23:この子は - 3/5

3

 ベルフェゴールを追いかけているXANXUSを除いては、被害を避けるために東眞がいる部屋へと戻ってきた。ようするにここで逃げるよりかは妊婦のそばにいたほうが安全なのである。スクアーロではなくベルフェゴールが追いかけまわされるのは珍しいことだと思いつつも(それもどうだ)誰もそれについては何も言わない。
「でもコンドームに穴開けちゃ駄目よねぇ」
 それでも理由がベルフェゴールらしいと言えばらしいので、何となく納得もしてしまう、と小さく笑いながらルッスーリアは椅子を出してきて腰かけた。でも、とマーモンはひょいと東眞の膝に足を下ろす。
「一月なんて分かるものなのかい、シャルカーン」
「モウ、ワタシを誰だと思ってるんですか、マーモン」
 ひどいデスヨ、とシャルカーンは首をかしげる。そしてその場にいた男性たちにも分かるように丁寧に説明を始めた。
「0~3週目は妊娠キットでも反応しまセンヨ、勿論。デモ、体には気の流れっていうものありマシテ、命の流れができてるんデス。今東眞サンには本人の流れともう一つ小さな流れができてるんデスヨ。西洋医学は目で見ないと信じられないっていうのが厄介デスネ」
「だがそんなの触診でも分からねぇだろぉ?」
「デスカラ、触って診るのは赤ちゃんの形ではなくテ、気の流れを診るんデス。スクアーロ、ちょっと見ない間に頭の気の流れが悪くなりまシタカ?」
 にっこりと笑顔で嫌みをさらりと述べたシャルカーンにスクアーロは言葉もない。つまり頭の回転が悪いですね、と言われたものだ。ふっとそれに笑いをこぼしたレヴィをスクアーロはぎんっと睨みつけたが、黙ってろぉ!としか怒鳴れない。何とも説得力がない。
 しかし、シャルカーンは今度はレヴィに目を向けた。
「レヴィのボス中毒も随分デスネ。いい加減にしておかないと危ないデスヨ」
「――――なっ!」
「一回アルコール中毒対策よろしく、ボス中毒対策しておいたほうがいいかもしれませんネ。ソウデス、今度ボスに言ってレヴィには長期遠征任務を任せるように頼んでおきまショウ」
 にこにこと素敵な笑顔で今から死ね、との発言をするシャルカーンにレヴィはわなわなと震える。そんなレヴィを見てから、シャルカーンは冗談デスヨ冗談、とからかって笑う。だが、その言葉はもうレヴィの耳には届いていなかった。壁に向かって今にも泣き出しそうな顔をして震えているレヴィの背中を数秒見つめて、シャルカーンはすいと椅子から立ち上がった。そして、その背中に両手を伸ばして、どこを狙ってかどす、と音が出そうなほど強くその服で包まれている指先で突いた。レヴィは小さな呻き声をあげて、そのまま床に崩れ落ちた。
「メソメソしてるとイイコトなくなりますからネ。気絶でもしてイイ夢見てるとイイデス」
 肉体的疲労もばっちり取れますヨ、とシャルカーンはニコニコと笑いながら椅子に戻った。倒れ伏したレヴィの表情は確かにどこか安らいでいるが、少なくともそれは起きていた時の精神的ショックと掛け合わせれば、プラマイ0である。
「それでデスネ、東眞サン」
「あ、はい」
「できるだけ規則正しい生活を送るコト、これを徹底してくだサイ」
「はい」
 しっかりと返事をした顔を上から眺めて、スクアーロが揶揄するようにして笑う。
「あれだなぁ、もうすっかり母親の顔だぜぇ。どんな餓鬼が生まれるんだろうなぁ」
「ボスそっくりじゃない」
「…そりゃ昨日話してたことだろうがぁ…勘弁しろぉ…」
 うう、とスクアーロは昨日のルッスーリアとの会話を思い出しながら軽く項垂れた。あ、ソウソウとシャルカーンは思い出したように付け加える。
「大切に、とは言いましたけど、ボスの動向にも気を付けてくださいネ」
「?」
