23:この子は - 5/5

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「―――――――――は?」
 そう、修矢は何とも間抜けな声を電話に向けて放った。電話を取り落としそうになって、あわててそれを持ち直す。だが現実は容赦なく、修矢の世界をえぐった。しかも嬉しそうなことこの上ない声で。
『えーとね、その、に、妊娠…した、んだけど』
 産まれたら修矢も叔父さんだね、と朗らかなことこの上ない柔らかな言葉が修矢のその脳味噌に浸透して、思考回路を停止させていく。オフになったスイッチは手の中の洋服がぱたりと落ちたことで元に戻った。
「ちょ、ちょっと待てよ、姉貴!だ、だって俺、結婚式から帰ってま、まだ一日しか経ってな、ないんだぜ!?一日で妊娠したなんてバカな話あるわけがないって!も、もしかして想像妊娠?」
『違うって。今、妊娠一カ月』
「…一カ月?普通三カ月辺りから計算しない?」
 聞きなれない言葉に修矢は大量の疑問符を浮かべつつ、認めたくない現実に頭を混乱させつつそう尋ねた。電話の向こうの姉は分かる人がいるから、とそう修矢の希望を打ち砕いた。
 しかし、それにしても昨日の今日で妊娠というのはおかしい。そもそも一カ月、と、いう、の、が
「―――――――こ、婚前交渉…?」
『何でそういう言い方するかな…間違ってないけど』
「ま、間違ってないの!?じゃ、じゃぁあの、ああ、あのお、おと、男と、そ、その!」
『…そ、それは、ま、まぁ…』
 もごもごと最後を濁した東眞に修矢は愕然とする。
 あの姉が、あの姉貴が、なんというべきか、分かっていたことだったがポルノ映画を無理矢理見さされた気分である。泣きたい気分に襲われながら、修矢はトランクから箪笥に戻し始めていた服を再度畳の上に落とした。
 黙り込んだ修矢に気づいたのか、東眞はあわててでも、と付け加える。
『そ、その優しかったし、ね!』
「そんなこと聞いてな―――っい!て、哲が聞いたらぶっ倒れるぞ!」
『それはないと思うけど』
「俺が倒れる!」
『倒れてないよね?』
「今から倒れる!」
『電話は切ったほうがいい?』
「よくない!」
 ぐすぐすと修矢は鼻をすすって、どうにか電話を持ち直す。妊娠が発覚した場合、言うべき言葉は勿論結婚式の時と同じそれだが。
「姉貴に似てる子がいい。だから姉貴、頑張って」
『…が、頑張るけど…私に似てるかどうか保証は…』
「似てる子がいい!あんなやつに似てる子供なんて俺は嫌だ!叔父さんなんて呼ばせないからな!」
『そんなこと言わないで。二人に似てたらどうするの?』
「…姉貴似てる部分だけを見て我慢する」
 一体何に我慢するのか、と東眞は電話向こうで苦笑をこぼした。こぼさざるを得ない。それでも可愛い自分の弟だと思ってしまうあたり、自分も随分盲目である。
 修矢は一度電話を持ち直してから、なぁ、と聞き返した。
『何?』
「元気にやってる?無理とかさせられてない?重たいものとか持たされてない?きちんと休んでる?栄養はきちんと摂ってる?睡眠は?姉貴結構無茶しがちだけど、他の連中それ分かってる?」
 まるでXANXUSのような言葉に東眞は思わず失笑した。修矢はそれに小さく首をかしげたが、東眞は元気にやってるよ、と答えた。
『そんなに心配しなくても、XANXUSさんはいい人だし、他の皆も優しいから。修矢は―――どう?』
「うん、料理習うようになってから少しずつ普通の料理食べれるようになった。今哲はプリンが切れてるとか言って買いに行ってる」
 あいつはもう中毒だ、とすっぱりと言い切って修矢は一つ溜息をついた。それからそれから、と修矢はまだまだ沢山言いたかったことがあった。けれども、それは他の言葉一つで代用させておいた。
「電話、切るから。今日はしっかり休んで。姉貴、体を大切に。俺は男だからわからないけど、大変だっていうのは授業で習ったから」
『…有難う』
 じゃあね、と電話はプツンと切れた。修矢は切れてしまった電話を眺めて、少し名残惜しそうにする。もう少し話していてもよかっただろうかと思いつつ、母体にさし障ったら問題だ。
 子供が、と小さく言って、畳の上に倒れこんだ。
「―――――――――絶対、姉貴似の子供がいい」
 あんなやつのリトルなんて見たくもない、と修矢は先程電話で言った言葉を繰り返し、世界で最も憎い男の顔を思考の中でぐっちゃりと消した。
 玄関から、何か重たい袋の音がして、多分と言わず間違いなくそれはプリンがたくさん入っているからなのだろうが、もうそんな時間だったかな、と思って修矢は体を起こした。そして玄関に向かって、先程東眞から聞いた、自分の中の私情も十分に混ぜ込んだ話を自分の側近に伝えることにした。

 

