24:妊婦と旦那 - 3/6

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 ルッスーリアはそうねぇ、とぼやいた。
 我らがボスの最近の動向はどうにも落ち着きがない。勿論それは任務中のことなどでは断じてなく、私用で、のことに限られるが。
 彼の0か100かの極端な行動は目に余るものがあるが、結局東眞もそれを受け入れて(諦めて?)いるのだし、無論口出しをする気などさらさらないが。それに、大抵はこちらに迷惑となって被るものだが、たまに、こんな素敵な環境へと転がり込む場合もある。
 ルッスーリアはそう頷きながら、鍋をくるりと一混ぜした。おいしそうな匂いがすぅと鼻に入ってくる。そして耳には柔らかなクラシックがそのゆっくりとした旋律を流していった。
「いい曲よねぇ」
 美を愛でる者として、ルッスーリアは素直にそう発言をした。

 

 どっ、と目の前に置かれたCDの山に東眞はきょとんと眼を見張る。その山を持ってきたのは、勿論XANXUSではなくルッスーリアだったが(スクアーロは任務でいない)、その隣でXANXUSはどこかやり遂げた目で東眞を見下ろしていた。
 よくよく状況が分からず、東眞はおそるおそるXANXUSに声をかけてみる。
「あの、これは…?」
「CDだ」
 そんなことは見ればわかるのだが、と思いつつも、どうやら上手く伝わらなかったことをすぐに察知して、東眞は言葉を変えて、今度こそ伝わるように尋ねた。
「こんなに沢山のCDをどうなさったんですか?」
「買ってきた」
 またしても上手く伝わらずに、東眞は困った顔をしながら、そうですかと返した。そこに見かねたルッスーリアはきちんと説明を加えた。
「ほら、東眞。妊娠中には音楽が胎教にいいって言うじゃない?あと読み聞かせも」
「読み聞かせ?」
 目の前に置かれているのはCDだけなのだが、と思っていると、そこに扉を一寸叩いてレヴィが入ってきた。その手の箱の中には絵本から小難しい本までが大量に入っていた。日本語、イタリア語、他数種類が入っている。
「…私、日本語しか…読めませんけど…」
 レヴィが床に置いた本を数冊手にとって、中身を目で確認しながらそういうと、XANXUSは一言、問題ねぇと返した。読めもしない本を買ってきて一体どうするのかは甚だ疑問である。だが、彼がそういうのであれば、問題はないのだろうと思ってしまうあたり、も不思議だが。
 慣れてきたのかもしれないな、と東眞は今更ながらにそんな事を思った。
「俺が読む」
「流石はボス!!なんという寛大なお心…っ!!」
 レヴィが感動して滂沱しているが、東眞はその言葉を飲み込むのに、多少なりとも時間がかかった。
 なんといっても、いや、東眞から見てもXANXUSが本を読み聞かせる、というのはいささか(失礼かもしれない)似合わない。とはいえども、ある程度難しい本であればそれもそれでと納得してしまうのだが、それが絵本ともなると。想像しがたい。できない。
 どうやらそれはCDを持ってきたルッスーリアも同様の気分のようで、口元には何とも言えない笑みが引きつるようにして形作られていた。
「…ボスが、読むのかしら?」
「文句あんのか」
 目線だけで軽く人を殺せそうな眼差しを向けて、XANXUSはルッスーリアを睨みつける。それにルッスーリアは慌てて、そんなことないわよぉ!と両手を振ってごまかした。
 曰く、ここにいる人間は最低でも八カ国語は習得しているそうだから、そう難しい話でもないのだろう。おそらくはイタリア語と日本語と、それから英語…その他に後五カ国語の読み書きと会話、ヒアリングができるのだからそれはすごい。自分には到底できない芸当である、と東眞は一人で深く頷いた。
 レヴィが本と一緒に持ってきていたCDレコーダーを机の上に音もたてず、そっと丁寧に置いた。巨体に似合わず繊細な動きである。ボス、と心酔した声がひとつ発せられて、XANXUSはルッスーリアに運ばせたCDを手にとって眺める。どれがいいのか考えている模様である。