 ツマリハ、と言いかけたシャルカーンの言葉はすさまじい音を立てて扉が開かれたことによって消えてしまう。ベルフェゴールがいない時点で、周囲は静かに彼の冥福を祈った(勿論死んでいないことは承知だが)
 XANXUSさんと東眞はそちらに向かって立ち上がろうとしたが、途端、怒号にも近い大声が響いて動きを止める。
「動くんじゃねぇ!!」
「は、はい!」
 止まった東眞にXANXUSはがつがつと近づき、背中に、膝裏に手を添えてできるだけ丁寧さを心が得けて持ち上げる。そして、どこに行きたいと言わんばかりに東眞を見下ろした。
 まさか、と東眞はそこでシャルカーンが言いたかったことを理解した。
「じ、自分で歩けますよ、XANXUSさん」
「るせぇ」
 申し出をその一言で断ち切られて東眞はああ、と小さく項垂れる。考えてみれば、彼ほど加減を知らない人間も珍しいのである。0か100のどちらかで、50というものがない。
 スクアーロは東眞が困っているのを見て取って、XANXUSに声をかける。
「う゛お゛ぉ゛お゛い、ボス。おろしてやったらどうだぁ。適度な運動もひ
「黙ってろ、ドカス」
 今にも殺さんばかりの殺気を大量に含んだ目で睨みつけられて、スクアーロは言葉を無くす。
 このままでは東眞は見事に動く機会を逃すことだろうし、一歩たりとも自分の意思で動けくなることは間違いがない。シャルカーンのいう「日常生活」が送れなることは必至である。
「ボスボス、駄目ですヨ。東眞サンおろしてあげてくだサイ」
「あぁ?」
 シャルカーンの言葉でさえもXANXUSは睨みつけて押し潰した。
だが、シャルカーンもそれくらいは想定済みだったのか、おろしてくだサイと再度頼みこんだ。しかしXANXUSが東眞の足を床に下ろすことはしない。
「ボス、妊婦には適度な運動も必要なんデスヨ。何でもかんでも取り上げてたら、反対に体に悪いデス。心配するなら、むしろ夜の営み控えてくださいネ。睡眠不足は大敵ですカラ」
「……うるせぇ」
 ちっと大きく舌打ちをしたXANXUSにシャルカーンは小さく溜息をついた。が、XANXUSもようやく東眞の足を床につけることを許す。浮遊感から解放された東眞はほっと一息ついた。
「過保護もここまで来ると鬱陶しくねぇかぁ…?」
 ぼそっと呟いた言葉はしっかりとXANXUSの耳に届いていた様子で、即座に銃がホルダーから引き抜かれてスクアーロにつきつけられる。勿論引き金は一切の躊躇なくひかれ、激しい銃声が響く。当然スクアーロは間一髪でそれをさけるものの、銀色の髪の一房は持っていかれる。
「死ね」
「て、め、銃で撃ったら死ぬだろうがぁ!」
 本気で!とわめいたスクアーロにXANXUSは再度引き金を引く。反動で少し銃がぶれる。飛んできた銃弾を椅子でガードして、スクアーロは背後の窓から外へと逃げる。XANXUSはがつがつとブーツを鳴らして窓際へとより、窓の外から逃げていく銀色めがけて銃を容赦なく撃った。装弾数を全て撃ち切り、XANXUSはそこでようやく撃つのをやめた。予備の銃弾をかちりとはめてホルダーに戻す。
 窓の外にスクアーロが倒れているか否かは勿論誰も確認をしなかった(したくもなかった)
「ボス、一月に一度本部に戻れるように任務を組んでくだサイ」
「?」
「東眞サンの赤ちゃんの調子、診ておきたいデスカラ」
 そう頼んだシャルカーンにXANXUSは一拍置いてから、分かったと答えた。アリガトウゴザイマス、とシャルカーンは律義にそれに礼を述べる。
「トコロデ、ジャンはどこでスカ?」
「ジャン?」
 知らぬ名前に東眞は怪訝そうに首をかしげる。それにルッスーリアが、そういえば東眞は面識ないのよね、と頷いた。
「ジャン・ヴィレール。ここでセキュリティとかのパソコン関係を受け持っている男よ」
「一度もお会いしたことありませんけど…」
 東眞とてここで長く住んでいるのだから、一度も顔を合せていないというのはおかしい。