「聞いたよ、XANXUS!」
 椅子に座っている男にXANXUSはぎりっと奥歯をかんだ。
 一体どこのどいつから情報を手に入れたのか、全くもって分からないが、目の前の老人はピンクのリボンで飾られた大きなクマのぬいぐるみを、ソファの上において、とろけそうなほど鬱陶しい笑顔をこちらに向けている。
「まさか孫の顔がこんなに早く見れるとは…いや、嬉しいものだね」
「るせぇ。帰れ。仕事はどうした」
「ちょっと家光に押し付けてきただけだよ。それで東眞さんは?もうお腹は大きいのかな」
「黙れ」
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃないか。一人占めしなくても…」
「うるせぇ」
 ほとんど会話になっていない会話が繰り広げられる。いつも以上ににこやかな顔は非常に癪に障った。机の端に置いたテキーラを気を紛らわせるためにあおる。
「大体結婚式の日だって、殆ど彼女と話という話をさせてくれなかったし、やはり寂しいものがあるんだがね」
「とっととくたばれ、この老いぼれが」
「そうそう、それからこれから入用になるだろうと思って、買ってきたんだけれど」
 そう言ってティモッテオは一体何を持ってきていたのかと思われるほどに大きな包みからどんどんとものを取り出し始めた。おしゃぶり、哺乳瓶、幼児用の服、赤ちゃん用のお菓子、etcetc。
「揺り籠とかも買ってあるんだよ。流石に今日は持ってこられなかったから、後で運ばせよう。それともう名前は決めたのかい?男の子か女の子は?どっちでも可愛いだろうね…なんといってもお前と東眞さんの子だ」
 幸せ一杯の表情でティモッテオは向かい側のXANXUSの顔すら確認せずに話を続けていく。
「東眞さんは元気にしているかな?勿論無茶はさせていないのだろう?重たいものとかを持たせてはいけないよ。食事と睡眠もしっかりとらせてあげているかい。母体にはクラシック音楽がいいという話も聞いたことがあるから、たまに音楽も聞かせてあげるといい。それからできるだけ一緒にいてあげて、彼女に優しくしてあげて…ああ、無闇に怒鳴ったりしてはいけないからね。お前はよく怒鳴るから…」
 声のとげを落として、とティモッテオは非常に優しい忠告をした。そして、ああそれから、と付け加える。
「体を冷やさないように気をつけてあげることと、お腹に衝撃を与えないように。それと柔らかくてゆとりのある服に…」
 どんどんと言葉を並べていくティモッテオ。
「玩具はどれくらい欲しいかな。取り敢えずぬいぐるみとボールと…ベッドはもう要るかな。それとも一緒に寝るのかね。そうだとしたら、もう少し柔らかくて大きなベッドのほうがいいかな…XANXUS、どう思う?」
「うるせぇよ」
 ぎりっと奥歯を鳴らしてXANXUSはティモッテオを睨みつけた。そろそろといわずとも限界は近いようである。それにティモッテオは非常に残念そうな顔をした。
「お前まさか、東眞さんにもそうやってすぐに怒っているわけじゃないだろうね…それはいけない、XANXUS」
「うるせぇ!!!とっとと出ていけ!!仕事しろ!!!てめぇのカス犬に任せるくらいなら、てめぇの手でしろ!」
「ほらほら、大きな声だと東眞さんの体に悪い」
 XANXUSの怒号など一切気にせずに(というよりもかなり慣れた様子で)ティモッテオは流すと、どうどうとばかりに両手を出した。素敵な音がした。とても素敵な音がした。それはメロディーか何かのようだった。
「――――――――かっ消す!!」
 どん!とすさまじい音が部屋に響いた。
 扉の前を通りかかったスクアーロはその音に驚いて足を止める。確か今は九代目が来ているはずだった。と、扉があわてたように開かれて、軽く咳をしながら、その問題の九代目が現れた。服は多少焦げているものの、本人に怪我は一つもない。ぱたぱたと服をはたきながら、ティモッテオはスクアーロに気づいて、ふわと優しい笑みを浮かべた。
「こんにちは」
「こ、こんにちは…だぜぇ…」
「いや、孫ができたというからこうやって喜び勇んできたものの、XANXUSときたら東眞さんにも会わせてくれなくて…」
「消えろ!!」
「ぉぉ、っと、それでは怪我をする前に帰るとしよう」
 飛んでくる光球を軽くよけて、ではと老人とは思えぬ足さばきでティモッテオはその場を颯爽と後にした。そしてすぐさまXANXUSが扉に手をかけて、顔を怒りでゆがめた状態で現れる。
「――――…っあの老いぼれが!!」
「…な、何があったん
 だぁ、と最後まで言わせてもらえず、スクアーロの鳩尾にXANXUSの拳がめり込む。その衝撃にスクアーロはげふぅ、と小さな呻きを漏らして、僅かに足が地面から浮かんだのを感じた。ちっ!とXANXUSは大きく舌打ちをひとつして、殴りつけたスクアーロのことなぞ目にもくれずに足を鳴らしながらその場を後にした。
 数回せき込みつつ、間違いなく八つ当たりをされたスクアーロは息を整えながら部屋の中をのぞく。部屋の中には大きなクマのぬいぐるみがソファにおかれ、そして机の上と床に落ちたものはすべて赤ん坊のために用意されるべきものである。
 あの親ありてあの子ありか、とスクアーロはがっくりと項垂れた。