ隣の部屋に消えていくという不思議な光景を目にしていた。
 ルッスーリアは帰ってくるなり、東眞に泣きつく。
「も―――――――っ!シャルカーンったら酷いのよぉ!私の肌艶が悪いだなんて言うんだから!だって夜勤明けだから仕方ないじゃないの!!」
 ぐすりとすすりあげたルッスーリアに東眞は苦笑しながら、大丈夫ですか、と声をかけた。尤もそう大丈夫そうには見えないが。
 そこに上着を適当に引っ掛け中がらスクアーロが帰ってくる。
「俺は酒の飲み過ぎ注意だって言われたぞぉ…明日からは酒の量減らせだとよぉ…」
「彼は容赦ないね」
 勿論僕は問題なしだったけれど、とマーモンは勝ち誇った口調でそう述べながら、ソファにすとりと降り立つ。そして、ふと思い出したようにXANXUSに声をかける。ぼうっとしていた瞳がその怒鳴り声で一気に不愉快なものに変わる。顔面すれすれに飛んだペンを間一髪で避けたスクアーロは、冷や汗を流す。
「う゛お゛ぉ゛お゛おい、ボスさんよぉ。シャルカーンが健康診断やってるぜぇ。てめぇも参加してきたらどうだぁ。ま、どうせ俺と同じ診断下されんだろうがなぁ!」
 酒の飲み過ぎ、というのは成程、頷けることである。
 XANXUSはまだ微妙に眠りがちな体をようやく起こして、ソファの手を置く部分にかけていた足を、絨毯の上に落として、ゆっくりと立ち上がる。ふらふらと歩いて行くXANXUSにベルフェゴールがどこいくの?と尋ねる。それにXANXUSはやはるふらつきながらシャワーだと手短に答えた。
 去った暴威から視線を元に戻してスクアーロは東眞にも声をかける。
「折角だからてめぇも受けたらどうだぁ」
「構わないんですか?」
「当然だぁ。ありゃ殆どアイツの趣味でやってんだからなぁ」
 そう言って笑ったスクアーロに東眞はじゃぁ、と立ち上がった。少し足がしびれていたが、一つ大きく伸びをしたらそれはすんなりと取れた。戦地に赴く兵士へのかけ言葉をもらって、東眞はレヴィと入れ替わりで入室する。扉を後ろ手で閉めて、椅子に腰かけているシャルカーンのもとへと歩みよる。
「オヤ、東眞サンも受けられますカ?」
「あ、だ、駄目でしたか」
「イエイエ、そんなコトありまセンヨ。不摂生な彼らよりずーっとイイ心構えデス」
 そう言って、シャルカーンは座ってくだサイと東眞に席を勧めた。東眞は一つ礼を述べてからそこに腰掛ける。
 健康診断と言えば聴診器などを想像していたのだが、そこにいたのはシャルカーン唯一人だけで、そういった器具の類は見られない。東眞の視線がうろついているのに気付いたのか、シャルカーンはそうデスネ、と声をこぼす。
「ワタシの道具はこの指先なんデスヨ。それから、目と鼻、五感デスネ。器具なんて要らないんデス」
「便利ですね」
「おナカかっ捌くの好きじゃないんデス。失礼しますネ」
 そう言ってシャルカーンは東眞の肌に服越しに触れた。首筋、腕、指先、それから、とそこでシャルカーンはぴたりと動きを止めた。その不自然な静止に東眞はたらりと冷や汗を流す。ひょっとしてどこかが悪いのだろうかという考えが頭を過ぎ去った。
 シャルカーンはその両袖をまくって、そしてその指先をあらわにした。
「東眞サン、少しおナカ見せてもらってもいいデスカ?」
「え、ぁ、はい」
 シャルカーンの指示に従って、東眞は服を少しだけたくしあげる。失礼シマス、と一言断ってからシャルカーンはその指先で直接東眞の腹部に触れた。外から内へ、内から外へと動かしたのち、シャルカーンはその手をのけた。そしてもうイイですヨ、とそれと礼を言ってから、にこと笑顔を向けた。
 不安を覚えながら、東眞はあの、と声をかける。だがそれは次の言葉ですぐに吹き飛ぶ。
「おめでた、デスネ」
 おめでとうございマス、と告げられて、東眞は頭の中が一瞬真っ白になる。固まってしまった東眞にシャルカーンは妊娠デスヨ、と言葉を選び直して教える。
 東眞はそこで素直に、本当に素直に、嬉しいとそう感じた。口元と目元が自然に嬉しさでほころぶ。
「…あ、
「ただし」
 有難う御座います、と言いかけた言葉をシャルカーンは接続語で遮った。先程の声よりもワントーン落ちたそれに東眞はでかかっていた言葉を止めた。
 そして、シャルカーンは東眞に、告げた。

「産むと、命に関わりマスヨ」

 たった一つの言葉は、東眞の鼓膜で止まってしまった。