 その質問にルッスーリアは一拍止まって首を軽く横に振った。
「まぁ、できるなら会わないほうがいいわよ。お勧めしないわね」
「…帰られているんですか?」
 家に、と東眞は問う。
 幹部とは別に隊員はそれぞれやはり自分の家というものを持ち、そこから通っている。それならば、そのジャン・ヴィレールという人にも会うことがないのも理解できる。
 ルッスーリアは小さくため息をついた。
「違うわ。ジャンはね…ここに入ってから、パソコンのある部屋から出てきたことが殆どないのよ…」
「パソコン中毒ってやつ、まじだぜ。あいつ、パソコンが視界から消えて10分経つと切れるんだよな」
「もはや狂人だ」
「だね。豹変っていう言葉がぴったりだよ」
 ルッスーリア、ベルフェゴール、レヴィにマーモンの言葉に東眞はジャン・ヴィレールという男の形がまったくつかめない。考えている東眞をよそにシャルカーンが深くため息をつく。
「マタ、ワタシが呼びに行くんデスカ?イヤですヨ。あの部屋薄暗くて気味悪いデス。アノ人パソコンに向かって話しかけてるんデスヨ?」
「なら放っておけばいいじゃないの。駄目なの?」
 もっともな言葉だったが、シャルカーンは首を横に振った。
「駄目デスヨ。一年に一度あるかないかの健康診断も受けてないんデショ」
「…ある程度時間かかるから…ね。パソコンから離れたら僕は死ぬ!とか叫んでセキュリティロックかけてたわ…」
「嘆かわしイ。ボス、ボスなら呼べマス?」
「ざけんな。カスは放っておきゃいいんだよ」
 なんで俺が気にする必要がある、とばかりにXANXUSは切り捨てた。
「まぁ彼ならパソコンが原因で死ねるなら本望ってところだろう。シャルカーン、君が気に病む必要はないよ」
 マーモンの言葉にシャルカーンはやはり首を横に振った。そしてため息をひとつついておろしていた腰を立たせる。それに東眞も立ち上がって、シャルカーンに声をかけた。
「私も行きますよ、チャノ先生」
「オヤ、いいんデスカ?」
「はい。私もお会いしたことがないので」
 アリガトウゴザイマス!とシャルカーンはニコニコと微笑んだ。それにXANXUSが不機嫌そうな顔をして、自分の隊服を東眞に押し付ける。
「着ろ」
「でも、」
「着ろ」
「…はい」
 有難うございます、とXANXUSの意図が分からないまま、東眞は礼を述べてからそれを受け取った。前が開いた状態だったのを見て取って、XANXUSはぶつぶつとその前を止めてから、踵を返してその部屋から出て行った。
 シャルカーンが慌ててその背中に声をかける。
「ボスも後で行きますカラ」
「勝手にしろ」
 消えてしまった気配にシャルカーンは大切にされてマスネ、と東眞に笑った。首をかしげた東眞にその隊服を緩やかにさす。
「地下は冷えるデショウ?」
「……あぁ」
 それに気づいて東眞は少しばかり頬を染めて、嬉しそうに笑んだ。シャルカーンは、行きましょうカ、とXANXUSが閉めた扉をもう一度押し開けた。

 

 かちかちかちかちかちかちかちかかかっかたたたたかたかたたかかたたたた。
 無機質な部屋の中で無機質な音が響き無機質な光が部屋を埋め尽くす。画面から光る文字は眼鏡の奥底の目にしっかりと映しこまれ、それは脳内に電気信号となって送られていく。
 光る画面の前に座る男は、不気味な笑みを浮かべて、うやうやしくそのパソコンに触れた。
「ニコラ…ああ、君は今日も美しい…僕の愛しのニコラ…なんて綺麗なんだ…」
 病的な笑顔をその顔に張り付けて、男は、ジャン・ヴィレール笑っていた。当然キーボードをたたく音と、パソコンの起動音それから、その賛辞以外の音は何一つとして部屋の中にはなかった。
 そして男はうっとりとした恍惚の瞳を目の前の愛しの「ニコラ」に向けていた。