22:Vivissimi augri di buon matrimonio - 4/4

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 ああ、とスクアーロは深く息を吐き出し、そしてきっちりと来ていたネクタイをゆるめた。
 懐かしのと言うにはあまりいい思い出がない扉を押し開く。そうすると、一足先に帰ってきていたのか、ルッスーリアが紅茶をいれていた。あら遅かったのね、とそんな声がかかる。スクアーロはネクタイを完全に解いてがっくりと脱力した。
「こっちの結婚式ってのはどうしてこんな長ぇんだろうなぁ…ここばっかしはジャッポーネを見習ってほしいぜぇ」
 壁の時計は二時になっている。窓の外を見れば高い位置に日が―――――ということもなく、どっぷりとくれた闇の中に月が浮かんでいる。
 つまるところ、現時刻は午前二時を回っているのだ。
 くすくすとルッスーリアは小さな声で笑いながらソファに腰かけたスクアーロについでに紅茶を置いて、自分も腰掛ける。
「主役が帰ったっていうのにまだやってたの?」
「…まぁ、ボスの結婚式ってぇのもあったんだろうが、ボンゴレとの関わりを深くしに来たっていうのもあんだろうからなぁ」
 XANXUSと言えば、一通りの挨拶が済んだと思えば、あっという間に東眞の手を引いて帰ってしまったのだ。
 流石の態度にスクアーロも声をかけかけたが、ティモッテオがそれを止めた。今思えば、それは彼なりの気遣いの仕方だったのかもしれない。あの場にあれ以上とどまれば、間違いなくXANXUSにはいらない話ばかりを耳にすることになる。それを耳にしている東眞とて決していい思いはしないだろうし、XANXUS自身も不機嫌になる要因の一つだ。祝いの席に暴力沙汰は好ましくない。
 ルッスーリアが出した紅茶を一口飲んで、一息つく。
「ところでボスと東眞はどこ行ったんだぁ?まさか帰ってすぐナニしてんじゃ…」
 今の時間まで?とスクアーロはまさかと思いながら尋ねる。ルッスーリアはスクアーロの言葉に小さく笑いながら手を軽く振る。
「まさか。大体今更初夜も何もないじゃないの、あの二人」
 尤もな言葉にまあなぁ、とスクアーロは頷いた。初夜などとうの昔に――――済ませているだろうし(東眞は時々声を嗄らしている日まである程だ)確かに今更である。
「二人でディナーでもとってんのかぁ。夫婦―――――…水入らずで」
 どこかの高級レストランで二人きりでそれを楽しんでいる(片方は楽しそうな顔はしていないだろうが)可能性もある。しかしあの二人が夫婦、という事実がいまいちピンと来ない。そんな表情を読まれたのか、ルッスーリアが笑う。
「まぁ、仕方ないかもしれないわねぇ」
「…いや、恋人だとかそういった言葉はしっくりきてんたんだけどなぁ…。あいつが妻帯者ってぇのがいまいち…」
 しっくりこねぇ、との言葉にルッスーリアは紅茶のカップに口をつける。
「でも今までと大して変わらないでしょ?敢えて言うなら東眞の指にリングがはまっただけね」
「ま、そりゃそうだぁ」
「あら、なぁに?ひょっとしてスクアーロったら東眞狙ってたの?」
 その言葉にスクアーロはぎょっとする。そんな死亡確定な事実は遠慮したい。確かに東眞は優しいし、まぁ美人とは言い難いが、傍にいれば安心するような空気を持っている。だからと言ってそれは恋愛に関する好きではないことは確かだ。そういう関係になりたいとは思わない。
「冗談にもほどがあるぜぇ…」
「そんな恥ずかしがることもないのに」
「…恥ずかしがってなんかねぇ…大体あいつはボスの女で、」
「ボスの女じゃなかったらどうしたの?」
 ルッスーリアの一言にスクアーロは目を丸くする。そんなことは考えてもみなかった。
 ボスの女ではない東眞、それは一体どんな彼女なのだろうかと。だが全く想像がつかない。自分にとっては東眞はボスがあっての今の彼女なのである。ボスなくしてスクアーロにとっての東眞は存在しないも等しい。
 首を素直にかしげたスクアーロにルッスーリアは冗談よ、と笑って返した。