「ボス。東眞にも好き嫌いがあるでしょうから、聞いてみたら?」
 どうかしら、と親切なルッスーリアの助言にXANXUSは珍しく素直に従って、東眞の方に視線を向けた。が、しかし東眞はそのCD上の文字が自分には理解できない言語であるということに気づいて、分かりません、と申し訳なさそうに述べた。そうかとXANXUSは落胆した様子は一切なく、また選んでいく。
「…東眞はどんな曲が好きなのかしら。今回持ってきたのは全部クラシックなんだけど」
 そこで話を終わらせてしまったXANXUSの代わりに続きをルッスーリアが運ぶ。そう問われて、東眞は一寸考えた。
「クラシック…ですか…音楽の授業でしかそうそう聞いたことがないんですけど…」
「新しい曲にチャレンジしてみるものいいわね。…でも、そうねぇ…荒々しい曲よりかは断然優しくて明るい曲の方がいいと思うんだけど」
「そうですね、気持ちも落ち着きますし」
 そんな会話を耳にしていたXANXUSは、手にしていたCDを放り投げて(勿論レヴィが見事にそれをキャッチした)他のCDを選んだ。そしてそれをCDプレイヤーにセットして、再生ボタンを押す。すると、耳に心地よい音が空気の流れに乗った。
 ボスもよくやるわね、とルッスーリアは正直にそんなことを内心思いつつ、苦笑をこぼす。XANXUSは少しだけ音量を下げて、満足したのか、そのままソファにずしっと腰掛けた。
そのままの状態で、本を一冊手にとって、東眞に投げ渡す。そして命令した。
「読め」
「…ボスが、読むんじゃなかったの?」
 先程と言っていることが違う、とルッスーリアは思って思わずそう尋ねたが、XANXUSは文句あんのか、と強く睨みつけた。それにルッスーリアは口元を引きつらせて、何でもないわ!と先程の言葉を前言撤回する。
「何で俺が日本語なんざ読む必要がある。こいつが読めねぇ言語だけ読みゃいいだろうが」
 尤もなのだが、目の前に座る男が言うと傲慢に聞こえてくるのは何故だろうか。言葉を無くしたルッスーリアに東眞は苦笑してから手元の本を開いた。
「構いませんよ、最近退屈してましたから」
 することがなくて、と微笑する東眞だったが、することがないというよりは、することを奪われているというのが正しい。大変ねぇ、とルッスーリアはほろりと同情の本音をこぼした。
 そして東眞は一番初めのページの日本語を口にして、ゆっくりと話を始めた。それに聞き入るようにしてXANXUSは目を閉じ、その背をソファに押し付けて体の力を抜いていった。ルッスーリアはその光景に小さく微笑んでから、レヴィの背中を押して部屋から出るように急いた。勿論その際レヴィが抗議しようとしたが、邪魔になるので黙らせた。
 しかし、とルッスーリアは思う。
「あれじゃお腹の子供に読み聞かせるんじゃなくて、ボスに読み聞かせてるんじゃないかしら?」
 扉を閉めて、憤慨するレヴィを引きずりながら歩きつつ、そう思った。

 

 しかしながら、こうやって一日に一曲、必ず曲を変えているというあたり、意外にまめな上司である。
 愛されているのねぇと思いつつも、そのある意味重たすぎる愛情に二人してこけないかどうかも心配だが。尤も妻の方が寛容であるのでその心配もただの杞憂に終わりそうである。
「う゛お゛ぉぉい」
「あら、スクアーロ。どうしたの?」
 その頭、とルッスーリアは額を切らしているスクアーロにぱちぱちと数回またたいて尋ねる。勿論、それが誰の仕業なのかは言わずもがなである。そうであるから、結局ルッスーリアが尋ねたのは、どうして殴られたかであって、誰になぐられたかではない。
 スクアーロは血を押さえていた袖を離して、出血が止まっているかどうか確認する。
「知るかぁ。あいつがクラシックなんざ掛けてるから、どういう心境の変化だぁ、っつったらグラスぶつけてきやがった」
 アルコールの強い匂いにルッスーリアは苦笑をこぼしながらも、明日にはこのクラシック音楽は撤去されているであろうことを知った。結構気に入っていたのに、残念である。