「もう家族みたいなものよねぇ。ボスがいて東眞がいて、それが普通になっちゃったわ。私達にとっての東眞は、恋愛対象になりうるかもしれない女性ではなくて、ずっとボスの女の東眞だったもの」
「…ま、そうだなぁ。これで餓鬼でもできりゃまた騒がしくなんだろうぜぇ」
「子供ね…やっぱりボス似かしら」
 ねぇ、と肩を軽く持ち上げたルッスーリアにスクアーロは人類が絶滅したような顔をした。そして顔を押えて、勘弁してくれぇと小さく呻く。
 ただでさえ横暴な君主に暴君二世など考えたくもない。とんでもない悪夢だ。
「外見はボス似でも、育て方次第では性格は似ないかもしれないけれど」
「…東眞に期待するしかねぇか…」
「そんなに心配ならスクアーロも子育てに参加したらどう?」
「俺が?子育て?冗談じゃねえぞぉ!」
 思わず声を荒げたスクアーロにルッスーリアは慌てて、自身の唇に人差し指を添えて、しっと小さく声をたてる。一体何事か、とそのルッスーリアの仕草に眉をひそめた。それにルッスーリアはもう一つ、背中を向けているソファを指差した。
 まさか、と嫌な予感を覚えながらスクアーロはそぉっとその背後のソファを覗きこんだ。そこには、東眞の膝を見事なまでに占領して眠ってしまっているXANXUSの姿があった。東眞もこくりこくりと眠りについている。
 先程の会話が聞かれていれば、自分の命は塵と化していたが、幸いなことに暴君はしっかりと瞼をつむっておねんねモードである。スクアーロはほっと胸をなでおろした。
「疲れたみたいね。二人とも」
 スクアーロは覗いていた姿勢から元に戻って、ルッスーリアの方向に体を向けた。
「あいつら、帰って来てからまさかそのまま寝てたんじゃねぇだろうなぁ…」
「少なくとも私が戻ってきたときはすでにあの状態ね」
 ルッスーリアがパーティーから抜け出したのが大体十時辺りで、XANXUSたちが帰ったのは八時当たりだとすると、もうかれこれ六時間である。これから朝まで眠るつもりならば、全く随分な睡眠欲である。
「でも、ボスが目を覚まさないなんて、よっぽど気持ちいのかしら」
 東眞の膝、とルッスーリアはからかい混じりに笑った。<それにスクアーロは、口元を歪めてそうじゃねぇのかぁ、と返した。
「今度寝かせて貰ったらどうだぁ?」
「やめてちょーだい。私はまだ自分の命は惜しいのよ」
 そう言って声をたてたルッスーリアにスクアーロはそりゃそうだぁ!と笑って返した。そして、ちらりとすっかり眠ってしまっている二人に目を向ける。
 眉間の皺がとれた状態で眠っている男を眺めながら、スクアーロは嬉しそうに目を細めた。
 そんなスクアーロをルッスーリアは向かいのソファから見て、そして少し覚冷めてしまった紅茶を飲み干した。それから大きく伸びをして立ち上がる。
「じゃ、私は任務に行ってくるわ」
「なんだぁ?今日もあったのかぁ?」
「大した任務じゃないわよ。明日の朝には帰ってこられるわ」
 扉に手をかけてルッスーリアはふと止まった。制止したルッスーリアにスクアーロはどうしたぁ、と声をかける。それにルッスーリアは眼鏡の下で目を柔らかく細める。
「…私も随分と東眞のいる日常になれてたのねぇ」
「?」
「行ってらっしゃい、て言葉。なんだかないと寂しいわぁ」
 ああそう言えば、とスクアーロは思い出す。
 彼女は必ず出ていく人間には行ってらっしゃいと、帰ってきた人間にはお帰りなさいと言っていた。いつの間にかそれが普通になっていて、出ていく際には何かしら返事をして出て行くのがもはや習慣であった。暗殺に行く人間にこれほど不釣り合いな言葉もない。だが彼女は全てを知ってそう声をかけ続けていた。
「失敗すんなよぉ」
「んもう、私をだれだと思ってるのよ。失礼しちゃうわ」
 行ってらっしゃいの代わりの言葉にルッスーリアはくすりと声を漏らして、そして扉の向こうに消えた。そしてス、クアーロは冷めた紅茶を最期まで飲んで、毛布を二枚持ってくる。それをXANXUSと東眞に一つずつかけた。
 二人揃って安心しきったその表情を眺めてから、スクアーロは小さく微笑む。
「Buonanotte(おやすみ)」
 新婚さんにそう声をかけてスクアーロはその部屋の電気をぱちりと消した。
 落ち着くところに落ち着いた、そんな安心感を心に添えて。

 

「サテ」
 頭に入れ墨が入った男は時差ですっかりと現地と異なる時間をさしているその時計を眺める。そして、指先まで隠してしまっている服で時計の針を動かして、正確な時間を指す。
 男はアア、と小さな嘆息を漏らした。
「やっぱり間に合いませんでシタネ」
 連絡を入れておいて正解デス、と浅黒い肌を空港の電気の下で歩かせながら、男はその緩やかな服を揺らしながら歩く。柔らかなアジア系統の服の下にはきっちりとした黒い隊服、ヴァリアー隊員が身につけるそれを着ていた。細い、はたして開いているのかどうか微妙なラインの目が特徴的なその男は、真っ暗空があふれ返っている外に出る。
 冷たい風が吹いた。
 おお寒イ、と少し身を震わせてそんな言葉を漏らす。
「これでも頑張ってみたんデスケド…、ボスの結婚式ちょっと見たかったデス」
 さてさて、と男はちらちらと周囲を見渡し、引いていたトランクに目を落とす。だが、それはすでに置いていた場所にはなかった。慌てた様子で男が周囲を見渡すと、少し離れたところで、見るからに柄の悪い青年が自分のトランクを仲間と見られる男が運転している車に乗せようとしていた。
「チョット。それ、ワタシのトランクですヨ」
 返してくだサイ、と男は慌ててブーツを鳴らしながら、自分のトランクを車に詰め込んでいる男に駆けよって声をかける。だが男は近づいた男を突き飛ばして、トランクを車に押し込む。突き飛ばされた男はよろめいた。
 そしてトランクを盗んだ男は車に乗り込んで扉を閉めようとした。だが、それは閉まらない。
「!?」
「おい、何とろとろしてんだ!だす――――――――――――ひっ!」
 運転席の男は軽い悲鳴を上げる。扉を閉めようと必死だった男の顔に月影が閉ざされ、人の影がかかる。
「お兄サン、ワタシのトランク――――――――返してくれマスカ?」
 にこり、と笑った顔の男がそう、告げた。馬鹿にするなと男は懐からナイフを取り出して笑顔の男に向けて突き出す。だがその手はあらぬ方向に曲がった。
「ぎ――――――――、あ、ぁああっ、あ!!」
「子供がナイフ振り回しちゃイケまセン」
 こんな危ないものはポイしまショウ、と男は微笑んでいるのかどうなのか分からない細い目を男に向けていた。そして、男が取り落としたナイフを、からんと地面に落とす。男は喚く男の首の両脇に指先を、それは長い袖で隠れてはいたが、はっきりと袖の下の指で、皮膚を上から押した。すると手首をあらぬ方向にまげていた男はあ、と短い声を発して、よろめき、そして倒れた。ぶく、と口から泡が零れている。
 運転席に座っていた男はその何とも奇妙な光景を目にしたまま、かちりと歯を恐怖で鳴らした。それから月影を背後に背負った、浅黒い色の肌の男は、もう一度同じ言葉を運転席で恐怖の色を宿している男に頼んだ。
「ワタシのトランク、返してくれマスカ?」
 ゆっくりと微笑んだ男の手が伸びて、その手が触れる前に男は小さく頷いた。すると、近づいていた手がそろそろと遠ざかっていく。
 刺青を頭に持った男は有難うございマス、と断ってから、奪い取られたトランクを車の中から引きずり出した。そして何事もなかったかのように、その場を後にして――――まるで、始めから男の存在はないと言わんばかりに消えてしまった。
 はっと運転席の男は、泡を吹いていた男を、自分の仲間を思い出して、その倒れた男の名前を呼ぶ。
「マルコ!マルコ、しっかりし、
 ろ、と言う言葉は最後まで続かない。触れた指先の体温は驚くほどに冷たくなって、そしてその皮膚の弾力はすでに生きた人間のものではなかった。後部座席に倒れた男の――――――物言わぬ躯は、幸いにも生き残った男の指先によってその死の事実を相手に告げていた。
 かちん、と小さな時計の音が鳴る。
 そして男は後部座席の死体を眺める。
「…マルコ?」
 「後部座席に倒れている男」が「何故」そこに倒れているのか分からず、運転席に座っている男はぞっと震えた。自分たちは空港でタクシー待ちの間抜けな人間を探すためにここに来ていたはずだった。マルコは、自分の友人が「何故か」後部座席で倒れている。泡を吹いて。
 自分たちは「ほんの一秒前まで」どこの誰をカモにするか話し合っていたはずである。だというのに、自分の友人は後部座席で倒れてしまっている。死んでいる。会話をしていた友人が突然死んでしまった。「何も理由がないのに」死んでしまっている。心臓死、突然死、理由はいろいろ考えられる。
 針がもう一度カチリとなった。
 すると運転席の男は、ダッシュボードに入れていた銃を無表情でその手に取る。そして、その銃を「倒れている友人」に向けた。動かぬ友人の頭部に銃口を突き付けて、そのまま引き金を引いた。重音と、それからどぱっと脳みそを銃弾が食い千切ったことによって血液が飛び散る。激しい流血で車内は天井まで真っ赤に染まった。ポンコツ車の窓ガラスには赤色で彩られて、それは重力に従ってずるずると落ちていき新しい模様を描く。
 「二度死んだ」男から運転席の男は銃を離した。そして、その銃口を自分の口内に押しこむ。恐怖も何もない目をして、男は

ばん。

 引き金を引いた。フロントガラスが真っ赤に染まる。
 月の下の飛行場の前の車、浅黒い男が訪問したはずであった、の中に、生存者は一人も残っていなかった。